45話 召還師ヘジル・トレディ(2) (ヘジル視点)
予想は、最悪の形で実現することになってしまう……
いつの間にか黒い雨は上がっていた。降っていたのはほんの一時だけだ。
テントに辿り着いた時には、日は完全に落ちてしまっていた。
ハンドライトの光に映ったのは、無惨に切り裂かれたテント。
骨組みが折られ、机が砕かれ、寝袋の綿が舞っていた……。
荒らされた状況を見るに、さっきのファントムウルフたちだ。僕たちに出会うより前に、ここを襲ったのだろう。
「う、うおおッ! スベア! スベアどこだ!!?」
「た、たいへんす! スベア!! スベア!! どこにいるっすか!?」
二人は血眼になってスベアの姿を捜す。
「……血痕がある。こっちだな」
濡れた土の上に、点々と残る血痕を見つける。それは側の茂みの方に向かって続いていた。
僕が指す方に向かい、転がるような勢いでベンが走り出す。
「スベア!!!!」
僕とミシールは、ベンを追いかけて行く。
茂みの前で、ベンが呆然と立ちつくしていた。
ベンが眼にしたものに気づいて、声をかけようとしたミシールが硬直した。
むせ返るような血の臭いに気づき、僕も眼を細める。
そこにいたのは、腹を切り裂かれ、腸の飛び出したスベアだった。
彼女は木にもたれかかっていて、髪も顔も自身の血でまみれていた。
幹にベットリと多量の血がついている。この状況から察するに、攻撃を受けて逃げ、ここでずっと身を隠していたのだろう。
ファントムウルフは、普通の狼のようにニオイで獲物を捜したりはしない。目視のみだ。だが、視力は良いとはいえなかった……だから、見つからずにすんだのだろう。
「ああ、ああ! スベア! スベア!!」
「馬鹿か! 触れるな!」
抱きつこうとせんばかりのベンを止める。感情にまかせて何をやるか解ったもんじゃない。
ベンを制したまま、僕はスベアの側に寄る。口元に頬を近づけると、虫の息ではあったがまだ呼吸をしているのが解った。
「おい。スベア。僕だ。聞こえるか」
耳元で声をかけると、苦し気にスベアが眼をうっすらと開く。
「……と、トレディた、いちょう」
微かに聞き取れる声で言う。
「いい。喋るな…」
僕がそう言うにもかかわらず、スベアは小さく首を横に振る。
「無線……とばしました……危険な……魔物の…動向……あり……と。ランドル…たい…ちょうに……」
たどたどしくそうスベアが言う。最後にコフッと血を吐いた。喋るだけでも辛いだろう。
「そうか。良くやった」
「……隊長に…ほめられるの…初めてです」
そんなことを言って、スベアは力なく笑う。
僕はスベアの状態を確かめる。移動することは不可能だ。こんな森の奥に医療班を呼んだとして、その間は持たないだろう。
「スベア。はっきり言っておこう。君は……もう死ぬ。助からない」
「た、隊長!! あんた、何を言ってんだ!!」
憤るベンを、ミシールが羽交い締めにして止める。
そんなミシールは、涙と鼻水でグシャグシャの顔をしていた。だが、すでに手の施しようがないと解っていた。
スベア自身はすでに覚悟していたようで、眼をつむって小さく頷く。
「何か……言い遺すことはあるか?」
「……はい。わ、わたしを…育ててくれた……レ・アームのシスターに……“ありがとう”……と一言」
「解った。シスター・デロリアのことだな。確かにその旨は僕が責任を持って伝えよう」
僕が肩に触れて頷くと、スベアは嬉しそうに笑う。
立ち上がって側を離れると、見計らったようにミシールがベンを離した。
勢い余ったベンはドサッと倒れ、そして這うようにして、スベアの側に顔を寄せる。
「ああ! スベア!! 死ぬな! 死なないでくれ!」
「……ベン。うるさい、ですよ。
そんな顔しないで……ね?」
「俺は、スベア! お前のことが! ああ、こんなことになるなら!! 俺は、俺はもっと前に!!」
「…ベン」
スベアはスッと表情をなくす。血を流しすぎて意識を失ったのだろう。
「ああ! スベア。ダメだ! 目を開けてくれ!!
