43話 災禍に挑む紅い鷹
ガーネット帝国城三五階、大総統と王女の私室があるプライベートフロア。基本的にフガール家の血筋の者か、ダフネスが許した者しか立ち入ることができない完全制限区域である。
その階の全ての入口は、“ブラックナイツ”と呼ばれる帝王直属の近衛兵たちによって完全に固められていた。
その名の通り、黒いフードを被った兵士であり、一人一人が将軍クラスの実力を誇ると言われるフガール家の忠実なる私兵たちである。
神告間には入らなかったものの、エレベーターホール周辺を警備していたのはこのブラックナイツたちである。
何よりも大総統の身の安全を第一とし、イクセスによって助けだされたダフネスをここまで護衛したのもまた彼らであった。
このいつにない厳戒体制に、メイドたちにも怯えの色が見えた。今まで階を覆い尽くす程のブラックナイツなんて見たことがなかったので当然だろう。
神出鬼没の魔王なる存在は神告間に難なく現れたのだ。警戒しすぎるに越したことはないといった緊張感が辺りに漂っていたのである。
他フロアの三倍はあろうかという分厚いガラスが全面を覆っていて、さらにその上に防壁シールドが張り巡らされた鉄壁の防御力を持つ。クロイラーのレールガンを最大出力で放っても傷一つすらつかない。ガーネット領全土を探しても、ここほど安全な場所もないことだろう。
それでも、眼下に放たれた龍王の一撃…その有り様をまじまじと見て、ゲナはゴクリと息を呑む。
「あれがここに撃ち込まれていたら……」
恐らくは、城は壊滅的状態になるだろうと考えていた。今まで聞いた龍族が放つ波動技などとは比べ物にならないほどの破壊力だったのだ。
Dr.サガラ率いる礎気工学部門が総力を結集しても、あれだけの威力を持つ兵器を造ることは不可能だろうとゲナは思った。
「うう、ど、どうすればいいのだ……。
神々は、神々はいったいどうされたというのだ!?」
親指の爪を噛みながら、客間の中を行ったり来たりする。
メイドたちが「お心をお鎮めください」と側に寄るが、ダフネスはそれを平手打ちして追いやった。
「通信が妨害されただけだろう。魔王が退けば、神告を再び……」
「魔王が退くだと!? どうやって、誰がそれを為すというのだ!? イクセスもクロイラーも簡単にあしらわれてしまったのだぞ!!」
ダフネスは憤って、ゲナに喰ってかかる。
魔王の恐怖を目の当たりにしたのだ。このわずかな時間で、眼は窪み、頬が痩けてしまっている。それはいつもの賢王の姿ではなかった。
「状況は正確には掴めないが、魔王が帝都で暴れてる最中に龍王エーディンが姿を現したようだ」
「龍王が……この帝国に、か?」
「しばし、魔王と龍王が交戦していたように見えた…。
そして、恐らくだが……互いに痛み分けとなったのだろう。今は両者とも去ったようだ」
ダフネスは慌てて窓辺に寄り、外の様子を見やる。そして、『タオ・ウェイブ』によって破壊された帝都を見て唖然とした。
「こ、これが……龍王と魔王がやったというのか!?
お、お終いだ…。ああ、神々の加護なくしては、もはや……ガーネットはお終いだ……」
ズルズルと窓にもたれかかるように、しゃがみ込むダフネス。
「しっかりしてくれ。ダフネス。君は大総統なのだよ。君がそんな風では、臣民が不安がる」
プライベートフロアにいるダフネスは、ゲナが知る限り、決して強い男ではなかった。
大総統、大神官……それだけの重圧を抱え、尚も偉大なる施政者として振る舞うのが如何に苦痛か。それは本人にしか解らぬ部分だろう。
いや、むしろ、彼が偉大なる指導者たる所以は、このように私情を露にできる気を許せる友が側にいるお陰なのかも知れなかった。
そして、篤い信仰者としての姿……その本質たるところは、“神々への依存”であり、神という絶対者の後ろ盾があったからこそ、ダフネスは気丈に振る舞えていた。
今回、その根幹たる部分が揺らいだのだ。ダフネスの弱さがここで一気に噴出したのは仕方がなかったことなのかも知れない……そうゲナは考えていた。
彼の露骨な狼狽は、いまこのプライベートフロアで、ゲナたち身辺者のみに晒す本来の姿なのだ。
大総統として、この階より下に降りさえすれば……きっと“いつもの賢王”らしく振る舞うのだろう。
