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RUIN【破滅】  作者: シギ
二章 魔界の統治者トルデエルト
73/213

71話 平和な村に現る創母神?(3)

 徹夜の捜索を村人と共に行い、近くの川岸の粉挽き小屋にて、レマの父親と弟が囚われているのが発見される。

 ちなみに、姿が見えなかった数週間の間は、レマが「父は帝都に仕事で行った」との弁で誤魔化されていたのだ。ストス村から帝都への旅路はちょっとした旅行だ。数日帰らなかったとしてなんら不思議に思われなかったのである。

 食事が殆ど与えられなかったのか、衰弱こそしていたものの、目立った外傷などもなく無事に保護された。

 その報告を受けたレマは安堵して泣きじゃくり、セリクたちに何度も謝罪と感謝の言葉を繰り返したのだった……。



「…あの魔物は、ストス村に神々の気配を感じてやって来たのだと言いました」


 ようやく落ち着いたレマは経緯を語り始める。

 その説明から推察するに、ギラ率いる大軍団が撤退する際に一匹だけ別行動をしたグレムリンがいたらしい。どうやら、それが今回の騒動の原因となったようだった。


 そのグレムリンは、先の戦いで受けた汚名を返上しようと考えた。少なくともおめおめ帰っただけならば、殺される可能性の方が高いと考えたのだろう。

 契約書のわずかな神気シンを見つけた時に、起死回生の機会と感じたに違いない。

 ある程度、周囲の状況を把握すると、グレムリンは村の実力者であるウラーゼルに接触しようと試みた。

 ただウラーゼルは神の信奉者だ。魔物が脅したところで、簡単に言うことは聞かないだろう。ましてや周囲には残党狩りをしている兵士たちがまだいた。報告されれば、グレムリンの計画は水泡に帰してしまう。

 そこで頭を捻りに捻ったグレムリンは、将を射るには馬を…と、メイドであったレマの家族を人質にし、言うことを聞かせることを思いついたのである。

 神気シンの力を見つけただけでなく、グレムリンには更なる機運に恵まれることとなった。なぜなら、レマは大した力こそ持たないが、黒玉石を体内に持つ異端者の素質があったからだ。それに気づいたグレムリンは、持っていた黒玉石の粉末を摂取しやすい液状に変え、それを無理やりレマに飲ませて、強力な水の異端者にと変えてしまったのである。


「そうです。私は…彼女の水を操る力を見て、まさしく神であると信じたのですよ。あのような巨大な力は、まさに神々の一柱に他ならぬと」


 ウラーゼルは長年に渡り信仰を貫いて来た。それは強固を通り越し、頑迷と言っても良い程、凝り固まったものとなっていた。今回、その強すぎる信仰心こそが仇となったのである。


 元より、ウラーゼルは曲がった事が嫌いな性格で、前代の大神官から補佐を務める神官長…神々の真意を知る者としての誇りというものがあった。

 だからこそ、信仰に反するダフネスの行う“不適切”な行為が何よりも許せなかった。それを正面から糾弾したことにより、ウラーゼルは疎まれて一足早い引退を命じられたのである。

 善を行ったのに都落ちという理不尽な処遇を受け、失意の中にあったが、故郷のストス村でメルシー牧畜に勤しみながらの毎日は充実していた。慕ってくれる村人、忠実なメイド……家族こそいなかったが、この穏和な村に住めることこそが自分の幸せなのだと思った。

 だが、何故だろうか。やはり何か満たされないものをずっと感じていた。ひたかくそうとすればする程、ウラーゼルの中でそれは大きくなってゆく。

 それは虚無感と、決して信仰者が抱いてはいけない憎しみにも似た抗いがたい感情であった。

 神々にこれだけ仕えたのに、神々が何か応えをくれたことがあっただろうか? 正しいことをしているはずなのに、なぜか神々は自分を無視しているような気がしていたのだ。

 年齢は、もはや世を去るまであと僅か…というところだ。下手をしたら今日、明日だって解らぬ身である。だからこそ、今になって焦りが生まれた。このまま失望したまま世を去りたくはなかった。

