59話 悲劇の兆
かなり薄暗くなった通りを、二人は全速力で駆けて行く。
「クソッ。こんな時に…」
「どうしたんですか?」
「まだ頭が痛くてな。情けない」
酔いが残っているせいか、シャインは苦い顔をして頭を振った。
ケーキに使われていた酒で酔うぐらいなのだから、よほど弱いのだろう。それでも走れるだけ凄いとセリクは思う。
「シャインさん。場所さえ教えてくれれば、俺一人でも大丈夫です」
かなり辛そうなので、気を利かせてそう言う。
「そうか。悪い。場所はそう難しくない。中央大通りを、帝国城に出る方から向かって反対側の道にある。居住区の隅にある怪しげな店で、道領国の文字で書かれているからすぐに解るはずだ。
私は車を借りて、帝国城の方に向かうとしよう。この状態で走って行っても時間がかかりすぎる」
「解りました!」
セリクが頷くと、シャインは角を曲がって行った。自警団をやっているぐらいだから、帝都の道は詳しい。近道を通っていくつもりなのだ。
シャインが言っていた怪しげな店、仙人屋は言葉通りすぐに解った。
大通りに面してるのに、ビルの影になってしまい、すぐ側には裏路地に続く道がある。どうにも陰気な場所で、ひっそりとやっている感じがでていた。
周囲の景観を無視した和風の一軒家に、道領文字で書かれた看板。割れた瓦を掃除していて途中でやめたらしい竹箒が無造作に立て掛けられ、その横で大きな猫の置物がクイクイッと手を動かして客を招いている。こんな店は帝都を探しても一件しかないことだろう。
「失礼します!!」
扉をバンッと開いて飛び入る。入った瞬間、数々の生薬のニオイが鼻を突いた。
奥の座椅子に着き、ゴリゴリと薬草を擂っていたフォンは、長い眉をピクリと動かす。
「騒々しいのぉ? 何事ぢゃね?」
「あ、あの! フォン先生ですか!? 俺の、俺の友達が!!」
フォンはセリクの顔を見て、ははーんという感じに頷く。
「おんや。あの悪龍と戦っておった坊主ぢゃないか…。友達というと、あの治癒師の嬢ちゃんのことかな?」
どっこいしょっと言いながら、フォンが立ち上がる。
「フェーナを知っているの?」
「知人っていうほどぢゃないがのぉ…。んまあ、顔見知りではあるな。
ホホホ。戻ってきたのなら、坊主を連れてワシの所に来いと言うておったが…。どうにも本人だけが来おったようだの。因果なもんぢゃ」
「どういうことですか?」
フォンはセリクの眼を覗き込み、フゥムと呟いて頷く。
「さておいて、それどころぢゃないんぢゃろう?」
「え? あ! ええ、フェーナが! フェーナが倒れてしまったんです!!」
「ふむ、倒れた? もしや高熱が出ておるか?」
フォンが少し怖い顔して尋ねる。セリクはコクコクと何度も頷いた。
「…あの嬢ちゃん、治療にどれくらい癒しの力を使った? 帝都に出てからぢゃ」
「え?」
「いいから早く答えるんぢゃ!」
フォンに言われ、セリクは慌てて勘定する。
「えっと正確には覚えてないですけれど…。少なくとも、重傷の人を一人治して、敵の攻撃から守るのに何度か盾を出してます。それと俺の力を解放に一度…」
「重傷人ぢゃと?」
「ええ。放っておいたら死んでしまうような…」
「ならば、やはり力の使いすぎで、反動が来たんぢゃな。
ワシの強壮薬は一時凌ぎにしかならん。自覚はあったぢゃろうに。まったく…」
フォンは鞄を持ち、棚に並んだ幾つもの薬を手当たり次第に放り込む。
手当たり次第に…とは、セリクが見て思ったのだが、ラベルをチラッと見ていることからもしかしたら薬を選んでるのかも知れない。
「来てくれるんですか?」
「あたりまえぢゃろ。おーい。悪いが今日はこれで店終いぢゃ。帰ってくれんか?」
フォンが店の奥の扉に向かってそう言う。誰か客が来ているのかと、セリクは首を傾げた。
「…フェーナが倒れたのか?」
暖簾をかき分けて、店の奥からその客が出てくる。その人物を見て、セリクは眼を見開く。
「ヘジル!?」
それは、紐で綴じた簡素な本を数冊もち、怪訝そうな顔したヘジルだったのである。
帝都に戻った際、何も言わずにすぐに別れたので、どこへ行ったのかまったく知らなかったのだ。
「フン。フェーナの容態が悪くなったのが、スベアの治療のせいならば、こちらにも責任があるな。すぐに城の礎気医療班を呼んでやろう」
ヘジルは小型の無線機を胸から取り出す。
礎気医療班と聞いて、すぐにDr.サガラのことを思い出したが、フェーナが助かるのならば嫌いな相手だなんて言ってはいられない。
「ありがとう。助かるよ」
「いんや。必要ないぞい」
「なんだと?」
