51話 魔物たちを率いる者(2)
順調だった進軍がわずかに鈍る。
半人半馬、ギネズーラ……ギラは鉄仮面から覗かせる眼を細めた。
もちろん、人間たちの反撃は予期していたのだが、この大軍に乱れが生じるとは余程のことである。
「苦戦しておるのか?」
近くにいたグレムリンに聞くが、何とも答えにくそうに愛想笑いを返した。
「いエ、何カ、反抗的な人間が数匹いるようなのですガ…。
しかシ、ご安心ヲ! すぐにでモ……グギャ!!」
ギラの手が伸びて、グレムリンを鷲掴みにする。強い握力で腹部を握られ苦しそうに呻いた。
仮面の奥から、猫科の猛獣を思わせる眼が光る。グレムリンは恐怖に身を縮こまらせた。
「誤魔化すでない! 貴公ら低級魔族の働きになど、最初から期待などしておらぬのだ! 命じられたことを粛々と行い、問われたことには嘘偽りなく答えろ!」
ギラはグレムリンたちを毛嫌いしていた。強い者には媚び、弱い者には威張り散らす。愛くるしい赤子の姿をしているのは、ギラのような上位魔族に取り入るためだけということをよく承知していた。その心根はひどく腐っているのだ。
「し、しかシ、ギラ様のお手ヲ煩わせる問題でモ……」
グレムリンは小さな脳で必死に言い訳を考えるが、そんなことをしているうちにギラは何かに気づいて顔を上げる。
「なんだ?」
チラッと視界に妙なものが入った気がした。
ギラの周囲は、背の高い大型の魔物に囲われていたので遠くをよく見渡せなかったのだ。
邪魔なグローリーベアーやキングレオパルドなどをどけるよう指示を出すと、グレムリンたちは顔を見合わせ、渋々といった感じにそれに従った。
「…ッ!? なんだあれは!!」
開けた視界に入った物を見て、ギラは我が眼を疑った。
そこは見渡す限り平坦な草原のはずだ。それなのに軍勢の末端を境にして、巨大な壁のようなものがいつの間にかできていたのである。
こんな建築物はなかった。そう思いながら眼を凝らすと、それが魔物の死体によって作り上げられたものであると解る。
「これが手を煩わせることのない問題と言うのか!!」
「わ、我々デ、すぐに対処いたしまス!! ですかラ、もうしばしのご辛抱ヲ!!」
グレムリンが慌てて言うが、ギラには聞こえていなかった。
魔王トトによって与えられた任務は絶対だ。そしてそれを脅かす要素はいかなることであっても捨て置くことはできない。
ギラは自らが動くことを決意する。“あの先にいるであろう脅威”には、魔物が幾らいても足りないだろう。このままでは無駄死にさせてしまうだけだ。
ちっぽけな功名心しかないグレムリンどもには、もはや任せてはおけない。邪魔な敵を即排除し、いち早くガーネットを陥落させねばならぬのだ。
そうして、ギラが動き出そうとした時だった。壁のある方から、巨大な黒い何かが凄い勢いで飛んでくるのが見えた。
それが何だろうかという疑問を抱く前に、先にやってきた強い殺気に当てられ、大量の冷や汗がブワッと流れ落ちる。
直感的に危機であることを判断し、身を低くした。しかしやってきたその衝撃は、四本の足で懸命に踏ん張らねばならぬほどだった。
周囲にいた魔物たちは、大も小も関係なく、絶叫して吹き飛んでゆく。即席とはいえ、かなり強化された魔物たちだ。それが紙切れを破くように四散するのをギラは薄く閉じた横目に見た。
衝撃がようやく終わり、付近を見回わたすと、生き残っているのは自分だけだった。あとは潰れた肉塊となってしまっている。青々とした草原は、紫と黒のペンキをぶちまけたように汚く染まっていて、汚物と臓物の混じった悪臭が漂う。
衝撃が来なかった左右両端の魔物たちは無事だったが、中央にいたのは一直線に全滅させられてしまっていた。さっきのだけでおよそ全体の五分の一ほどはやられてしまったようだ。
隊列が崩れたことで、魔物たちは恐慌に陥る。狂ってはいたが、仲間がやられたということくらいは解るのだろう。もしかしたら、さっきの殺気に当てられて余計におかしくなったかも知れないとギラは思った。
他のグレムリンたちは制御しようと試みるが、恐怖が先立って思うようにいかないでいた。焦れば焦るほど状況は悪化していく。
手に持っていたままだったグレムリンも白目を剥いて生き絶えていた。それを無造作に投げ捨てる。
「…今のは人間の扱う戦技か?」
先ほどの殺気と衝撃を噛みしめ、ギラは笑い出す。
「ふ、ファハハッ! なんと、なんと強大なのだ!! トト様が一時退かれたのも頷ける!!」
歓喜にブルルッと震え、ギラは戦斧槍をかざす。
「聞け! グレムリンども! 貴公らは軍を鎮めることに専念せよ!!
