8話 夢の中の少年
神国ガーネット帝国。ガーネット領のちょうど中央に位置し、神界セインラナスに住まう十神に護られし宗教国家。東方にある『キードニア』と並ぶ『中央大陸』随一の大国である。
デュガンと別れてから三日が経っていた。運良く帝国の近くにある村まで帰るという農夫と運良く出逢い、その馬車に乗せてもらってここまでやって来られたのだ。
見たこともない多数の人々が行き交うその城下町。初めて足を踏み入れたセリクは目を見開いた。
アスファルトで完全に舗装された地面。正確に測られて作られた建築物。村にはなかった、大きなビルなどが建ち並ぶ。まさに圧巻としか言いようがない光景だった。
「なんだこれ?」
セリクは地面に描かれている白線を見て首を傾げた。道路の中央をずっと白線が続いている。それを目で追いかけると、どうやらそれは一番大きな建物にまで一直線に続いているようだった。
「あら、おのぼりさんかしら?」
商人風の中年が、セリクの肩を後ろから叩く。
「え? あ、はい…。初めてです」
「あらあら、どこからいらしたの?」
恰幅のよい身体を揺らし、頬に手をあてて尋ねる。男のくせに仕草が女らしい。
「あの、レノバ村……です」
「レノバ? あー、よくもあんな遠くからきたわね。それじゃ知らないわけよねぇ。これってばね、車道ってものなのよ」
「“しゃどう”?」
「見ていればわかるわ。ほら、そこに立っていちゃ危ないわよ」
男に手を引かれ、一つ上の段差に登る。すると、ブロロロッという音がして、鉄の塊がセリクのいた所を物凄い勢いで過ぎ去っていった。セリクは唖然と口を開く。
「…な、なにあれ? 鉄の馬?」
「オホホ。ガーネット帝国の天才科学者“サガラ”が作った自動車ってやつよ。帝国内は、あの乗り物が人や物を輸送してるの」
「そ、そうなんですか。へえー」
セリクは驚いた顔のまま頷く。その時に、男が自分の手を握ったままであることに気づいた。
「坊やは一人できたの? 帝都にはどんなご用事できたのかしら?」
肩や胸をなで回され、なんでこんなことをするのだろうとセリクは首を少し傾げた。
「一人です……。えっと、その、仕事を探しに」
セリクが答えると、男の目が仄暗くキラリと輝く。
「あっら~。そうなの。アタシはちょっと商売やってるんだけれどね。稼げるわよぉ。あなたの身体なら……一晩で五〇〇〇、いえ一万五〇〇〇テッドはいけるわね」
「ええ!? そんなに稼げる仕事があるんですか!?」
舌なめずりする男を怪しいとは微塵も思わず、セリクは真剣に考え込む。
一万五〇〇〇テッドといえば、村じゃ一ヶ月は楽々と食べていける額だ。それを一日で稼ぐ仕事があるなんて、セリクには思いもつかなかった。
「そうね。まずはその野暮ったいおべべから、お客が好みそうな可愛い服に着替えて……」
ポケットからメジャーを取り出そうとした商人だったが、その首元にピタッと細長い何かが後ろから当てられる。そのヒヤッとした冷たい感触に身を竦めた。
「確かに金は稼げるかもしれないが、代わりに貴様の贅肉が少々減ることになるぞ」
頬のタプタプとした肉を叩き、その細長いものがカチャリと削ぐような真似をする。それは細長い刀であった。
「ご、ご冗談を……お、オホホ」
男が冷や汗を流しながら、後ろに目を向ける。
そこには長身痩躯な女性の姿があった。ベリーショートカットの赤髪、胸当てと手甲、軽武装をした剣士だ。
「冗談ではない。年端もいかぬ者によからぬ仕事をさせるつもりなら……」
ギラッと刀身が輝く。実に良く斬れそうなその刃を見て、男は笑い顔を引きつらせた。
「ただちに去れ。そうすれば今回だけは見逃してやる」
女性の目が細く鋭くなる。
男はコクコクと頷き、ダッと駆けだして行ってしまった。
