54話 王女と帝都
ガーネット帝国城三十五階、帝王私室。
天蓋付の最高級ダブルベッドにも、外からの朝陽が仄かに差し込んでいた。
シルクの掛け布団を静かに剥ぎ、半裸のユーウがムクリと起きあがる。
爽やかな朝なはずなのに、不快極まりなかった。気怠く、何より足腰が重い…ふと隣を見やると、ダフネスが眉間にシワを寄せたまま寝入っていた。
まるで音がしないことに不安を覚え、鼻と口元に手の平を近づけるとしっかりと呼吸しているのが解る。安心と同時に、なぜかどうしようもなく惨めさを感じた。
その厳めしい表情を見ていて、嫌悪と後悔……そういった感情に、胸の辺りがズキズキと傷む。叫びだしたくなるのを、“いつものことだよ。大丈夫、大丈夫”と心の中で繰り返して宥める……。
目覚めたばかりのせいで思考が回らず、感覚だけが無垢な幼子に戻った気になり、そのせいで感傷的になっているのだろう。今はひんやりとした空気が素肌に触れることすら残酷な仕打ちに思えてしまう。
どうしようもない境遇を嘆き、ワンワンと泣ければどんなに楽か……けれども、ここで泣くわけにはいかない。ここで泣いてしまえば、自分が本当に弱くなってしまうような気がしたからだ。
ようやく頭が回り始めたようだ。幼い心は閉ざし、頭の中で自問自答を繰り返す。
どうやっても後悔は消えない。ならば、受け容れてしまおう。これは自分が生涯抱えねばならない十字架だ。そう思うと、諦めの気持ちが湧いてきて少し楽だった。絶望してしまえば、つまらない期待に裏切られることはないのだ。
すでに起きてしまった現実を変えることなんてできない…それが解らない子供であってはならない。
今はまだ、自分は考えたの“籠に囚われた鳥”に過ぎないのだから……そのまま黙していた方が遥かに利口だと、ユーウはいつもと同じ結論に達した。
「……ぬぅ」
ダフネスが苦しげに呻いた。悪夢でも見ているのだろう。
ユーウはその額に張り付いた髪を優しく払ってやる。
愛情があるのか? ユーウは自身に問う。だが、いつも答えは否、だ。
あるのは同情心だろう。深い哀れみの気持ち……それがダフネスを嫌いにはなれない理由だった。
帝王であるにも関わらず、自由な振る舞いは許されず、民衆に対しては大総統という仮面を被り続け、大神官としては善き模範となり、施政と信仰のために己を殺し続けるのはいかに重圧か……。
信心深い生真面目なこの男が、神々についた“一つだけの嘘”……それもまたダフネスの心に深い影を落としていた。
無論、それだけではない。突如として宣戦布告してきた龍王に掻き乱され、次は魔王なる者の出現……頼みにしていた神々は沈黙してしまい、ダフネスは途方に暮れる他なかった。
ピンと張りつめていたからこそ保てていたのに、それをさらに引っ張られてしまい、強靭とも思えたダフネスの精神はついに散り散りに切れてしまったのだろう。誰も気づかなかったが、ダフネスは相当の無理をしていたのだ。
全知全能の神々が人々を助けてくれない。神々に見捨てられてしまった…そんな考えがダフネスをひどく責め立てた。
他者が聞けば検討違いとしか思えぬことだが、ことダフネスからすれば、“己の不信心が、神から見捨てられた要因だったのではないか”、と…自責の念にかられていたことをユーウは知っていた。
とかく大神官ダフネスにとって、それまでに神という存在は絶対的なのだ。はたして魔王トトが、神々にとってもイレギュラーな存在であった可能性は微塵も考えることはできない。
それは盲信……『龍王も魔王も、神々の予定調和の中に組み込まれた存在に過ぎない』と、それを最高三大神教は教えていたのである。そこに疑問を挟むのは不敬であった。
むしろ無神論者であれば、人々を救わぬ神を糾弾しているイバンの方にまだ共感を持つことだろう。大神官としての立場でなければ、ダフネスの性格的にはこちらの方があっていただろうとユーウは思う。
いずれにしても、信仰の以前に、自分を救わない存在にはユーウは興味がなかったのだが…。
ユーウはダフネスを起こさぬよう、細心の注意を払いながら床に足をつける。
