69話 平和な村に現る創母神?(1)
屋敷を出てから、外壁の周りを沿うようにしてグルリと回って行く。
誰かにつけられているなどとは思っていないのか、ウラーゼルは一度も振り返ることもなかった。
そして、裏にある雑木林の中を行き、物置と思わしき小さなレンガ造りの建物の前で立ち止まった。
「あそこは…」
「ああ。地下書庫だな」
セリクは知らなかったが、ヘジルは初日に地下書庫の場所がどこかを教えてもらっていたのである。
「鍵がかかっているんだろう?」
「フン。だから、僕は怪しいと言っているんだ。何年も昔に無くしたというならば、なぜもっと前に鍵を作ろうともしなかったのか。言われてから、初めて対応するなんてお粗末すぎる」
そう言われてみれば、確かに不自然だと思う。
必要ないから作らなかったと言えばそれまでだが、管理している者としてはあまりに無責任である。
ましてやガーネットの歴史が刻まれた重要な品を保管しているのだ。書庫の入口を壊そうと話した時、慌てたウラーゼルの様子からしても大事なものがある場所である。
ウラーゼルが中に入るのを見届け、しばらく待ってから後を追いかける。
扉を開くと、カビくさい臭いが漂う。長い石階段が暗闇の中に続いていて、ぼんやりと奥が光っていた。光っているのは、きっとウラーゼルの持つカンテラだろう。
明かりを持つわけにはいかなかったので、二人は足場を探るようにして慎重に階段を下りて行く。
ようやく一番底に辿り着くかと思われた時、ヘジルは口元に人差し指を当て、屈んで様子を見やる。
「…燭台に火をつけたのか。ここは行き止まりのはずだが」
もしかしたらウラーゼルがいるかも知れないと、警戒したまま下りていく。
階段が終わるところは少し拓けた場所になっていて、前に鉄の扉、左右に燭台があって両方に火が灯してあった。状況から察するに、ウラーゼルが灯したのだろう。
「この扉に鍵がかかっていたんだ」
「え? ということは…」
ウラーゼルがここにいないということは、考えられるのは扉の奥に入っていったということだ。
「嘘をついていたということ? なぜそんなことを?」
「さあな。ただ、この扉の先に入れば理由が知れるだろう」
ヘジルは迷うことなく、扉のノブを掴んで回す。やはり鍵はかかっていなく、すんなりと扉が開いた。
中に入ると、そこは大きな部屋となっていた。
普段から閉めっきりのせいか、さっきよりも埃っぽさとカビ臭さが余計に感じられる。
帝国のシンボルが描かれた絨毯、低い天井の中に狭い間隔で並べられた本棚。ギッシリと古い本が詰め込まれ、入りきらないものは脇に山積みに重ねられている。
「だ、誰だ!?」
本棚の間から、ウラーゼルが慌てて飛び出してきた。そして、セリクとヘジルを見るやいなや顔色をなくす。
「な、なぜヘジルさんたちがここに…」
「猊下。これはどういうことでしょうか?」
狼狽えるウラーゼルを責めるようにヘジルが問う。
「こ、これをあなたがたに……知られるわけにはいかんのです!」
そう言いつつ、ウラーゼルは懐に手を差し込む! 武器をとるものと思ったセリクもヘジルも身構えた。
「ベル?」
ウラーゼルが取り出したのは武器ではなかった。銀色をした小さなハンドベルだったのだ。
「ただのベルではありません! これをお聞きなさい!!」
振ると、リーンという高い音が地下室に反響した。
それを聞いた瞬間、セリクもヘジルも手に力が入らなくなる。
「な、なんだこれ…」
「それは、メルシーを誘導するためのベルか…。だが、なんでこんなものが僕たちに影響を与える?」
「フォホホ。野生のメルシーを家畜化する際、凶暴性を抑えるのに使うのが『狂乱仙』というこの薬です」
ウラーゼルは、黄色っぽい液体の入った小瓶を出す。
「狂乱仙? …クッ、体内の気を乱す薬か!」
「そうです。野生のメルシーは、この薬で魔気を不安定にさせ、徐々に邪悪な力を削いでいくのです」
まるで信者に説法でもするかのように、ウラーゼルは手振りを交えて説明しる。
