72話 野生のメルシー
ストス村を出たセリクたち一行は、ガーネット領をさらに北上して行く。
景色は様変わりし、緑の広がる草原地帯を越えて、灰色の岩肌が目立つ丘陵地帯へ。
ちょっとした森の中をくぐると、目の前に巨大な山脈が姿を現した。遠くから見たことはあったのものの、こんなに間近に接近したのはセリクには初めてのことだ。
「あれがラミティオン山脈だ」
ヘジルが地図を片手に説明する。
「この中央大陸の真ん中を分断するようにそびえ立ち、北西ガーネットに南西ファルドニアと、北東キードニアと南東デイルダを二つに隔てている境界線だ。
一つ一つの峰が、最低でも二〇〇〇メートル級はある。頂上はキードニアから吹き込む寒波によって極寒地獄だな。通常装備じゃまず踏破は難しいだろう」
「ふぇー。目の前で見ると圧巻だねぇ」
「あれ? レノバ村の南にあった山は違うの? なんか続いているように見えたけど」
セリクが疑問に思って尋ねる。
デュガンと共に通った地下道があった山のことだ。ファルドニアから戻るのに山越えをしたのでよく覚えていたのだ。
「あそこはローダリア山岳地帯だろう。ラミティオン山脈よりは標高が低いし、デハン湖という大きな湖が間にあるから実際には繋がってはいない」
「オウ。そんな退屈な話はいいぜー。
魔物はでてこねぇのかよ。暇でしょうがないぜ」
ブロウは担いでいるナップザックを振り回す。このメンバーの中では一番手荷物が少ない。
いざ戦闘という時のために最低限の物品しか持ち歩かないと言うのが本人の弁だが、実際には食料を持っていると全部食べてしまうので持たせてもらえなかっただけなのだ。
「フン。無駄な消耗を避けるために、魔物のいそうな場所は寄らないようにしているんだ。まだ先は長いんだぞ。
“菜園洞”にただ辿り着けばといいと言うわけじゃない。それから洞窟探索と帰還の余力も残す必要もある」
ヘジルは地図に描かれた赤丸を指さして言う。それを見る限りだと、ようやく道程の半分くらいを来たところだった。
レマが教えてくれた菜園洞というのは、この山脈沿いにずっと上って行った果てにある深い洞穴だ。
そこは薬草を栽培する場所としてストス村の管理下にあったが、あまりに距離が遠いのでほとんどの村人から忘れ去られてしまったらしい。
だが、レマの祖父が薬師だったので、彼女が幼い頃に菜園洞の中にまで一度だけ連れて行ってもらったことがあったようだ。
その祖父が亡くなってからは行くことがなくなったので、洞窟の中はうろ覚えでしかないと本人は申し訳なさそうに言っていたが…。
「ウォー! 魔物殴りてぇ! こう歩きだけだとイライラしてくんぜ!!」
頭を掻きむしるブロウを見て、乱暴者なのは昔と変わらないんだとセリクは思う。
「お兄ちゃんったら…。ほら、お話でもして気を紛らわせようよ。
話題はそうだなー。ここら辺に出てくる魔物ってどんなのがいるのー?」
「ブラッドバッド、トレント、ファントムウルフ……まあ、そんなお馴染みの魔物はたまにでる。
北側で一番気を付けなければいけないのは、トレントの亜種で『マンイーター』と呼ばれる食人植物だ。Bクラスの危険度を持つ」
「食人植物……うげー。きっとグッチョグチョのネッチョネチョでしょー。溶ける液とか吐き出すんだわ。そんなのと遭遇したくないー」
フェーナは何を想像したのか、自分の肩を抱いてブルッと震える。
「Bって…どれくらい危険なの?」
「ファルドニアに生息するビッグワーム相当だ。だが、サイズは人間とほぼ変わらない。そのせいで、ビッグワームなんかよりも感知しにくいのが難だな。
個人的に、マンイーターの方が戦いにくいと思う。火が弱点という意味では、対策が立てられるだけマシだが…」
「オウ! 俺様もまだ見たことはねえなー。戦ってみてぇぜ! が、あんま数がいないんだったよな?」
「ああ。個体数は少ないし、だいたいが森林の奥深くに生息している。マンイータと呼ばれてはいるが、積極的には人を補食したりはしない。だから、まず遭う可能性の方が低いだろう」
戦う可能性が低いと聞いて、セリクとフェーナは安堵する。だが、ブロウは不満そうに口を尖らせた。
「じゃあ、戦う可能性が高い魔物の中で気を付けなければならないのはいるのー?」
「そうだな。ここらへんで僕たちが倒せない魔物はいないとは思うが…。
数が多く厄介と言うのであれば、野生のメルシーが思いつくな。山間の洞窟に巣を作ったりすることが多い」
メルシーと聞いて、三人ともストス村の可愛らしい丸っこい生物を思い浮かべる。
「野生のメルシー? 確か、そんなに危険じゃないんだよね?」
あの戦闘とは無縁といった顔をしたメルシーが、襲いかかってくる様を想像するのは難しいものがあった。
「オウ。確か最低ランクのFだったと思ったぜ。俺様もこっちの方はあんま来ないから、実際には戦ったことねぇんだよなぁ!」
「ふぇー。仮に出てきても倒すなんてできないなぁー。モフモフはしちゃうかもだけれど!」
フェーナに撫でくり回されてるメルシーをセリクは思い浮かべた。
「フン。そうか、改良されたメルシーしか知らないか。
家畜小屋から逃げ出した個体とかが、たまに半野生化したものをFランクとしている。狂暴でこそあるが、改良されているだけあって戦闘能力は低い。村人でも倒せるレベルだ」
先頭を歩いていたヘジルがピタッと立ち止まる。
「そして、ちょうどいいとこにいた。あれが野生の…つまり、原種のメルシーだ」
ヘジルが指さす方向に、三人が眼を向ける。
木々の向こうで、草木を貪り食っているピンク色の毛むくじゃら。ゴリラのような風貌で、口がワニのように裂けている。
こちらには気づいていないようで、ガツガツと手当たり次第に周辺のものを食べていた。
「あれがメルシー? 村にいたのと全然、違うじゃないか」
「あの可愛くないのがそうだって言うの? なんの冗談よ?
