Through The Fire/Draw The Liar 3
部屋の扉を乱暴に閉めた亜里沙は、端末を付けたままのミリタリージャケットを脱ぎ捨て、グルカナイフをホルダーごとベッドへ投げる。
教材や筆記用具、必要最低限の物だけしかない、殺風景でかつ跡を濁すことがないであろう、部屋の主の思考を反映した部屋。
名前が変わって、住む場所を得て、母がアリサを必要としなくなったその時から芽生えていた意識。
自らはいつまでここに居られるのだろうか。
リベルタリア家は亜里沙1人を置いて、時を経るごとに"家族"になっていった。
皆を守る為に身も心もコロニーに捧げた義父、義父に夢中になり義兄にも愛情を注ぎ続けた母、そして2人の愛情を得ながら義父の仕事の助け続けた義兄。そこに亜里沙の入り込む余地などありはしなかった。
現にパトリックが亡くなってからと言うもの亜里沙はチーロ・リベルタリアの顔を見ていないどころか、旅立っていたことすらチーロに知られていないだろう。
母を守るという自分の役目は終わったのだ、そう理解すると同時に亜里沙は得体の知れない喪失感に襲われた。足場がなくなるような、どこに立っているのか分からなくなるような。
亜里沙は生きるために生きてきた。生きて母を守るために生きてきた。生きて父の兄の残滓を消さぬよう生きてきた。
しかし、そこに亜里沙の意思などあったのだろうか。
食い扶持を稼ぐために盗みに行っていた死体が転がる戦場は怖かった。グルカナイフ1本で人買いと相対した時は生きて帰れるとは思えなかった
ウィリアムが生きて帰ってくるまでの時間はとてつもなく長く感じた。
何よりウィリアムだけは亜里沙を認めてくれていた気がした。アリス・リベルタリアではなく、亜里沙・楠本を。
リベルタリアにマイナスの感情など持っていないが、それでも亜里沙は変わりたくなかった。アリサはアリスではなく亜里沙で居たかった。
しかし、もはや手遅れだ。
母もウィリアムも亜里沙を必要としていない、亜里沙はそう理解してしまった。
そんな事を考え得体の知れない感情に浸る亜里沙の耳に、扉がノックされる音が届く。
優秀なサーシャは義兄と共に居るはずで、この事態を引き起こした自分の弾劾裁判による召喚には早過ぎる。
亜里沙が戸惑っているど、再度鳴らされたノックと共にまだ聞き慣れていない女の声が扉の向こうから聞こえてきた。
「アリス様、いらっしゃるのでしょう? 少しお話をしませんこと?」
聞こえてきた声はつい先ほど対面した金髪の女、ローレライ・ロスチャイルドのもの。
1番顔を見たくなかったその存在の登場に、亜里沙は無言のままは膝を抱えて座り込んでローレライが去るのをただ待ち続ける。
それが醜い嫉妬心だと、つまらない子供の癇癪だと亜里沙は理解している。だが自らの望む場所に悠然と構えているローレライの顔など、亜里沙は見たくなかった。
癖の強い茶髪と金糸のような金髪。色が暗いだけのブラウンの双眸と透き通るような青の双眸。成長の時を待つ未だ幼い体と女の美しさを濃縮したようなすらりとした体躯。
何もかもが劣っているのは理解しているが、それでも嫌なものは嫌なのだ。
そう歯噛みする亜里沙の耳に届いたのは、ローレライが立ち去る足音ではなく深い溜息と侮蔑の言葉だった。
「本当にお子様ですのね、呆れましたわ」
その言葉に怒りが沸点に達するのを感じ、亜里沙は飛び上がるように立ち上がって乱暴に扉を開ける。
扉の向こうに居たのはライフルを手にしたサーシャ、剣呑な空気にオロオロとしているレギナ、そして悠然と待ち構えるようにして立っていたローレライだった。
「何が言いたいのよ?」
「あなたが愚にも付かない子供だと、あの方の傍らに居るに値しない存在だと、そう申し上げていますの」
お分かりで?、と両手を広げ心底あきれ果てたと言わんばかりの表情を浮かべたローレライはそう吐き捨て、その態度は更に亜里沙の怒りを助長させる。
薄汚れた白のパワードスーツを纏う野盗達、それを平然と撃ち殺すウィリアムの魔弾。
並び立つには自分が未熟な事くらい、亜里沙でも理解はしていた。
だからといって認められるか、と亜里沙はローレライを睨みつける。
初対面のあの時、ローレライの碧眼は確かに亜里沙に対しての敵意を灯していたのだから。




