42話 ミルキィ家とスカルネ家(サラ視点)
多くの貴族たちが集う豪奢な舞踏会。
優雅な音楽と共に、紳士淑女が舞台の上でクルクルと回る。
会場内は選ばれた上客だけが招かれ、高級なワイン、贅を尽くした料理に舌鼓を打ち、互いの自慢話に華を咲かしていた。
銀皿に多くのお菓子をのせてもらい、ホクホク顔の少女はトトトと会場内を駆ける。
その少女の愛らしさ見て、大人たちは微笑ましい気持ちになり、「ほら、これもお食べ」と自分の分もその銀皿に分けてやる。
天使のような笑顔を見せペコリと少女がお辞儀をすると、綺麗な巻き毛がユラユラと揺れた。それから、またトトトと走りだして行く。
ダンスなんて興味がなかった。自分を幸せにしてくれる甘いスイーツだけが彼女を虜にしていたのだ。
早く席について食べたい一心で、スカートがめくれあがるのも気にせず、全速力を出していた。
そして、目の前の沢山のお菓子だけを見て、前をよく見ていなかったせいであろう。ドンッと誰かにぶつかり、皿の中身が盛大に飛び散ってしまった。せっかく積み上げてきた山の半分は失ってしまっただろう。
絨毯の上に転がるクッキーやケーキやチョコ……それを見て、呆気にとられていた少女だったが、次第に顔をクシャクシャに歪めて、大粒の涙を目尻にためる。
「非常にごめんなさい。つい余所見をしてましたから……。
下に落ちてしまいましたね。お詫びと言ってはなんですが、よろしければ私の分をどうぞ」
ぶつかった相手…少女よりも少し年上であろう、綺麗な黒髪をしたお姉さんであった。
自分の皿からお菓子類を取って移す。細く白い指によって、スフレやチュロスがやってくるのを少女はジッと見つめていた。
なんてことはなかったのだが、優雅で品のある所作に、少女はまるで魔法か何かに魅せられている心境だったのである。
「ありがとう!」
今にも泣きそうだった少女は、ニコッとした笑顔に戻る。
かと思いきや、今度は何やらモジモジとしだした。
「…これは非常に失礼しました。私の名はクロイラー・スカルネです。どうぞ、お見知りおきを」
クロイラーは少女が何を言いたいのか察して名乗る。それは自然でなおかつ優雅な会釈であった。
“声をかけた者が先に名乗る”…それは社交界でのマナーであった。基本的に立場が下の者が先に名乗るのが常だが、初めて介する時は互いの身分が解らない。そこで、最初に話すときは、先に口を開いたものが名乗る。その場合は立場が上の者が先に名乗ったとしてもマナー違反とはならないとする、貴族たちが作ったルールである。
状況は違っていたが、少女は律儀にそれを守ろうとしたのだ。
「あ、はい! クロイラー様ですね。わたくしは、サラ・ミルキィですわ。以後よしなに」
クロイラーを真似して、サラもスカートの裾を片手で掴んで頭を下げた。
「ブルモンド閣下には、秀麗なご令嬢がいらっしゃると聞き及んでおりましたが、どうやら噂以上のレディだったようですね」
クロイラーの褒め言葉に、サラは照れてはにかむ。
「もしよろしければ、少しお話でもしませんか? 一緒にお菓子を食べながらでも…」
自分の皿に残ったクラッカーを取り、クロイラーが微笑む。
この場に同年代の子供は少ない。それを知っていて、クロイラーはそう声をかけたのだった。
「はい! 喜んで!」
嬉しそうにサラは頷く。
これがサラとクロイラーの初めての出会いであった…………。
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わたくしはサラ・ミルキィ。自由気ままなトレジャーハンターですわ。
遺跡に眠る骨董品や、盗賊たちが隠した金塊まで、ガーネット領の端から端まで、お金になる場所にだったらどこにだって飛んでいきます。
古物商の皆様からは、“雷光の金貨”だなんて、大層な名前で呼ばれてますわ。ええ。わたくしが来た際には必ず利益をもたらすということで……いつの間にか、そんな渾名をつけられていました。
そうやって、徐々にではありますが、わたくしの名は世間様に広がっています。
ちなみに聞く人が聞けば解るのが、わたくしの“ミルキィ”という姓ですわ。
大総統ダフネス・フガールの母君が、当主ブルモンドの叔母にあたります。
フガール家に嫁いだ時にミルキィの名は棄てていますが、貴族事情に詳しい人ならすぐに気づくことですわね。
代々、帝王または大神官を世襲しているフガール家が最上家。そのすぐ下にいるミルキィ家は、スカルネ家やボイシュール家と並ぶ上級貴族の一つです。
かなりの力を有した特権階級という扱いで、帝臣役員という重役職、三将軍といった軍の最高官職が、その血筋だけで与えられることもあります。