 ウラーゼルは祈りの中で問い続ける。それは非難を含んだ切実な訴えであった。

 神々は生きている間に何も応えてくれないのか?、と。

 自身の人生に指針を示してはくれないのか?、と。


「最初から神を演じていたわけではありません。せめて“奇跡の代行者”だと……そんな風に思って、信じてもらえれば良かったのです。それが出来なければ、力で脅すことも辞さなかったでしょう」


 レマはさっきからずっとウラーゼルの顔色を伺いつつ語る。

 この村に生まれ、この村で生きて来た彼女はウラーゼルに仕えることを心から喜びとして来た。

 それは理想とする職場、破格とも思える給金だけの関係だけでなかったのだ。

 レマの祖父は薬師で、村の中でも尊敬される知恵者だった。実のところ、レマは知的で穏和なウラーゼルに、亡くなった祖父の姿を重ねて信頼を寄せていたのである。

 

「ですが、私が特に何をしなくとも、ウラーゼル様は信じてくれました…。

 子供騙しのような“奇跡”でも、それを切望していたご主人様には本物のように映ったのでしょう」


 女性で水を扱う神……だからこそ、「創母神マリン・ホロス様だ!」と言い出したのはウラーゼルの方だったのだ。

 メイドであることを隠し、奇跡を為す存在として現れたレマ。

 神の現出を待ち望んでいたウラーゼル。

 出会ってしまった二人。そこから、どちらからというわけでもなく、自然に“神と人”との役割を演じることとなった。

 誰にも気づかれぬよう、こっそりと定期的に、怪しげな夜の密会が行われ始めたわけである。


 “神託”を行うのに、誰も立ち入らない地下書庫は勝手が良かった。そこは二人にとって、“聖域”となったのだ。他者が絶対に立ち入れない秘密の場所である。

 神託と言っても、創母神マリン・ホロスは何も語ることはない。神官長は神々を讃える手法を十二分に心得ていた。祈り、賛美し、平伏する…そして、最後にレマは祝福の水を注ぐ。それを見る度にウラーゼルは幼子のようにはしゃぎ、感涙するのだ。


「……それからは、ご存じの通りです。

 あなたたちの存在を、あの魔物は知っていたようです。それをまたとないチャンスだと言っていました」


 セリクたちの存在を、グレムリンは知っていた。

 だからこそ、この村に来たのは“神々の何か”を探してのことだろうということはすぐに解った。そして、それがグレムリンが最初に気づいた神気シンであろうことも用意に予想できた。

 グレムリンの考えてる以上に、順調に物事は進んでいる。だが、まったく問題がなかったわけでもなかった。

 地下書庫から神気シンを感じるのは間違いなかったが、いったい何がそれを発しているのかが皆目検討がつかなかったのである。

 そこまでの細かい探知能力をグレムリンは持ってなかった。ましてや書庫は膨大な本に埋もれている。一冊、一冊を探していては時間がかかりすぎるし、それが本である確証すらなかったのだ。

 もちろん、神託の合間を利用して、レマに書庫の探索を命じてはいたが、未だ何も発見できない中で、セリクたちはやって来てしまったのだった。

 そこで、ウラーゼルに地下書庫へ入れるなという話をさせた上で、セリクたちを歓迎すると見せ掛けて薬漬けにし、弱ったところを始末してしまおう……と、姑息なグレムリンが考えていたのはそういう作戦だったのである。

 正体不明な神気シンを探るより、より確実で大きな手柄を立てることにしたのであった。


 すべてを語り終えた後、レマもウラーゼルも、自身がしたことの重さを感じて疲弊しきっていた。表情からは、苦悶や後悔が見てとれる。


「……解った。帝国には事実をそのまま報告する。

 処分内容については追って連絡が来るだろう。帝国への出頭を命じられる可能性が高い。前もって準備をしとくんだな」


 皆が同情した顔をしている中、表情も一切変えずに聞いていたヘジルは、最後に冷たくそう言い放つ。


「ヘジル!」「そんな、ひどいよ!」「オウ! そりゃねぇぜ!」


 仲間が同時に非難の声をあげるのに、ヘジルはフンッと鼻を鳴らした。


「……ならどうしろと? 不問にしろとでも言うのか?」


「別に報告する必要なんてないじゃないか。問題のグレムリンは倒したんだし、契約書だって手に入った」


 セリクはヘジルの腰にある植神の契約書を指さす。


「それは運が良かったんだろう。もしこれが燃えていたら、僕たちは大きな損失を被っていた…。それを考えれば、犯した罪は大きい。何かしらの処罰がなければ示しがつかない」