頼む! 神様! いるなら、スベアを助けてくれ!! 助けてくれたら、俺の命をやるから!!」
ベンは知っている祈りの言葉を幾つも並べる。
それは無駄なことだ。神王ラクナ・クラナであれば死者すら蘇生させられるかも知れないが、神界凍結している今ではその力は地上にまでは届かない。
「うう、ヒドイっす! ヒドイっす! なんで…なんで、スベアがこんな目に遭わなきゃいけなかったっすか!!」
ミシールが泣き崩れる。嗚咽をもらしながら、地面を殴りつけていた。
泣いて何になる? 泣いてスベアが治るのか? いいや。治らない。治るはずがない。もう助からないのだから……。
僕はその場を離れようとする。
と、僕の背に向かってベンが何やら叫んだ。言葉にならないような叫びだ。
「トレディ隊長!! あんた! あんたはどこ行くんだ!!」
「……潰れたテントの下に無線機がある。まだ使えるかどうか試す」
そう言うと、ベンもミシールも眼を見開く。
「こんな状態のスベアを置いて? 何を言ってるんだ、あんたは!!」
「仲間っす、よ!? ヘジル隊長! 仲間が死にかけてるんっすよ!!」
馬鹿か。そんなことは知っている。見れば解る。
「…僕たちが騒いで何になる?」
「そうじゃ……そうじゃねぇだろうよ!!」
ベンが憤るが……何を怒っているんだ? コイツは?
スベアという戦力がなくなったのは確かに痛手だ。彼女も優秀な召還師だから尚更だ。
しかし、ファントムウルフがまた出現しないとも限らない今は、すぐさま態勢を立て直さなければならない。
今いる青年部隊で応戦可能かも知れないが、一応は帝国へ応援要請もしておくべきだ。
「いずれにせよ、まずは連絡を取り合うことが先決だ」
僕とベンは睨み合う。ベンは拳をブルブルと震わせていた。
僕を殴るつもりか? 僕を殴って冷静になるなら、そうすればいい……そんなことを考えていた矢先だった。
ベンの後ろの茂みがガサガサと揺れる。
敵の出現かと、僕たちは慌てて身構えた。
「あー! いたいた!
ここだよぉ、セリクゥ!!」
甘ったるい声を出し、茂みからピョンと姿を現したのは……少女だった。
甘栗色の髪をして、頭にピンクのカチューシャを付けている普通の街娘だ。こんな戦場にはまったく似つかわしくない。
「強い魔物がいるんだから、先に行ったら危ないよ」
少女の後に出てきたのは、少年だ。小柄な体躯からして、年齢も少女とそう変わらないぐらいだろう。
黒髪と黒眼が特徴的だった。中性的な顔立ちなので女かとも思ったが、声質と服装で辛うじて男なのだと解る。
二人とも、明らかに僕たちよりも年下だろう。ミシールも小さい方だが、それよりもさらに背丈は低い。
「な、なんだ。お前らは……」
怒っていたベンは呆気にとられていた。正直、僕も同じ顔をしていることと思う。
民間人の少年少女、それが人里離れた森の奥地にいるのだ……それが変だと思わない方がどうかしている。
「はいはい。そんなことは後でねぇー。
さぁて、今はそっちの女の人を治しまーす!」
「治す? な、何を! お、おい! スベアに触れるんじゃな…」
「もう、うるさいなぁ! この人、死んじゃってもいいの!? 大事な人なんでしょ!!」
「は、はぁ!? し、死んでいいわけがねぇ!」
「あなたが大声だしてくれたから、私たちが気づけたんだから! 今なら間に合うの! そのチャンスを無駄にするってなら許さないわよ!」
少女が早口に捲し立てると、ベンはそのあまりの迫力に息を呑んで黙りこくる。
側にいた少年が、ちょっと申し訳なさそうな顔をした。
「ひどい……でも大丈夫。もう少し我慢してね」
少女はスベアの全身を見て、その状態の悪さに眉を寄せる。
だが、すぐに両手を組み、祈りの文言を唱えた。すると光の珠がキラキラと辺りを舞い、それがスベアの身体へと吸い込まれていく。
「こ、これは…」
「イバン様。お願いします。力を貸して下さい……『セイン・リカバー!!』」
