Loving Closer/Coming Crawler 1
「あなたが進行者だったとは思いませんでしたよ、シューマン」
「こちらこそあなたがそんな無様な格好で現れるとは思いませんでしたよ、終焉者」
かつてミリセントの搭乗してたクリムゾン・ネイルのアーキテクトを務めていた、ヤニック・シューマンは嘲笑とも取れる笑みを浮かべてエイブラハムの言葉に応える。
表面上はにこやかに、それでいて獲物を前にした捕食者のように鋭い眼光でエイブラハムはシューマンを睨みつけながらも状況を把握する。
無数のコンテナが転がるアリーナ状に広がる巨大な設備には等間隔で柱が立っており、柱と柱を繋ぐキャットウォークからシューマンはエイブラハムを見下ろしている。
しかし、そんな物よりもエイブラハムの目を強く引き付ける赤が、キャットウォークの下で戦いの時を待つように鎮座していた。
「見事なものでしょう?」
エイブラハムの視線がその赤に向けられている事に気づいたシューマンは満足気にそう言う。
6脚の脚部、銃火器を左右に装備された腕部、それらを彩る赤。
それはかつてミリセント・フリップが搭乗していたクリムゾン・ネイルに似て非なるものだった。
「綴書者と取引をしましてね。僕が進行者の名を冠してその仕事を遂行する限り、僕の赤、カーマイン・センテンスの支援をしてくれると」
「その為だけにシャドウ――ナイトメアズ・シャドウを所持しているレジスタンスに襲撃を掛けたと。演目:終末劇にどれほどの価値があるのか知りませんが」
くだらない、と言外付け足してエイブラハムは肩を竦める。
クリムゾン・ネイルはミリセントの戦闘時の性格とは間逆の極めてスタンダードな機動兵器でしかなく、ミリセントが居なければその力を発揮する事は出来ない。
ソレが完成した以上企業にもう用はないのかもしれないが、未だ企業の残した物にしがみつく男にエイブラハムはコルデーロに抱いた憐憫とは似て非なる感情を抱いた。
「こんな紛い物で何をする気ですか?」
「まさかあなたにそう言われるとは思いませんでしたよ。色も再現出来なかった紛い物、自分が何者かも知らないくせに」
ヤニック・シューマン――進行者は不愉快そうな面持ちを隠そうともせず、ただそう吐き捨てた。
「エイブラハム・イグナイテッド。そんな人間は存在しません、あなたはあらゆる人間の記憶を混合させ作り上げた人格です」
進行者のその言葉にエイブラハムは眉を顰める。
物質として確かに存在しているものの否定という愚行を、エイブラハムはただ聞き入れることしか出来なかった。
「破壊者、壊殺者、そして復讐者とその義理の兄、AIすら含めそのデータ達を混ぜ合わせたAIをオルタナティヴで作り上げたオルタナティヴ素体に流し込んだだけの紛い物、それがあなたですよ。Abraham Ignited、頭文字を取ってAIなんて良く出来た名前だとおもいませんか?」
後半の言葉に滲ませた嘲りの感情にも反応出来ないほどエイブラハムは混乱していたが、同時に今まで埋まる事のなかったパズルに足りなかったピースをはめられていくような整合性の取れた不愉快さに包まれていく。
ミリセントに教えられた機動兵器を除く使い方のみを知っている兵器達、受けた覚えはないが実力という結果だけは残っている訓練、意識内のアクセルという肉体にすら影響を及ぼす意識変化。
それに応えるように進行者は満面の笑みを浮かべながら告げる。
「大体パワーアシストすら必要としない自分の体に疑問を感じなかったんですか? だとしたら飛んだお笑い草ですね」
知っている事実と違う事実を内包するシューマンの一方的な言葉に、エイブラハムの脈は乱れながらも強く躍動し、その脳裏を支配していた不快感はチリチリと焼きつくような燻ぶりに姿を変える。
言われてしまえば、何もかもがおかしいのだ。
エイブラハムは頑強な耐熱樹脂のカップを素手で壊した。
エイブラハムは常人であれば追う縋る事すら出来ない生体兵器にその足で追いついて見せた。
エイブラハムは生体兵器にしか興味のないストロムブラードに強い興味を持たれていた。
その全てがエイブラハムに自分がオルタナティヴ素体による生体兵器である事を理解させた。
右手で顔を覆ったエイブラハムはおかしさに、堪え切れなかった笑いをこぼし始める。
破壊者、クロム・ヒステリアの実働データはエイブラハムを最適な機動兵器乗りに仕上げ、複数思考と戦闘意識の切り替えを植えつけた。
壊殺者、ジョエル・マイヨルガの記憶はエイブラハムを近接戦闘のエキスパートに仕上げ、若い頃に死んだ両親の面影を植えつけた。
復讐者、ウィリアム・ロスチャイルドの記憶はあらゆる困窮の脱し方を植え付けた。
そしてアドルフ・レッドフィールドの記憶はエイブラハムを人間らしいものに仕上げ、アンジェリカやメリッサのような年下の庇護対象への無償の愛を植えつけた。
それを理解してしまえばエイブラハムはそれに抗う事など出来はしない。
脳裏でちらついているのだ。
あらゆる機動兵器に乗せ変えられ、全てを効率良く破壊した日々が。
黒髪の傭兵と相対し、父のように戦場で死んだその時が。
目の前で大事な人が殺され、クリムゾン・ネイルを撃破寸前まで追い込んだ映像が。
弟の代わりにしてしまった、哀れな少年の代わりに死を選んだその決意が。
これが復讐者に感じていた葛藤か、とエイブラハムは一房だけ編みこんだ白髪に指をかき入れる。
恨む事すら出来なかったミリセントの仇である傭兵を思い浮かべたエイブラハムは苦笑をもらす。
恨めないはずだ、なんせ義弟だったのだから。
正確には自身を構成する断片がそう叫んでいるのだ。終焉者という空の器に年齢等のパーソナルデータや感情という概念を与え、人間たる思考を与えたソレが。
彼は守るべき存在であり、太刀の切っ先を向けることはあってはならないと。




