4話 精鋭部隊 四龍
セリクが眼を覚ますと、目の前に紫色の天井が広がる。そんな見慣れない風景に違和感を覚えた。
しばらくして、ここが龍王城であることを。生贄に連れてこられたことや、エーディンとの会話をひとつひとつ思い出した。
実に気が滅入る内容であったので、さきほどの心地よい眠りの中にすぐさま戻りたい気分にかられた……。
眼を擦りながらベッドから降りると、自分が新しい寝間着を着ていることに初めて気づいた。
眠気に負けてそのまま眠ってしまったので、どうやら寝ている間に着替えさせてくれたのだと思われる。それに気づかなかったのは、本当に疲れて熟睡してしまったからだろう。初めて触れるベッドがそれほどまでに安眠を誘ったのだ。
着替えさせてくれたのも、あのロベルトだろう。おそらく、しばらくして様子を見に来た時に、気を利かせてくれたのだろうとセリクは思った。
あの大柄な身体であれば、セリクを起こさずとも着替えさせるなんて造作もないことだろう。その光景を想像すると、まるで着せ替え人形になったような気分だ。
「……こんな良い服。初めて着たよ」
いつも使い古しの服を着ていたのだ。新品の服に袖を通したことなんて記憶している限りなかった。
着心地は良かったが、いつまでも寝間着でいるわけにもいかない。
この部屋は自由に使って良いと言われていたことを思い出し、衣装棚を開いてみると、人間の服が何着か用意されていた。
もともと着ていた服は見あたらないし、適当な服を選んで着ることにする。
どれもこれも高価なもののようで、セリクが選んだのは冒険者が着るような厚手のポケットが沢山ついた紺のジャケットに、青いジーンズ、丈夫そうなブーツだった。
サイズは少し大きめだったが、それでもボロをまとっていたのに比べれば上等だ。
「とりあえず、逃げ道をさがさなきゃ……」
普通は牢獄に監禁するか、もしくはこの部屋に軟禁されるのが当然だろう。
だが、セリクには拘束具をつけられるどころか、見張りすら一人もつけられていなかった。
これは逃げてもすぐに見つけ出せるという自信があるのからなのか、もしくはここが人間の足ではとても帰れない場所だと示しているのかも知れないとセリクは考える。
城の中は何もかもが規格外の大きさであった。
大広間かと思われるような広大な廊下。人間が住むのを想定しておらず、天井はセリクの身長から比べてみても、約20メートル以上はあるようだった。上を何匹かの龍族が悠々と飛び交っている。
城の中では、立ち入れないような場所などもほとんどなかった。人間の城ではこうはいかないだろう。
部屋と部屋を区切る扉のようなものは少なく、中には階段すらない場所もある。吹き抜けのような場所を龍たちは易々と飛んで行くが、セリクはそれを唖然と見やる他ない。
ちょっと探すと階段が見つかったりするが、奥まった狭い場所に造られていたりで、まるで使われているような形跡がない。そういうところからしても、人間のための場所じゃないのだとますます思い知らされる。
何よりも不便と感じるのは照明だろう。昼間は日の光が入るように造られているようだが、壁にあるべき燭台などが一つも見あたらない。夜になったら松明でも持ってないと歩けないだろうとセリクは思う。龍族は夜目が効くので必要ないということなのだろう。
あまりに広いので、この中を全部を見て把握するには軽く一日以上はかかりそうだった。
城のどこに行っても、セリクは注目された。ジロジロと見られたり、クンクンとニオイを嗅がれたりする。だが、エーディンが前もって何らかの指示をだしていたのか、特に誰も何を言うでもない。ただ物珍しそうに人間の子供を観察しているだけだった。
セリクとしても、龍を見るのは初めてだった。その大きな口や鋭い牙を間近で見ると、簡単に一飲みにされそうで恐ろしく感じる。
彼らがただアクビしただけでも、グァオンというような大きな音が響くので、その度にセリクは身を縮こまらせた。
そもそも、龍に出会ったことがある人間の方が少ないことだろう。
細長い蛇のような形状や、ノッシノッシと雄大に歩くトカゲのような龍まで。色々な種類の、それこそ世界中のあらゆる龍族がここにはいそうだった。