「ブーッ! ヘジルってホントにイジワル! なんでそんなことばっかり言うの!」


「オウ! 確かに意地悪だな! だから、オメェは隊長職を外されたんだよ!」


「フン。同じく隊長を外されたヤツに言われたくないな…。

 それとだ。まだある。地下書庫にあった他の貴重な資料を失ったことも大きい。

 もしかしたら、植神の居場所を特定する何かがあったかも知れない。ただ契約書だけがあったとは考えにくいことだ」


 神々の力を得るには、契約書だけではなく、祭壇が揃わなければならない。それについての情報は契約書には書かれていなかった。

 せっかく契約書を得たのに、行き先が解らないということで、ヘジルはかなり苛立っているようだった。顔にこそ出してはいないが、ピリピリした雰囲気はああからさまだ。


「植神…って、植物の神々なんだろ? だったら、植物が覆い茂っているところが怪しいんじゃないのかな?」


「うん。私もセリクが言ってるの合ってる気がする。お花畑とかこの辺にないのかなー?」


「オウ! 食える実とか花とかがあるところだろうな! 神サンだって飯ぐらい食うだろ! 俺様だって今も腹減ってるぐらいだしな!」


 短絡的な意見が交わされるのに、ヘジルは苦い顔で首を横に振る。


「植物が多いところ……。あ。もしかしたら。私、心当たりがあるのですが」


 レマが手をあげるのに、皆が驚いた顔をする。


「なんだと? それは本当か!?」


「え、ええ。その、奥に祭壇らしきものもあったような……なにせ昔の記憶なので、たぶんとしか言えないのですが」


 ヘジルが怖い顔をしているので、レマは少し自信がなさそうに言う。


「どこだ! そこは!?」


「そこは…」


「ちょっと待って! レマさん! 言っちゃダメ!!」


 口にしようとしたところを、フェーナが慌てて止める。


「……なんだ? フェーナ。なぜ邪魔をする?」


「へへーん。これって、情報提供…ってことだよね?」


 フェーナがしたり顔で、指をチッチッチと左右に動かす。


「情報提供? フン。まあ、確かにそうだな…」


「だったら、交換条件でしょ! 場所を教える代わりに、罪には問わない! OK!?」


「…馬鹿な。フン。そんなことができるわけが」


 一笑に伏そうとしたヘジルだったが、セリクやブロウも真剣な顔をしていたので眼を細める。


「皆さん…。気持ちは嬉しいのですが、私はそれで罰を免れようなどとは考えていません。どのような処分も受けるつもりですし」


 レマが心苦しそうに言うのに、セリクは首を横に振った。


「俺たちも同罪だよ…。レマさんが苦しんでいるのに、俺たちは何日もこの村にいて気づいてあげられなかった」


 その気づかいの言葉を嬉しいと感じたのか、レマは胸元をギュッと握る。


「……ハァ。付き合いきれるか。こんなところで無駄な問答して時間を浪費したくはない」


「何がムダなのよ!」


「もういい。解った。この件は終わりだ。

 あのグレムリンは元々の命令で掃討する予定だった敵だ。それを倒しただけ…そう判断しよう。それで満足だろう?」


 根負けしたヘジルが肩をすくめて言う。断罪するよりも、植神を得る方が優先だと考えたのだろう。

 セリク、フェーナ、ブロウは嬉しそうに笑った。対して、レマとウラーゼルは驚いた顔をしている。


「良いのですか?」


「別に良いも悪いもない。別の任務を遂行している僕には、これを報告する義務はなかったことを思い出しただけだ。

 そもそもここの管轄は正規軍であって青年兵団じゃないしな。報告を怠ったと責められるのは、異常にまるで気づかなかった正規軍の方だ」


 やけに言い訳じみでいると、ばつが悪くなったのか、ヘジルは落ち着かなさそうにツルをさする。


「もし仮に猊下が罪の意識を感じているならば、巡回兵にでもありのまま話せばいい」


「そう…ですか」


 俯いたウラーゼルを見て、ヘジルは眉を寄せる。


「フン。仮に告白したとして、処分されるのはレマだけだと思うぞ」


「え?」


 ウラーゼルは眼を見開く。


「この非常時だ。ストス村の有権者であるウラーゼル枢機卿を排斥するのは、手間がかかる上に損益の方が勝るだろう。ならば枢機卿の罪は不問にし、一般人のレマを首謀者として投獄でもした方が手っ取り早いし影響がない」


