Shake The Fake/Wake The Snake 4
「やあ、アリサ。こんな夜更けにどうしたんだい」
「ちょっと話がしたくて。迷惑だった?」
荒れ果てた大地を照らす、ガス雲の向こうから差し込むささやかな月光の下。
テラスで見つけた見覚えのある背に、亜里沙はわざとらしく首をかしげながら当然のように傍らに立つ。
これも任務のため。ウィリアムに対して裏切りかもしれないが、亜里沙にとってこれが母を守る為に出来る唯一の事なのだ。
「構わないよ。そういうのに付き合うの――」
「そういうのに付き合うのが、何?」
「……淑女の話に付き合うのは紳士として当然だろう?」
手すりに体を預けてジト目で睨んでくる亜里沙に、ウィリアムはガスによって輪郭すら曖昧な月を見上げて苦笑を浮かべていた。
普段と変わらない飄々とした態度に、亜里沙を子ども扱いする言葉。
しかし、目だけは以前と違う空虚な色を灯していた。
兄の面影を失ったウィリアムを見るだけで、妙な寂寥感に駆られてしまう亜里沙はウィリアムに倣い曖昧な月を見上げた。
「こうやってゆっくり空を見るのって初めてかも」
「普段はどうしてるんだい?」
「空き時間は勉強したり、お義父様やお義兄様の書類整理を手伝ったり。勉強も仕事も身になってない訳じゃないから別にいいんだけどね」
移民だった頃には出来なかったそれらの事に没頭している時間、亜里沙に孤独と似て非なる環境のことを忘れさせてくれた。
勉学に励んでいるその間はサーシャが近くに居てくれた。
出来る範囲の仕事をこなせば義父と義兄は自分を認めてくれた。
結果を出したその時だけ、母は自分の事を思い出してくれた。
「ねえ、何でロスチャイルドさんはコロニーから追い出されたの?」
「本当に唐突だね……面白くない話だよ?」
「それでもいいから、ダメ?」
「いいさ、淑女の期待に応えるのも紳士としての勤めだろうからね。でも、本当につまらない話だよ?」
「それでも」
見上げるように覗き込んでくる亜里沙の様子に、ウィリアムは思わず苦笑をしてしまう。
どれだけ歳が離れているかは分からないが、子供と見くびっていた相手に気を遣われてしまえば無理もないだろう。
さて、と前置きをしてウィリアムはどう話そうかと思案するように顎に手をやる。
話せる事、話せない事、話しても理解されない事。
ウィリアム・ロスチャイルドとして存在しているその男の過去は、あまりにも入り組んでいて面倒なものなのだから。
「昔Crossingってコロニーの防衛部隊に所属してたんだけど、仲間に裏切られて売り飛ばされそうになったんだ」
「傭兵になる前ってこと?」
「そう。それでどうしても死にたくなかったから、全員殺した。人買いの手に渡った有色の人間の結末は知ってるだろう?」
「本当にそれだけ?」
「本当にそれだけの話だよ。それから傭兵になって、今に至るってね」
亜里沙が布で覆われた左目に視線を送っていると、ウィリアムは誤魔化すように肩を竦める。
仲間だった人達を殺したという事に驚く事もない。
誰もが幸福に生きられる訳ではない事は知っている。現に亜里沙も実の父と兄を失っており、ウィリアムのそれは同時に裏切りを嫌うウィリアムという人格を構成するには十分すぎる試練に感じられた。
そしてウィリアムは偶然不幸な生まれをし、偶然得た幸運から見捨てられた。この世界ではそれだけの事でしかないのだ。
だが触れさせようともしないその左目に亜里沙はどこか引っかかるものを感じていた。
語られた1つ1つが重厚で、胃もたれしてしまいそうな内容。
それ以上の何かを感じさせる雰囲気を、その布の向こうから感じてしまうのだ。
「ねえ、辛くないの?」
「彼女がそれを選んだのなら、俺が言えることはなにもないさ」