一番セリクが驚いたのは、さっきまで飛んでいた龍が廊下に降り立ったかと思うと、みるみるうちに爬虫類のような姿から変わって、人間のような形態になることだった。それもただ形が変わるだけでなく、その大きさまでもが極端に変化してしまうのだ。山のような体が、セリクとそう変わらないサイズになるのはとても神秘的で不思議な光景だった。
そして、上手く人間になれるのは、色の鮮やかな龍が多いのだとも気づく。もしかしたら、くすんだ色をしている龍は年寄りなのかも知れない。龍の年齢なんて見た目ではほとんど見分けがつかないので、それがはたして正しいのかどうかまではセリクには解らなかったが……。
また、あまりにも若い仔供の《こども》の龍も変化できないようだった。
羽虫を追いかけて行って、その太い指のせいで捕まえられないことに癇癪を起こしている小さな龍がいた。動作や大きさからして、仔龍に違いなかった。
それをなだめるのは、人間形態になった父親らしき龍だった。はたから見ると、人間が自分の身丈よりも大柄な龍を甘やかしているようである。これが親子だと言われても誰もにわかには信じられないことだろう。
「おい。お前さんや。ちょいとお待ち」
セリクが一階の廊下を歩いている時、一匹の手足のない蛇のような龍が話しかけてきた。
初めて話しかけられたせいで戸惑ったが、立ち止まってその黄色い瞳を見返す。
セリクに焦点を合わせようと、目を細めたり、開いたりしている様子から、かなり年寄りの龍なんじゃないかと思われる。
眼はあまりよく見えていない様子だが、人間に解る言葉で話しかけて来たことからも、少なくともセリクを龍族と勘違いしているということはなさそうだ。
「エーディン様もよう解らん方じゃ。人間に喧嘩をふっかけたかと思えば、このような人間の小僧をなぜまた置いておくのか? ああ、龍王アーダン様がご健在ならばこのような無法にはならぬものを……」
落ち着かない様子で、中空を円形に漂いながら言う。あまりにクネクネとしているので、放っておいたら自分自身に絡まってしまうんじゃないかとセリクは一瞬だけ心配になった。
「龍王アーダンは……病気か何かなの?」
興味を覚えたセリクが尋ねると、グイッと顔を覗き込むかのように近づいてきた。
「病じゃと? いやいや、ワシらと身体の構造が根本から違うのだ。龍王様が普通の病気などされるはずもない。ワシらですら、鋼のように丈夫で、その進化は細胞レベルから変わりゆき、再生能力は他の生物の追随を許さぬほどの完璧さ。世にある生物の頂点じゃ。病に倒れるなど、数千年の寿命が尽きるまで一度あるかないかじゃよ。ましてや龍王様ともなれば天下無敵。病にかかるなどとはあり得ぬ。 じゃが、龍王様のお考えは、大海原のように広く深淵。何者にも理解など及ばぬ。それを病とみるならば、それも一理あるかもの。病とはなにか? 普通とは違うことじゃ。龍王様は普通とは違う。じゃから、それは病かの……病、病とはなにか、病???」
老龍は首をグネグネ回しながら考え込む。すでにセリクは眼に入っておらず、支離滅裂な単語を連呼していた。
「あ、あの…」
セリクが声をかけても、老龍はすでに自分の思索に入っていて声は届かない。
「そのジイサンは構わないほうがいいわよぉ~。まともな会話はなりたたないからね♪」
「え?」
背中から声をかけられ、セリクが振り返る。
相手の姿を見た瞬間、セリクは真っ赤になって顔を背けた。
大人の女性だったのだが、本当に大事な部分以外はほぼ裸同然という露出度の高い服を着ていたからだ。
セリクのいた村でこんな格好の女性はいなかったし、ましてや十代や二十代といった妙齢という女性は少なかったのだから尚更だ。
派手で真っ赤なドレスに、大きく開いた胸元。太股のラインにそって大きく裂けたスカートは、履いている意味があるのかどうかすら怪しい。
こんな服を着ているのはそれだけ自分に自信があるからだろう。しかし、それだけに見合った要素は充分すぎるほど揃っていた。美人というだけでは言い足りない魅惑があったのだ。
周囲に妖しげな香りまで漂ってきて、セリクは目眩のようなものを覚える。
「アーッハハ♪ ほんと話に聞いたとおり可愛い子ねぇ~。エーディン様の言っていた、セリクちゃんってアナタね?」
服と同じ真っ赤な長い髪をかき上げ、セリクの両頬を掴んで顔を覗き込む。
かなり背が高いので、強引にグイッと顎を上げられた形となった。