長い歴史の中では、帝王とこの三家の血筋を持つ者だけが、政治の世界をガッチリと固めていたこともあったと聞きますわ。
五〇〇年前の帝王制廃止以前から、侯爵の爵位を持つ貴族であった三家。それを“古参名家”とも言います。
それ以外の貴族は、各地の地主が多く、成り上がりの貴族ということで、“新参名家”と分けて呼ばれていますわね。
そして、ミルキィ家の当主ブルモンド……これが、わたくしの父の名ですわ。
つまり、わたくしは正当なミルキィ家の後継者なのです。
三〇年前、前大総統の時代。当時のミルキィ家は、民主派のダフネス大神官がガーネットの頂点に立つことを望んでいませんでした。
それはなぜなのか? フガール家に連なる三家の立場であれば、当然のこと支援の側に回るのが普通でしょう。歴史上はいつもそうでした。しかし今回は事情が違ったのです。
ダフネスは民主派寄りの貴族であり、改革的思想の持ち主でした。大総統になる以前から政に口を出し、聖イバン教会とのパイプ役などを果たしていたのです。
ブルモンドは、前大総統に長年仕え、古参名家としての矜持がありました。そのせいもあり、随分と凝り固まった古くさい考えに囚われていたと言えるでしょう。
血筋や伝統などを、当時のミルキィ家は重視していました。そう。典型的な貴族至上の反民主派だったのです。
そのため、ダフネスの改革主義には断固反対の立場を貫き通していました。
それだけではありません。ブルモンドはかねてよりの熱心な最高三大神信仰教徒であったのですが、その信仰教義がこともあろうか大神官と対立してしまったのです。
ブルモンドからすれば、聖イバン教会と和議を結ぶなど……最高三大神に対する冒涜のように思えました。
これらの理由が重なり、例え神々が認めたフガール家だとしても、直接政治の場に……つまり、ダフネスに帝王もしくは大総統になってもらっては困ったのです。
そこでブルモンドを含む保守派の貴族たちは、対抗馬として、新参名家からゲナ・ロゲアを裏でこっそり擁立していました。
ゲナ・ロゲアを大総統にし、ダフネスを大神官のままに……それが、ブルモンドの考えた方針だったのです。
しかし、そのゲナは大総統選別を途中辞退してしまいます。それどころかダフネス側に付いて、副大総統に就任してしまいました。
この時までブルモンドは、ダフネスとゲナが親しい友人であることを知らなかったのです。いえ、むしろ、この二人は敢えて知られないようにしていたのかも知れません。
ゲナは、反ダフネス派を炙りだし、それを弱体化させるために対抗馬を演じたのだと、そうわたくしは思います。
まんまとその策に乗せられてしまった反ダフネス派の貴族たち。その筆頭が何を隠そうブルモンドだったわけです。
これにより、ゲナを勝たせるために使った多額の投資が水の泡と化してしまったのですから……その痛手は生易しいものではありません。
結果的に、ダフネスが大総統になり、ミルキィ家の財政が大きく傾き始めます。
表立って反ダフネスを掲げてこそいませんでしたが、それでも立場的にはとても厳しいものがありました。
古参名家としての名誉も揺らぎ、資産も乏しくなり……その時すでにミルキィ家の栄光は過去のものとなりつつあったのです。
ですが、これで終わりではありませんでした……。
ブルモンドの転落劇はまだ続くのです。
ロダム・スカルネ。実質上、ブルモンドとは友人のような、ライバルのような関係にありました。
ボイシュール家は帝国外のハミルトン街にいましたから、帝都内ではミルキィ家とスカルネ家がもっとも力がある貴族だったのです。
三将軍の一角を担っていたブルモンドだったのですが、前大総統の時代、キードニアの侵攻による防衛戦での失策で評判が大幅に下がっていました。
ロダムのような実力ある武人や、レガンティ家のような奇才な戦略家でもなく、肩書きだけの将軍であったブルモンドには戦局がまったく読めず、ただ無茶な特攻指示を出し続け、多くの犠牲者を出してしまったのです。
それにも関わらず、ミルキィ家という家柄のお陰で、何ら責をとらされることはなく、未だ三将軍という地位にいたのです。端から見れば、必死にしがみついているようにしか見えなかったことでしょう。
このことも、実力主義者であるダフネスから悪い印象を持たれる一因となっていました。
ダフネスが軍事会議の折りに、ブルモンドとロダムの両将軍に、「今後の帝国軍は如何にあるべきか?」との問いを出したといいます。
ロダムが提唱した答えは、『自分で考えて行動できる応用力に長けた軍隊』であり、まだ師団長補佐だったクロイラーもその考えに則り、兵の教育プログラムをスカルネ家私兵に対して試験運用し始めていました。その結果を交えた具体的な提案だったそうです。