この先にいる敵は自分が迎え討つ! 手出しは無用! 離れておれ!」
そんなことを言われずとも、グレムリンたちは魔物たちを抑えることで手一杯で、とてもギラの支援をする余裕などなかった。
「さあ、来るがいい!」
ギラはすでに気づいていた。先ほどの一撃によって生じた死の道を、ここを目掛けて駆けてくる者たちがいることに!
光輝く馬にまたがる三人組。それはセリクたちであった!
「いた! きっとあれがそうだよ!!」
フェーナがギラを指さす。
「お前がこの群を率いているヤツか!?」
セリクが剣を握りしめて問いかけた。
「いかにも! 自分は魔王トト様が配下、魔騎士ギラ!!」
ギラも迎え討たんと走り出す!
「いざ、尋常に!!」
セリクが馬から飛び上がり、剣を振り下ろす!
ギラのハルバードがブォンッと風切り音を鳴らして旋回する!
「勝負ッ!!」
ガキーンッ!!
盛大に火花が散った!
強い攻撃に打ち負け、セリクが跳ね返されて着地する。
ギラはそれを追いかけ、攻撃を繰り出す!
「…グゥッ!」
なんとかその攻撃をいなすが、戦斧槍の一撃一撃が重い。
それはそうだろう。馬の部分も入れたら、セリクの四倍はありそうな体格だ。その全体重を乗せた一撃が軽いわけがない。
「どうした!? さっきの技を放って見せい!!」
ギラが前足を勢いよく持ち上げる。セリクをそのまま潰す気だった。
「フン! 敵はこっちにもいるぞ!!」
ヘジルがユニコーンで脇から体当たりをかます。
ギラはわずかにバランスを崩すが、腰の部分に備えてあった大盾を取り外し、それを力任せにユニコーンに叩き当てんとする!
「ぐッ!」
「きゃあ!」
迫り来る大盾の縁が掠め、ヘジルとフェーナは吹っ飛ばされそうになるが、ユニコーンは滑るようにギリギリのところを走り抜けて直撃を避けた。
追撃を警戒し、ユニコーンはそのまま一旦離脱する。そして、ギラの攻撃が届かないギリギリの位置を、円環状に走り続ける。
「なんだ? 子供ばかりではないか…。こんな子供がさっきの一撃を? 信じられんな」
ギラは訝し気にしつつ、敵の顔を順繰りに睥睨する。
その隙を狙ってセリクが突き入れるが、大盾で難なくガードする。
「む?」
弾かれてもなお、セリクは大盾の無い方向へ回り込むように走り、セリクは再度攻撃を繰り出す!
「でやッ!!」
大盾で殴ろうとするが、間に合わずに懐側に入られてしまった!
「早いッ!?」
ハルバードで迎撃しようとするが、セリクの攻撃の方が早かった!
セリクが下から斬り上げる! ガツンッ! と、それが鉄仮面の顎にと当たった。当たり所が悪かったのか、仮面は脱げ、弧を描いてあらぬ方向へと飛んでいく。
「…ほほう。いいな。子供でも、剣を持てば剣士ということか。侮った非礼を詫びねばならぬな」
「え? 女の人…?」
フェーナが驚きの声をあげる。
ギラは水色の髪を風に靡かせ、妖艶な笑みを浮かべていた。その素顔は、二十代そこそこの美しい女性だったのである。あの猛々しい攻撃を放っていた人物とはとても思えなかった。
「知らんのか? 魔族は女型しか生まれぬのだ。
だが、自分は女である前に戦士! 見かけで判断するものではないぞ! 臂力は人間の雄とは比較にもならんぞ!!」
その言葉通り、繰り出される一撃は鋭く重い! しかもエーディンのようなただの力任せの技ではなく、ちゃんと力の配分も考えた虚実ある攻撃だった。
数倍の身長差にくわえ、攻撃力と技術面…それらすべてに置いて圧倒され、セリクは不利な状況を強いられる。
「どうしたッ!? それで終いか!?」
槍先による連続突き、油断したところに振り降ろされる斧、剣撃をことごとく打ち払う石突。ことごとく攻撃を弾く大盾。まるで隙がない戦法にセリクは翻弄される。
「何とかして近づかないと…」
機敏に動きまわりながら、セリクは敵の弱点を懸命に探す。
そしてギラの甲冑に幾つもの真新しい傷があるのを見つけた。それはセリクやヘジルがつけたものではない。デュガンの放った『衝遠斬』を耐えた時に出来たものに違いなかった。
「あれだけ傷がついているなら…」
フルアーマーといえど、可動する間接などの部分は脆弱に見えた。
そして、胸当てを支える留め具が外れかかっているのにも気づく。もしここに強い衝撃を与えられれば、簡単に壊せるのではないかとセリクは思った。
「これでどうだっ!」
ガンッ!!