風呂に入りたいと思ったが、ケトルに入った白湯を銀皿に移し、それにタオルを浸して身体を軽く拭くだけですませた。
そしてピンク色のガウンを羽織り、静かに部屋を出て行った……。
そのままロビーに向かう。
そして中に入ろうと思った瞬間、話し声が聞こえたので思わず隠れるようにして立ち止まった。
「……ケッケッケ。弱ったことになりゃしたねぇー」
品のない笑い声……Dr.サガラのものだと気づく。
「笑い事ではないよ。魔物の軍勢は退けたが……まだ問題が終わったわけじゃない。
民の恐慌状態は続いている。流出を防ぐのに、見張りを立たせておくにも限度があるしな」
答えたのは、ゲナの声だった。
「神告内容を一部発表しては? それを聞けば、とりあえずは愚民どもも少しは安心すんでしょ。
俺んとこにも、神サンのありがたーい御言葉は届いてねぇんですけどねぇー」
自分と実験しか信じてないサガラは、軽率にそんなことを言ってのける。
「神官や神学者が、急いで神告内容の精査を行っているが、どうやっても公表までには最低一ヵ月はかかるだろう」
「一ヵ月だぁ? はぁー、なんでそんなにかかるんすか?」
「仕方がない。三神教が信仰上問題なしと許可したものでも、今度は政治家が公表できるものかどうか検証せねばならない。その手続きだけでも時間はかかる」
「この緊急時にすか?」
「緊急時だからこそだろう。影響が甚大だと解っているからこそ、慎重さが必要なのさ」
「んなら、でっち上げた情報でもいいじゃねぇですかー。『神々は龍王を倒す宣言をした!』とかでも。言ったもん勝ちですぜ」
「不確かな情報を流すわけにはいかない。事が収まった時、仮にそれが嘘や偽りだと解れば、“以前の神告の内容も偽装だったのでは?“と、反ダフネス貴族たちにいらぬ嫌疑をかけられる」
「そんなのいつものことじゃねぇですか…」
「つまらぬことで足下を掬われるのは避けたい。ダフネスが失脚したら元も子もない」
「んあー、情報局の操作はどうなってるんで? 翠龍や黄龍が攻めてきた時は使ったんでしょ?」
「今回は目撃者が多すぎる。それに、実際に帝都が大きな被害を被っているしな。そもそも情報を隠しようがないだろう。
それに“寄生虫”掃討作戦は、元より箝口令が敷いてあった。緻密な下地を準備してあったからこそ、龍族の襲撃にも対応できたんだ。情報操作は事前に行ってこそ意味を成す」
「んあー、あれもダメこれもダメじゃ八方塞がりですぜ」
「そのどうにもならない状況を何とかするのが我々の仕事だ」
「これだから国ってヤツは! 重い尻でいけねぇですわ! 自分の尻に火がついてるって時によ!」
遠慮なしの悪態と共に、ガリガリッと頭を掻きむしる音がする。
しばし間を置いて、ゲナが口を開いた。
「……サガラ。率直に意見を聞きたい」
「んあ? 何を改まってからに…」
「今日、明日のことではないが……少なくとも近々、魔王や龍王が大群を率いて再び侵攻して来る可能性はあると思うか?」
「ないでしょうな」
即答するサガラに、ゲナはその意図を知ろうとしてまた少し黙る。
「んあー、俺にぁ、龍王も魔王も、人間を本気で滅ぼそうとか考えているようには見えねぇですぜ」
「…ふむ」
「不自然すぎるんすよ」
「不自然?」
「あの龍王の宣戦、魔王が単身突入…どっちもね。俺にぁ、ありゃ単なるパフォーマンスにしか見えねぇ。
本気でこの国を獲りたいのなら、もう次の手を打って然るべきだ。それがねぇのは、敵の頭が相当悪いか、国自体をどうこうしようって考えが最初からないかのどちらかですな。
って、んなことはゲナ閣下に説明するまでもないことでしたな」
最後で茶化すのはサガラの悪い癖だったが、ゲナは気にした様子もなかった。
「……そうか。いや、私の考えが正しいことを確認したかったんだよ。
では、“こちらの準備”が整うまでは人間に分があると思っていいんだろう?」
「そうですな。ま、俺ぁが天才であっても神サンじゃねーですからね。絶対とは言えやしませんがねぇ」
「解った。当面の問題は、民衆の不安感だけということだ」
「知能指数が低い輩はよく考えずに大騒ぎしますからなぁー。
解りやすい説明をしてやらにゃ、納得しませんぜ」