「このベルの音は気を掻き乱す波長を出します。健常者ならば効果は微々たるものですが、薬の影響を受けているならば、相乗効果で立つこともままならなくなる…こういう仕組みなわけですよ。
こうして、狂暴なメルシーを、大人しい家畜にと調教していくのです!」
再びベルを振ると、さらに力が抜けてしまう。セリクは剣を持つのも辛いぐらいだった。
「…おかしいですねぇ。効きが浅いですな。普通であれば、二回目のベルで気絶するはずですが…。
やはり、薬の摂取量が少なかったせいですかね」
「摂取?」
「私のお淹れした茶の味はいかがでしたかな?」
ウラーゼルが笑うのに、セリクはサッと青ざめる。
「やたらと食事を勧めたのも、こうやって毒を盛るためかッ」
「ええ。あまり大量に投入すると苦みがでるので解ってしまいますから…。十日ほどかけて、ゆっくり薬漬けになっていただこうと思ったのですけれどね」
屋敷での食事を勧めたり、わざわざ外まで飲み物を持ってきて飲ませたりさせようとしたのは薬を投与するためだったのだと理解する。
その為に十日間……鍵屋が辿り着くまでそれまでかかるという嘘をつき、セリクたちを引きとめておく必要があったということなのだ。
「ウラーゼル枢機卿! なぜこんなことを!? 自分が何をしたのか解っているのですか!?」
ヘジルがそう言いながら、召還の準備をする。だが、上手く紅玉石に意志を伝えられないようだった。震える指先を見てチッと小さく舌打ちをする。
「なぜ? それは、こちらの台詞です」
「なんだと?」
「神に仕えるはずの帝国軍こそ、そのような“悪魔の子供”に誑かされて、何をするつもりですか!?」
ウラーゼルはギロリと、セリクを睨み付ける。
「悪魔の子……」
レノバ村でさんざんに言われたことを思いだし、セリクは胸の奥がズキリと傷むのを感じた。
「誑かされるだと? 何を言っている?」
「フォホホ! 私は全てを知っています! 信仰に生きる私に、邪悪な魔王の企みについて、神がすべてをお教え下さったのです!!」
「なんだと? ウラーゼル枢機卿、気は確かなのか?」
まったくもって意味不明なことをまくしたてるウラーゼルに、ヘジルは唖然とする。
「……やはり、こうなってしまいましたか」
静かな女性の声が、暗闇の奥で聞こえる。
それが聞こえた瞬間、ウラーゼルはビクッと震え、その場に平伏した。
「も、申し訳ございません! まさかこの子供らが起きているとは露知らず! ここに立ち入られてしまったのは私の失態ですぅッ!!」
「すべて解っております。あなたの過ちではありません…」
闇からその声の主が姿を現す。
水色のローブを眼深くかぶり、金の輪を腕に巻いた若い女性だ。
「確かに望ましい結末ではありません。ですが、いずれにせよ……こうなっていたのでしょうね」
「誰だ?」
セリクが尋ねると、ウラーゼルは青白い顔でブンブンと首を横に振った。
「悪魔の子め! 不敬だぞ! この方こそは、創母神マリン・ホロス様であらせられる!」
「創母神、だと!? 最高三大神がこんなところにいるはずがない。何を馬鹿なことを!」
ヘジルが眉を寄せて否定する。最高三大神は神界凍結によって身動きがとれないのだ。この地上にいるわけがなかった。
「ええい! 黙れ!! なんと不信心なヤツよ! 私はお会いした瞬間、すぐに解ったぞ!」
ウラーゼルが怒り狂うのを見て、セリクもヘジルも戸惑いが隠せない。何をもって彼女が神だと言っているのかが解らないのだ。
「枢機卿、あなたでは話にならない!
その女に直接聞く! 何を根拠に自分を創母神だと言うんだ!?」
「おお! なんと罰あたりな!」
ヘジルが指差すと、ウラーゼルは血相を変えて土下座した。代わりに謝罪するつもりのようだ。確かに、相手が神であれば不遜な行為だろう。
「……説明する必要はありません。
ここは、大人しくお退きなさい。戦うつもりはありません」
静かにそう答えたのだが、フードの下に隠れた表情は苦悶しているように見えた。唇がわずかに震えている。
「僕たちが退く理由もない!