セリクの渾身の突きが、ギラの攻撃をはね返す!
「むうッ!?」
正面から打ち合う力がないからこそ、ただ逃げ回っていたとばかりにギラは思っていた。そのせいで、予想外の反撃をされて少し驚く。
「小癪な!」
反撃せんとギラが大振りになる瞬間を狙い、セリクが低く飛び込む!
「飛び上がらぬとは、こちらの機動を削ぐ気か!? 無駄なことを!」
脚部を狙われたと思ったギラは大きく前足を振り上げた!
「このまま潰して…ッ!?」
足の下にいたはずのセリクを見失い、ギラは眉を寄せる。
「ど、どこへ!?」
「ここだッ!!」
前足の装具にセリクは掴まっていた。振り上げた瞬間に飛び付いたのだ。
「なんだと!? いつの間に!?」
慌てて振り払おうとしたせいで、ギラは大きく体勢を崩す。タイミングを見計らい、セリクは胴払いをお見舞いした!
「おおッ!?」
ズガンッ! と、大きな金属音が響くが、しかし鎧を砕くには至らない。
「ファハハッ! 見事だ! いいぞ! だが、まだまだ軽いものだ! そんなものでは自分の甲冑には小傷一つ…」
そう言いかけた時だった。鋲が落ち、蝶番が勢いよくバチンと外れた。そして自重に耐えきれず、胸当てと肩当てがガラガラと落ちる。
堅牢な壁こそ、わずかな綻びで瓦解するものである。重厚な鎧であったのが災いしたのだった。
「なるほど。これが狙いだったか…。あざとい子供だ!」
上半身、肌着のみとなったが、それでも不敵に笑いながらギラはハルバードを握りしめる。
「これでダメージが…」
「通ると思うか!? 甘い! 貴公は単に墓穴を掘っただけだぞッ!」
ギラは身軽になったことで、攻撃の鋭さと頻度が増す。だが、それ以上に防御動作も目に見えて強まった。さっきデュガンが放った戦技を、セリクのものと考えて警戒しているのだ。
だが、逆にそれはセリクにとっては都合が良いことだった。どんな反撃の手段があるか解らないと思わせることで、敵が一気に勝負を決めようと大技を出してこなくなる。大きな隙ができた時に、さっきの『衝遠斬』を叩き込まれてはまらない……そういった心理的抑制が効いていたのだ。
「ぐぬっ!」
ギラがセリクに気をとられていると、ヘジルが死角からユニコーンで特攻してくる。さっきから円環状に走り回っているのは、ギラの死角を狙ってのことだ。
攻撃自体は防がれ、ダメージとまではなっていないのだが、ユニコーンもその優れた反射神経でギラの反撃をかわし続けていた。
最速で繰り出したはずの攻撃を軽々と避けられては走り去られる。心底疎ましそうにギラは舌打ちをした。
「これでは埒があかぬ!」
しびれを切らしたギラが状況を打開せんとしてハルバードを振り上げた!
「よし!」
セリクはそれを大技を出す隙と見て駆け出す!
「こんな見え透いた手に引っかかるか!」
大きな動作は、わざと隙を作ってセリクをおびき寄せる罠だった。
ギラはニヤッと笑い、大盾をブウンッと勢いよく放る。まるでブーメランのようにそれは走ってくるセリクに向かった!
あわや直撃するかという瞬間、防護膜のようなものにセリクの身が覆われる! そして、大盾がボウンと膜に当たって弾かれた!
「なんだとッ!?」
「『イバンの聖盾!!』」
フェーナだった。
攻撃には一切参加していなかったので、ギラは非戦闘員とばかりに気にしていなかったのだ。
それが絶妙なタイミングで防御を発動させたのである。セリクが「よし!」と言ったのは、フェーナに合図を出したのであった。
セリクは止まらず、進み続ける! ギラの胸元にまで、高く跳躍して迫った! その剣先がギラリと光ってギラの瞳に映る。
「クッ! なめるなぁ!!」
とっさにギラも剣先に向かって前へと進み出る! それは、まるで自ら突かれんとせんばかりにだった。
「えッ!?」
避けられぬ以上、ギラには急所だけは守ろうとしてのことだったのだが、セリクにはまったく予想できない動きだったのだ。
慌てたセリクが、なぜか剣を引っ込めようとしたので、変な風に体勢を崩す。
「うわぁ!!」
「セリクゥ!」「危ないッ!」
フェーナとヘジルが同時に声をあげた!