「な、なんですと…」


「そんなヒドイ!」


 フェーナが喰ってかかるのに、ヘジルは迷惑そうに軽く払う。


「別に僕の判断じゃない。貴族の体面や政治的なことを考えると、そうなるだろうという話だ。

 罪の度合いも、情状酌量の余地があったとしても、枢機卿を最初に騙したのはレマだからな。そこが争点となるだろう。

 そうなると、むしろ枢機卿が被害者とされる方があり得る」


 それすらレマは覚悟していたのか、何も口を開くことなく頷く。

 セリクは首を傾げる。どう考えても、レマも被害者だ。それなのに、こんなにも扱いが違うのか疑問だったのだ。


「ならばどうすれば…」


 ヘジルは怪訝そうにする。その眼は“本気で言ってるのか?”と言っていた。

 ただの神官としてだけでなく、帝国の裏表激しい貴族社会で生きて来た経験もあるウラーゼルだ。通常なら理解に及んでいただろうが、強い自責に苛まれているせいで冷静な思考が出来ていないのだった。


「…だから、沈黙こそがウラーゼル枢機卿の罰なんだろう」


「…え?」


「正当に裁かれることなく、レマのために一生罪を背負ってこれから生きていく。信仰者としてこれに勝る罰もないだろうな」


 ウラーゼルは拳を握り締める。確かに、正義感強い信仰の徒として、自らの罪を告白すらできないのは最大の断罪と思えた。


「レマ…」


 自分を慕ってくれる少女の顔を見て、ウラーゼルは顔を歪ませる。


「ご主人様の……なさりたいようにして下さい。私はどんなことになろうと受け容れます」


 力なく微笑むレマに、ウラーゼルは嗚咽を漏らして咽び泣く。

 ウラーゼルはこの時に決意した。彼女ために、その罪を墓場にまで持っていくことを。


「…フン。だから、敬虔とか言う信者は嫌いなんだ」


 ヘジルはやれやれと肩をすくめるが、フェーナは感心したように頷く。


「なんだ?」


「いや、ちゃんとヘジルって……考えているんだなぁと思って 」


「……君たちが考えなさすぎなだけだ」


 何とも言えないような顔をして、ヘジルは小さく答えた。


「オウ! そうだ! ウラーゼルのオッサン! 言っておくがな、この件があったからって、レマを…」


 ブロウは何かを思い出したように拳を握り、泣いているウラーゼルの前に顔を近づけて凄む。


「もちろん、大丈夫ですとも。解っておりますよ。ブロウ様」


 ハンカチで眼の回りを拭い、ウラーゼルは深く頷く。


「レマには今まで通り、この屋敷で働いてもらいます。

 私もレマがいなければ困りますからね。クビになんてしませんとも」


「ですが…私は…もう……」


 自分は仕えるべき主人を騙した挙げ句、危険にまで晒させたのだ。仮に裁かれることがなかったとしても、これ以上は屋敷に居られないと、それどころか村を出る覚悟でレマはいたのである。