対してブルモンドは、『兵士全員を最高三大神信仰教徒にして、神々の名の元に団結力を高めた軍隊』というものでした。しかし、その具体策は何ら講じられておらず、それはその場しのぎの机上の空論に過ぎませんでした。
ブルモンドの考えは、神国ガーネットの時代であれば受け入れられたかも知れません。
しかし、これからは神国でもあり帝国でもある新時代。「理想・精神主義だけで強き軍にならぬ」とダフネスは言い、ロダムの案を優先的に取り入れます。
ダフネスは篤い信仰者でしたが、それと同時に、Dr.サガラの科学も受け入れるだけの器量を持つ、柔軟な現実主義者でもありました。これが民衆の人気を得た理由でもあります。
こうして、ついに時代の流れに乗れなかったブルモンドは、必然的とも言うべきか、三将軍の座を取り上げられることとなります。
帝国軍については、ほぼスカルネ家に全権が委任されることとなったわけですわ……。
名誉も権力も取り上げられた失意の中、ブルモンドは酒に溺れ、妻や子供たちの叫びも虚しく、放蕩の限りを尽くします。
それでもいつか再び輝ける時を虎視眈々と狙い、権力拡大に繋がるか、または利益の得られるであろう事業には多額の投資を行い始めました。
ただ良い話を持ってくる人々というのは、ミルキィ家の財を狙った詐欺師紛いの者たちばかり…取り繕った人の良い笑顔を浮かべ、砂糖に群がるアリよろしく近づいてきます。
ブルモンドは「今度こそは本物だ!」と、見るからに怪しい取引にも、残り少ない資産をどんどん注ぎ込んでしまいました。本当ならば商才ある人間だったそうですが、荒んだ心が彼の眼を完全に曇らせてしまっていたのです。
そんな度重なる散財により、ほどなくしてミルキィ家は多額の負債を抱えて喘ぐこととなります。
ロダムはそれを心配し、ブルモンドに援助を申し出ますが、自尊心の塊であった父はそれを固辞します。そこには三将軍の座を追われたという恨みが根強くあったのは間違いありません。
まったくの逆恨みではありましたが、いつか見返してやろう……そんな思いがブルモンドにはあったのです。
そして、悪いことというものは重なるもので、最低最悪の誘いがついに訪れるのです……
「ケッケッケ。お嬢さんに異端者の可能性が確認されましてね。
もし当研究にご協力を頂ければ、研究所から謝礼を致しましょう。それも借金を帳消しにして余りある、ね」
いくら異端者とはいえ、古参名家の血筋を持つ者、ましてや当主の娘が実験対象に選ばれるはずがなかったのです。
しかし、ミルキィ家の没落…このタイミングを見計らったかのように、あの男はわたくしの屋敷を訪れそのような事を言いました……。
そして、この誘惑に父ブルモンドは屈しました。政府の末席すらからも外されそうになったブルモンドは、藁にもすがる思いだったのでしょう。震える指で契約書にサインをしたのだと、後にサガラから聞かされました。
娘よりも自分が返り咲くことを……あの男、ブルモンド・ミルキィは優先したのでした。
わたくしは、Dr.サガラの実験施設に引き取られたました……。
その頃の記憶は余りありません。何年なのか、はたまた何ヵ月いたのか……それすらも曖昧です。
ただ覚えていることは、毎日が苦痛と恐怖に満ちていたということでした。
思春期が抱く強い羞恥心を持ち得ていたのは、ほんの最初の頃だけ。貴族である、女である、人間である……そんな個人の尊厳を徐々に剥がされて行くのです。
いつ終わるとも知れない拷問のような実験の日々。それはわたくしがサラ・ミルキィであったという記憶さえ消し去るほどでした。逆にそうでなければ、本当に狂ってしまっていたことでしょう……。
ただ唯一の希望がありました。わたくしが、サラ・ミルキィであることを忘れても、その時の楽しかった感情までを奪うには至らなかったのですわ。
それは幼い頃、年上のお姉さんとお菓子を分け合って食べていた楽しい想い出。
あの頃に戻りたい。無邪気に笑い、甘いお菓子をお腹一杯に食べたい。そんな気持ちだけは消えずに抱いていました。
そして、我慢してさえいれば、いつかその日がくるはず……それだけを信じて生きていました。
とてつもなく長く感じられた実験がようやく終わり、わたくしが家に戻った頃には……そこには古びた空き家があるだけでした。
朽ちた扉、崩れた壁、蔓草の覆い茂る窓。雑草で埋め尽くされた庭園。どれもわたくしの知る屋敷とは似ても似つきません。