そんな一連のやり取りを見て、セリクはなにがなんだか解らずにポカンとする。
「……帝都にはよからぬ人間もたくさんいる。もう少し警戒しろ。少年」
刀を納め、女性は肩を竦めてみせた。眉や目の端がキッと上にあがっていて凛々しい。その堂々とした仕草も様になっていた。
背は普通の成人男性よりもかなり高いだろう。セリクより頭二つ分はありそうだ。ベロリカも背が高かったが、それよりもさらに大柄でガッシリしている。よく鍛え上げられてるのだと服の上からでも解った。
「あの……その、俺、よく解らなかったんですけど。とにかく、ありがとうございます。助けてくれたんです…よね?」
ペコリと頭を下げるセリクを見て、女性は頭をポリポリと掻いた。
「どうにも危なっかしい奴だな。見たところ旅人のようだが……。こんな時勢に、子供が一人で、か?」
チラリとセリクの腰の剣を見て言う。
「私はシャイン・ファバードだ。この街にある刀術道場の師範をしているが……。今は自警団みたいなものだな。ああいう連中から民間人を守るのも仕事の一つだ」
ズボンのポケットから名刺のようなものを取り出し、セリクに手渡す。
「……D地区……聖イバン教会?」
住所先が教会となっていたので、セリクは不思議に思う。目の前の女性が教会の関係者には見えなかったからだ。
シャインは何と説明していいのか困ったような顔を浮かべている。
「複雑なんだ。自警団を結成したのが教会でな。色々と事情があるんだ。ゴホン……。まあ、そんなことはどうでもいい。そこのマトリックス神父は信用できる人だ。私もパトロール以外はほぼそこに駐留している。さきほどみたいな輩に絡まれたりしたら来るがいい」
「え、ええ。解りました……。あの、シャイン…さん?」
「ん? なんだ?」
「俺、あの……仕事さがしてるんですけど。紹介してもらえるところとかって知りませんか?」
シャインは少し考える仕草をする。
「貴様が大人だったら……我らが『DB』を紹介するんだが。あいにく、私は戦い以外の仕事は知らん。宿か酒場ででも聞いたらどうだ? もしかしたら、手伝いを必要としているかもしれん」
「DB?」
聞き慣れない単語に、セリクは首を傾げる。
なぜかシャインは顔を赤らめた。そして、渡された名刺に小さく書かれていた肩書きを指差す。
「んんっ……『ドラゴン・バスターズ』……の略、だ。その……“帝国政府公認、龍王討伐自警団”、のな」
肩書きのところを言うのは、なぜかやけに小声だった。
「ていこくせいふ……こうにん?? ドラゴン・バスターズ???」
「うっ! そう大きな声で言わないでくれ。あんまりに直球な名前なんでな……。その、堂々と言うには少し勇気が必要…いや、こんなことはいい。DBと呼んでもらえると助かる。ゴホン! まあ、平たく言えば、龍王を倒すために組織された自警団……ということだ」
「龍王を倒す……」
その言葉に、ドクンと自分の心臓が脈打つのを感じる。
「いまの帝国軍は龍王問題のことで手一杯だ。城に行っても、ろくに相談なんて乗ってはくれん。助けが必要なら教会だ。そういうことを言いたかったわけだ」
セリクはコクリと頷く。それからシャインは、宿と酒場の場所を事細かに教えてくれた。
説明を終えたあと、なぜかシャインはジッとセリクをしばらく見つめていたが、思い直すかのように首を横に振り、それからその肩を軽くポンと叩いて行ってしまった…………。
宿場は探すまでもなく、すぐに見つかった。過剰ともいえる看板案内のお陰で、地理勘のないセリクでもすぐに解ったのだ。これだったら、あえてシャインに教えてもらうまでもないことだった。
宿はC地区と呼ばれるところにあった。