そもそも神であるならば、僕たちの邪魔をする意味が解らない。僕たちは召還神を得るためにここまで来たんだ」
裏切り者だと言わんばかりに、ヘジルは冷たい視線をウラーゼルに送る。
「“ショウカンシン”? …それが神の力なのですか?」
「? 裁定神パドラ・ロウスによる神告だ。僕たちは神の命令を実行しているんだぞ」
「…なんにせよ、この場所にいてもらっては困ります」
「なぜだ? ここにある資料に何かあると言うのか?」
「答える必要もありません。あなた方が欲している物などありはしないのです。
戦うのは不本意ですが、致し方ありませんね…」
「おお、マリン・ホロス様! 彼らの不信心をお許し下さい!!!」
ウラーゼルが懇願するのにも耳を貸さず、女性は両腕を交差させる。
「なに!?」
交差させた手首から、回転する水球が生み出される!
そして回転は徐々に速まり、水のボールはみるみるうちに大きくなっていく!
「『アクア・スプラッシュッ!!』」
「危ない! ヘジル!!」
限界ギリギリまで大きくなってビリビリッと震動したかと思いきや、大きく弾け飛ぶ!!
セリクはヘジルを引っ張り、階段の方に飛び退く。間一髪、弾け飛んできた水に当たることはなかった。
「クッ! 水の力…だと!?」
「見たことか! これが、創母神なるマリン・ホロス様の御神力よ!!」
まるで我が事のように、ウラーゼルがマリン・ホロスの後ろではしゃいで言う。年甲斐もなく、まるで子供が玩具を自慢しているかのようだった。
「ハァ…ハァ…」
女は荒い息を吐いている。それでも、再び水球を生み出そうと腕を交差させていた。
「この狭い場所じゃ不利だ! 一度、退こう!」
「クッ。確かにそうだな…。ここではあの飛び散る水弾は防ぎようがない」
逃げ道がないところで狙い撃ちにされたらひとたまりもない。セリクとヘジルはひとまず部屋から逃げ出す。
後を追ってくる様子はなく、何やら会話しているのが聞こえてきた。
「……ええ!? なんですと!? そんなご無体な!!!!」
階段を駆け上がっている途中、ウラーゼルの悲痛な叫び声が響き渡る。
「ここには貴重な書物が…ああ、おやめください!!!」
何事かと視線だけ振り返ると、焦げ臭い臭いが辺りに立ちこめる。
「まさか! 嘘だろう!? 火をつけたのか!?」
ヘジルが驚きの声をあげた時には、地下の方からモウモウと煙が立ち込めていた。
書棚に火をつけたのは間違いないようだった。ウラーゼルが泣きながら咳き込むのが聞こえてくる。
「なんてことをしたんだ! あの女!! クソッ! あそこにあるものが、どれだけ貴重か解っているのか!?」
「でも、なんでこんなことを……」
彼女の言葉から、神々の力に関する書物があそこにあったのだろう。だが、セリクたちにそれを手渡したくなければ隠すことだってできたはずだ。わざわざ燃やす意味が解らなかった。
「フン! それは、あの女が僕たちが何を探しているかを知らないからだろう」
「え? どういうこと?」
「召還神の話を出したとき、あの女はそのことを知らない様だった」
ヘジルに言われ、そういえば明らかに戸惑っていたのを思い出す。
「神様が……召還神のことを知らない?」
そんなことがあり得るのかとセリクは首を傾げる。
「ヤツが創母神マリン・ホロスならば、同じ最高三大神の裁定神パドラ・ロウスの意図を知らないというのは妙な話だろう」
「つまりは…」
「当然、神ではないということだ」
走りながらそんな会話をしているうちに、ようやく外に飛び出る。
その頃には煙はますます勢いを増し、上ってきた階段がまったく見えないぐらいになっていた。
「地下は乾燥しているように感じた…古書を置くからこそ、湿気対策を万全にしてたんだろう。それが逆に仇となったな。
ましてや僕たちが出口を開けっ放しにしたことで大量の空気が流れ込んでいる。火が回るには絶好の条件だ。このままでは残らず灰になってしまう…」
忌々しそうにヘジルは舌打ちをする。だが、眼鏡のツルをさすっていることからまだ何か方法を考えているのだろうとセリクは思った。
ズドオオオンッ!!