いつも丁寧で格好良かった執事や、着替えを手伝ってくれた女中もいません。放し飼いにしてあった大きな毛むくじゃら犬、臆病で甘えん坊のコーリアの姿も見あたりません。
近所の人の話から、ブルモンド……父が、研究所からの資金を元に、民間に新規企業を興したが、すぐに失敗して倒産してしまったのだと知ります。
その企業も、顧客は昔の友人などのツテにしただけの無茶な経営だったとか……。いまさら、ミルキィ家の話を誰かが信じるとは思えません。かつての友など、当に見限っていたはずです。ブルモンドは過去の栄光に囚われるあまり、そんなことすら解らなくなってしまっていたのでしょう。
父は蒸発し、お母様は川に身を投げた……との噂も耳にします。そして、妹たちは名を変え、下級貴族に引き取られたそうです。
妹たちの行方を調べましたが、養子に出される際に経歴を綺麗に消されていました。それはそうでしょう。いまやミルキィ家など汚名でしかありません……。
当主不在で本当ならばわたくしが後継者になるはずが、ミルキィ家は爵位を剥奪された上、完全に没落してしまったのですわ。わたくしが研究所にいる間のうちに…………。
しかし、連絡のつく親族がまったくいなかったわけではありません。フガール家に嫁いだミルキィ家、大叔母様がいました。
大叔母様でしたら、わたくしのことを知れば保護して下さるに違いありません。ダフネスも自分の母親の血縁、ましてや“無力で憐れな子供”であるわたくしを邪険にするとは思えませんでした。
しかし此度の一件で、大叔母が肩身の狭い思いをしているのをわたくしは知っていました。甥ブルモンドの暴走を一番気にして、何とか正しい方向へ導こうとしていたのは大叔母様です。しかし、ミルキィ家が潰えるまで、とうとうブルモンドは悔い改めることはなかったのですわ……。
諸悪の元凶たる当主ブルモンド、その長女……わたくしが、いまさら遠い縁者を頼ることなんてできませんでした。
これ以上、誰かに迷惑をかけるのも…そして、逆に迷惑をかけられるのも、もう御免だったのです。
それよりも、悔し涙が溢れてきました。無力でちっぽけな自分が惨めでなりませんでした。
(苦しい実験に耐えていたのはなんのためだったのかしら?)
わたくしは自問自答しました。なぜ、わたくしはこのような目にあってしまったのか、と。
答えはいたって単純でした。『お金がなかったからダメだったのだ』、と。わたくしは漠然とそういう結論に至りました。
名家でいられるのも、それに伴う資産がなければ意味がないのです。例え名誉を失おうとも、地位を失おうとも、資金さえあれば貴族でなくたって、豪商としてやっていく道もあったはずです。もし必要ならば、地位や名誉もお金で買うことができるのですから…まずは先立つものがなければなりません。
もちろん、父に先見の目がなかったのが一番の問題点だったわけですが……当時、わたくしにはそこまでは解っていませんでした。
わたくしは『貧乏だからいけなかったんだわ』と、それこそが原因に思えて仕方なかったのです。
ええ。なにせこの時、クッキーを一枚すら買うことすらできなかったのですから……寒空の中、空腹で涙が出てきそうになったのを覚えています。
惨めな思い以上に、途方もない虚しさが、わたくしを満たしていました。
薄汚れたドレスのまま、宛もなく街を彷徨っていると、大通りで懐かしいある人物を見かけました。
スーツを身につけ、車の上から帝国兵に指示を出しています。
「…第七班は、三番街通りに向かい、そのまま封鎖して下さい。第八班はブラッセル将軍の命令に従うように。民間人には丁寧な説明を各自心掛けて下さい」
テキパキとしたその様は、まさに仕事ができる女といった感じでしたわ。
側にいた野次馬の一人に何事か尋ねると、副総統が街の視察に来るとのこと。そのための護衛の指揮を執っているようです。
同じ古参名家…それなのに、いま置かれている立場は真逆のものでした。
かたや高価そうなスーツを身につけた帝国の重鎮、三将軍となった一人。かたやボロボロのドレスを纏った凋落の身、浮浪者が一人。
あまりの差に、哀しみよりも、むしろ滑稽すぎて笑いが漏れてしまいます…。
指示を終えた彼女が、こちらを向き微笑みました。
わたくしに気づいたのだろうかと思いビックリします。心臓がバクバクと騒がしく鳴ります。
その表情は昔の面影を……そう、優しく「一緒にお菓子を食べながらでも…」と声をかけてくれたお姉さんの表情そのものだったのですわ。
しかし、彼女はわたくしを見ていたわけではありませんでした…。
わたくしの後ろからやってきた車……彼女の父親であるロダム・スカルネでした。
そうですわ。父親に向かって微笑みかけただけだったのです。