ってか、あのまんまるのプリティボディはどこいったの!? ってか、腕とか生えてなかったし! 脚だってもっと短足だったし!」
フェーナの言うとおり、木の皮を力任せに剥ぐような太い腕はなかったし、投げ出せる程にも脚は長くなかった。
「オウ。あの生き物だったら…何匹かブッ倒した記憶があるが。まさかメルシーだったとはな! 知らねぇうちにブン殴ってたぜ!」
魔物の名前も知らず、殴り倒していたことに驚かされるが、ブロウなのだから仕方ないのだろうと三人はあえてそれについて何も言わない。
村にいたメルシーと辛うじて同じ点といえば、頭頂の三本のアンテナみたいな触角だろう。それ以外は、どう見ても幼生から成体に変わったと言っても無理があるほどの変貌っぷりだった。
「気づかれるなよ。元から野生だった場合の強さは、高くてもDクラス程度なんだが…。アイツには…」
ヘジルが注意しようとした矢先だった。ブロウが近くにあった小石をブンッとメルシー目がけて投げつけていた!
ゴツン!
「ウォッ!? ウォウォッ!!」
見事に頭に石が当たり、メルシーは牙を剥き出しにてドラミングをし、キョロキョロと周りを睨み付ける。
そしてセリクたちの姿を捉えると、近くにあった棍棒とツボを抱え、こちらに向かって走りだした!
「ま、まずい!」
「ギャー! 何やってんのよ! お兄ちゃん!!」
「オウ! いや、闘いてぇなって思ってな!」
「だからって、俺たちも巻き込まないでよ!!」
慌てて戦闘態勢をとる三人に、ヘジルは首を横に振って逃げるよう示す。
「馬鹿か! 相手が悪すぎる! 逃げるぞ!!!」
「逃げるだと!? ガッハッハ! 何言ってやがる! 俺様だけでもアイツらを何匹かまとめて倒したことが……」
逃げる素振りも見せず、ブロウが半身に構える。その時に何かを感じ、ヒクヒクッと鼻を動かす。
「グッハァー!!」
突如、ブロウが鼻を抑えて悲鳴を上げた!
「お兄ちゃん!? どうしたの!?
……って、なにこれ! ヒドイ!! くっさーい!!」
「あれだ! あのメルシーからだよ!!」
セリクもフェーナも口と鼻を抑える。
「グッ! だから、相手が悪いと言ったんだ!
あれは、雌のメルシーだ! 雌は自分の乳をツボに入れ、持ち歩く習性がある!! 発酵した乳の臭いは、人間の嗅覚を破壊するほどの威力を持つ!!」
四人は近づく悪臭に耐えかね、慌ててその場を逃げ去るしかなかった。
執拗に追いかけ回され、涙と鼻水で顔をグショグショにしながら、小一時間ほどかけてようやく撒く。
体力的にというより、精神的にキツイ逃亡であった。
「ウウッ。まだ鼻が痛いよ…ジンジンする」
「…お兄ちゃん。サイテー。ホント、サイテー」
「お、オウ。でもよ、俺様が戦ったのは…あんなツボ持ってなかったしよ。知らなかったんだぜ」
「たぶん、それは雄だろう…。ギラの大軍の中にもいたのに限っては、凶暴化した際に雌もツボを捨てた可能性もある。そこは何とも言えないな」
四人はグッタリとし、大きな岩に背を預けたまま、しばしの休憩を取ることを余儀なくされたのだった……。