落ちて転げるかと思いきや、セリクの右手は自らを守ろうとして何かを掴んでいた。そしてその身は地面に打ち付けられることはなく、プヨンと柔らかく、弾力のある大きな何かに受け止められる。
はたして、こんなものが戦場にあるのかと、自分を柔らかく受け止めた物をまじまじと見やる。
「…え?」
それは一抱えはあろうかという双丘だった。セリクはギラの肌着を掴んで、大きな谷間にぶら下がっていたのである。
薄い生地が下に引っ張られ、今にもめくれてすべてが見えてしまいそうだった。
「……貴公、そこで何をしている?」
「え? あ、俺…」
ギラはセリクを見下ろし、小さく笑う。そして大きく息を吸い込んだ。
「キャアアアアッ!!!」
もの凄い悲鳴だった! これだけの体躯の女性だ。声量も当然、大きいに決まっている。
驚いたセリクは慌てて手を離す。耳の中でキーンという音が響き、軽く目眩を覚えた。
「違う! いや、俺! そんなつもりじゃ…!!」
地面に転げて泥だらけになりつつ、セリクは真っ赤な顔で首を横に振る。前にも似たようなことがあったが、そんなことを思い返す余裕などなかった。
狼狽するセリクを見やり、ギラは残酷に笑いつつ武器を高く構えた!
「愚か者め! こんなことで、せっかくの好機を逃すとはな! ためらわなければ、我が心臓を一突きにもできただろうに!!」
ブゥン! と、ハルバードが襲いかかり、セリクはギリギリでそれを避ける!
「え、演技だったのか!?」
「女だからと油断するとは、やはり子供だな!!
この自分を相手に、顔や首筋を狙わずに戦うとはふざけた子供だ!!」
セリクの振る剣に殺気がないことをギラはすでに見抜いてた。
仮面が外れてからというもの、手や足、または胴体といった急所にはなりにくい場所に攻撃が集中していたのだ。
「敵を殺せぬならそのまま死ね! 自分は相手が子供だろうが容赦なく殺せるぞ!!」
完全にギラのパターンにはまってしまっていた。防戦を強いられ、いよいよ追い詰められたセリクは尻餅をつく。
勢いよく蹴り出されるギラの前足!
避ける術はないと、セリクは身に受けるダメージを覚悟した。
「ぬぐうッ!?」
ギラが呻き、顔を歪めて後ずさる。
ガツンッ! ガチンッ! ズゴンッ!!
無数の投石が、ギラを横から襲ったのだ!
さすがにこんなものでダメージはないが、それでも怯ませるには充分だった。
大盾に身を隠すが、それでも遠慮無しの投石は続く。
ゴンッ! ズンッ! ドンッ!!
「うわ!」
石はセリクの方にも飛んできて、そのすぐ足下にも落ちる。投げられてくるのはかなり大きい石で、地面にめり込んでいた。
それはギラだけでなく、セリクまで狙っているのだ。
「お、おい! なにをやっている!?」
ヘジルの焦った声がする。
石が来た方を見やると、そこらへんの石をかき集めて抱えたフェーナが、目尻に涙をためて唸っている姿があった。
「ウーッ!! なによ! セリクは大きいオッパイが好きなんでしょ!!
オッパイ怪人なんて皆やられちゃえッ!! こうしてやる! こうしてやる!!」
そんな訳の解らないことを叫びながら、ギラとセリクに向かって全力で投石を行う!
「た、戦いの最中だよ! 危ない! フェーナ! やめてよ!!」
セリクは言い訳する暇も与えられず、飛んでくる石に逃げ惑う。
「くだらぬ嫉妬か! 見苦しい上にうっとおしいぞ!」
「うるさーいッ!」
「欲しいならば、力ずくで奪えばいいだけだろう…」
石から身を庇っていたギラが、大盾の裏でハルバードを持つ手にググッと力を込める。
「…このようにしてなッ!」
石が飛んでくるタイミングを見計らって盾を下ろし、一気に打ち返した!!
そんなことを予期していなかったフェーナも、止めようと近づいていたヘジルも、呆気にとられた顔をする。
「命さえ奪ってしまえば、永遠に貴公の物だぞ!」
何個かの跳ね返された石が、フェーナとヘジルを襲う!!
それは投石の時よりも遥かに勢いを増し、当たったらただではすまない威力であろうことは一瞬で理解できた。
「クソッ!!」
逃げていたセリクが、フェーナたちを守るべく駆け出す! だが、どうやっても間に合いそうになかった。
『イバンの聖盾』を出す間もなく、フェーナは頭を抱えて眼をきつく閉じる。
「『聖角円陣!』」
ヘジルが声を張り上げた!
ユニコーンの角が光り輝き、波状のエネルギーを解き放つ!
黄金の稲光がバリバリッと周囲に煌めいたかと思うと、飛んできた石を全て一瞬にして砕いたのだった!