少女の宣言と共に、信じられないことが目の前で展開される。
土に混じっていた血が中空に浮かびあがり、一滴残らずスベアの内に戻っていくのだ。
剥き出しになっていた腸があるべき位置へと戻り、なくなったはずの肉が盛り上がり、傷が消えていく……。
まるで時間を巻き戻ししているのを見せられている気分だった。
「…まさか。治癒師か?」
ベンが目を見開きながらそうポツリと呟く。
「治癒師? いや、だが……こんな高度な治癒は見たことがない」
治癒師は、デイルダの大教会レ・アームで何人か見たことがある。
折れた骨を元に戻したり、失った腕を生やしたり……そういった光景は見たことがあった。
だが、瀕死の……ほぼ死にかかった人間を治す規模の治癒は見たことがない。それにどれだけの生命力を使うか知れたものじゃない。
気は失ったままだったが、青白かったスベアの顔に血の気が戻る。
「ふう。終わりー。傷は全部治したから、あとは意識さえ戻れば大丈夫だよ」
少女はあっけらかんとした様子でそんなことを言う。
いま人間一人を完治させたのだ。普通はかなりの生命力を消費するはずだが、平気な顔で笑っている。
「ほ、本当か!? スベアは助かるのか!?」
「助かるのか、じゃない! 助かったの! もう! 見れば解るじゃない!」
ベンは泣きながら頭を何度も下げ、それからスベアを抱きしめて何度も頷いていた。
「よ、良かったっす! 何がなんだかサッパリだけれども、良かったっす!」
ミシールも喜びに泣いていた。
コイツらは、悲しくても嬉しくても泣くんだな。面倒くさいことだ。
少年と少女が僕の方を向く。
「あなたが“召還部隊”のヘジル・トレディ隊長ですか?」
セリクというらしい少年が尋ねてくる。
僕の部隊の“本当の名”を知っているということは……そういうことか。
「フン。なるほど。お前たちが、ブラッセル将軍が言っていた民間部隊……“ドラゴン・バスターズ”というヤツか?」
「はい。俺はセリク・ジュランド。こっちはフェーナ・ランドルです」
彼らの胸についているピンバッチに気づく。
黒い龍に長剣が突き刺さったデザイン……単なる虚仮威しもいいところだと、青年兵団に入隊したばかりのヤツらがそれを見て馬鹿にしていたのを思い出す。
まあ、青年兵団こそ、エリート意識が強いだけの馬鹿ばかりだというのが僕の感想だが……。
貴族だからといって良い階級を得たとしても、実力が伴わない…また努力しないならば全く無意味だ。
ブラッセル将軍やクロイラー将軍はそういった者の一掃に尽力しているが、いまだ軍部はミルキィ家などによる特権意識みたいなものが深く根付いている。
資金源が貴族である以上、ある程度は妥協しなければならない……と、そういう部分での苦労もあるようだった。
青年兵団の部隊がブラッセル将軍の直属とはいえ、本当の意味で動かせるのは僕の隊と……あの“筋肉馬鹿”の隊ぐらいだろう。
少なくとも、僕……僕の隊は、ある程度の指揮権をもらって自由に動けるぐらいには認められているのだ。
努力は人を裏切らない。努力すれば、凡人も天才にはなれなくても“秀才”ぐらいにはなれる。
そうした者こそが本当のエリートと言えるだろう。そう。僕のように……。
「実は…」
「ああ。大方の予想はついている。魔物の異様な増殖と凶暴化。この裏には、魔の眷属が関わっているのだろう?」
「え?」
「魔族が動き出したんじゃないのか?」
セリクが言う前に僕が答えると、なぜか驚いたようだった。
「スゴイ! この人、頭良いよー! 眼鏡かけてるだけあるね!」
頭の良さと眼鏡に因果関係はないと思うが…。
だが、フェーナという少女は見たまんまなのだろう。頭は間違いなく悪そうだ。
「神告の最中、魔王トトというヤツに襲撃されたんです」
セリクの発言に、ベンもミシールも驚いた顔をする。
「魔王!? 魔王って……あの老剣豪バージルが倒したっていうヤツっすか!!」