「もちろん、レマが嫌でなければの話だけれどもね」


 そのウラーゼルの困ったような笑みは、レマに騙されたことよりも、自分自身が冷静な信仰を保てなかったことを恥じているように見えた。

 偽りの神を信じて盲信に陥っていただけであり、そうでなければ理解力のある柔和な老人なのである。


「嫌だなんて、そんな! ああ、ご主人様…」


 主人を見やるレマの眼が徐々に潤む。それを肯定と見たウラーゼルは大きく頷いて、その肩に手をやった。


「こんな不甲斐ない私だ。これからもよろしく頼むよ。レマ」


「はい。これからは精一杯お仕えいたします…。もう二度と、ご主人様を裏切ったりはしません!」


 レマを見るウラーゼルの眼は温かいものがあった。

 家族がいない彼自身もレマのことを孫娘のように感じているところもあったのだろう。だからこそ、罪を咎める気などまったくなかったのである。

 この件は二人にとっては不幸な出来事だったかも知れないが、より絆を深く確かなものにしたようであった…。


「…はあ。それでこれはいつまでかかる? そういう話は後にしてくれ」


 うんざりだとばかりに、ヘジルはやや乱暴に地図を机の上に広げた。


「さあ、さっさと植神の居場所の心当たりとやらを教えてくれ」


「あ! はい! では、お教えします。えっと…場所は……」


 そして、レマは心当たりがあるという場所を、セリクたちに事細かに教えるのであった……。




---




 ストス村の旅立ちの日。

 村の入口までレマが見送りに来てくれる。

 その他、村人たちだけでなく、まるで関係のない宿の客までもが一緒に来て集まっていた。


「ブロウ隊長! また来てくんな! 次はメルシーだけじゃなく、他の肉も用意しておくからさ!」


「ふぉー。ブロウ隊長が居らんと困るのぉ。孫は薪割りなどせんしのぉー。孫を代わりに送り出すから、村にずっと残ってもらいたいぐらいぢゃ」


「オイオイ! 可愛い孫にそりゃねえだろうよ! じーちゃん!