「つまり象徴、か」
「そうですぜ。一番手っ取り早いのは、ダフネス閣下が皆に姿を見せるってのが……」
サガラがそこまで言った後、ユーウがロビーにスッと姿を現す。
王女の姿を見て、ゲナとサガラがピタッと喋るのを止めた。まるで幽霊でも見たかの表情に、ユーウは思わず笑いそうになるのを堪える。
「……民を安心させればいいんだね?」
ゲナは不快そうな顔をしながらもコクリと頷く。
「ダフネスはまだ起きないのか?」
“お前には用はない”…と言いたげな眼で、ゲナは冷たく問うた。それが不愉快だったので、ユーウはわざとサガラの方を見やる。
「ケッケッケ。ダフネス閣下が民衆に姿を現して、一言発するだけでかなり事態は違いますやなぁ~」
サガラはユーウとゲナを見比べる。二人のやり取りが面白くて仕方ないといった感じだ。
「…ボクがやればいいよ」
ユーウがそう言うと、ゲナもサガラも不思議そうな顔をする。
「ボクがパパの代わりに、民衆を説き伏せる」
それを聞いて、ゲナの眉間にますます深いシワが寄る。
「…状況が解っていないようだな。顔を知られていない王女が姿を現して何になる」
「いんや、そうともいえねぇですよ」
サガラはジロッとイヤらしい眼でユーウを見やる。
だが、サガラのは数多の男が抱くような性的好奇心…などではなかった。それはまるで実験動物を見るような眼なのだ。
「カリスマではなくアイドルってことですわ」
「アイドルだと?」
「ふむ。逆に良い効果をもたらすかもしんねぇですぜ」
「なにをするつもりだ? 娯楽を提供するわけじゃないんだぞ……」
「同じことでさぁ。要は人々の注意が恐怖から逸れればいいわけですわ。
それなら、怖い顔したオッサンみるよりも、綺麗なムスメを出す方が華があっていいじゃありやせんか」
相変わらず、ズケズケと思ったことを言うサガラである。大総統に対する敬意もほとんど見られないが、それは本人に悪気があってのことではない。
「酔狂にしか聞こえん」
「いやいや、ちゃんと根拠はありますぜ。女性の持つ“受容的な安心感”…それこそ、今の臆病風に吹かれた大衆が求めてるのはもんじゃないですかねぇ」
取って付けた理由のようにも聞こえたが、かとって完全にも否定できずきゲナは小さく唸る。
「パパが目覚めるまで待つ? しばらくは皆の前に出ることも難しいと思うよ」
「…そんなことは解っている」
ダフネスが大総統として振る舞えるようになるまで少し時間がかかるとは思っていた。だが、それまで周りが待ってくれるわけでもない。
「気に入らんが、他に良い手も思い付かん」
ゲナは難しい顔をしたままだったが、二人が本気なのを感じ取って諦めたかのように眼を閉じる。
「さすがゲナ閣下。素晴らしいご英断ですぜ。まあ、俺に任せて下さいよ。悪いようにゃはしませんから」
サガラは立ち上がり、ユーウを見てニヤリと笑う。ユーウは笑い返す事の代わりに肩をすくめて見せた。
「……ほどほどに頼む。後でダフネスに怒られるのは私なのだからな」
ゲナの深いため息は聞かれることもなく、サガラはユーウを連れてすでに出て行ってしまった後であった……。
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帝都の各門。装甲車が大通りを覆い囲っている。横一列になった兵士が、バリケードと共に門前に立ち並び、見張り棟からは何人もの弓兵が見張り窓から見えていた。物々しい厳戒態勢である。
荷物を抱えた無数の住民が怯えた表情で、その下に集まって大声を張り上げていた。
「おい! ここから出せ! 俺は田舎に帰るだけだって言ってんだろ!」
「外のが帝都より安全だってのは解ってんだぞ!」
「そこをどきな! なんなんだい、アンタらは! 敵はアタシらじゃないだろ!!」
「帝国軍め! 颯風団は放置していたくせに、こういう時だけ仕事してるんじゃねぇぞ!!」
持っているシールドを思いっきり蹴られ、兵士の一人は倒れまいと歯を食いしばる。
「た、隊長…。こ、このままでは…」
「耐えよ! クロイラー将軍が魔物を駆逐するまで、誰一人ここから出すわけにはいかん!」
