Tread The Flood/Dread The Blood 5
ぐったりと疲労感を訴える体を上等とは言えないベッドに横たえたアリスは思索にふける。
あのバイクがどれほどの速度を出していたのかアリスは知らないが、ウィリアムの言う通りバイクは1日でシェアバスで2日掛けた距離を進んでみせた。
確かに順路があり不特定多数の都合に応じるシェアバスとは比べ物にならない速度だったのだろう。しかしそれだけの風を浴びる事にも、その速度にも慣れていないない少女の体はもう限界だった。
そのバイクを運転していたウィリアムは、ローズマリーから渡された経費でそれなりの宿屋のシングルの部屋を2つ抑え、今は動けないアリスの代わりに食事を取りに行っていた。
イメージと違う紳士的な振る舞いに戸惑いながらも、アリスはウィリアムの厚意に甘えていた。
人々の中にあるウィリアム・ロスチャイルドという男のイメージは、企業を壊滅させた英雄であり野盗を生み出した元凶というもの。
そのイメージに違いはなく、仕事を選り好みする姿勢はウィリアム・ロスチャイルドという存在に疑惑を持たせながらも、圧倒的な暴力を盾にその存在を不可侵のものとしていた。
「食事をいただいて来ましたよ。凶器になりそうな程に固いパンと水と見間違うほどに薄いスープです」
苦笑を浮かべながら室内に現れたウィリアムはアリスの横たわるベッドのサイドボードにアリスの分の食事を置き、自分の分を小さなテーブルに載せ手近な椅子に腰を下ろす。
「ありがとうございます、ロスチャイルドさん」
「楽にしていただいて結構ですよ。あなたは依頼人、俺は護衛なんですから」
ばれていたのか、とアリスは少し面白くなさそうに顔を眉間に皺を寄せる。
世話役のサーシャに詰め込まれた言葉遣いと振舞いに無理があるのは承知していた。だがそこまでしたからこそ、アリスは簡単に看破されてしまったのが少し面白くなかったのだ。
上流階級の生活など知らないが、世話役が平気でお仕置きをしてくるのはリベルタリア家だけだろう。
胸中で毒づいたアリスは嘆息交じりに問いかける事にした。
「そんなに違和感あった?」
「似たような経験がありましてね。アロースミス式の教育を若い頃に1回、そしてつい2年前にもう1回」
そう言ってまだまだ20代中盤ほどであろう男は疲れを滲ませた笑みを浮かべた。
あの時ローズマリーはローレライという女を娘と呼び、ウィリアムという男を義息と呼んだ。
あのアロースミス家の娘を妻にするというのは大変だったのだろう。
そう考えた同士とも言える男にアリスは同情を滲ませた言葉を掛けた。
「ならロスチャイルドさんも楽にしてよ。あたしもそういうの苦手なの。アロースミスさんには黙っておくから、そっちもあたしの家族に言わないで」
「そういうことなら喜んで、助かるよ」
渾身の力でパンを引き千切りながらのウィリアムの返事に、アリスは思わず笑みを漏らす。
悪い人ではなさそうだ。
しかしそう胸中で呟いた次の瞬間、アリスは引き締めた筈の気が緩んでいる事に気づく。
ウィリアムが思っていた以上に親しみやすい人間であった事と、既視感のある黒髪と時折向けてくる優しげな眼差しのせい。そう言いわけは出来るが、赤の他人を手放しに信用するわけにはいかない。
親が子を売り、子が親を殺す。なにより尊いのは命ではなく金。
有色の移民、この世で一番過酷な身分を経験していたアリスはそれを強く理解していた筈なのだ。
狂った調子を元に戻すようにアリスは、サイドボードに置かれたスープをスプーンで口へ運ぶがあまりの味の薄さに顔をしかめる。
よくもまあ平気な顔で食べれるものだ。
味が薄すぎていっそ不味いスープにパンを浸して食べているウィリアムを見やり関心しながらも、リベルタリア姓になってからの生活に慣れてしまった事実をアリスは痛感した。
寝草なしの移民だったあの頃は、こんな物でさえご馳走だったのだから。