「え?」
轟音が地面の奥底から響き、なんだか辺りが揺れたように感じる。
次の瞬間、地面が盛り上がって地面から大量の噴水が巻き上がった!
「ふひゃあああ!!」
叫び声が聞こえたかと思いきや、噴水の上に乗っていたのはウラーゼルだった。
「ゼェゼェ…」
最後に、マリン・ホロスを名乗る女性が水柱から姿を現す。地下からここまで水の力でくり抜き、水流に乗ってやって来たのだ。
水量が少なくなり、ウラーゼルはペシャッとその場に落ち崩れた。水浸しになってぐったりとしている。
その姿を見て、セリクはホッとする。もしかしたら火に巻き込まれてしまったのではないかと気がかりだったのだ。
「…あの人が神様じゃないとしても、この水の力はなに?」
セリクが問うと、ヘジルは眼を細める。
「確かに創母神マリン・ホロスは“大海なる母”と呼ばれることもあるし、水を司っているとある」
「なら、やっぱり…」
「いや、だがそれはあり得ない。あの女からはまったく神気が感じられないしな」
紅玉石をかざしてヘジルが言う。薬の影響はほんのわずかだったようで、今は紅玉石が煌々と光っている。ハンドベルさえ鳴らされなければ、ほんの少しの時間で力が戻るようだった。
聖獣を操るヘジルであれば、神々のもつ神気を感じられないはずがないのだ。神気をまとっていない以上、彼女が神である可能性はないのである。
「あの女は…」
「『バブル・スティッキー!』」
ヘジルが説明している途中で、女性がそれを遮るように攻撃を放つ! 交差した手首からポワポワポワッと泡状のものを幾つも飛ばした!
「なんだ、これ!? でやッ!!」
ゆったりと迫りくる泡は、二人を囲むように飛んでくる。
セリクは突破口を開こうとして、剣でおもむろにそれを叩き割った!
泡はいとも簡単にパチーン! と弾け飛び、その飛沫が他の泡を割り、連鎖して次から次へと割れていく!!
「うっ!? 剣が…」
泡を割ったことで、剣に粘着性のものがへばりつく。
ガムのようなそれは、あちこちに飛び散り、地面や身体だけでなく、ありとあらゆるところに、蜘蛛の巣のようにまとわりついた。
「それ以上は攻撃するな! 僕たちの動きを止めるためのトラップだ!」
そう言うヘジルにもそれがへばりついている。
攻撃すると飛び散り、動きを封ずる役目を果たすようだった。
「このままじゃ…」
遠距離攻撃が使えれば打開できるだろうが、今はフェーナがいないとセリクも『衝遠斬』を放つことができない。
ヘジルも召還を行うタイミングを計っているが、周囲に泡を撒かれているせいで下手に呼び出せないでいた。呼び出した地点の泡が弾けてしまったら、その場で動けなくなる可能性があったからだ。
「…ゼハァ、ゼハァ」
幸いだったのは、これ以上の攻撃をしてこなかったことだ。いや、してこないと言うよりも出来ないと言った方が正確だろう。今の技を出すのに、かなり消耗した様で、膝が震えていて立つこともやっとの有り様だった。
「フン。人間相手に使いたくはないんだが…」
ヘジルはウエストバッグから、細長い金属の塊を取り出す。ネバネバのついていない右手だけで器用にガシャンと動かすと、それは小型のボウガンになった。
照準を合わせると、明らかに殺傷能力が高い飛び道具を前にして、女性はゴクリと息を呑んだ。今の疲弊しきった状況では避けることすら困難なのだろう。
「ヘジル!」
セリクが非難の声をあげると、ヘジルは軽く肩をすくませる。
「安心しろ。別に当てるつもりはない。ただこのまま黙ってやられるわけにもいかないからな。
そして、戦い方を見て確信した。ヤツは……」
「オウ!! なにやってんだオメェら!!」
「セリク! ヘジル! 大丈夫!?」
話を途中で遮られ、ヘジルは苦々しい顔をする。
ブロウとフェーナが森の中から飛び出してきたのだ。
「ブロウ!? どうして…」
「オウ! あんなデッカイ水が噴き上がれば、誰だって気づくぜ!!」
「ウソばっかり! 私が気づいて起こさなきゃ、お兄ちゃんずっとグースカ寝てたでしょ!!」
そんなやり取りをするランドル兄妹だったが、すでに臨戦態勢でいた。
「オウ。あそこのずぶ濡れになったブタみてぇなのは何だ? 魔物かよ?」
人間扱いすらされなかった枢機卿だが、本人は白眼を剥いて気絶しているので聞こえていなかった。
「ん? それになんだ、あっちの変な女は? こんな村にあんなヤツいたか?