ガーネット帝国城下町は、AからF地区までアルファベットで区切られて整理されている。それぞれ民間区、商業区、工業区といった感じに同種の機能が集結しているのである。その中でC地区は観光・歓楽区といった集まりであった。
宿や土産物屋だけでなく、ピンク色の看板が出された妖しげな店もあり、出入口に立っていた風俗嬢がからかってウインクしてくる。セリクがドキマギして真っ赤になると、ウフフという笑い声が漏れた。逃げるようにして、目的とする宿の方まで駆けて行く。
カランカランと鈴音を鳴らしながら中に入ると、ただっ広いロビーで、ちょっと太めの年配女性がちりとりをもって掃除している姿があった。
「あれ。お客さんかい?」
セリクの姿を見るや、腰を叩きながら身を起こす。
「あの、部屋……空いてますか?」
「うん? ぼうや、一人なのかい?」
女性は怪訝そうな顔をして、覗き込むような仕草をする。セリクの後ろに誰か人がいるかもしれないと思ったからである。
「ええ。はい。俺一人なんです……けど」
「一泊で二九〇〇テッド、朝食付き……だけど。大丈夫かい?」
「え!?」
金額を聞いて、セリクは青ざめた。
ナップザックをさぐると、小袋の中に五〇〇テッドしかない。ロベルトが幾らか用意してくれてあったのだが全然たりないのだ。龍族に人間の金銭感覚を求めるのは酷なことだろう。
「すみません。たりなくて……あの、もっと安い宿とか……この辺にないですか?」
「うーん。うちが一番安いんだよ。普通の宿ならもっと高いよ。一番安いとこでも、五〇〇〇テッドからだしね」
「ええッ!?」
レノバ村でも殆ど金を使ったことはなかったが、改めて物価の違いを思い知らされる。
「そんな……。でも、普通の宿、って?」
ちょうど、ロビーの奥で男女が腕を組んで階段を昇っていくのが見える。
「……親密な男女が泊まる宿だからね。まあ、ぼうやにはまだ早いさ」
それを聞いてセリクは真っ赤になる。一人かと聞かれたのは、保護者が一緒かどうかを尋ねられたわけではなかったのだった。
セリクは知らなかったのだが、まだここは風俗街の一角だったのである。
「あの、す、すみませんでした!」
「おいおい。お待ち」
慌てて出て行こうとするセリクを、女性は呼び止める。
「どうせ行くところないんでしょ? 宿に泊まれないでどうするのさ?」
そう言われて、セリクはモゴモゴと口を動かす。
「ふう……。一番上の物置部屋。ま、ちょっと埃っぽいけど、そこで良かったら泊めてあげるよ」
「え? でも……」
「野宿でもする気かい? いいかい。この街は『颯風団』といった頭のおかしい物騒な連中が巣くってるんだよ。夜は特に危ないさね」
物騒な連中と聞いて、セリクはゴクリと息をのむ。
これだけの都会ともなれば、どんなトラブルがあってもおかしくはない。そんなのに巻き込まれたくはなかった。
「ほら、はやくおいで。こっちだよ」
優しく手招きされ、セリクは少し悩んだが、結局はその好意に預かることにした……。
屋根裏部屋。斜めになった屋根がそのまま天井の形になっている。
物置として使っているだけあって、使っていない椅子や机などの調度品などが押し込められていた。その中にあったソファーに、借りたシーツを敷いて横になる。
余り物だということでもらったパンを食べ終え、小さな出窓から街を見やる。
もう夜更けだというのに、あちらこちらで煌々とした明かりが漏れ、未だ人々は夜の街を楽しんでいた。日落ちと共に眠るレノバ村では考えられないことだ。
「……なんだか疲れたな」
トロンと眠そうな目をしてあくびをする。
「明日には……なんか仕事、さがさなきゃ」
そう呟き、セリクは目を瞑った。そして、深い深い眠りへと落ちていく…………。
ーーー
闇の中。ただひたすらの黒い霧が辺りを包んでいる。右も左も解らず、その深さは計り知れない。まとわりつく漆黒は、それ自体が黒色をしているのではないかと思わせた。