だが、この混乱した意識ではそれもままならない。“脅威が確実に去った”……その一報が入るまでの辛抱なのだった。
「もしまだ交戦しているならば、イクセスやロダムから応援要請が入るはずだ。それがないということは、もうすでに事態の沈静化に…」
「ユーウは!?」
ダフネスはハッとして、ゲナに掴みかかる。端から話など聞いていなかった。
その定まらぬ視線を避け、心苦しげにゲナは小さく頷く。
「…今ここに来る」
そう言うが早いか、ブラックナイツによって護られたユーウが姿を現した。その後ろで、ウォルタが胸に手を当てて深く頭を下げる。
「“御義理父様”?」
憔悴したダフネスを見て、ユーウは心配そうな顔を浮かべる。
だが、すぐにそれが“義理父”でないことにユーウは気づいた…。
「どうしたの? “ダフネス”? 大丈夫?」
ユーウが優しげな笑みを浮かべて小首を傾げると、ダフネスは顔をクシャクシャにさせ、ユーウの膝元に平伏する。
そして、足首にすがりついて、嗚咽を漏らしながら泣き出した。
「よしよし。怖くないわ。怖くないの。大丈夫。大丈夫よ。“ママ”がここにいますよ」
「ああ。“お母様”! “お母様”!」
ダフネスは、ユーウをそう呼び、子供の顔になっていた。
まるで子供をあやすように、ユーウはダフネスの頭を優しく撫でる。
その姿を見るに耐えないといった感じに、ゲナは顔を背け続けていた。そして、チラッとウォルタを見やる。
ウォルタは再び深く一礼し、このダフネスの姿に驚いているブラックナイツやメイドたちを促して共に退出して行った……。
「ユーウ。ダフネスを頼む……」
ゲナがそう言うが、ユーウは素知らぬ顔でダフネスを慰め続けていた。
窓の外の傷ついた神の都をもう一度見て、うんざりしたような様子でブラインドを下げると、ゲナもこの客間から去って行った……。
「…………落ち着いた?」
誰もいなくなったことを確認し、ユーウは優しくダフネスに問う。
ダフネスの顔は子供でなくなっていた。だが、それは未だ“父親”でも“大総統”でもない。
「……うん。ユーウ」
「……そう。良かったわ。“あなた”」
そうユーウが呟いた瞬間、乱暴に服がむしり取られる。
神告に一瞬出るためだけにあしらわれた最高級品のドレス。だが、そんなことお構いなしという感じに、ダフネスはそれをビリビリと破く。
不安を紛らわすための欲情……それを一身に受け止めながら、ユーウは虚ろな顔で天井を見上げる。
(自分は何?)
(自分は王女?)
(自分は娘?)
(自分は母?)
(自分は……妻?)
(自分は…………誰なの?)
(“ボク”は“私“であり、“ママ”でもあり、“妻”でもある……でも、本当は誰?)
その問いは闇に消えて、誰も答えてくれはしない。そんなことはとうに知りつつも、ユーウは頭の中で反芻し続けていた……。
上下に揺さぶられながら、ユーウは謳う。
それは今もたらされている快楽ではない。彼女は夢の中にいた。恍惚の笑みは理想の夢がもたらせてくれたものだ……。
「災禍は荒れ狂う。災いだ災いだ災いだ……」
彼女は目の前にない幻の暴風を見ていた。
彼方からやってくるのは、全てを呑み尽くさんとする災禍。それはうねりつつ、彼女の前に雷光を伴わせて姿を現す。
「揺らせ! 揺らせ! 揺らせ!」
そんな幻を前に彼女は激情を剥き出しにする。意味不明な怒声を上げ、焦点の合わぬ銀色の瞳が大きく拡がる。
動きと共に、より声が激しくなっていく。ダフネスはユーウの言葉など聞いてはいなかった。ただただ自分の本能に身を任せることに没頭する。“それはいつものこと”なのだから、気にすることではないのだ。
「……あ、紅い鳥、だ」
災禍の中心から、真紅の鳥が飛び立って現れた。それは暴風に煽られつつも、彼女に向かって一心に飛んでいた。
しかし、災禍はそれを許すまいと、憤怒と怨嗟によって、手がつけられないぐらいにますます荒れ狂う。
儚く健気な紅い鷹は、懸命に災禍へと立ち向かう。あわや吸い込まれそうになっても耐え続け、いくら傷つこうとも決して諦めることはない……。
「ウククッ。紅い、紅い、紅い……逃れられぬなら、災禍を内から滅ぼそうというのかい?