 あ、でも、ブロウさん! 絶対にまた来て下さいよ! それまでには教わったパンチできるようになってますから!」


「ブロウとフェーナちゃんの掛け合いがなくなると、夜に飲む酒も寂しくなるぜ。ありゃ最高のツマミだかんなぁ!」


 口々にかけられる言葉を聞く限り、そのほとんどがブロウの出立を惜しんでいるようだった。握手したり、お互いにその背を叩いたりする。

 土産だと言っては、肉や野菜をそのまま手渡してきて、ブロウだけでなくセリクたちの手荷物も一杯になりそうだった。

 中には生きたメルシーをそのまま渡そうとする者もいたが、旅の邪魔になりそうなものは丁重に断る。フェーナが心底残念そうに項垂れた。

 おばさん方はセリクを見て、「もっと食べなきゃダメよ」などと言ってポケットにまで菓子類を詰め込んでくる。

 村娘の中には、ヘジルに手紙を渡す者もいたが、ヘジルは無表情に受け取ってポケットにしまった。が、後にも読む気がないであろうことはセリクには何となく解ってしまう。

 そして、なぜかフェーナにサインを求める者もいたが…。その直後にチョークスリーパーをされるあたり、どんなことを言ってサインを求めたのか知れるだろう。



「…ブロウ様」


「オウ! 元気でな、レマ。また来るからよ!」


 泣きじゃくる小さな子供一人一人の頭をなでつつ、ブロウはレマに向かってニカッと笑う。

 レマはペコリとお辞儀をし、初めてニコッと笑ってみせた。あまりに可愛らしい笑顔だったので、セリクもヘジルも眼を丸くする。


「セリクゥッ! いま、鼻の下のばしたでしょ!!」


「え!? そんなことないよ、誤解だよ!」


 フェーナに耳をつねられ、セリクは慌てて逃げる。周囲に笑い声が響いた。


「本当に皆さん。お世話になりました…。どうか、お気を付けて、旅を続けて下さい」


 そう言って、レマは再び深く頭を下げる。

 セリクたちは温かい見送りを感謝しつつ、その場を後にしたのだった……。



 村からかなり離れるまで、レマだけはずっとその場所で見送りを続けていた。

 その表情が見えなくなるほどの所まで来てから、フェーナが口を開く。


「…レマさん。良い人だったねぇ」


「オウ。良いヤツだぜ。俺様が怪我した時には必ず手当してくれたしな。魔物退治から帰った後は、わざわざ声をかけに来やがんだぜ。真っ暗になった夜中でもな」


 フェーナはニンマリと笑い、腕を組んでコクコクと頷く。


「だよねー。美人だしね。エキゾチックっていうの? あまりガーネットじゃ見ないタイプの顔だしねー。不思議な魅力タップリよねー」


「オウ? ああ、まあ俺様みたいな日焼けしたわけじゃないのに、肌が少し黒いしなー。珍しいっちゃ珍しいよな?」


「スタイルも最高だったわよねぇ。胸だってボリュームあったし、足首とかチラッと見えたけど細かったしねぇー。

 いいなー。ああいう人がお姉ちゃんになってくれたら自慢よねぇー」


 やたらとべた褒めするのに、さすがの鈍感なブロウも違和感を覚えたようだった。

 『何が言いてぇんだ?』と疑問符の浮かんだ顔で、セリクとヘジルに助けを求めるが、二人とも解らないと肩をすくめてみせる。


「ぶっちゃけ! お兄ちゃん、レマさんと離れて寂しいでしょう!!」


 行く道を遮るように立ち、人差し指を突きつけ、フェーナがブロウに迫る。


「オウ!? いきなり何言ってんだ、オメェ?」


 驚くブロウに、フェーナはニヤニヤと得意の笑顔で迫る。


「まーたまた! レマさんの最後のあの眼を見た? ずっと怪しいと思ってたのよねー。あれは、絶対に、間違いなく、お兄ちゃんに惚れてる眼よ! 乙女の熱視線よ!」


「惚れているだぁ?」


「熱視線……レマは魔物か」


 まったくそんなことを意識してなかったのか、ブロウは頭をガリガリと掻く。

 ヘジルが遠い眼をするのに、セリクは眼からレーザーを出してるレマの姿を思い浮かべてしまった。仮にそんな攻撃をしてきたら勝てなかったかも、と。


「フェーナ。あまりそういう決めつけは良くないと思うんだけど…」


「セリクはいいの! セリクは黙って私だけ見てれば万事OKよ!」

 

 セリクにはウインクで答える。それは有無を言わさない絶対命令のような力があった。セリクは口を縫い付けられたような気がする。

 こうなったフェーナの暴走は止まらない!

 ヘジルは一歩横にずれた。この騒ぎには関わるまいとしての判断だ。


「お兄ちゃんの恋愛問題! 妹としてはとーっても心配なの!

 お兄ちゃん、ニブチンでしょ。ちょっとおバカでしょ。空気読めないでしょ。うん。これじゃ、レマさん可哀想!

 私がレマさんなら、今すぐにでも引き返して来てもらいたいわね!! うん、コレ絶対! 女の子からしたら、こんなあっさりとした別れなんて悲しすぎるしぃ!!」


「お、オウ?」


「ああ、走って戻ってくるお兄ちゃんに驚くレマさん…『どうしたの? ブロウ様?』」


 レマを真似しているのか、若干声を高くし、手を合わせてフェーナはお辞儀してみせる。

 何度もパチパチ瞬きをして潤む眼を現そうとしてるが、切れ目がちのレマの表情に似てるとはお世辞にも言えなかった。


「…息を切らすお兄ちゃん。『すまない。レマ。俺としたことが、大事なものを忘れてたようだぜ』」


 わざわざ向きを変え、気取った低い声でそう言う。

 ブロウの顔真似をしてるのか、眉間にシワを寄せ、眉尻を上げて、苦悩の表情を作り、肩で息をつく真似をする。

 こめかみに指を当てて、反対の手では腰を抑えているが、今までブロウがそんなポーズをした試しはない。


「『え? 忘れ物…それは大変。屋敷でしょうか? すぐに私が取りに戻りますわ。何をお忘れになったのでしょう?』」


 三人は硬直したまま、その一人芝居を見せられ続ける。


「『オウ。安心しな。…忘れ物はここにあるからよ』」


 腰に手を当てたままの偽ブロウが、親指と人差し指でクイッと何かを上げる真似をする。位置的に、偽レマの顎に触れたのだろうと察する。


「『え?』」


 頬を赤らめる偽レマ。


「『俺の忘れ物は…レマ。お前さ』」


 ニヤリと笑って眼をつむり顔を近づける偽ブロウ。

 もう説明するまでもないが、今までブロウがそんなことをやったことはないし、また口調も違っているのだが、フェーナの頭からはそんなことはすっかり抜け落ちているようだった。


「…って言って、最後にチュー!! イヤぁー! ハズカチー! もう。カッコよすぎる展開なんですけど! お兄ちゃんのくせに!!」


 一人で照れているフェーナに、ブロウは何故かバチンッ! と、平手で殴られる!