そう言う隊長も、ハンドマイクが小刻みに震えていた。
ここに集った兵士よりも、民衆の方が圧倒的に多い。それも時間が経つに連れて相手の数は増えていっているのだ。もはや、いつ暴動が起きてもおかしくはなかった。そしてそれを軍が抑え切れないであろうことは明白であったのだ。
「クソォ! 俺はまだ死にたくねぇ! やる! やるぞぉッ!!」
ついに怖れていたことが起きた。剣士と思わしき男が剣を抜き放ったのだ。
本気の殺気を感じ取り、兵士たちも剣に手をかけた。
剣呑な雰囲気に、民衆たちもゴクリと息を呑む。そして、覚悟したかのように武器となるもの、包丁やモップなどを手に取る。
もはや言葉による制止など通じないだろう。血を流し合わないと解決できないのだ。
隊長の首筋に冷や汗が伝う。“民を守るための軍が、はたして民を傷つけてもいいのだろうか?”と心の片隅で思う。しかし、答えなどでるはずもない。今は民よりも、自分が預かっている部下の命のが気がかりだった。彼らを守るため、苦渋の決断を下さなければならない時が来たのだ。
「そ、総員構え!」
隊長の合図に、兵士たちは震えつつも一斉に剣を抜き放つ。
「せ、戦闘を許可す…………?」
隊長がさらなる指示を出そうとした時だった。周囲の空気が急に変わったことに気づく。
先ほどの剣士が、いきり立っていた民衆たちが…一様にポカンとした表情をして何かを見上げていた。
それだけではない。兵士たちも構えていた剣を下げて戦意を失っていた。そして民衆たちと同じ方向に眼を向けているのだ。
いったい何事かと、隊長もその視線の先を追った……。
帝国城の屋上付近、そして各門の上に大きな立体スクリーンが映し出される。
それだけではなく、商店街のモニター、公園の噴水、公的建築物の電子ポスターなどにも同じ映像が流れた。
突如として現れたのは、一人の美しい少女だった。
ツヤのある蝋のような純白の肌、繊細さと扇情さを巧みに併せ持つ魅惑的な顔。光の加減で虹色にみえる銀髪。誰もがその神懸かり的な美貌に眼を見張る。
街中探したとしてもまず手にはいらないであろう、豪奢な細工が施された純白ドレス。それを見て、顔こそ知らなかっだが、並の貴族ではない高貴な女性に違いないと誰もが思った。
男性は年齢を問わずに例外なく異性として惹き込まれ、若い女性は憧憬や羨望といった気持ちを抱き、年配の女性は母性に似た感情を抱く…。
帝都にいる誰もが、一瞬にしてその美少女の魔性とも呼べる魅力の虜となったのだった。
その美少女が、柔らかそうなピンク色の唇をうっすら開く。
誰もがその言葉に期待した。このいきなり現れた美少女が、どんな声で、何を語るのだろうかと。
『神国ガーネット帝国の皆さん。初めまして。ボクの名前は、ユーウ・ライオネル。大総統ダフネス・フガールの娘にして、やがてフガール家を襲名する予定である“”神国ガーネットにおける正当王女”です』
王女…その存在に、民衆はわずかに沸き立つ。
“大総統の娘”と言うだけでは、王女には成り得ない。フガール家の養女…だからこそ、ユーウは王女と名乗れるのである。そこを意図しての発言であった。
“王女”というキーワードを活かすのを提案したのはサガラだったが、そんなことをしなくとも、ユーウの容姿だけでも充分に人々は惹き付けられていた。大総統の娘という肩書きだけでも、充分にその発言には興味がそそられるものがあったのだ。
誰もが噂こそ聞いたことがあった。ダフネスには美しき養女がいると。だが、姿を見たことがほとんどいなかったので半ば都市伝説のように語られるだけであったのだ。実際に公に姿を現すことは初めてのことである。
それとは別の噂もあった。“ダフネスは相当なまでの女嫌い”であると…故に未だ適齢期を過ぎても伴侶も持つことがない。そして、やがてフガール家が途絶えてしまうのではないか、と。そういう危惧の声もあった。
もちろん、大総統だけならば、次代の大総統を選べばいいだけで済むことだ。だが、帝王や大神官というフガール家の特殊な血筋まではどうのしようもない。
そこで、フガール家の血を維持しようと養女を迎えたのではないか…という話が広まっていた。
