Ride The Bullet/Hide The Cullet 1
Time Is Money
その言葉はかつての資本と司法によって成り立っていた世の中で、生産性を問う言葉として使われていた。
歩合の仕事なら文字通り給金が増え、給金が出ない仕事でも時間を掛ければ身に付く何かがあり、経験を財産と言うのであればこれも間違いではない。
そして司法は死に、宗教と暦は廃れ、資本だけが動かす世の中に置いてその言葉は意味を変えた。
過ごしてきた"時"の事を"記憶"と呼ぶなら、これほどピッタリの言葉は無いだろう。
過ごしてきた"時"を"記憶"と呼び、他人の"記憶"は娯楽となった。
世の中はもう何もかもが朽ち果て、ただただ飽和していた。
日々ただ従事する作業の生産性だけを重視した摂取するだけの食事、休息。
かつての娯楽は物理的な物から朽ち果て、残っていても最早感傷的な物でしかなく、精神すら擦り切れた人々は更なる娯楽を求めた。
"他者の記憶"だ。
映画や文学のようなある種のパターンにハマることはなく、ただのご都合主義で終わる事は無い。
退屈に沈んでいた資本を持つ者達はこれに飛びついた。
コロニーの市民を守る英雄と呼ばれた者の記憶は観る者を奮い立たせ、叶わぬ愛に身を寄せ続けた恋人達の記憶は観る者の涙を誘った。
しかしかつての娯楽に振り向きもしなかった人々が、ご都合主義でないだけの物を愛し続けるはずが無かった。
人々は更なるものを求め続けた。
結果、それはかつての感性では最悪と呼ばれる形で叶えられた。
略奪。資本を持つ者達は私兵を用いて小さなコロニーから襲った。
男は暴行され、女は犯された。そして両者に違いが無い事はただ1つ、事切れる前に記憶を奪われたという事。
時代と資本は人を記録媒体とし、それを吸い出す為の機械をも作り上げた。
MEMORY SUCKER.
装置の端子を被験者の目に突き刺し、電気信号のやり取りをする事により記憶の抜き出しに成功した。
奪う側の記憶も奪われる側の記憶も人々の嗜虐心と被虐心を刺激した。
しかし、記憶の吸出しは副産物でしかなかった。
装置の本来の目的は"記憶のコピー"であった。
死に行く者から走馬灯すら奪うのか。その的外れな感情論とは裏腹に、死に行く者たちの走馬灯と呼ばれる記憶の羅列は人々を沸き立たせた。
整然製のない雑多にも程がある情報量に人々は最初の英雄譚も恋人達のラブストーリーも忘れ夢中になった。のめりこむ余り文明の進歩が止まってしまうほどに。
資本を持つ者達は企業を設立し力を強め、持たぬ者達は奪われる事だけを恐れた。
MEMORY SUCKER.の致死率は、"限りなく100%だった"のだから。