ホッとしたのも束の間、わたくしはとてつもない悔しさと惨めさを感じます…。
こんな粗末な姿を見られなくて良かったと思うのと同時に、彼女と並ぶ価値すら今のわたくしにはないのだということを思いさせられた気がしたのですわ。
そう思った瞬間、わたくしはミルキィ家の再興を心から誓いました。
彼女……スカルネ家に恨みはありません。ですが、わたくしの強い感情を呼び覚ますには充分な存在でした。
憧れていた理想のお姉さん……それを見返すこと。これが、わたくしの奮い立つ強い動機となったのです。
やがて闇が降り、空腹と寒さに耐えて裏角で膝を抱えていると、頭上から声がかかりました。
「嬢ちゃん。一晩いくらだい?」
世間知らずだったわたくしでも、その言葉の意味は解りました。
場違いなドレス姿は、わざとそうしているように見られたのでしょう。間違われるのも無理はありません。
「……一晩分じゃ足りませんわ」
そう言ったわたくしの声は、自分でも驚くほど掠れていました。
「もっとお金になる仕事はありませんこと?」
皮肉をこめてそう聞き返してやりました。
男はちょっと驚いた顔をしています。怒るか、諦めて立ち去るかと思ったのですが……立ち尽くして呆気にとられている様子。わたくしにとってもそれは意外でした。
「へえ。面白い答えだね。もっと金になる仕事…ときたか。そうだな。人の物を盗って売りゃあ良い金になるぞ。俺みたいにな」
男の姿は薄汚れていて、決して表の世界で生きているようには見えませんでした。
明るく笑って話す話題ではありませんが、男はそんな風に軽く答えてみせたのです。でも、いまのわたくしにそれは救いの言葉のように思えましたわ。
今の現状を脱するには、何としてもお金が必要だったのです。そう。どんなことをしても……お金を得たかったのです。
「それはいいですわね。……どうです? わたくし、少しは役立つと思いましてよ」
そういって、忌むべきはずだった力……帯電していた電流を指先にバチバチと放ってみせます。
男は目を丸くした後、ニヤリとイヤらしく笑ったのでした……。
街で出会った男は、予想していた通りの盗賊くずれでした。
兵士になろうと志願しても受からず、それで颯風団に入ろうとしたけれども身内で盗みを働いて追い出され、今はソロで盗みをやっているとのことです。
わたくしの力に目を付けた男は、持っている様々な技術をわたくしに教えてくれました。
人を欺く話術、追っ手を撒く方法、宝箱や扉の解錠、物品の鑑定、罠の解除……そして、人を殺す手段。
家庭教師や学校の教育よりも、この“生きるための技術”こそが、わたくしにとってとても役立つものであったことは説明するまでもありません。
わたくしは死に物狂いでそれらを覚えました。これから一人で生きていくために…。一人でお金を稼げるようになるために…。
弟子のようになったわたくしを、男は完全に信用してくれるようになりました。
大金を稼ぐパートナーであり、そして夜を愉しませてくれるパートナー……“男にとっては都合の良い女”……それを上手く演じていました。
いくら稼いでもわたくしの取り分は微々たるもの。残りは男の酒と博打に消えていきました。
苦痛でないといえば嘘になりますが、それでもあの地獄のような実験の日々……あれに比べれば大したことではありません。
そう。いまは我慢すればいいだけのこと…。実験時のように、いつ終わるとも知れないことではないのです。終わりが見通せるからこそ、わたくしは毎日を希望をもって生きて行けたのです。
そして、ついに来るべき日が来ます。
わたくしにとっては待ち望んでいたその日が……
いつものように事を終え、男が満足して寝静まったある夜のこと。
わたくしは寝ている男の首に手を当てます。甘えているとでも思ったのか、男のヒゲ面がニンマリとした笑みになりました。
これが最期かと思うと惜しいような……なんて気持ちにはさらさらなりませんでしたわ。
情はなかったのか? ええ。わたくしにはそんなものありませんでした。
情があれば盗みなんて働けません。仕事のために情を殺すことを、皮肉にもこの男が教えてくれたのですわ。
下手な情をかければ、いつかは逆に殺されることになることを教わっていました。だからこそ、決意したのです。
この男の顔が、ブルモンドやサガラと重なります……わたくしの人生を狂わせた男たちに。
静かな怒りが湧きあがり、もはや少しの躊躇いもありませんでした。
ここから脱しなければ、先には進めないのですから……
「今までありがとうございます。あなたの協力にはとても感謝していますわ」
「ヘヘ、いまさら何を言ってやがる?