そんな中で、側でギィーギィーと軋む音がする。何の音かと目を凝らしてみると、それは小さなブランコであった。
どこから吊り下げられているか解らないが、ポツンと闇の中にその赤いブランコは存在していた。
「……セリク」
声をかけられ、セリクはビクッとする。
よく見えなかったのだが、そのブランコの上に誰かが腰掛けていたのだ。
「セリク・ジュランド。ようこそ。待っていたよ」
その人物が目を開く。それは暗闇の中で、紅い輝きを放った。
「……だれ?」
「僕の名は、レイド。君をずっと待っていた……」
暗闇に慣れてきて、相手の顔が次第によく見えてくる。
レイドというらしいその人物はニッコリと笑っていた。セリクよりは少し年上だろうか。濃紺の髪に、整った顔立ちをしている。
朱色が基調の鎧を着ているが、肩当てやマントはずいぶんと古めかしい物のようだった。
しかし何よりもの特徴は、その紅い眼だ。紅い虹彩をした人間は他にもいるかもしれないが、暗闇の中で光り輝くとなると珍しいどころの話ではない。自分以外にこんな目をした人物をセリクは知らなかった。
この時になって初めて、これが自分の夢なのであることに気づく。
「別に夢でもいいさ。どう捉えてくれても構わない。いずれにせよ、ようやく会えた。僕は君と出会えたことが嬉しい」
考えを読み透かされたような気がして、セリクは驚く。
しかし、よく考えてみれば、夢ならば当然のことなんだろうかとも思った。自分が想像した空想の人物なのだ。セリクの気持ちや考えを代弁しても変な話ではない。
レイドはそれには肯定も否定もせずに、フフフッと小さく笑っただけだった。
「……与えられた時間はわずかだ。手短に言うから聞いて欲しい」
「え? いったい……なに?」
急にそんな話を振られ、セリクは戸惑う。
「いいから。いまはただの夢だと思って聞いてほしいんだ」
レイドは立ち上がると、セリクの口元に人差し指を当てた。夢の人物に、夢だと諭されるのはなんだか妙な気分だ。
小さく息を吐き出し、軽く首を横に振る。そして、レイドは思い切ったかのように口を開いた。
「セリク。……君はこのままでいいと思っているのかい?」
「このままで?」
言われている意味がわからず、セリクは怪訝そうな顔をする。漠然とそんなことを尋ねられても答えようがないことだ。
「僕は君のことをよく知っている。本当は自分が何をしなければいけないのかもう気づいているんじゃないのかい?」
セリクは無意識に剣の柄をギュッと握りしめた。どうにも、夢の世界にまで剣を持ち込んでしまったようだった。
それを見て、レイドは頷いて笑う。
「気にかかっているんだろう? 龍王エーディンのこと……」
歯を剥き出しにして笑うエーディンが脳裏をよぎる。それだけでザワザワと心が乱れる。恐怖、そして怒りの感情がセリクの中から溢れ出しそうになった。
「君は気づいたんだ。君のいた村よりも大きな世界があることに……。そして、君は出会うべくして敵と対峙することになった。それも一番の大物と、だ」
まるで、セリクが経験したことを見ていたと言わんばかりだ。
自分の中の存在とはいえ、そんな風に客観的に話されるのは気持ちが良いものではなかった。
「龍王は平和な世界を混乱に陥れようとしている。さあ、敢えて問おう。ようやく踏み出した世界は、今まさに“破滅”に晒されようとしている。君はこのままでいいのかい?」
その問いかけに、セリクはイライラしたものを感じた。
まるで自分を責めているような言い方に思われたからだ。でも、夢の相手ならば遠慮してやることはない。
「なんなんだよ! 急に現れて! 俺に……俺にどうしろっていうんだ!? 俺は……皆に疎まれて、嫌われて、勝手に生贄にされただけだ!」