アイシャドーに彩られた気の強そうな目に見続けられると、無条件に平伏してしまいそうになる。
耐えきれずに視線を逸らすと、ちょうど目を伏せたところに、今度は豊満な胸があった。セリクはそれをまじまじと見てしまったのでさらに頬を赤く染めた。
女性とはほぼ縁がない生活をしてきたわけだが、それがなんだか恥ずかしいことだというのはセリクも知っていたのだ。
「ハァーイ♪ アタシはベロリカ・アンニスよ。よ・ろ・し・く・ん♪ 人間なんて、ここにはルゲイトやガルぐらいしかいないからさぁ。少ない種族同士、仲良くしましょ♪」
「……子供をからかうな」
ベロリカがおもむろにセリクにキスをしようとするのを、ベロリカの後ろに立っていたルゲイトが止めた。
ルゲイトは不快そうにベロリカを睨み付ける。
ベロリカはアッカンベーをしてから、自身の赤色の唇を舌で舐めながら、名残惜しそうにセリクから手を離した。
「…あなたたちは、人間?」
セリクが赤面したまま問う。
ルゲイトの姿は見ていたが、てっきり龍族の一人だと思っていたのだ。人間だと聞き、少し安心した気もするが、なぜこんなところに自分以外の人間がいるのだろうかとセリクは疑問も感じる。
「……私たちは“四龍”。龍王エーディンに付き従う龍王直属の精鋭部隊だ」
「……精鋭部隊? エーディンに……龍王に仕えててるの? 人間なのに?」
「あら。人間だからって、人間の味方をしなきゃいけない決まりはないわよ。アナタもここにいれば、龍王エーディン様の素晴らしさに気づくはずよぉ♪」
ベロリカはウインクして言うが、セリクは唇をかんで複雑な顔をした。初対面があんなにも最悪だったので、とてもエーディンに好意は抱けそうになかったからだ。
「人間はあなたたちだけなの?」
セリクが聞くと、ルゲイトは眉をピクッと動かした。
ベロリカは面白そうにして、セリクとルゲイトを交互に見やる。
「……私たち以外にもいる事はいるが、中には関わらない方がいい者もいる」
どういう事なのかさらに問おうとしたが、ルゲイトはそれ以上の説明をする気はないようでクルッと踵を返した。
「もーう、無愛想なんだからぁ、かわいくなぁーい……。あ。そうそう。でも、一つ言っておかなきゃね。自由に歩き回るのはいーけれど、一階の奥にある龍王アーダン様の間にだけは近づいちゃダメよ。お姉さんとの約束、ね?」
ベロリカが一差し指を立てて言う。
「龍王アーダンの間?」
「そうよ。エーディン様もむちゃくちゃお強いけれど、その父君であらせられる龍王アーダン様はそりゃ言うまでもないわよね。龍族だって滅多に近づかないんだから。カブッと食べられても知らないわよぉー」
茶化すような物言いのせいでそれほど深刻には聞こえないが、エーディンの力を知っているセリクはゴクリと息を呑んだ。
「……余計な事は言うな」
「だぁって、必要なことでしょ?」
「……陛下の元へは誰も立ち入れん。いらぬ心配だ」
歩き出していたルゲイトが顔だけ向ける。眉間のシワがかなり深くなっていることから、らかなり不愉快に感じているようだ。
「あーら、そんなこと言ってデュガンに会わせたくないんでしょ? だったら、ちゃんと教えておいてあげなきゃ」
「……そうではない。陛下のことで、軽率な発言は慎めということだ。お前は敬意が薄い。エーディンに対する忠誠心を、アーダン様にも抱け」
「ふんだ! そういうアンタこそ、エーディン様の幼なじみかなんだか知らないけどいつも呼び捨てじゃない。せめて殿下ぐらいつけなさいよ。そもそもアーダン様が10年以上も伏せっておいでじゃなければ、エーディン様が……」
「……ベロリカ!」
ルゲイトが声を荒げた。ベロリカは悪びれた様子もなく肩を竦める。
そして、セリクの方を見てニッコリと笑った。
「アタシの部屋は、二階の東側だからね。気が向いたら来てちょうだい♪ 一緒にお茶でもしましょ。もちろん、それ以上のことも……ね♪」
耳元に息を吹きかけられ、セリクはブルッと震える。
ベロリカは妖しげに笑うと、手をヒラヒラとさせて、もうかなり先に進んでしまっていたルゲイトを追いかけた。
「四龍……。ルゲイトにベロリカ」
一人残されたセリクは、狐につままれたような気持ちで、しばらくその場で立ちつくしていたのだった…………。