きっぱりと断るフォンに、ヘジルは不快そうに眉を寄せた。
「気自体の問題であれば、そちらさんの“礎気学なんちゃら”でなんとかなるかも知れんがな。
時代の証人、命のことならば、道領国の方が研究が進んでおるわい」
「“命”だって? フン。前時代的な迷信だな。実証もされていないエネルギーじゃないか」
「そうやって目に見えぬものを切り捨ててしまうから、お前さんらは未だ本質を捉えきれておらんのぢゃよ。
事実、お前さんだって、召還師について調べるためにワシの書物を漁りにきたんぢゃろうに?」
そう言われ、ヘジルはチラッと持っている本を見やった。
「研究が進めば…科学的に説明できるはずだ」
「それまで待っていたら、嬢ちゃんの方が先にくたばってしまうわい。
さ、無駄話は終いぢゃ。さっさと案内せい」
そう言われ、フォンは店を出ようとする。その時、ヘジルがそれを呼び止めた。
「僕のユニコーンに乗っていけ。そっちの方が早いだろう」
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召還したユニコーンに乗り、走るよりも遙かに早いスピードで教会に戻ってくる。
フェーナは自室のベッドで苦しそうに呻いていた。マトリックスが氷水に濡らしたタオルを額に当てたりしているが、効果はまるでなさそうだ。
サラは耳元で励ましの言葉をかけてやってやり、ギャンは落ち着かなそうに部屋の中を行ったり来たりしている。
「おお! 待っておったで!! 医者は連れてきたんか!?」
「うん!」
「ほれ! どいておれ!」
フォンはズイッと進み出て、セリクとギャンを押しやる。
「熱がどんどん上がっているようでして…」
「見れば解るわい。まさか解熱剤などは与えておらんな?」
「ええ。下手に薬を与えてはまずいと思い、何もしていません」
「それで正解ぢゃ。高熱を帯びているのは、紅玉石が自分が処理しきれぬ神気を放っておるからぢゃ。薬で熱を下げても解決にはならん」
フォンはベッドの横に座り、フェーナの瞼を開いて覗き見る。
「やはりな。ワシの与えた強壮薬が切れたことで、肉体に一気に負荷が来ておるのだ」
フェーナが何か小さな瓶を持っていたのをセリクは思い出す。
「なんやて! ジイサンがフェーナになんかを与えたんちゅうんか!」
ギャンが喚き出すが、フォンは何も言わずにガチャガチャと薬箱の中身を取り出した。
「その薬でこうなったんか!? なんか言えや!!」
「ギャン。待ってよ」
「ギャンくん…」
セリクとマトリックスが止めるが、ギャンは怒り冷めやらない様子だった。
「…違う。違うの。私がいけないの」
フェーナが荒い息をつきながら、うっすらと口を開く。
「フェーナ!」
「…喋ると辛いぞい。寝ておれ」
「調子悪いの…私自分で気づいてたんだ。でも、無理して…治癒の力を使ったから…フォンさんのせいじゃない……」
苦しんでいる本人にそう言われ、ギャンは唇を噛んで押し黙る。
「…フン。そうだな。限界を知らずに力を扱うのは当人の責任だ」
扉の前に立ったヘジルがそう付け加えると、フェーナは小さく笑って眼を閉じた。
「な! ちょっと冷たいんやないか!? …って、いったい誰や?」
ギャンが喰ってかかろうとしたが、初対面のヘジルに戸惑う。
「…フォン老師。この症状は一体なんだ? 時代の証人、治癒師だけに見られるものなのか?」
ヘジルが問うと、フォンは手を止めずに首を横に振る。
「紅玉石を体内に持つものならば、皆同じリスクを抱えておるわい」
「フン。召還師でこんな状態には…」
「同じ時代の証人と言っても、紅玉石が蓄えている神気の量は全く異なるのぢゃよ。
告知師であれば、神々の大水晶柱を媒介にしているので僅かな神気を起こすだけで神告は行える。
召還師は、召還そのものは大した量を消費せん。ただ召還したものの本来の力を起こす時だけは、当人の持つ命を使う」
「…伝承の話、か」
「そして、治癒師は……治す相手の症状、人数によって……かなりの命を使うこととなるのぢゃ」
ドカドカッと下で足音がしたかと思うと、息を切らしたシャインが上がってやってきた。
「ハァハァ…。すみません。城で聞いてはみたのですが、この辺りで他には治癒師はいないようです」
「フン。治癒師? 当然だが、城にはいないだろう。ラミティオン自由教義議定以来、ガーネット帝国が把握する治癒師の全てをレ・アーム大教会に送っているんだからな」
「なんですって?」
それを聞いてマトリックスが驚いた顔をする。
「なんだ。イバン教会の人間がまさか知らなかったのか?