ああ! そうか! 互いに喰らい合うのかい? キミたちは!? それはボクのためなの?」
「…ユーウッ! ユーウッ!」
幻に囚われていたユーウは一瞬だけ現実に戻る。いま目の前にいるのは、ただの哀れな男に過ぎなかった。
ユーウは思う。目の前の弱く矮小な人物に比べ、何と災禍と紅鳥は魅惑的なのだろう、と……。
この二つの存在にだったら、自分は全てを奪われても良いとさえ思った。いやい、臓物を貪り喰われて、真っ赤に彩られ、恍惚の内に死を迎えられたとしたらむしろ幸いなことだろう、と。
幻に戻ろうとユーウは意識を歪めた。目の前の……“汚らわしき存在”を、災禍や紅鳥に置き換える。
「ぁ…はぁッ…」
それだけで、ユーウは興奮に顔を紅潮させた。白い頬が染まる。
「ユーウッッ!!」
“汚らわしき存在”は勘違いしていた。自分がユーウに求められているものだと……。
それは決して違う。ユーウが求めているものは遥か別のものだったのだ。
「……エーディン、セリク……どっちでもいいさ。勝った方がボクを奪ってよ」
ユーウは気だるげに微笑み、そう小さく呟く……。
その声は絶頂に達しているダフネスの耳には入らなかったのであった…………。
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二九階、副総統執務室。
ブラックナイツたちは、副総統をも護衛すると主張したのだが、その申し出をやんわりと断る。
大総統護衛任務を優先すべきだということを口にすると、渋々とではあったが、生真面目な近衛兵たちは持ち場へと戻った。
彼らの本心としては、ゲナがどうなろうと知ったことではないはずだ。なにせ、ダフネスを守るためだけに存在してる私兵たちである。副総統を護衛するだのと言ったのは、ダフネスの大総統としての立場を考えての取り計らいだろう。
いちいち、そんな体裁を取り繕うのは大変だろうと思ったが、そんな自分も彼らの申し出を角が立たないように断ったことに気づき、その滑稽な気遣い合いをおかしく思った。
「ままならぬな。……ハッキリと、“役に立たんからいらん”と言えたら楽だろうに」
実際、ゲナには、ブラックナイツが魔王や龍王に立ち向かえるとは思えなかった。ならば、護衛などいても無駄なのである。
「龍王だけならまだしも……魔王の出現か。ならば、こちらも手を早める他ないだろう」
自分のディスクに腰かけると、その後ろの影が大きく揺らめいた。
そして、スッと幽鬼のように……編み笠を被った女、颯風団の首領エンロパ。ドルドグ、ラウカンらが姿を現す。
そう。むしろ彼らの存在をブラックナイツに見れてはまずいというのが、人払いをした本当の理由である。
「なんだ。ラウカンは生きていたのか? てっきり龍に喰われたのかと思っていたよ」
ゲナがそう言うと、ラウカンはフンと鼻を鳴らす。
「……話が全然違うじゃないか。ドラゴンが襲ってきたのもそうだが、DBの力だって異常そのものだった。こちとら命からがら逃げたんだ。
それに魔王なんて輩まで出てきたんだろ? あいにく人外は専門じゃない。ウチらじゃ太刀打ちしようがないさ」
編み笠を脱ぎ、緑色の髪を振りながらエンロパが愚痴る。
「別にお前たちに戦ってもらいたいわけじゃない。
今はキードニアに戻る準備をしてもらいたい」
ゲナが葉巻を口にくわえる。ドルドグが無言のまま前に出てそれに火を付けた。
「キードニアに? ハァ……ウチは言ったよね。あそこには“怪物”がいるって。それこそ龍王なんて目じゃないほどのさ!」
「そ、そうでゲス。ゲナ様は知らんでゲショ……。ヤツに国主様もやられたでヤンス」
「ラウカン。余計なことまで言うんじゃないよ!」
エンロパが怒鳴ると、ラウカンはヒッと頭を抱えた。
「フッ。その“怪物”でもなければ、龍王や魔王には勝てんだろう。
だが、なに簡単な仕事さ。Dr.グライアドの研究データが欲しいんだよ」
フーッと煙を吹き出しながら、ゲナはそう言う。
エンロパと二人は顔を見合わせた。
「いまの帝国にはサガラがいるだろう? なんで、グライアド博士の研究なんて……」
「そんなことは、お前たちが知らなくてもいいことだ。
さて、では行ってくれるかい?」
笑顔の内側に凄みを利かせ、ゲナが尋ねる。拒否を許さぬことを眼が伝えていた。
「ウチら颯風団は、受けた恩は返す。それがキードニアの掟だ。ゲナ様に拾われたことには感謝しているさ」
「なら、その恩を返せるよう励んでもらいたいものだ。口だけではなくてね」
「……ああ」
エンロパはそう言って頷くと、編み笠を被りなおし、配下二人と共にスッと再び影の中へと消えていった……。
「さて、残存兵力でしばらく持たせねばならないが…。魔王が使う次の手は何だろうかね?」
グリッと葉巻を机に押し付け、ゲナは立ち上がる。
ゲナが予想していた通り、魔王は次なる手をすでに放っており、この後すぐにその一報を受けるのであった…………。
これにて、一章は完結です。




