Tread The Flood/Dread The Blood 4
「ご無沙汰してます。こうやって直に顔を合わすのはお久しぶりですね」
「そうですわね、寂しい義母を放っておくなんて本当に酷い息子ですわ。ローラは?」
「引越しの件は割りと前向きに考えているので今は勘弁してください。彼女にはシェアバスで先に向かってもらいました。このバイクが大きくても流石に3人はむりですから」
アリスは目の前で談笑するこの2週間、嬉々として自らの髪に香油を塗っていた貴婦人と、バイクの傍らに立つ聞いていた噂とはイメージの違う黒髪の男を見やる。
普通だ。
左目を覆うように巻かれた布や、その時代において貴重ともいえる白髪交じり黒髪を除いてしまえば、その男は噂のような野卑で粗暴な人物像とはかけ離れていた。
そんな少女の値踏みするような視線に気づいたのか、既視感のある黒髪を左目を隠すように伸ばした男はアリスに近づいて右手を差し出した。
「あなたがリベルタリア様ですね。自分が今回の任務を引き受けさせていただいたたウィリアム・ロスチャイルドです。以後お見知りおきを」
「はあ」
イメージと目の前の男のギャップに苦しみながらも、アリスは差し出された右手を握る。
所々皮膚が硬化している男の手は戦い抜いてきた戦場の数を誇るものの、灰色がかった黒い瞳を持つ目は優しさを滲ませていた。
「時間があまりないのでもう出ましょう。ローズさん、例の物は?」
「用意してありますわ――タチアナ」
ローズマリーが近くで待機していた侍女にそう声を掛けると、タチアナと呼ばれた侍女は黒い布で巻かれた何かをウィリアムと名乗った男に渡した。
「わたくしはこれ以上ない餞別を用意したつもりですわ。あとは期待に応えてみせなさい」
「了解しました。感謝しますよ、当主様」
口角を上げニヒルな笑みを浮かべたウィリアムはアリサから手を離し、渡されたソレをくすんだ銀色のバイクに付けられた大型のバイカーズバッグにねじ込む。
黒髪の男が羽織っているジャケットの裾からはみ出す、存在感を放っている冗談のような見た目の銃でさえ霞む何かが必要な状況。
甘く考えていたのかもしれない、とアリスは未だ男の温もりが残る右手を握る。
丁寧な態度と言葉を取り繕ったところで自らの目の前に居る男は、機動兵器殺しを単独で成し得た傭兵なのだから。
「リベルタリア様、そろそろ出発しますのでこちらに」
警戒を弱めてはいけない、と少女が気を引き締めているとウィリアムはアリスを呼び寄せる。
渡された物資を載せたバイク、男が乗ってきたバイク、出来れば避けておきたかったバイク。
移民であり裕福なわけでもなく、シェアバスを乗り継いでコロニーOdeonまで来たアリスはバイクに乗った事はおろか、所持している人間すら初めて見たのだ。
「もしかして、これで行くんですか?」
「もちろん。ウチの参謀に追い着く事は流石に出来ませんが、それでもおそらくこれ以上に現地に早く着く手段はないでしょう」
的中した嫌な予感にアリスは肩を落とす。
正直、怖いのだ。
装甲も何もなく生身で風を切るこの乗り物はアリスには殺してくれ、と言わんばかりの無鉄砲なものに見えていたのだ。
しかしそれでもローズマリーが提供した戦力であるウィリアムが無意味に依頼である自分を進んで傷つける筈がない以上、乗りたくないというのはただのわがままでしかないという事も理解はしている。
引き締めた気を更に引き締めて、アリスはウィリアムの手を借りてシートに跨る。
「スピードを上げていくのでしっかり捕まっていて下さい。落ちたら、酷く痛いですよ」
付け足された脅すような言葉に、アリスはウィリアムの腰に腕を回してしっかりと固定する。
そこにあるのは色気でもなんでもなく、ただの安全確保の精神と文字通りの保身だけだった。
「リベルタリア様、どうぞお気をつけて。ウィリアム、リベルタリア様に傷1つでも着けたら許しませんわよ」
「は、はい」
「了承いたしました。では」
アリスがこれから訪れる高速の恐怖に震えながら、ウィリアムがもしもの際の恐怖を胸中に隠しながら返事をしてバイクが走り出した。




