第十二章 宵闇に隠された刃
結婚記念日の晩餐会に集まってくれた男性貴族達と二人の皇子達は、朝まで遊戯に興じることになった。
女性達は先に自分の屋敷に帰ることもできるし、第二皇子邸の寝室を借りて泊まることもできる。
シルキーも眠気に逆らおうとはせず、自分の寝室に向かっていた。
ふいにその腕を掴まれ振り返ると、夫が相変わらず静かな眼差しで見下ろしていた。
「何?」
再び動揺する心を隠してシルキーは尋ねる。
バイエルは何か言いたげに口をわずかに開いたが、すぐに引き結んだ。
シルキーの赤くなった首元に落ちているバイエルの視線。
先程フィーネに「触りすぎ」と注意を受けたことを思い出して、シルキーは叱られる心の準備をした。
しかし彼は身構えたシルキーと目を合わせると、ふ、と吐息を漏らすように笑った。
「気になるならはずしていい」
端整な顔に刷かれたそれは、呆れたような、困ったような笑いだった。
藍色の瞳が細められたその一瞬、彼の周囲が急にまぶしく見えた。
腕を放して颯爽と自分を追い越していく夫を、シルキーは呆然と見送った。
(サッキノワ誰?)
初めて夫が見せた笑顔に、完全に思考能力を奪われていた。
☆☆☆
遊戯室では、様々な身分の男達が談笑していた。
今は、オリヴィアという名の花街の美女が話題になっている。
「そろそろ潮時じゃないかな」
ソリストは男性達の輪から外れて部屋の隅でアデルの隣に座ると、彼の方は見もせず言った。
するとアデルは、誰かが自分の服に零したらしいワインの汚れを拭きながら、てへらっと笑う。
誰もが毒気を抜かれてしまう無防備な笑顔だ。
「僕、心も身体も丈夫なんで、これくらいどうってことありません」
「その程度で済むのも今のうちだけだ。僕に言わせればぬるすぎる」
優しげな声音なのに、ソリストの口調は酷薄だった。
「あはは……。そういえば殿下、懸案だった話は、どうなりましたー?」
まるで夕飯の献立を訊くように、アデルは尋ねた。
皇太子であるソリスト相手にそんな口を叩ける者は、日頃ソリストからもきつくいびられているアデルくらいだ。
いわゆる、被害者の特権である。
ソリストはそこで初めて、射抜くような目線でアデルを見た。
「何の話かな」
「えっと……なんでしたっけ。そうだ、女系皇族の話です。聞きましたよ、元老院で上手く受け流したって」
「フィーネは」
ソリストはアデルの言葉をさえぎるように冷たい声を発した。
「君のことが好きだとでも言ったかい?」
「え、いいえ。嫌いなら何度か」
「そうか」
すっと音もなく立ち上がると、ソリストはアデルを一瞥した。
「人を見る目が備わっている妹で安心したよ」
そのまま部屋の中心の賑わいに入っていくソリストの背中を、アデルはしばらく見つめていた。
その顔には先ほどまでの人懐こい表情はなく、何かを探るような暗く、刃のように鋭い感情が浮かびあがっていた。
夜風で酔いを覚ます振りをして窓際にたたずんでいたバイエルだけが、アデルの表情の変化に気付いていた。
☆☆☆
晩餐の準備と進行、そして最後の後片付けに追われていた老執事は、すれ違った新顔のメイドに声をかけた。
「奥様が『気分が悪い』とおっしゃるので、お水をお運びしております」
執事はふと考え込み、念のため侍医を待機させておくことにした。
「他に必要なものがないか、奥様にお伺いするのを忘れずに」
「はい」
執事はメイドの後姿を見送ると、皿の後片付けに広間と厨房を繋ぐ廊下を走り回る使用人の一人を呼び止めた。
「遊戯室のかたがたにお飲み物をお出ししなさい」
少しばかりの疲れが顔に出ていたが、その若い男の使用人は元気に返事をして駆けていった。
朝はまだ遠い。
筆頭執事の仕事は、招待客が帰るまで終わらないのだ。
老執事は広間の使用人達の様子を把握するため、背筋を伸ばして忙しそうに歩き出した。