意識せず口をついてしまった問い掛けに亜里沙が後悔する間もなく、ウィリアムは張り付いたような苦笑を崩さずそう答える。
辛くない訳がないじゃないか。
そう胸中で毒づくと目頭が妙に熱くなり、亜里沙は思わず俯いてしまう。
誰かを失う事の痛みを知り、思わず涙をこぼした亜里沙に優しく寄り添ってくれたウィリアム。
そんなウィリアムに問い掛けてしまった言葉が、亜里沙にはあまりにも酷いものに思えてしまった。
「心配しなくていい、仕事を放り出したりなんかしない。俺は俺のやるべき事をやるよ」
「そうじゃなくて!」
怒りもせず、悲しみもせず、ただ苦笑するウィリアムに亜里沙は目から溢れ出した涙に構わず声を張り上げてしまう。
居場所と家族と左目を失い、それでも戦う事でしか必要とされない最強の傭兵。
人殺しを受け入れながらも優しくあり続けるウィリアムが、リベルタリアに必要とされる為に変わらされた自分と重なり、そして酷く亜里沙は哀しく感じた。
「だって、あんまりじゃない! 自分で勝手に奥さんになって! 勝手に捨てるなんて!」
傭兵が使う冗談のような銃がどれだけの命を救い、どれだけの命を奪ってきたのか。
あのくすんだ銀色のバイクがどのような死線を駆け抜け、どのようなもの達を置いてきてしまったのか。
布に覆われた左目は何を写し、何故失われたのか。
亜里沙はウィリアムの人生に何があったのか多くは知らない。
それでも、失ってきたものの多さと重さくらいは亜里沙でも理解出来る。
自らを生かす為に死んでいった人々を忘れる事は決して許されない、は言っていたウィリアム。その言葉を聞かされた亜里沙だからこそ、考えてしまう。
しかしそんな彼の事を覚えている人間は居るのだろうか。
ローズマリーはウィリアムを義息と言っていたが、ローレライとの縁が切れた今でもそう思えるのか。
再び1人となったウィリアムに、どれだけの人々が無責任に縋りつくのだろうか。
やがてウィリアムに訪れる孤独を、今感じている自分の孤独を重ねた亜里沙は溢れ出した涙を乱暴に拭う。
サーシャやレギナが近くに居てくれた自分と違い、孤独に慣れ親しみ過ぎたウィリアム。
孤独を振り払い、抱き締めてやるには、亜里沙の腕はあまりにも短かった。
「ゴメンね」
あくまで感情を覗かせない苦笑混じりの言葉と、目を擦る手をやんわりと取った温もり。
絶え間なく与えられる優しさに亜里沙はああ、そうか、とようやく腑に落ちたとばかりにウィリアムの背中へと腕を回す。
亜里沙もサーシャも同じように思い違いをしていた。ウィリアム・ロスチャイルドという人間を誤解していた。
傭兵であっても戦闘で立った気を静めるための休息を必要である。2人は確かにそう考えていたが、その考えが見当違いな物であると亜里沙は確かに理解させられたのだ。
銃を手にとって敵を殺し、その手で食事を口に運び、ハートに戦火の火種を燻らせながら眠りにつく。
故に最強の傭兵にとって戦争は日常の1シーンであり、その日常に諍いと無関係で居られる時間など無い。
ウィリアム・ロスチャイルドは最強の傭兵にして、戦いに魅入られてしまった被害者なのだ。
彼は同じなのだ。
そこに居場所はないと諦め、遠くから羨望の視線を送る放浪者である自分と同じなのだ。
君が寒さに震えてしまうことがないように、君が人々の冷たさに傷ついてしまう事がないように。
ふと脳裏によぎる兄の言葉に耳を傾けながら、亜里沙はウィリアムの胸元に顔を押し付ける。
腕の中にある温もり、髪を撫でる温もり。確かにそこに存在するウィリアムを手放してしまわないように亜里沙は回した腕に力を込める。
誰も居ないのならば、自分がウィリアムの唯一の1人になればいい。
誰が忘れても自分だけは絶対に忘れはしない。
胸中で誰に誓うでもなく、降り注ぐささやかな月光の下で亜里沙はそう誓った。