これからも、ガンガン稼いでいこうぜ。俺とサラがいりゃ世界の宝は手に入ったようなもんだぜ」
「……ええ。ですけれど、もうわたくしは一人で充分ですの」
そう小さく言い、手に溜めていた電流を最大出力で流します。
「グギャアア!!」
男の身体がビクビクッと跳ね上がります。
そして、ベットから落ちて……ぐったりとしました。もう二度と起きあがることはないでしょう。
それが、本当の意味で、わたくしが自由になった瞬間でした…………。
こうして、わたくしは男のお金を奪って一人で活動を始めたのです。もちろん、そのお金はわたくしが本来もらえるはずだった取り分だけ。ちゃんとそこは計算して、葬式代ぐらいは残して差し上げましたわ。
男は人を平気で殺す強奪者でした。彼はそんな自分の行いが自分に返っただけのこと…。
常に男はこう言っておりました。「油断して、騙され奪われるヤツこそが悪いのさ」、と。
ですから、“わたくしに油断して、命を奪われた本人が悪い”のですわ……。
わたくしは生きるため、その教えを忠実に守っただけなのです。
トレージャーハンターとなったわたくしは、殺人などの危険を犯さずとも、お金は思うままに手に入りました。
ですが、貴族としての身分を買い戻し、家を再興するにはまだまだ足りません。なんせ、桁が違うのですから当然ですわね。
そして、単にお金だけでは名誉は取り戻せないのだということも知りました。失ったミルキィ家の汚名を払拭し、栄光を取り戻すには、まだ一つ足りないものがあったのです。
そんな折り、わたくしにとって大きなチャンスが舞い降りてきたのです。
『龍王による人類への宣戦布告』
龍王がどういう存在なのか、絵本に出てくる恐ろしい怪物という認識しか、わたくしにはありませんでした。
しかし、同業者から、帝国軍の一部が龍王によって壊滅されたのだという情報を得ます。
わたくしは、そこそこ戦闘能力には自信がありました。
ブルモンドがわたくしを次期将軍にしようと考えていたため、護身術は一通り習っていましたし、男から殺人術の手ほどきも受けていました。
そしてなによりも、雷を扱う能力です。人を傷つけることにしか使えない忌々しい能力だと思っていましたが、今回ばかりはこの力をありがたいと思いましたわ。
そう。龍王を倒すために、私の異端者としての能力……これが絶対に役立つのではないか、と。そう考えるに至ったのです。
帝国政府公認龍王討伐自警団ドラゴン・バスターズ。民間にこういった機関があり、ちょうど人員を募集していたのも、わたくしにとって運命であったに違いありません。
まあ、なかなか参加用紙を手放さず、痛い思いをされた方もいらっしゃったようですが……まあ、これも運命ですわ。決して、受付に間に合わなかったわたくしが悪いんじゃありませんことよ。
手当てはトレジャーハンターをしていた時よりも遙かに少なく、とても惹かれるものではありませんでした。
それでも、『龍王を倒した組織の一員』というのは……わたくしにとって、何よりも箔になるのてはないかと思えたのです。
帝国軍でもどうにもならない龍王を、わたくしがこの手で倒す。
三将軍クロイラー・スカルネを見返すには、それがわたくしにとって最短にして最善のように思えました……。
そして、ミルキィ家再興の暁には、クロイラー・スカルネにこう言ってやるつもりでいますわ。
「甘い物でも食べに、ご一緒して差し上げてもよろしくてよ」
今度はこちらからそう声をかけてあげる。それが今のわたくしのささやかなる夢となっていました……。
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どうやら、わたくしは雷の能力に頼りきってしまっていたようでした。
上には上がいることをわたくしは気づかされましたの。この挫折は、わたくしの更なる飛躍に役立つこととなります。
デュガン・ロータスの弟子である少年、時代の証人である治癒師の少女、ファバード流刀術師範、そしてわたくしよりも遙かに強い氷の異端者……。
立場も経歴も全然違う妙な集まりでした。でも、わたくしはなぜかここが居心地が良いと感じています。
ハンター仲間や、取引相手にも抱かなかった親近感がありました。まるで家族といた頃を思い出すかのようです。
こちらがわざと距離を置いてるつもりでも、いつまでも呑気な態度なもんですから、肩すかしを喰らったような気持ちにさせられます。
「信用してませんわ」と言ってやっても、次の瞬間には微笑みを浮かべている、お人好しのこの人たち……殺伐とした人生を歩んできた女にはしばらく信じられないことが続きました。
しかし、同じ異端者でも……目の前の男の才能はひどいものです。
自ら吐き出した炎で、自分のシャツに火がつき、慌てふためいて走り回っていますわ。
「あちゃっちゃっちゃ!!」
わたくしは側にあったバケツの水を、その男にかけました。
ジュッと鎮火します。焦げた嫌な臭いが広がり、トサカがヘニャッと倒れました。
「た、助かったで~。ホンマありがとな、サラ」
この男は、仲間たちの中でも一番の馬鹿でお人好しです。根拠もなく、「友達だから!」という理由で他人を信じれるぐらいに単純な男ですわ。
こういった輩は、利に聡いハンター仲間には絶好のカモで、絞れるだけ絞られるのがオチでしょう。
男の間抜けな顔を見ていて、ふとあることを思い出します。
「……ギャン。一つ聞きたいことがあったのですけれども」
「な、なんや? 改まってからに」
心なしか、ギャンの顔が赤くなったように見えます。熱で火照ったんでしょうか?