なんだか滅茶苦茶な気分だった。
悲しみや苦しみ、そして誰にもぶつけることのできない怒りが自分の中で牙をもって暴れ回るのを感じる。
吐き出せばスッキリするかとも思われたが、余計にモヤモヤするだけだった。
「俺はこんな世界キライだ。こんな世界だったら、龍王に、エーディンに滅ぼされてしまえばいいんだ! 俺には……俺には関係ないことだよ!」
勢いに任せて言って、セリクは自分の胸がズキリと痛むのを感じる。それは本心ではなかった。言葉にしたことで強い罪悪感を覚えたのだ。
セリクが落ち着くのを待ってから、レイドは静かに口を開く。
「……違うんだ。勘違いさせたのなら謝るよ。僕は君に何かをしろといったつもりはない」
「……え?」
なんだかレイドがかなり落ち込んだような顔をしているので、怒鳴った分だけ気まずい気がする。さっきまで流暢に語っていたのに、何やら自分が話したことに後悔してそうな雰囲気だった。
「“世界を救え”、か。そうだ。そうだね。本来ならば、僕は君にそう助言を与えなければならないはずだ。そのために僕が君の前に現れた。それが役割だ……でも……」
レイドは自分の言葉を噛み締めるかのようにしながら、目を細めた。その紅い瞳が、セリクの腰の剣を見やる。
「僕は君に傷ついてほしくない」
我が身のことのように、辛そうな顔をしてレイドは言う。なぜか、セリクにはこれが彼の心からの本音なのだという気がした。
「……そうだとしても、神々は君を戦わせたがるだろう。龍王を滅ぼすために」
「神々……だって?」
セリクは唖然とした顔をする。
自分の夢で、神々の話なんかが出るとは思っていなかったのだ。イバン教会に通ったこともないので、神という存在についても詳しいことは知らないのだから、どこからそれが出てきたのかまったく解らなかったのである。
あまりに苦しい時に、神という存在に漠然と祈ったことはあるが、かといって信仰などを持ち合わせているわけではない。救われたためしがないからだ。セリクの知識では、神とは自分とはまず縁のない、世界を創ったであろう象徴にしか過ぎなかった。
「龍王は強すぎるが故に、哀れで悲しく寂しい存在だ。……君も似たようなものだ。だからこそ、傷ついてほしくない」
セリクの手をそっと引き、自分が座っていたブランコに座らせる。
両端の釣り紐を掴み、苦悶の表情をレイドは浮かべていた。
次の言葉がでるまでしばらく時間がかかった。それを口にするのを本当に迷っているようだった。
「……君は“龍王を倒す者”。神々の代わりに世界を救う“救済者”なんだよ」
まるで自分自身に言い聞かせるように、それでいて義務的と思える淡々とした口調でレイドは言う。
その言葉を頭の中で反芻して、セリクはますます混乱する。
「俺が……龍王を倒す? 世界を救う?? 救済者だって???」
自分の夢でも、なんとも都合の良い話を考えたものだと思う。
笑い飛ばしたい気分だったが、レイドの顔は冗談を言っている感じではなかった。
「でも、君が何を選び取るかは自由だ。君の選択の邪魔はさせない……。例え、それが神々であっても。僕が絶対に君を護る。約束だ」
にこやかだったレイドの瞳の奥に、強い感情が宿ったことにセリクは気づいた。
使命やそういったものを放棄してでも、セリクを優先する……そういった絶対の想いだ。
もしかしたら、ただの夢じゃないのかも…少しだけそんな風に考え始める。
「……そんなこと言われても。信じられるわけないよ。俺に、そんな力があるっていうのか?」
セリクは自信なさげに自分の手の平を見つめた。
レイドは自分の夢の産物ではないのか? やはり自身にとって都合のいい妄想話を思いついたんじゃないのか?
