Domesticate To Insanity/Demonstrate To Sanctity 2
「随分奥まで来やがって、手間掛けさせんじゃねえよ」
息を切らしながらも下卑た笑みを浮かべて男は言った。
男達は荒事に慣れた風であり、退路は既にその灰髪の男達に塞がれてしまった。
制圧は不可能、逃げ切れたとしても負傷は免れない。
それでもアリスは役目を終えるまで死ぬ事も許されはしない。
汗が浮かび始める手のひらに合金のグリップの感触を感じながら、アリスは腹を決めて前傾姿勢を取りながら突破のタイミングを窺う。
「焦んじゃねえよお嬢ちゃん、こっちはアンタを傷つけるなんてねえ。ただ俺らについて来てくれりゃあそれでいい」
優位に立った者の優越感を滲ませた声を聞き流しながら、アリスはフードから窺うようにして相手の戦力を分析する。
男の数は5人、ハンドガンを持っているのが2人、捕縛用の拘束具を持っているのが2人、そしてトンファーを持っているのが1人。
その自らと変わらない装備の貧弱さから先日まで自分とウィリアムを狙っていた組織ではない。そう断定すると同時に、アリスは自らの浅慮な行動で招いた事態に毒づく。
「悪いけど、あんた達の金儲けの商品になる気なんてないわ」
「こいつは随分と強気なお嬢ちゃんだ。でも頼むから大人しくしてくれないか? 傷1つ付くだけで値段が一気に下がっちまうんだよ」
頼むと言いながらも高圧的な態度を崩さない男を睨みつけ、少女は退路を探し続けるも辺りは少女の背丈を大きく越える壁に囲まれておりアリスは正面突破以外の手段を持たなかった。
しかし膠着しかけた状況をまだ若いであろう灰髪の男が少女に近づく事で破壊する。
「あーもうメンドくせえっすよ! 跡残んねえ程度にボコして連れてきゃいいんすよ!」
突然怒鳴りつけられた声にアリスは身を縮ませてしまう。
戦い場でのやり取りも何も意識してないであろう、少女から見ても隙だらけの足並みで近づいてきた男は、アリスのミリタリージャケットを乱暴に掴だのだ。
「テメエもグチャグチャやってんじゃねえよ! マジぶっ殺すぞ!?」
「やってみればいいじゃない、下っ端!」
意を決するように声を張り上げたアリスは、右手に握った大型のグルカナイフで自らのジャケットを握る男の手を斬りつける。
宙空に舞う鮮血。少女が抵抗すると思っていなかった男達の表情は、呆気に取られたものから憤怒のものに変わっていく。
「下手に出てやりゃ調子乗りやがってクソガキが!」
「一々うるさい! 邪魔しないでどっかに消えてよ!」
接近してくるトンファーを握る灰髪の男を、アリスは合金の刃を乱暴に振り回す事で侵攻を妨害する。
自分を追い立てるように並ぶ灰髪の男達、そして手首を切り裂かれ失神した男。
これが自分の振るった暴力の結果だ。
アリスはその光景を見ながらも、合金の刃を振るった事に後悔などしていない。
暴力に対抗できるのは暴力のみであり、この世界で生き延びるにはより強大な暴力を手中に収める必要があった。
本当に浅はかだった。
胸中で悔恨の言葉を紡ぎながらアリスはただただ後悔し続ける。
母を守り続けた旅の過程で他者を守る事の難しさを理解していた筈だった。
その事を考えればウィリアムのアリスに恐怖心を抱かせるほどの圧倒的な力も、暴力を振るう事に対する躊躇いの無さもそれらを恐れてしまうのはあまりにも不義理だった。
母と自分を逃がす為に父と囮になった兄、自分をあらゆる暴力から守るために更なる暴力で敵対者を駆逐する傭兵。
理由や感情が違っていても、少女を守るという事に関しては変わりは無いのだから。
アリスは、分かっていながら裏切ったのだ。
思索にふけっていたのが悪かったのか、灰髪の男のトンファーの打撃によってグルカナイフは殴り飛ばされてしまう。
アリスは咄嗟に届く筈の無いそれに手を伸ばすも、トンファーの男は隙だらけとなったアリスの腹部に男の拳が容赦なく叩き込んだ。
久しく感じていなかった激痛、頭が真っ白になりそうなほどの吐き気と咳。
咳きこみながら崩れ落ちるアリスの体に追い討ちを掛けるように、トンファーの男の爪先が突き刺す。
その暴力から逃れるようにアリスは頭を抱えて蹲るも、激昂に駆られた男の執拗な暴力が止む気配は無い。
灰髪の人間達のほとんどは精神的に不安定な構造を抱えており、1度キレてしまえば収まりが付く事は期待出来ず、男は仲間の血を見た事により完全に制御不能となっていた。
「おい! もうやめろ! 傷ついたら値段がさが――」
「うるせえ!」
トンファーの男は止めに入った仲間の顔を強く殴りつける。
想像すらしていなかった打撃に仲間の男は意識を失って地面に倒れこみ、トンファーの男は執拗に無抵抗の仲間をいたぶり始めた。
その異様な光景と肉を打つ鈍い音、なによりその恐怖を生み出す男から怯えた無傷の何も言わず仲間達はその場から走り去るように逃げていく。
顔見知りであったとしてもその男の目に宿る闘争の色は命の危機を感じさせていたのだ。
アリスは自分の知っているものとは志向性の違う色を見やりながら、体をゆっくりと動かしてナイフへと這いずり寄る。
打ち据えられた腹部は酷く痛む。
ナイフ1本で形勢が変わるなどという事はありえなかったが、それでもアリスには縋りつくようにナイフへと手を伸ばすしかなかった。
「コソコソしてんじゃねえよ! クソガキ!」
頭上から振り下ろされた声と共に踏み出され足に右手を踏まれ、アリスは声にならない悲鳴を挙げる。
アリスは必死に逃れようと男の足を強く殴りつけるが、男は下卑た笑みを浮かべるばかりでアリスの手から足をどかそうとはしない。
「犯してやんよ、ぶっ殺してやんよ。それでその後で物好きに売りさばいてやんよ!」
意味の分からない怒声、振り上げられるトンファー。
あの時恐れた物とは違う死の恐怖にアリスはは目を閉じる。
自分を守ってくれた黒は居ない。
自らの無力さと浅慮さと自分勝手さに身をやつしながら、アリスは愛しい名前を呟いた。
「貴宏兄さん……」
その紡がれた名前すら打ち壊すようにトンファーが振り降ろされようとしたその時、冗談のような銃声が路地の音全てを食い尽くした。
抗いようのない暴力の象徴にして、最強の体現者である男の炎。
次いで引いていく右手の痛みと重みにアリスは恐る恐る目を開いた。
「ゴメンね、兄さんじゃなくてさ」
耳鳴りの向こうに聞こえるシニカルな声色に顔を上げたアリスの目に飛び込んできたのは、気絶しているだろう見覚えのある男を引きずり、未だ硝煙の昇る冗談のような銃を構えた黒髪の傭兵だった。