 わけが解らないという顔で、頬を赤くしたブロウはあんぐりと口を開けていた。


「さあ、戻りなさい! お兄ちゃん! 戻って、レマさんに告白してきなさい!」


「な、なんでじゃー!?」


 そうブロウが叫ぶと、再び妹によってビンタの制裁が下される。


「…フェーナはいつもこうなのか?」


「うん。時たまに、ね…」


 静観していたヘジルが問うと、セリクは頬をかきながら苦笑いする。

 そんなわけの解らないまま、妹に急き立てられ、クラウチングスタートの構えをとらされるブロウ。

 面倒くさそうにしながらも、それをヘジルが止める。


「なによ!? 邪魔しないでよ!」


 怒り狂うフェーナに、若干怯えつつ、ゴホンとヘジルは咳払いをする。


「……いや、たぶん。レマに恋愛感情はないと思うぞ」


「なんですって!?」


 その表情は夜叉さながらだったが、平手打ちが来ないことからまだ話を聞く余地はあるようだった。


「僕が思うに、レマはずっとブロウに助けを求めていたんじゃないのか…」


「は?」


「あのグレムリンが来たっていうのは、ブロウがストス村を助けに向かう少し前のことだろうしな…」


「それって、どういうこと?」


「ブロウ。魔物の残党を退治した後、村に戻ってきた時のことを覚えているか?」


「オウ? 最初の頃か?」


「ああ。いや、それは別にいつの時でもいい。魔物を倒した後、レマはどんな話をしていた? 戦闘に関することは言っていなかったか?」


 ヘジルに問われ、ブロウは少し時間をかけて思い出してから答える。


「オウ…。戦った魔物の強さとか、人質がいたらどう戦うのかとか…確か、そんな話だったと思うぜ」


「…レマは戦いに興味がある風だったか?」


「? いや、楽しそうに聞いてた感じはしなかったぜ。なんでレマがそんなことを聞くのかは不思議だったんだけどよぉ」


「…やはりそうか。レマはいつも何か言いた気にしてなかったか? 言い辛そうにしていたところがあっただろう?」


「……オウ? 言われてみれば、な。なんか、俺様と話していると…最後に何か言いたそうにしてたような、してなかったような。んなの、よく覚えてねぇよ」


 そこまで聞いて、ヘジルは大きく息を吐き出す。


「近くでグレムリンが監視していたとなれば、ヤツに気取られないように、自分の危機を伝えたかったんじゃないのか。今の話を聞く限りじゃ、率直な言葉は避けて話しているように思う」


「本当のことは話せない…はずだよね。俺たちにも何か言いたそうにしてたし」


「僕がブロウだったとしたら、レマは『私を助けて』と言っている……そう感じただろうな」


 フェーナはがっくりと肩を落とし、ジト眼でブロウの顔を見やる。


「…お兄ちゃん。レマさんに毎回、そうやって話しかけられてまったく気づかなかったの?」


「お、オウ! な、なんだよぉ! 俺様に助け求めてんなら早く言えばいいじゃねぇか!」


「馬鹿が…。家族を人質にとられている状況でそんな危険な真似をするか。ハッキリ言えるものならとっくに言っている」


「じゃあ、最後のあの眼は…」


「『とうとう最後の最後まで気づいてくれませんでしたね。でも、ありがとうございます』…ってところが妥当じゃないか」


「命の恩人だもんね。そら面と向かっては言えないわ」


 ブロウは気まずそうにしながらも、腰に手を当てて笑って誤魔化す。


「…もしかして、ブロウがグレムリンに気づいていたら、あんな戦いにならなかったかも知れない?」


 セリクが尋ねると、ヘジルもフェーナも大きく息を吐き出して頷いた。


「間違いなくそうだな」


「間違いなくそうね」


 三人の冷たい視線を浴びながらも、ブロウは高笑いを続けている。


「まあ、皆が無事だったんだから結果オーライじゃねぇか!

 オラ! そんな昔のこと言ってっと、置いてっちまうぞ!! さっさと行くぜッ!!」


 そんなことを言って、ブロウは目的地に向かって一足早く走り去ったのだった……。

 三人には、まるでそれはストス村……何よりもレマから早く遠ざかりたいようにしか見えないのであった。

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