わっけわかんねぇなぁ。オウ。いったい全体なにがどうなってんだよ?」
「…ブロウ、様」
ブロウの登場に、女はかなり驚いているようだった。口元がフルフルと震えている。
「いま助けるからね!」
「ダメだよ! 触っちゃ!」
セリクの制止も空しく、フェーナは両手で掴んでしまう。
「…えっと、なによ、これ? トリモチ?」
懸命に引きちぎろうとするが、半透明なそれはビョーンッと延びるだけだ。取れるまでに時間がかかりそうである。
「ブロウ。説明する時間が惜しい。いま動けるのはお前だけだ」
「オオウ? なんかよく状況はわからねぇが、とりあえずあの女が敵なわけだな?」
ヘジルが頷くと、ブロウはニヤリと笑って拳を合わせる。
「だが、俺様は女を殴る拳はもってねえかんな!」
「そんな悠長なことを言ってられる状況じゃないぞ」
「どういう事情があれ、そこんとこは譲れねぇぜ! こんな物騒なモン使わず何とかしようぜ」
ブロウはそう言うと、ヘジルが構えていたボウガンを上から抑えて照準をずらす。
「……戦いは望んでいません。お願いですから、退いて下さい」
震えがより酷くなり、女性は限界のようだった。今にも倒れてしまいそうだ。
「なら…」
「こちらは退く気は一切ない! 戦いを望まぬと言うのであれば、この力を解除しろ!」
セリクが口を開く前に、ヘジルが答えてしまう。
相手に戦う気がないのならば、もっと別の条件で話はできないだろうか…と、セリクは思ったのだ。
「クッ…。あなたちをここで止めなければ、私は…私は!!」
交渉の余地は無くなったと言わんばかりに、悲痛に叫び、女性は両手を交差させる。
そうして、周囲に漂っていた泡を一ヶ所に集める。それは強大なシャボン玉となった!
「……この大きさならば、素早いブロウ様でも…止められるはず!!」
「なんだこりゃ?」
「気を付けろ、ブロウ! その泡を下手に攻撃すると、僕たちのようになるぞ!」
ネバネバに阻まれた二人を見て、ブロウは鷹揚に頷く。
そして、半身となり、ザッと地面を蹴って両足を開いた。
「あの人、どうしてお兄ちゃんの名前を…」
「うん。それにブロウの戦い方も知ってるみたいだ。もしかしたら知り合いなのか?」
セリクたちの疑問を余所に、戦いは始まってしまっていた。
巨大なシャボン玉は、回り込めないほどの規模で、ブロウと女性の間に立ちはだかる。それはゆっくりと前進し始める。このまま割れれば、全員が粘着液を浴びることとなるだろう。
対するブロウは、いつにない真面目な顔つきでシャボン玉を睨む。
「スゥゥゥゥー」
細く深く息を吸い、身体をゆっくりと沈ませた。途端、ブロウの身体をレモン色をした輝きが包み込む。
「え? 戦気?」
デュガンやシャインの放つそれと似ていると思い、拳闘士も戦気が出せるのかとセリクは驚く。
「いや、戦気じゃない。よく見ていろ」
ブロウは何度も深く呼吸を繰り返す。よく見ると、自分の周りに漂っている戦気を吸い込んでいるのだ。
「なんだ?」
「あれが拳闘士の扱う『闘気』だ。
剣刀士は“戦気を武器に集めて放つ”。だが、拳闘士に至っては"戦気を体内に取り込むことで自ら肉体を強化する"ことができる」
ブロウの体内に取り込まれた戦気は、体内で練られ、細かい針状のエネルギーとなって身体の表面を覆い出す。
「闘気は、戦気のように集めて放つようなことはできない。つまり遠距離攻撃などはできないんだが、その分、接近に置ける通常攻撃を何倍も強化できる…」
輝く闘気をまとい、ブロウは地面を蹴って掌打を繰り出す!!!
