Devil Side/Evil Hide 5
「その、屍食者だっけ? その人ってどんな人なの?」
「なんというか、偏屈な老人ですよ。かなり良く言って、ですが」
シモン・リュミエールと同等かそれ以上の期待を掛けてきた老人を思い出したエイブラハムは、自分の顔が引きつっていくの感じる。
その性質を知らしめる切欠となった壊殺者を除いて、配役を与えられた企業の精鋭達はウィリアム・ロスチャイルドにそれぞれの感情を抱いていた。
ウィリアム・ロスチャイルドを殺したいと望んだのは、殲滅者、謀略者、崩壊者、刀傷者の4人。
ウィリアム・ロスチャイルドに無関心を決め込んだのは、破壊者、終焉者の2人。
そしてウィリアム・ロスチャイルドに強い関心を持っていたのは、屍食者、吹聴者、綴書者の3人。
3番目のグループに属するグレン・ストロムブラードという老人はとにかく特殊な人間だった。
ストロムブラードは灰色の退色を環境への適応とし、有色の人間達と進化に乗り遅れた類人猿としていたのだ。
しかしストロムブラードはその上でウィリアム・ロスチャイルドという黒髪の傭兵、加えて先天性色素欠乏症という退色と有色から外れたエイブラハムに強い関心を抱いていた。
好戦的であったからこそ殺し合いを望んだ殲滅者とも、AIであるために興味も関心もない破壊者とも、目的を持ってウィリアムを生かした吹聴者と綴書者とも違うというのにも関らず。
「協力、してもらえるかな?」
「出来る限りはさせますよ。この作戦で彼は拠点を失いますので、協力せざるを得なくなるはずですから」
どこか不安げなメリッサにエイブラハムは心配するなとばかりに微笑みかける。
策謀や陰謀に敏感になってくれたのはいい傾向で、その傾向は必ずメリッサとアンジェリカの命を救ってくれる。
意図的に悪意を偏向されていたメリッサには、人の持つ悪意に対する嗅覚とそれに対抗するための思考力が必要なのだ。
「話は変わりますが、1つだけお願いがあります」
「お願い?」
「ええ、私の寝室に置いてあるアタッシュケースの管理をお願いしたいんです」
「ああ、あれね」
食料品や日用品、スローイングナイフ、アタッシュケース。ここ最近エイブラハムが買い込んで来た物を脳裏によぎらせていたメリッサは、見当がついたとばかり応える。
あの日、メリッサは正式にStrangerから離反した。
そんな彼女の身を案じたエイブラハムは外に出る必要がある用事の全てを買って出た。
スラムに出ればその容姿端麗さから女達に言い寄られ、面倒な思いをする事は必至だったが、考えもなく機動兵器に襲撃を掛けるようなStrangerの構成員にメリッサに接触されるよりはずっとマシだとエイブラハムは考えていた。
何より、アンジェリカとメリッサが触れ合う時間が増える事はエイブラハムにとって最上の事だったのだから。
「いいけど、何か大切なものなの?」
「とても、出来るだけ肌身離さずに持っていて欲しいんです」
「別にいいけど、1つだけアタシもお願いしたい事があるだけど……いい?」
「何でしょうか、叶えられる事ならいいのですが……」
どこか言いづらそうに俯いたメリッサにエイブラハムは首を傾げる。
エイブラハムの財政状況はメリッサの知るところであり、家の中での仕事を買って出てくれたメリッサがワガママを言った事はない。
命に関わるものでなければいいが、とエイブラハムが頬をかき始めたその時、メリッサは意を決したように口を開いた。
「あ、あのね、メリッサって呼んで欲しいの」
予想外の要求にエイブラハムは言葉を失い、やがて肩を震わせてクスクスと笑い始める。
耳まで真っ赤になるほど、背を向けられているこの状況でも分かるほどに照れているメリッサ。
そんな新たな家族が、エイブラハムには可愛くてしょうがなかった。
「な、なによ。アタシだって柄じゃない事くら――」
「ありがとうメリッサ、あなたと出会えて良かった」
切り出してしまった願いすら誤魔化すように語気を荒げるメリッサを、静かにカウンターを迂回するようにキッチンへと入ったエイブラハムは正面から抱き締める。
耳朶を打つ鼓動、体を包み込む温もり。
求め続けていたその温もりに、メリッサは抵抗すら忘れてエイブラハムの背中に両腕を回す。
メリッサはずっとこうされて居たいと望んでいたのだ。
父が母のことしか見ていない事は考えるまでもなく理解していた。
夫を戦争で失った女達が新たな男に擦り寄って行くのを見ていたせいで恋愛に対する憧れも何もなかった。
だが理解させられてしまえばもう抗いようもなくなってしまう。
スラム中の女達がその美貌に見蕩れ、傍らにある事を望んだエイブラハム。ウィリアム・ロスチャイルドが消えた今、誰よりも最強に近いだろう白銀の麗人。
その彼の腕の中にあるのは自分で、その場所がいかに特別な場所なのかを理解してしまえば。
下らない独占欲やその美しさに酔っているだけなのかもしれない。
それでもメリッサはずっと欲しかったものをようやく手に入れられたのだ。
自分の事を見てくれる家族を。
「絶対に帰って来なさいよ。アタシもアンジェちゃんも待ってるから」
温もりをむさぼる様に首筋に顔を埋めるメリッサの言葉に応えるように、エイブラハムは灰髪に口付けを落とした。