「あのな、言うとくけどなぁ。ワイ、今のところ好きな女の子はおらへんで~。
まあ、好みのタイプは清楚な黒髪とか思うとったんやが、今は金髪もいいな~とかは思うとるけどな」
「何言っているんですの? 颯風団のことですわ」
そう言うと、なぜだか解りませんが、ちょっとガッカリしたような顔をします。
いったい、何を期待していたんだか……。
「あー。あの“寄生虫”がどうしたっちゅうんや?」
「この前の戦闘の時、躊躇いなしにギャンは彼らを殺してましたわよね?」
「そか?」
「ええ。まあ、ヤケになってたようにも見えましたが…。
普通はセリクのように悩むのではなくて?」
颯風団殲滅戦の時、ギャンは遠慮無しに炎を敵に浴びせかけていました。
わたくしは……元々、人殺しでしたし、シャイン副隊長やマトリックス隊長はそれなりの覚悟があって隊を率いているのですから、敵を倒せて当然ですわ。
しかし、ギャンのような普通に見える若者が、敵を殺せることに違和感を覚えていたのです。
人殺しという罪悪感があれば、セリクとまではいかなくても、ある種の葛藤のようなものを抱くのではないでしょうか。
目の前の馬鹿面に、そのようなことを悩んでいる様子は一切みられなかったので疑問に思っていたのです。
「……なんや。そんなことか。
ダチが殺されるよりは、敵を殺したほうが遙かにええやろ?」
「え? そんなものなのかしら?」
ちょっと驚いて聞き返すと、ギャンはコクリと頷きます。
「セリクは考えすぎなんや。敵がこっち殺そうとしとんのに、ウジウジ悩むとかお人好しすぎや。そんで殺されたら世話ないわ。
だったら、ワイがセリクの敵も燃やしたる。そっちの方が、仲間が殺されるよりも後悔せんやろ?」
見た目通りの単純な答えでした。
なんだか、質問したこちらが馬鹿みたいに思えてきますわ。
「そうですわね。殺されるよりは、殺した方がいいという意見には賛成ですわ。
でも、わたくしも人殺しなんですのよ? それも颯風団などよりも最悪の……ですわ」
殺した盗賊の顔を思い浮かべながらそう言うと、ギャンはキョトンとした顔をしました。
この男に、わたくしの経歴を全部聞かせたら……どんな反応をするんでしょうか? 嫌われる? それとも同情されるかしら?
反応を見たい気持ちにかられましたけれども、わたくしがギャンにそれを教えることはないでしょう。そんな必要もないことですわ。
でも、もし嫌われたとしたら……そんな風に考えて、ちょっと胸が痛みます。なんでこんな風に感じるのか自分でも不思議でした。
「いまさら何言うてるんや?
サラ、この前、敵めっちゃやっつけてたやん。あないな悲惨な感電死そうそうないで。さすがのワイも、相手が暗殺者だとしても引くわー」
わたくしが言いたいことが理解できなかったのでしょう。そんな見当違いなことを答えます。
それがなんだかおかしくて、わたくしは笑ってしまいました。
「さ、さっきから何なんや? おかしくなったんか?」
「失礼。そうですわね…。あなたたちに出会って、わたくしは少しおかしくなったのかも知れませんわ」
“もう失いたくない”……確かにそう思ったのはなぜでしょう?