レ・アーム大教会が所有する三人の召還師をこちらに引き渡すことを条件に、そういう契約が裏で交わされているんだ」
「治癒師が、それだけ聖イバン教会にとって重要ということぢゃよ」
「まさか…。強引に送られて来られるケースは聞いてましたが、その手引きを大教会か行っていたなんて…」
そんな事実を聞いて、複雑な表情でマトリックスはフェーナの顔をジッと見やる。
聖イバン教会側の人間といえど、末端の派遣神父に、国家同士の政治的画策のすべて教えているはずもない。ましてや帝都に派遣した神父ならば、情報が漏れる怖れを警戒して必要以上の事は教えないのだろう。
「時代の証人の持つ紅玉石ぢゃがな。道領国では“悲劇の兆”と呼んでおる。魔玉石も忌むべきものぢゃが、紅玉石はその比ではないのぅ」
瓶の中に薬を幾つか入れ、匙でかき混ぜながらフォンが言う。独特のニオイが部屋に充満した。
「奇跡を起こす神々の石が、“悲劇の兆”だと?」
ヘジルが小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「そう言っておるのは、神々を盲信している者たちばかりぢゃな…」
フォンはため息を吐き出す。そして、懐から取り出した丸薬をフェーナの口に入れて、混ぜ合わせた薬を水差しで飲ませてやった。
すぐに効き目があるわけないだろうが、それでも心なしかフェーナの表情が和らいだような気がする。
「さて、まあ、これで大丈夫ぢゃろう。炎消仙と鎮静仙を使った特殊薬ぢゃ。
徐々に熱を下げていき、紅玉石が放つ神気が収まるのを待つしか手はない」
皆、ようやく安心した顔をした。場の張りつめていた空気が消える。
「命は戻ることはないが、治癒の力を放たねば、神気の暴走はじきに収まるはずぢゃ。
熱が下がったら、あとはこれを煮出して食後に飲ませい。失った体力もどす助けとなる」
フォンは鞄から薬草の束みたいなのを取り出して、サラに手渡す。そのニオイを嗅いでサラは「うげっ」と呻いた。
「さて、終わりぢゃ。万が一、容態が変わったらすぐに報せておくれ」
安堵した表情で、セリクとマトリックスが頭を下げる。
「本当にいつも世話になるな」
「薬代は今回はツケにしておいてやるが、次回からはたんまりもらうぞい」
シャインに向かってウインクし、フォンは白髭を撫でて笑った。
役目は終えたと言わんばかりに立ち去ろうとしたフォンを、眼鏡のツルをさすっていたヘジルが静かに呼び止める。
「ちょうど良い機会だ。時代の証人について知っていることがあるなら教えてもらいたい」
ヘジルが真剣な表情でそう言うと、フォンは小さく咳払いして周りを見回した。
皆、同じように聞きたそうにしていたので、「ふぅーむ」と言いながら側にあった椅子に腰を下ろす。
「まあ、よかろう。帝国の人間は頭が固いから、あまり話したくはないところぢゃがのぉ」
「フン。しかし、なぜそこまで詳しく知っている? 一般医療の領分とは思えない」
「そう。専門的に治療しておったからぢゃよ。ま、主に魔玉石関係なんぢゃがな。紅玉石とも通じるところがある。
古くから続く道領国の医術に、異端者と時代の証人を取り扱った分野があってな。だから、詳しいというわけぢゃ」
「魔玉石というと、我々の心臓の近くにある石ですか? 確か、これが異端者であるかないかを区別すると聞いたことがありますが…」
マトリックスは自分の心臓の辺りを抑えて言う。ギャンもサラも無意識に自分の胸を見やっていた。
「まあ、概ね正しいのう。魔玉石は血縁のみに転移し、転移した者に適正と、ある一定の気の量があるという二つの条件が満たされんと発動せん。だから、同じ親族でも異端者になる者と、ならん者がおるんぢゃ」
「そ、そうやな。ワイのおとんもおかんも火を吹かんし……確かにそうや」
「ええ。姉妹でも、わたくしだけがこの力を手にしてますし……なるほどですわ」
「魔玉石の仕組みは、一種の“転換増幅装置”ぢゃ。持つ者の気を魔気に変換させて増幅させる効果を持つ。その人物の特性に合わせ、中・大規模の自然現象を引き起こす。
増幅させる力が強いため、暴走しがちぢゃが、それでも本人が持つ気以上のことは出来ないので……まあ、そういう意味では安定しておると言えるかのぅ」