だが、果たして“告知師としての能力が養子でも委譲されるのか?”という問題があった。それ故、養女を迎えたという話も信憑性を欠いたものとなっていたのである。
そんな幻のような存在が姿を現したとあって、帝都の誰もが強い興味を抱いたのだ。
『皆さん。どうか落ち着いて、ボクの声に耳を傾けて下さい』
少女の後ろには、ガーネットの国旗、そして守護者である老剣豪バージル像がまるで彼女を護るかのように立っていた。
誰も気づくことはなかったが、光の当て加減による神秘的な構図、仰々しいまでの重厚な演出を作り上げたのはサガラだった。それはユーウの魅力を遺憾なく発揮させることに成功していた。
『ご存じの通り、人類は大いなる危機に瀕しています。それは帝都だけではなく、今や全世界をも巻き込むほどの規模のものです。
頼みの綱である神告。その最中にも魔王なる者の襲撃がありました。龍王台頭に続く艱難に、皆さんが酷く怖れる気持ちもよく解ります』
眼を伏せるユーウに同調し、民衆は不安な顔で胸を抑えた。
しかし、次にユーウは真っ直ぐに目線を向ける。その瞳の奥には輝きがあった。
『ですが、思い起こして下さい。かつて龍王アーダンを倒した神々が敗れることなどありえるのでしょうか?』
ユーウは少し間を置く。まるで自分の言葉が浸透するのを待つかのように…。
『神の王ラクナ・クラナが、本当に我々を見捨てたと思われますか?』
今度は少し強い言い方だった。その問いかけには、強い否定の感情が込められていた。
『…いいえ。神は私たちを見捨てたわけではありません。むしろ、これは試練ではないでしょうか。神々はボクたちの信仰を試されているのです』
信仰深い最高三大神教の信徒たちはハッとし、跪いて祈りを捧げる。決して責めるような口調ではなかったが、彼らの信仰心に去来する何かがあったのだ。
『なれば、我々の取るべき態度も一貫としているべきです。神々が望まれるのは人々が一丸となって信じることです』
ユーウが祈るかのように両手を合わせると、その後ろに神王ラクナ・クラナの巨像が浮かびあがる。
国旗を、バージルを、ユーウを……それらを包み込むよう、神王は無数の手を広げて囲う。それは圧倒的かつ神秘的な光景であった。
『…怖れてはなりません。震えていてはいけません。嘆いていても、前には進めないのです。
ここは神のお膝元、神に愛された都、そこに住まう民が逃げ惑う必要などないではありませんか。むしろ、この神々に選ばれた神国ガーネットに住んでいることにこそ誇りを持ちましょう。
さあ、共に戦いましょう。偉大なる神々の前に、巨悪は悉く退けられるのですから…』
ユーウは優しく微笑む。その慈悲と恩寵に満ちた表情は、皆に安堵をもたらせるのに充分すぎるほどだった。
三神教徒には、フガール家を継ぐにまさに相応しい敬虔な息女に見え、聖イバン教徒はまるでイバン本人が現臨しているような錯覚を覚えた。
『今までは、ボクも義父の陰に隠れていました。しかし、これからは率先してガーネットために働きましょう。ですから、皆さん。どうか、ボクに……帝国に力を貸して下さい』
その健気とも見える仕草が、多くの人々に保護欲求に似た感情を抱かせた。むしろ帝国よりもユーウ自身に力を貸したいと思わせたのである。
ユーウはまたしばし間を置く。そしてまるで一人ひとりに語りかけるようゆっくりと発した。
『…どうか信じて下さい。神々を、帝国を、大総統を…そしてボクを。
神を信じて進む明日は、必ず輝かしい勝利となるのです』
確信あるその言葉に、人々の心に希望の火が灯る。
当人の信仰の有無に関わらず、彼女は多くの人々の心を揺さぶったのだ。
『神を信じて進む明日は、必ず輝かしい勝利となるのです』
最後の言葉を、まるで噛み締めるかのようにユーウは繰り返す。
知らず知らずのうちに、民衆も兵士たちも復唱していた……口の中で「神を信じて進む明日は、必ず輝かしい勝利となるのです」、と。
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ユーウを映していた発信装置が止められる。
