Domesticate To Insanity/Demonstrate To Sanctity 3
「ゴメンね。君が居なくなっていた事に気付く事が出来なかった」
「悪いのは、あたしで……ロスチャイルドさんじゃないよ……」
決して上等とは言えない宿の1室。治療を終えてベッドの上で膝を立てて座るアリスの声に、話を切り出したウィリアムはどこか疲れたような笑みを浮かべて首を横に振る。
今まで受けてきた護衛対象の誰よりも物分りの良い少女に、都合の良いイメージと期待を押し付けてしまってた事をウィリアムは後悔していた。
アリス・リベルタリアがいくら歳の割りに聡明な少女だったとしても、所詮は無力な少女でしかない。
あんな戦闘を見せてしまえば怯えられるのは当然であり、そして無力な少女が1人で歩くにはスラムという環境はとても危険だった。
何より義兄と義母との約束があるウィリアムは、少女が危険に晒されているであろう現状を黙認する事は出来なかった。
「どんな過程があっても関係ない。君は傷を負い、俺は君とローズさんの期待を裏切ってしまった。本当にゴメン」
「でも、あたしが!」
思わず声を荒げてしまったアリスはその言葉を続ける事も出来ず、立てていた膝に顔をうずめる。
その今にも泣き出してしまいそうなアリスの様子に肩を竦めたウィリアムは、椅子に背もたれに背を預けて伸びをする。
「悪いと思ってくれるなら、もう2度とこんな事しないでおくれ。正直、肝が冷えた」
「心配、してくれたの?」
「もちろんだよ。君に何かあれば、と思った瞬間に走り出してたほどに、ね」
どこかおどけるようなウィリアムの言葉に、少し気を楽にしたアリスはゆっくりと顔を上げる。
暗いブラウンの瞳に写るのは少し疲れたような苦笑を浮かべる黒髪の傭兵。
尋ねたい事があった、それもいくつも。
その衝動を抑えながらウィリアムから目を逸らす、アリスの様子に気付いたウィリアムはそれとなく切り出してみた。
「今日はもう寝たほうがいい、とは思うけど気が張って眠れないだろう? 少しお話でもしようか?」
「……いいの?」
「いいよ。明日にはコロニーに着くし、話が出来るのはこれが最後かもしれないからね」
苦笑と共に告げられた言葉にアリスは不可解な不快感を感じる。
旅の終わりが近づいているのは理解している。旅を終えてコロニーLibertaliaに帰るのは本懐だったはず。
だというのに、その胸中には寂寥感とは違う不思議な感情が横たわっていた。
「ロスチャイルドさんって、名前を変えた事ある?」
「相変わらず唐突だね。あるよ、最低でも2回はね」
何かを誤魔化すように問い掛けたアリスは、どこか音が遠ざかっていくような錯覚に襲われる。
違うと思っていた、そんな都合の良い事はありえないと思っていた。
少女の脳裏に愛しい兄の影がよぎり、鼓動は期待に比例するように強く脈打ち始める。
しかしウィリアムの口が紡いだ名前は少女の望んだものではなかった。
「1つ前がアドルフ・レッドフィールド、もう1つ前がウィリアム・レッドフィールド。それで今は紆余曲折あってウィリアム・ロスチャイルド」
告げられた名前に少女の体から熱が引く。
それでも兄の残滓を求めるように少女は更にウィリアムに問い掛けた。
「じゃ、じゃあ、黒髪の男を知らない? アタシみたいなモンゴロイドで楠本ってファミリーネームの」
「残念だけど、生きた黒髪の男には会った事がないし、その名前にも聞き覚えがある気はするけど……」
悪いね、と付け足しながらウィリアムは過去にした旅を思い出す。
企業壊滅戦後、シモン・リュミエールの言葉に思うところがあったウィリアムは民間軍事企業アヴェンジャーの傭兵として動く傍らで、自身のルーツであるコロニーを探していた。
ウィリアム・ロスチャイルドは繰り返された近親交配によって生まれた優勢遺伝子の結晶であり、その暴力は最新にして最強の兵器であったはずの機動兵器を撃破して見せた。
つまり、演目:終末劇は有色の人々の可能性を示してしまったのだ。
現にコロニーBIG-Cの人々は有機プラントを有効活用することで巨万の富を得ており、コロニーLibertaliaも野盗утешениеが現れるまでは不可侵の防衛力を誇っていたのだから。
そして実のところを言えば、ウィリアムはアロースミス親子が安らかに過ごせる場所を探していた。
BIG-Cに住んでいた頃からアロースミスを守り続けた護衛達は既に限界を越えており、ローズマリーがOdeonのアロースミス邸で暮らしていくのも限界が近いようにウィリアムには思えたのだ。
キンバリー・ポズウェル、ローレライと因縁浅からない彼が生きていれば話は別だったが、とウィリアムは静かに嘆息する。
かつてウィリアムが考えていたように、ローレライがポズウェルを慕い、最強の傭兵であるウィリアムを利用していたとしてもそれ自体に問題はない。問題は利用されるウィリアムにあった。
メモリーサッカーと左目に犯され続けた脳。
ろくな栄養も取れず、金のために男女問わず抱かれていた体。
時折、揺らいでしまいそうになる自意識。
そのどれもがいつ失われてもおかしくないとウィリアムには思えていたのだ。
だからこそウィリアムは有色の人々の依頼を多く請けようとしていたが、ローレライはそれを許しはしなかった。
要求する報酬を吊り上げ、有色退色問わずに資金心許ない人々を遠ざけたのだ。
一見ただの浅ましい金策に見えるローレライの判断に、ウィリアムは今でも答えが出せずに居た。
高貴なる者の義務と共に在るローレライが、ただの金策のためだけに報酬を吊り上げたとは思えない。だがアロースミスの切り札であるとはいえ、消耗品である傭兵を惜しむ理由など傭兵には理解できなかった。