「それは、Dr.サガラも同じ見解を示していたが……。発展途上国の道領国がそこまで知っていたとは」
サガラの名前を聞いて、セリク、ギャン、サラは複雑な顔をする。
「科学者は実利ばかりを追い求め、昔ながらの伝統をないがしろにするからそうなるんぢゃよ」
ヘジルとフォンの視線の間で火花が散ったように、セリクには見えた。
「そして、紅玉石ぢゃな。血縁を通して生じる魔玉石とは異なり、“無作為に選ばれた者が身に宿す”こととなる…」
「お待ちになって。告知師は、大神官だけが代々持ってますわ」
「うむ。そうさの。告知師だけはフガール家が継いでおるようだが、決して血縁で移譲されておるわけではない。家柄や立場が関係しておるのかもの」
「そうだとしたらユーウ王女は養子ですが…」
「充分に告知師になる可能性があるとワシは見ておるよ」
「まるで紅玉石そのものに、意思があるとでも言いたげだな」
「そう考えた方が自然だという話ぢゃ。
どういう訳かは知らぬが、世界には常に百十一人の紅玉石を身につけた者が存在する。それ以上も、それ以下にもならずに一定数で存在するんぢゃ。
なんらかの意図があってそうなっとるんぢゃろう」
「ええっと、告知者が一人、召還師が一〇人、治癒師が一〇〇人…ですわね? 神隠歴から、ずっと同じ人数で固定されていると聞いたことがありますわ」
「そうぢゃ。しかし、この人数の振り分け…ちぃと妙だとは思わぬか?」
「妙と言うと?」
「治癒師がなぜ一〇〇人もおるのか……という点ぢゃよ」
フォンはチラッとフェーナを見やると悲し気な顔をする。
「治癒師は、最も身近な奇跡を為す存在。扱う神気の量も多い故、短命な者が多いのぢゃ」
「…短命」
以前、マトリックスから聞かされてはいたが、改めてこの状況で聞くと重みを感じる言葉であった。
憔悴しきって眠るフェーナを見て、セリクはグッと拳を握る。
「活動期間が短いのを、数で補っているようにワシには見える。これがもし神の所行と言うならば、なんとも無情な話ぢゃ。
道領国では、紅玉石を“悲劇の兆”と呼ぶ理由もここにある。もし身近な者に力が現れたら皆で嘆き悲しむのぢゃよ」
「馬鹿馬鹿しい。そんなものは単なる俗信に過ぎない!」
「聖イバンが、無情にそのようなことをしたとは思えません。きっと深い意味があってのことです」
ヘジルとマトリックスが否定する。いずれもフォンの説には納得できないのは、態度こそ違っていても同じであった。
「まあ、どう思うかは勝手ぢゃよ。だが、現実にこの娘子の命は失われておるがの…」
「気と、命は全く別物なんですか?」
セリクが問うのに、フォンはコクリと頷く。
「召還によって消耗するのは認めるが、それは数値化できない概念的な物だぞ」
どこまでも懐疑的なヘジルはそう言う。しかし、フォンは気にせずに続けた。
「人間は、『肉体』と『霊体』によって構成されておると言う。
肉体は、気というエネルギー。霊体には、命というエネルギーが宿っておる」
フォンは薬箱から空の器を二つ取りだし、赤色と青色の液薬をそれぞれに注ぐ。
「違いと言えばの、気は自然界から少しずつエネルギーをわけてもらって回復するが、命の量は人一人によって完全に決まっておるのぢゃ。減りはしても増えはせん」
そう言うと、青い液の入った器に再び少し足し増やした。赤を命として、青が気として表現しているのだ。
「紅玉石は生命力を消費して奇跡を行うと考えられておるが、厳密には違う。
魔玉石のように、人間の気や命を神気に変換させてはおるのは同じぢゃが、それによる命の消費はほんの僅かなもんじゃ」
赤の器に匙を入れて、ほんの少し掬って見せる。
「実際には、紅玉石に封じ込められている強大な神気を使うと、それに人間の霊体の方が耐えきれん」
今度は青い液体を匙に少したらし、そのまま赤の方の器を匙でコン! と強めに叩いた。
「霊体が壊れると、それを構成しておる命が蝕まれおるんぢゃ…」
器の中では波紋が生じ、匙からこぼれた青い液が中にと入ってしまった。赤の中に青が混じり、液体が黒紫色に変わっていく。
「……それが命を削る結果となる」
ヘジルはフンと鼻を鳴らす。
