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ノスタルジア~白猫に惑う律動、紅薔薇に捧ぐ輪舞曲~(旧版)  作者: 藤咲紫亜


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第二十二章 アデル・ド・ヴァンス

 白いコック帽トック・ブランシュを被ったアデルに、シナモンを振りかけられてオーブンで焼かれる夢を見た。

(………………悪夢だわ………………)


 お菓子作りが得意だなんていうから!とブツブツ呟きながら身を起こすと、葉の間を縫って差し込んでくる朝日の眩しさに気付いた。

 酷く空腹なことを思い出す。


 とにかく、町の出入り口から道なりに歩いて行けば、そのうち別の町にも着くだろう。

 だが、そこから先は?

 貴族に助けを求めるのは危険だ。相手が敵か味方か分からない。


 皇族の直轄領に向かおうにも、ここがどこかも分からなければ手段も無い。

 何も食べずに居るのも、いつまで耐えられるか分からない。


 絶望に打ちひしがれながらフィーネが街道に出ようとすると、遠くから馬の蹄の音がしてきた。

 よほど遠くから飛ばしてきたのだろう。馬がかなりバテている様子が遠目でも分かった。


 フィーネは、敵側の貴族だったらいけない、と茂みに身を潜める。

 だがフィーネは、物凄い速さで町に近づいてきた馬に乗っている人物の顔を認めて驚いた。


「バイエル兄様……!?」

 かすれたその声は蹄の音によって打ち消され、矢のような勢いで走り去っていった兄には届かなかった。

 馬が立てていった土ぼこりにむせながら、フィーネは信じられないという顔で馬と兄の背中を見ていた。


(どうしてバイエル兄様がここに……?)

 そしてハッとする。兄の腰に差されていた剣。

 次兄は自分を助けにきたのだ。

 だが次兄が自ら、共も連れずに駆けてくるとは尋常ではない。


 向かう先はあの屋敷だ。

 次兄は恐らく、どこかから自分の居場所の情報を得て、馬を飛ばしてきてくれたのだ。

 嬉しさがこみ上げる寸前、ひやりと背筋に冷たいものを感じた。


 兄が屋敷へ乗り込めば、どうなる?

 次兄が武術に打ち込む所を、フィーネは見たことが無い。

 でも長兄は以前フィーネに、次兄と剣を交えたら負けるかもしれないと漏らしたことがあった。


 文武ともに優れた才能を持つと謳われる長兄。

 その長兄と互角に戦える能力がもし次兄にあるなら、『彼』が敵う訳が無い。

 呼吸を忘れ、フィーネは震える足を屋敷の方に数歩進めた。


(何を、ぼうっとしているの……!!)

 心の中で自分に喝を入れると、フィーネは眼差しをぐっと上げた。

 邪魔になるショールを頭からはぎ取り、捨てる。


 見事だと周囲に褒めそやされていた紅い髪は、昨日までは腰まであったが、今は肩口までしかない。

 そんなもの構わない。


 深く息を吐き出し、再び吸い込むと、フィーネは屋敷に向かって全力で走り出した。



   ☆☆☆



 屋敷の玄関の扉を、バイエルは荒々しく開いた。

「これはバイエル殿下。お一人ですか?」

 灰色の髪の青年アデルは奥の階段を降りてくると、いつもどおりの人懐っこい笑顔でバイエルを出迎えた。


 まるで家に招待していた友人を出迎えるかのような気さくさだった。

「ああ。妹を返してもらいにきた」

「残念ながら、フィーネ様はこの屋敷には居ませんよ」


 困った顔をするアデルを、バイエルはじっと探るように見つめた。

「吐かせる方法ならいくらでもある。……が、一つ確かめておきたいことがある」


 言葉を選ぶような間の後。

「ロンド家の奥方の子供は、生きていたそうだ」

 バイエルの言葉に、アデルは面白そうに少しだけ眉を上げた。


「21年前、ロンド家の奥方は体調不調で部屋に籠もりがちになり、今では完全に部屋から出てこなくなってしまった。ロンド家当主の叔父は、部屋に籠もる前の奥方に妊娠の兆候があったと言っていた。恐らく月が満ちる前に子供を流産し、罪の意識から部屋に閉じこもってしまったのだろうと叔父は言ってるが、真実は少し違う」


 バイエルの脳裏に、オリヴィアと名乗っていた女性、クロエの姿が蘇った。



   ☆☆☆



 バイエルはクロエとの最後の会話を思い出した。

 二つ質問をする、とバイエルは前置きして、クロエに尋ねた。


「ロンド家の奥方の子供は、本当に死んだのか?」

 クロエは途端に美しい顔を恐怖の形に引きつらせ、頭を抱えてうずくまった。


「どう……して、そんなことを……」

「答えろ」

 バイエルは彼女の動揺を許さずに追及する。

「お願い……やめて。思い出したくない……!」

「……生きていたんだな」


 クロエは目を極限まで見開き、口元を押さえてがくがくと震えていた。

「……薬を、母、が、奥さ……に……でも、あの時は何の薬か知らなかった……! あれ、が……お腹の子供を、殺す、薬だったなんて……」

「でも子供は死ななかった」


「奥、様は……何となく、分かってたのかもしれない、薬の作用で、意識は半分混濁してた……けど……薬を飲むのを、嫌がる、って、母が……」

 クロエの母親は、きっとロンド家の奥方の傍に仕えていたのだろう。


 クロエはまるで聖者の前で懺悔をするように、身を小さくして嗚咽を漏らした。

「二つ目の質問だ。生まれた子供をどこへやった?」

 バイエルの声は冷たく、罪人を裁くような響きを持っていた。


 クロエはびくりと身体を震わせ、おびえる子供のような目でバイエルを見た。


「……子供は、月足らずで、死にかけてた……医師も立ち、会わなかった……この、子供には、別の使い道が……ある、って、モロウ、が……だから……お、奥様には、『死んだ』って言って、誰にも、見られないように……屋敷から連れ出した……」


 バイエルの双眸が責めるように細められた。


「お前が連れ出したように聞こえるな」

「あたしが……連れ、出した……布でくるんで、籠に入れて……な、泣けない……くらい、弱ってたから、誰にも、ばれなかった……」


「どこにやったのかをまだ聞いてないが」

「馬車が! 馬車が待ってた。それに乗って、どこかに」

「どこだ」

「分からないよ! あたしはただ、言われた通りに……なんとか、って、男爵の家に……あ、あぁ、薔薇が沢山咲いてた。白い薔薇ばかり沢山」


 クロエは頭を抱え、もだえ苦しむように身をよじった。

「でも、その先は知らない! 子供は死んだかもしれないし、運がよければ生きてるかもしれない……あた、しは……! 許して、許して……!」


 懇願するように訴える彼女に、バイエルは何の感情も宿していない声で言った。

「お前が許してほしい相手は、俺じゃないだろう」


 心の中でバイエルは、罪の意識に苦しみ続けている彼女の純粋さが、敵の黒幕にとって『弱さ』でしかないのだろうと思った。

 だから大事な情報を彼女に教えていないのだ。


「奥方の子供は生きている。子供が男子なら」

 彼女はハッと顔をあげた。バイエルは彼女の顔は見ずに、独り言のように呟いた。

「ヴァンス男爵家に、ロンド家の奥方と同じ髪と瞳の色を持つ一人息子が居る。歳は21」

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