「龍王に続きかよ! どうなってんだ!? なんだって、伝説の怪物ばっかりでてきやがんだよ!」
二人はそう嘆くが、恐らくは魔王のことは良く知ってはいないのだろう。
“老剣豪物語”では少し出てくるが、魔王の描写は実に曖昧で、ただの悪者として封印されたというだけの展開でしかない。
龍王と言えば、巨大なドラゴンというイメージがすぐに湧くだろう。だが、魔王と聞いても、いまいちピンと来ないのは仕方がないことなのかも知れない。
人々の恐怖の対象としては、龍王アーダンの方が知名度は高い。なにせ、神々と直に敵対した存在なのだから大きく取り上げられて当然だ。
「魔王トトか……。もしその存在が本当ならば、魔物たちの異常も納得がいく。魔界ラゴレームから魔気が地上に流れ込んでいて、その影響によるものと推測できるしな」
魔物は……魔王トルデエルトが、キードニアの初代“機工王”に成り済まし、地上を蹂躙するために魔界から呼び寄せた存在であるという記述を見た覚えがある。
事実、キードニア領はガーネット領よりも凶悪な魔物が跳梁跋扈している。さすが魔王のお膝元なだけはあるというわけだ。
戦争時にはこの魔物たちも障害となり、大いに帝国は苦しめられたらしい。
「しかしよ、神告に攻撃が仕掛けられたって言ったよな?」
「ええ。そうです」
「なら! 大総統とかは無事なのか!? 神告はどうなったんだよ!?」
ベンが騒ぎ出す。質問するなら一つで充分だろうに。…本当に馬鹿だ。
「フン。少しは考えろ……。
二人が帝都から来たということは、ブラッセル将軍の指示で来たのだろう。
そして、そういう指示が出せたということは、魔王の脅威は一時的にはとはいえ、帝国軍の力で退けられたということだ。
神告は中断されたのだろうが、二人の様子から察するに、大総統の御身も無事だろう。もし何かあったとすれば、先にそれを言うはすだし、こんなに悠長に話しているはずもない」
僕がそう説明してみせると、フェーナは感心したように大きく何度も頷いた。
「ほぼ正解! でも、ちょっと訂正ね。正確には魔王はエーディンが追っ払ったのよ」
訂正だと……。
「エーディン? 龍王エーディンが魔王と戦ったのか?」
龍王が動いたのか? それは僕にも意外なことだった。
龍王が介入したということは、魔王に対して敵意があるからこそなのだろうが、それにしても賢いやり方には思えない。ルゲイト・ガルバンにしては悪手だ。
僕が龍王側だったとしたら、魔王が人間と敵対したら好機と見るだろう。しばらくは互いを潰し合わせ、消耗させようとするはずだ。人間にせよ、魔王にせよ、叩くならば弱らせきった方が良いに決まっている。
それとも、双方を一気に相手にして勝てる算段があったとかなのか?
いや、いずれにせよ、断定するには情報が足りないな……。
「おい。セリク。お前の知っていることを全部聞かせろ」
「いや、だから、私たち最初からそのつもりで話して……」
「ベンとミシールはスベアの介抱をしろ」
「人の話を聞きなさいよ!」
フェーナの話は聞く気がなかった。この手の女は、大概が説明が下手だからだ。聞くなら、セリクからだ。
僕が指示を出すと、ミシールは頷いたが、ベンはそっぽを向いた。それでも介抱するつもりはあるのだろう。スベアの身体を静かに抱き上げる。
ベンが反抗的なのは後々の指揮に問題があるかも知れないが、僕は“嫌々でも指示に従えばいい”と考えて気にも留めなかった……。
スベアが運ばれるのを見送ったあと、僕たちは近くにあった倒木に腰をかける。
フェーナは頬をふくらませていたが、セリクは予想通り、まとまった話をしてくれそうだ。
「じゃあ、始めてくれ」
「あ、はい…」
これが僕と、セリク・ジュランドとフェーナ・ランドルという二人との出会いだった。
この時の僕は、これがこの二人との長い付き合いになる始まりであるとはまだ気づいてすらいなかったのである…………。