大人しく物静かでも、いざという時には強い意志をみせるセリク。
自分勝手と思いきや、周りをよく見ていて、わたくしを姉のように慕ってくれる優しいフェーナ。
そして、馬鹿ですけれども……ええ、とてつもなく馬鹿ですけれども……仲間だという理由だけで、相手を受け入れてしまうギャン。
トレージャーハンター時代のわたくしからすれば、甘っちょろい人たち……でも、その甘さがなぜか今は心地よく感じられるのです。
ギャンの反応についてですけれど……わたくしの話を聞かせたとしたら、きっと同情することでしょう。目尻に涙を浮かべて、「なんや! サラ、少しも悪くないやんか!」なんて言うのでしょう。なぜだか解らないけれども、わたくしにはそういう確信がありました。
そう。だから、試す必要なんてありません。そんなことを話す必要もないことなのですわ……。
「サラー!! ギャンー!!」
フェーナが、セリクの手を掴んで走ってやってきます。
疲れ切ったセリクの顔とは対称的に、フェーナはいつものように元気一杯ですわ。
「お? もうシャインのオバハンから解放されたんか?」
どうやら、今日の修練は終わったようですわね。
「うん! 『神告までもう日にちもない。休憩することも仕事の一つだ』って、午後からはお休みもらったの♪」
シャイン副隊長を真似して、フェーナが腕を組みながら言います。眉間にシワが寄っているところが、ちょっと似てますわね。
「そっか! なら、これから皆で遊びにいくかー?」
「そう! 私もそれが言いたかったの!」
ギャンとフェーナが嬉しそうに手を叩き合います。
セリクがチラッとわたくしの方を見やりました。
「でも、サラは用事があるんじゃ?」
そうセリクが言うのも納得です。いつも、仕事が終わればわたくしはそそくさと帰ってしまうんですから…。もちろん、ただ家に帰ってるわけではありませんわ。
DBに入隊した後も、闇市場に顔を出しているのです。時たま儲け話があったり、掘り出し物が見つかったりするんですから、チェックは欠かせませんの。
もしかしたら、セリクに合う剣が流れ出てくる可能性もありますしね。あとは、常に資金難に喘いでいるこの部隊。何か収入になる依頼があればいいと思って探っていたのですわ。
でも、慣れていない一般人を、そんな闇の世界に連れていけるはずもありません。すぐに騙されて、明日は海の底…なんてことになりかねませんしね。
ということで、わたくしはいつも一人で、仕事後に市場へ赴いていたのです。
「えー。サラ、一緒に行けないのぉ? 今日ぐらい大丈夫だよねぇ?」
フェーナが甘え声で聞いてきます。人差し指を顎に当てながらだなんて……やはり、この娘、完璧に計算してますわね。つい「大丈夫ですわ」と答えてしまいそうになります。
ですが、確か今日は週一のオークションがある日……この前の買い物で手に入らなかった鋼鉄レギンス。なかなか戦闘用はないんですの。今回、それがまた競りに出される可能性があるんですわ。
いつもなら、わたくしは自分のことを優先させます…けれども……
ハァ。三人揃って、捨て猫みたいな眼をするのはおよしなさいな。まったく。
「解りましたわ。わたくしも今日は付き合うと致しましょう……隊員との親交も大事ですから」
わたくしがそう答えると、フェーナとギャンが嬉しそうに笑います。セリクもホッとしたような顔をしました。
「良かった。サラがいれば、フェーナとギャンを止められる……」
「えー、なにそれ! セリク!」
「止められるとか、ワイが何したっちゅうねん!?」
「え。だ、だって……。この前だって、二人でビリヤードやってて……熱中しすぎて、台を燃やしちゃったじゃんか」
「あ、うん。それはギャンが悪いね。私じゃないよね!」
「な! 違うやろ! あれは、フェーナが、ボールに火を付ければ新必殺技ができるかもしれないとか言い出したんやんか!」
「私は戦闘で使ったらいいって言っただけですぅー! そのアドバイスのお陰で、この前の『フレア・バーニング…なんとか』、っていう技編み出したんでしょ!」
「『フレア・バーニング・ビッグ・ナックル』や!
あの打ち出した火のボールが、次々と他のボールに引火して燃え広がる様を見て思いついた……っちゅうか、違うやろ! 実際、あの店でやってみろって言うたやんか!」
「……ボールどころか、台そのものまで焼失しちゃったじゃんか」
セリクがガックリと肩を落とします。いつも心労が絶えませんわね。
「はいはい。いいですから。今日はゲーム屋なんて行きませんことよ」
わたくしがそう言うと、フェーナはニッコリと笑います。
「洋服でも買いにいくの? 旅装束だけじゃなくて、出かける時の普段着も欲しいなあって思ってたしー」
「いいえ。洋服もいいですけれども……。
そうですわねー。わたくしの知っている、とびっきりのお菓子が食べられる店なんていかがしら?」
「わー、ステキ!!」
甘いものが好きなフェーナは両手を握って眼をキラキラとさせてます。
「甘いもんかー」
「この前食べたクレープとか……かな?」
男連中はあんまり乗り気じゃない様子。だけれども、拒否なんてさせませんわ。
「あら? セリクとギャン。何か不満でも? 自腹切るには高い店ですから、こんな機会そうそうありませんわよ?」
「え? まさか、奢りか!?」
「わたくしとしては、ご一緒させてあげてもよろしくてよ」
わたくしがそう言うと、二人とも置いていかれると思ったんでしょう。慌てたように頭を深々と下げます。
『よろしくお願いします!!』
わたくしはサラ・ミルキィ。元トレージャーハンター……今では、DBの隊員をやっておりますの。
ミルキィ家再興の為、まだまだお金は足りないわけではありますけれども……お菓子ぐらいは自分のお金で食べられましてよ。
今ではお菓子を一緒に食べられる仲間もいますわ。
さて、今日は……いったい何のお菓子を食べようかしら?