考えれば考えるほど疑念は強まるが、一方で夢にしては出来すぎな気もしていた。
まさに半信半疑といったところなのだ。
「デュガンという男が言っていただろう。君には剣の素質がある。それは実感したはずだ……」
確かにそうだった。それは本当にあった出来事だ。
デュガンに言われるまで、自分が剣を持って戦うなんて意識したこともなかった。
だが、あれだけ強い剣士に素質があると言われ、強くなる決意をしたのは本当の気持ちである。
「でも……」
「龍王を倒すのは君以外にはこの世には存在しない。それは間違いない」
確信をもったように、レイドは続ける。
色々なことを言われすぎて、セリクの頭の中は整理がついていなかった。
だが、身体のほうだけは自然に反応している。マグマのようなたぎるエネルギーが内側で沸々とたぎっていたのだ。
「……どうしたの? セリク。どうして、そんな顔で僕を見るんだい?」
レイドが、セリクと目線の高さを合わせる。
セリクは泣きそうな顔でいたのだ。
「……どうしたいのか、どうしていいのか。解らないんだ」
レイドが言うように、もしかしたら龍王と戦う力はあるのかも知れない。才能があると言われたことで、ほんの少しその気になったせいもあった。
でも、恐怖がないわけではなかった。不安が先立ち、それが思考の停滞を生み出す……。
恐怖は龍王に対してだけではない。これから独りで生きていかねばならないこと、特に初めてやって来た帝都に馴染めるかの不安もあった。
虐げられ、生贄にまでされたセリクには、生きることとは恐怖そのものなのである。
それでも死を選択しないのは、生き物としての本能なのだろう。死を潔く選ぶのであったら、龍王城から脱出など最初からしなかったであろうから……。
「大丈夫。誰も信じなくてもいいんだ。でも、僕だけは信じて……。怖がらずに、安心して君の本当の気持ちを出してごらん。本当はどうしたいんだい?」
レイドが優しく頬を撫でてくる。それだけで気持ちが和らぎ、なぜか信用してもいい気がしてくる。
何をすべきか、何を選ぶべきか……セリクはすでにその答えを自分自身で得ていた。
才能を認められた時に、これがきっかけなのだと気づいてはいても、それを認めることができなかったのである。
だが、デュガンと別れてからも、ずっとそれを否定することもできないでいた。
そう。レイドが指摘したことには、もうすでにセリクは心の中で気づいていたのだ。
知らず知らずのうちに、自問自答していたのだ。“俺はこのままでいいのか?”と。それが図星だったからこそ、苛立ちを覚えたのである。
「…俺は……龍王エーディンと、戦う」
デュガンが龍王を滅ぼすのだと言った時、すでにセリクは一つの考えを抱いていた。
だが、それは大それたことで、生贄にされたような自分が決して口にしてはいけないことなのだと思っていた。レイドに後押しされ、今ようやくそれを口に出せる。
セリクの決意に、レイドは少しだけショックを受けたような顔をした。この答えを待っていたのではないかと思われたので、意外なことだったのだが……。しかし、それはほんの少しのことで、すぐにさっきまでの優しい笑みに戻る。
「それはどうして?」
「龍王は倒せば………俺は必要な人間とされるから。生きていても許されるから」
震える唇で、セリクは小さく言う。
相手が夢の中の人物だとしても怖かった。自己中心的な理由だと思われるのではないかと……。
レイドの微笑みは消えることはなかった。優しい眼差しは変わらない。彼は本当にセリクの味方だったのだ。
「……そうだね」
「龍王と戦えば……きっと、レノバ村のみんなも俺を受け入れてくれる。認めてくれる。紅い眼だからって嫌われることも、悪魔の子だなんて……もう言われない……と思う」
セリクは口にして、それがとても身勝手な理由なのだと解っていた。
世界を救うなんてこれっぽっちも考えてない。レイドには救済者だと言われたのに……だからなのか、なぜだか後ろめたいような気もしていた。
だがそれは仕方ないことだった。セリクにとっての今までの世界とは、小さな村のほんの一部に過ぎなかったのだから。それも虐げられた苦痛の世界だ。
「いいんだよ。君は人を愛そうと努力したけれども、人は君を受け入れずに仲間はずれにした…。しかし、世界の脅威と戦えば、君は必然的に必要な人とされる。皆は優しくしてくれるだろう」
セリクの頭を優しく、優しく撫でる。
「神々のためでも、人々のためでもない……自分のために龍王を倒す、か。僕はいいと思う。君は一つの選択をした。それは尊重されるべきだ」
レイドは、ハッと何かに気づいて振り返る。
「さて、そろそろ時間だ。君と話せて本当によかったよ」
「……また、会える?」
ロベルトやデュガンにも感じた名残惜しさを、セリクはレイドにも感じる。彼は敵ではなく、自分の近しい何かなのだと感じ取っていた。
レイドはセリクの心内を知り、申し訳なさそうにしながら、そして寂しげに笑った。
「ああ。僕は君が好きだからね。だから、きっと……また会いにくるよ。きっとね」
「また会いたい」
「うん。そう言ってくれて嬉しい。僕もだよ。……でも、今だけはさようなら。大丈夫。僕はいつも側にいるよ。君の行く道は僕が必ず護るから……絶対に」
その言葉を最後に、レイドは溶けるように掻き消え、闇がすべてを覆い尽くしていった…………。