サガラが片手をあげて終了の合図をしたので、ユーウは静かに息を吐き出した。
「ユーウ様…」
「…ウククッ。ボク、演技の才能あるかもね?」
素の顔に戻ったユーウは、喉の底で笑った。不安顔をしていたウォルタに向かって面白そうに言う。
「ああ、もう。私めは心臓が止まる思いでしたぞ」
ウォルタは深刻そうに答えた。それに嘘はないようで、今にも倒れてしまいそうだった。
「キミは心配性すぎるんだよ。こんなことでボクが…」
ちょうど厳めしい顔つきをしたゲナがやって来たので、ユーウは喋る途中で止めた。
「一体どういうつもりだ?」
開口一番に問う。言葉こそ静かなものだったが、あからさまな怒気が込められていた。
二人の顔を見やり、ウォルタはどうしたものかとオロオロとする。
「なにが?」
「なにがだと? 私は“書かれた文面だけを言え”と伝えたはずだ。それには、“これからは率先してガーネットために働きましょう”なんて台詞はなかったぞ!」
ユーウはしたり顔で笑う。
「そうだね。でも、ボクだって帝国の一員だ。そういう意思をださないとさ、示しがつかないでしょ?」
「お前の意思など無用だ」
「そんなことないよ。怯えている人々に“ボクは快適な場所でくつろいでいるから、皆あとはよろしくねー”なんて言えると思う?」
「極論すぎるぞ。誰もそんなことを言えなどとは…」
「危険なのは皆一緒さ。必要なのは一体感だよ。それには、自分の発言に責任を持たないとね。同じ目線に立てない人間の話なんか誰も聞かないよ」
そんなことを言ってのけるユーウに、ゲナは憎々し気な顔をした。
「んまぁ、結果は良好のようなんでいいじゃありやせんか」
「本当か? サガラ?」
「少なくとも各所で暴動寸前だったのは収まったみたいですぜ」
軍からの無線報告を受けて、サガラがいつものように笑う。
「ほらね。ボク、やるでしょ?」
「…クッ」
ユーウの得意気な顔に、ゲナはうんざりした様子で首を横に振る。
「その代わり、“ユーウ王女のことをもっと教えろ!”みたいな連中が城に集まってくる可能性があるかもしれやせんがねぇ…」
外したイヤホンを振り回し、サガラはパチンとカメラを軽く叩いて見せた。
「なら、サインでも練習しておいた方がいいかな?」
「それなら、ブロマイドでも作りやしょうか?」
「ブロマイド?」
「ええ。映像を紙に写し取る、写真っていうもんがありましてね。
あの神王像は逆に、写真ってのを元に立体映像を起こしたんですわ」
サガラは手に持っていた写真をヒラヒラとさせる。
それは、セリクが放った紅い神王像を撮ったものだった。それはサガラが部下に後を付けさせて撮ったものだった。未だセリクのことを諦めていないのである。
「さっきのユーウ王女の映像を何枚も印刷して、直筆のサインでも頂けりゃあ…」
サガラはニタリと笑い、親指と人差し指で円を作る。
「なるほどね。大々的にそれを売り出せれば、それなりの収益になるかもね。ウククッ」
自分の容姿に自信があるユーウは、臆すことなく堂々とそんなことを言ってしまう。
「ケッケッケ。そうしたら、研究費もちっと融通してくださいよー」
勝手な話で盛り上がる二人を、ゲナは軽く睨み付け、それからクルッと踵を返して行ってしまった。
その背を横目に見やり、ユーウは小さく微笑む。
「……さあ、これからどうなるのかな」
この結果が何をもたらすのか…ユーウ自身にもハッキリとは解らなかった。それでも、少しは、今よりは良い状態になるだろう……そんな予感を覚えていた。
一緒にいるならば、同情心を誘うような男ではなく、自分がもっとも魅力を感じる相手を…そう淡い希望を胸に抱く。
まだまだ自分を“奪いに来るには至らない”だろう。だったら、“自分からそうなるよう差し向ける”だけのことなのだ。
「…焦らすのは好きだけど、焦らされるのはキライだよ」
「うん? 何か仰られましたか?」
独り言のつもりだったが、ウォルタの耳に入ってしまう。しかし、ユーウは少しも慌てることなく首を傾げる。
「いいや。いつものスイッチが入っただけだよ」
ウォルタは訝しげな顔をしたが、ユーウは静かに喉の底で笑うだけだった…………。




