In To The Deep Unknown/Brew The Cheep A Known 2
空が明るい灰色に染まった頃、眼帯の男とローレライを乗せたバイクが荒野を走っていく。
昨日は使命感と"お兄さん"が近くに居てくれる充足感に溢れていたが、今感じているあまりにも違う感情にローレライは戸惑っていた。
遡る事数時間前。
太目を覚ましたローレライは自分の置かれた状況に、意識が一気に覚醒していくのを感じていた。
地面に横たわる体と上半身に掛けられていたライダースジャケット。それはローレライが泣きつかれたまま眠ってしまった事を意味していた。
ローレライは自らが理不尽な怒りをぶつけてしまったアドルフの方へと視線をやる。
冗談のように大きい銃を持ちながら、バイクにもたれ掛かって座っているように見えるその姿。
しかし微動だにしない表情と眉間の皺に眠っているのだと、ローレライは気づいた。
眼帯で隠れていない右目の下は隈で暗くなり、頬はローレライが叩いた事を現実だと知らせるように腫れ、その表情は疲労を滲ませていた。
思えば任務から帰ってきた直後のアドルフにローレライは依頼をしていた。
アドルフはろくな休養も取らないまま、次の戦争に向かったのだ。
ローレライがまた負の感情の坩堝に落ち込みそうになったその時、アドルフの眼帯に覆われていない右目の瞼が動いた。
「……ああ、もう起きてたのか。待たせて悪いね」
ローレライが起きてる事を確認して、アドルフは手の銃を置いて伸びをする。
もしかして起こしてしまったのだろうか。
常に危機と隣り合わせに生きている傭兵が視線に敏感であってもおかしくはない。
そう考えたローレライはアドルフに休息をとらせることにした。
「もう少し、寝てらしてもいいんですのよ?」
「いや、気持ちは嬉しいけど一箇所に留まるのも良くない」
そう言いながらアドルフは、自分が背もたれにしていたバイクから薄汚れたボストンバッグを外す。
さび付いたジッパーを開け、中から取り出されたのは液体と固形物が入ったいくつかの真空パックだった。
「飲み物はスラムから出て来る時に買った水だけしかないけど、食べ物は好きな方を選んでいいよ」
アドルフは茶色、黄緑、青の固形食物を並べる。
この時代の携帯食物のほとんどはこういった物で、申し訳程度についている味は色毎に違った。
しかしローレライは物資が人口に追いついていない現代において、決して安くはないそれに顔を引きつらせてしまう。
茶色と黄緑はまだいいとしても何故青を買ったのか。
ローレライは過去に興味本位で青を買った事があった。
当時それが放つ強烈な匂いに勇気が出ず"お兄さん"に一緒に食べてもらったのだが、あまりの苦酸っぱさに"お兄さん"が急いで水を買い与えてくれたのを鮮明に覚えている。
その強烈な後味に"お兄さん"はその日ずっと気分悪そうにしていた事も。
「えっと……これにさせていただきますわ」
「そうかい」
ローレライは戸惑いながらも茶色を選び、アドルフは躊躇う事無く青を選んだ。
そして匂いに躊躇う事無く、青を口に放り込むアドルフにローラは驚愕した。
「だ、大丈夫なんですの?」
「何がだい?」
過去の反応とあまりに違う反応に、もう味覚の好みは共通しないのだ。
思わぬ形で過去との違いを痛感させられたローレライは、戸惑いつつも少し寂しさを感じてしまう。
「こんな時代だ、何を食べたって代わりはしないさ」
アドルフは自嘲するように笑い、もう一つ口に放り込む。
その光景を眺めていたローレライは、ふと昔聞いた事があった話を思い出した。
かつてピアスという体に穴を空けて着ける装飾品があった。
体に穴を空けて着けるそれは空気自体が汚染されている今では着けるだけで自殺行為になりかねない代物。
現に着けている人間をローレライは見たことがなかった。
しかし過去には舌に空ける物があったらしい。
しかもそれは味覚を変えるほど影響があるらしく、もしかしたら目に何かが起きて味覚や嗅覚の好みが変わったのかもしれない。
そんな事を考えながらローレライは茶色の固形食物に齧り付く。
お世辞にも美味しいとは言えないその味が、眼帯の男とお兄さんを別離させていくように感じた。
「食べながらでいいから、これからの話をさせてもらうね」
空になった真空パックをボストンバッグに押し込みながら、アドルフは灰色がかった黒い瞳をローレライへと向ける。
ローレライは租借する口元を手で隠しながら、頷く事でそれを促す。
「これからローラ嬢ちゃんをコロニーCeasterへ連れて行く」
「そんな……ご迷惑ではありませんの?」
「端末で位置を確認してくれれば分かると思うけど、そこまで遠い訳でもないんだ。何よりこんな場所にローラ嬢ちゃんを置いていく訳にもいかない、野盗でも出たらどうなるか分かったもんじゃない」
当然のように紡がれたアドルフの言葉に、ローレライはビクリと体を震わせる。
昨日感じた濃厚な死の気配、華奢な自分では抵抗する事すら出来ないであろう強大な暴力。
脳裏にこびりつくそれらがローレライの恐怖心を激しく刺激しているのだ。
「……ごめん、言うべきじゃなかったね」
「いえ……事実ですわ……」
すまなそうに詫びてくるアドルフに、ローレライは弱々しく肯定を返す。
確かにこんな荒野の真ん中で1人放り出されてしまえば、ローレライはどうしようもないのだから。
「話を戻そう。まあとにかく、BIG-Cの奪還は出来なかったんだ。これくらいは引き受けさせてもらうよ」
どこかで疲れたような声色で紡がれた申し出を、ローレライは断る事は出来なかった。
そして、アドルフとローレライは荒野をバイクで走っていた。
右のボストンバッグと一緒に括り付けられたアンチマテリアルライフルを見る度に、父のことを思い出し心が無茶苦茶になりそうになるローレライは目をそらす。
考えてみれば"お兄さん"は今のローレライの歳には既に戦場に出ていた。
辛くは無かったのだろうか、恐くはなかったのだろうか。
ローレライはBIG-Cが他のコロニーよりも多少裕福で、自分が人よりも愛情を受けて育ってきたことを理解している。
だから幼い頃の事を知らない眼帯の男と自分が同じ考えを持つなんて思いはしないが、幼い頃から男を戦場に出すような家族の元に戻った所で"お兄さん"は幸せになれるのだろうか。
あまりに気になってしまい、ローレライはアドルフに問いかけた。
「1つお尋ねしてもよろしくて?」
「なんだい、薮から棒に」
「お兄さんは……幼い頃から戦場に出て、辛かったりはしなかったのんですの?」
アドルフは問い掛けに黙り込み、やがて困ったような笑みを浮かべる。
「幼い頃って言っても……いくつからだったかは思い出せないけど俺にとっては当然だったからね」
それが当然。
それはこの世の中での当然なのだろうか。それとも男を取り巻く環境での当然なのか。
理解出来ないの常識に沈むローレライの思考を切り裂くように、アドルフは更に当然のように続けた。
「それに、将来を約束した女が居てね。そいつが覚えてるか分らないけど、そいつと暮らす為にも金がたくさん必要だったんだ」
そのアドルフの言葉にローレライの胸中に理解の出来ない不快感が広がる。
昨晩や父のライフルを見た時のような物ではなく、アドルフが青の固形食物を兵器で食べて見せた時のような変な胸の苦しさ。
その不快感が生まれた原因が分らないローレライは、荒野の向こうを見据えながらアドルフの腰にまわしたその細い腕の力を少し強めた。