「……黙って聞いていれば、今の説明で使っているのは全部、『古代クリバス言語』じゃないか。
神を否定しているのに、“神の言葉”を使用するとはな」
「何も古代言語が三神教の専売特許というわけでもあるまい。
道領国では、“神の存在を否定しているわけではない”。ただ“神が人間の味方ではない”可能性をも考えておるのぢゃ」
反論しようとしたヘジルだったが、少し考えたあと、首を横に振って止める。
これ以上何かを言ったとしても、水掛け論にしかならないと思ったのだ。
「聞きたいと言うから話したまでぢゃ。信じてくれなどとは言わぬわい」
腰を叩きながらフォンはゆっくりと立ち上がった。
「おお。そうぢゃ。話しておって、肝心な物を忘れるところぢゃった……」
フォンは懐から何か小さな紙面を取り出し、そっとフェーナの枕元に置く。
「それは?」
「ホッホッホ。なぁに、ちょっとした処方箋みたいなもんぢゃよ」
なぜかフォンはセリクの眼をジッと見て、意味深に大きく頷いてみせる。
「本当にありがとうございました。それでは出口までお見送りを」
マトリックスが言うと、シャインがコクリと頷く。
「治癒師はお前さんには必要ぢゃろ。だが、娘子の体調のことも留意してやっておくれな」
「……はい」
「お大事に。ではのぅ」
フォンとヘジルが部屋を出ると、それに伴いマトリックスたちも連なって出ていく。
残されたセリクは、フェーナの横顔を見ながら一人深く後悔したのだった……。
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深夜遅くなって、ようやくフェーナは眼を覚ます。
しんと静まり返った中、フェーナのベッドの脇に頭だけ乗せて寝ているサラの寝息だけが聞こえていた。フェーナの容態を心配して付き添ってくれていたのだ。
サラを起こさないように気を付けながら身を起こす。熱は引いたようだったが、全身に汗をかいていて気怠さを感じる。
寝間着を少しはだけ、胸元の紅玉石を顕わにした。その平べったい水晶に触れてみると、わずかに熱を帯びているのが解る。倒れた時には、身体が燃えるのではないかと思うぐらいだったので、それに比べればだいぶ落ち着いてきたのだと解った。
「……ダメだな。私」
自分の頭をコツンと殴り、フェーナはきつく眼を閉じる。
こんなことになるつもりではなかった。まだ大丈夫だと自分では思っていたのだ。
確かに強壮薬で無理を通しているのは自覚していた。妙にハイになっていたし、教会に戻ってからも実は殆ど寝ていなかったのだ。疲れてはいたが、まるで身体が休むのを拒否しているかのようだった。
でも、フェーナからしてみれば、“あれぐらいのこと”で体調が悪くなっては困るのだ。セリクやDBの役に立つ…それには、治癒の力は必要不可欠なのだ。
命が惜しくないのかと問われれば、そんなことは決してない。ましてや自暴自棄になっているわけでもなかった。ただフェーナにとっては、自分の命よりも“今”こそが何よりも大事なのだ。
“今”何かをなせるならば、その代償に自らの命が減るのは取るに足らないことだった。
「まだまだ頑張らなきゃ。イバン様……どうか、私に力をお貸し下さい」
フェーナは両手を組み、小さく祈りの文言を繰り返した。
その最中、何かがカサリとベットの下に落ちる。その音でサラがピクリと眉を動かしたが、起きるまでには至らなかった。
身をよじらせ、注意深くベッドに落ちたものをつまみ上げる。
綺麗に折りたたまれた紙面を広げると、そこに短い文章が書かれていた。
「あ。そうか…すっかり忘れてた。
私、フォンさんにこれをお願いしてたんだ。ちゃんと覚えていてくれたんだ」
ラムの森に向かう前、セリクにかけられた『魔円封緘』を解く術を調べてくれるようお願いしたのだ。
その書かれた内容にサッと目を通し、フェーナは悲し気な顔で視線を落とした。
ちゃんとそこにはどうするべきかが書かれていた。しかし、フェーナの心は明るくはならない。
「これでセリクは元に戻れる。でも……」
震える指先で、元あったように紙を折りたたむ。
「私、必要なくなっちゃう……」
自己嫌悪を感じつつ、フェーナはまるで隠すようにギュッとそれをきつく握りしめたのであった……。