「ウオラァ!! 闘技『震発剄掌!』」
大きく叫ぶのとは裏腹に、繰り出した掌打はシャボン玉の表面をパッチン! と、軽く打ち叩いただけだった。
しかし、しばらくして大シャボン玉はブルブルッと大きく震え出す。ブロウの打ったところから波紋を描き、ザワザワと蠢き、そしてそれが全体へと広がって、四方八方へ弾け飛ぶ!!
弾け飛んだことで粘着液が飛び散ると思いきや、まるで霧雨のようにサーッと降ってきた。まるで粘着質を失ってしまい、ただの水のようになってしまったのだ。
「え? どういうこと?」
濡れながら、セリクはキョトンとした顔をする。
「わからねぇ! だが、ガッハッハ! 俺様はスゲーってことだ!!」
やった本人もどういうことなのか解っていないらしく、腰に手を当てて笑い出す。ただこういう結果になるということだけは解っていたような雰囲気だ。
「……本当に馬鹿なのか。
ブロウの『震発剄掌』は、物体の“内側から細かい振動を与える技”だ。これであれば、強い外皮を持つ敵や、鎧を着た敵にも関係なく、内部そのものに直で大ダメージを与えられる」
「よく知ってんな!」
「自分の技の効果も知ってないのか? お前の師匠が軍で説明したことがあったろうが…」
「あー、難しすぎて途中で寝ちまったからなぁ~」
「まったく、お前というヤツは……。
今の場合は、シャボン玉全体に振動が伝わって、粘着を作りだしていた構造部分を上手く壊せたんだろう。よって、破裂した後の粘着性がなくなったんだ」
ヘジルがそう説明するが、三人とも解ってない様子で首を傾げた。
「……ブロウ。お前、なんであの闘技を選択したんだ? 経験則から、あの攻撃に有効だと思ったからじゃないのか?」
「あ? いや、一番最初に教わった闘技だからだな!」
「……そうか。お前に任せた、そして聞いた僕が馬鹿だった」
違う闘技を使っていたら…そう考えてしまい、ヘジルは大きくため息をつく。
ブロウと共に戦うというのは、こういうことなのだ…と、ヘジルは自身の認識を改めたのだった。
「う、うぐ…あ、あ、あぐぅッ!!」
力を使い果たした女性は苦しそうに呻き、口から黒い砂状のものを吐き出し始める。その異様な光景に、誰もが眼を丸くした。
「な、なによ! あの黒いの!! 病気なの?!」
治療をしなきゃと言わんばかりに駆け出そうとするフェーナを、ヘジルが止める。
女性はむせ込みつつ、黒い砂を吐き、肩で息をつく。それでも、セリクたちを止めようという気は微塵も薄れない。
「おお! マリン・ホロス様ッ!! 大丈夫で御座いますか!!? ヒイッ!?」
気がついたらしいウラーゼルが、心配して這うようにして寄ろうとするが、それを拒絶するように水弾を放つ。
「わ、私が止めねば…止めなければ!」
ガクガクと震える指先を賢明に延ばし、再び手首を交差させた。
「オウ。勘弁してほしいぜ。まだやる気なのかよ」
ほとんど戦意を失っていると見て、ブロウは不満気にしながらも再び構える。
「ここで私は! あなたたちを止めてみせるッ!! 絶対に!!」
その並々ならぬ決意を前に、セリクは何が彼女をそこまで駆り立てているのか考えられずにはいられなかった……。
魔物が集う理由、ウラーゼル枢機卿の裏切り、創母神マリン・ホロスを語る女性、燃えてしまった地下書庫……平和だったはずのストス村で起きた怪異の数々。その真相がようやく明らかになろうとしていた。




