41話 怒れる龍王
神国ガーネット帝国を一望できる崖上。その先端に立ち、エーディンは腕を組んで敵の城をジッと見やっていた。
最も愛するべき者と、最も憎むべき者が同時に存在する場所。すぐ目の前に見えているのに、龍王である自分にも手が届かない近くて遠い領域。
時々、エーディンはそれが幻なのではないかと錯覚する時がある。
どれくらい会ってないだろう? どれくらい我慢したのだろう? それはつい最近のような気もすれば、それは遙か昔だったような気もする。記憶力は良い方なのに、なぜか思い出に霞みがかかっているようだった。
だが、それが生きていた中でも最上位である至福であったことは間違いない。曖昧な思い出でも、その時の甘美な充実した感情は色褪せることがなかった。
なんとしてでも、なにを犠牲にしても、どうやってでも、それを再び自分の物にする……そう、エーディンは改めて自分に誓った。
「……エーディン」
聞き慣れた声が後ろからかかる。
振り返ると、予想通りのいつもの顔が何か言いたげにしていた。
「…神告とやらは始まったのか?」
あえてエーディンは自分から話題を振る。
ルゲイトはサングラスを上げ、コクリと頷いた。
「……多重結界によって外部に漏れぬよう工作されているが、微弱な波長変化を上手く捉え、類型表を基にパターン分析をし、概算ではあるが値を導き出した。その測定値はクラス“一〇”。私が知る限り最大値だ」
「…つまり?」
「……つまりは、最高三大神のどれかと接続していると考えられる」
最初からそう言え…という言葉を呑み込み、エーディンは左右に首を鳴らす。
「そうか。で、やらせておいて問題はないんだったな?」
「……ああ。神々が何を人間にさせるかはすでに予測はついている。
神告そのものは、如何なることになろうと実行されるだろう。阻止する術は限られている。ならば、それ自体を止める価値は少ない。単なる戦力の浪費だ」
エーディンは、以前にルゲイトが説明していた内容を思い出す。
ルゲイトが言うには、今の神告は、神々が自らの威光を示すためにわざとセンセーショナルにやっているのだということだった。
ただ啓示を与えるだけならば、他にも手段をとれる可能性がある。連絡手段が一つだと思うのは危険だと主張した。
そして、もし裏でこそこそと連絡を取り合う手段があるならば、厳重な警備がされている神告をわざわざ潰すのは徒労となると判断したのである。
「……情報を得たければ、得させてやればいい。ただ、活用だけはさせない。
頼みの神々の救済。それをことごとく止められれば、より人間の戦意を削ぎ挫くことができる」
エーディンからすればまどろっこしいやり方に思われたが、ルゲイトの言う通りに動いた方が間違いがないことはよく理解していた。
もし、ルゲイトが参謀にいなければ、自分は真っ先にイクセスやクロイラーといった連中に討伐されていただろう……それはエーディンも自覚していたのである。
一対一ならばいざ知らず、罠に嵌められてしまってはエーディンでも対処することは難しいだろう。
「……最高三大神が直接出てこなければ、こちらにも勝機はある」
静かに頷き、エーディンは再び帝国城の方に向く。
父アーダンから、最高三大神についての話を聞いた覚えはなかった。辛酸をなめさせられた相手のことをそうそう話すとも思えなかったので、あえてエーディンから尋ねることもなかったのだ。
だが、その強さは恐らくエーディンをも凌駕していることは間違いない。
龍王アーダン以外、並の龍族では神々に対抗することはできなかったという話だけはロベルトなどの老龍から聞かされていた。
エーディンや四龍が、神々と戦った際に勝てる可能性は限りなくゼロに近いだろう。
条件が揃わなければ、神界凍結は解除されないとルゲイトは分析していたが、それでもエーディンは神々と戦う可能性を考えざるを得なかった。
強さに自信のあるエーディンである。最高三大神と戦い、どこまで通用するか試してみたい気持ちに駆られるのは無理もないことである。
「……神々と戦うのがお前の目的ではないだろう」
ルゲイトが訝しげにそう言う。どうやら考えは読み透かされていたようだ。
「最悪のことは考えとけって言ってたろ?
「……最悪のことを考えてる顔には見えなかったぞ」
確かにエーディンは笑みを浮かべていたのだ。
「イッヒッヒ。ま、先に人間を屈服できれば問題はねぇんだから……」
笑っていたエーディンの表情が急に険しくなった。
それを見て、ルゲイトは片眉をピクリと動かした。
「……どうした?」
「…あんだ? この巨大な気配は?」
初めて覚える戦慄。自分以上に巨大な力のうねり、それは禍々しく、陰鬱で、目の前の全てに影を落とすようなものだった。
それが帝国から感じられることに、エーディンは一抹の不安を覚える。帝都自体がまるで闇に沈んだかのような錯覚を覚えたのである。
「これが神の力? ……いや、違う。気味悪くまとわりついてきやがる。魔物どもの性質に似ている」
「魔物の性質だと?」
力を感じ取れていないルゲイトは、深く考え込むようにする。
「……あッ!?」
エーディンが一瞬、唖然とした顔をした。そして、すぐさま髪の毛が逆立ち、みるみるうちに怒りの形相に変わる。
その急な変化に、ルゲイトは肌が粟立つのを感じた。
幼い頃から側にいる自分ならば解る。全神経が危険を報せてくるのだ。これは間違いなく、エーディンが本気で怒った時だと。
このままではまずい! そうルゲイトは即座に判断した。
「……待てッ! エーディンッ!!」
考えが巡る前に、ルゲイトは慌ててエーディンの袖を掴んだ。
…が、すでに遅かった。
「……グッ!!」
手の平が熱くなり、ルゲイトは思わず離してしまう。
手の平を見やると、手袋と共に皮膚までもが擦りむけて真っ赤になっていた。
エーディンの姿はすでに見えなくなっていた。掴んだ瞬間、ルゲイトの手からすり抜けて飛び出したのだ。
「……エーディンッ!! 死にに行くようなものだぞッ!!」
意味がないと解りながらも、ルゲイトは叫ばなくてはいられなかった。
そして、すぐに側に待機させていたバーナルと白龍に指示を出し、その後を追いかける……。
得体の知れない不安を必死で振り払いながら、「絶対に死なせるわけにはいかない」と呟く。そうルゲイトは自分に言い聞かせていたのだ…………。
ーーー
神国ガーネット帝国、それを見下ろすかのように空に浮かぶ魔王トトの姿があった。
「……宴はこれからよ。さて、第二幕といこうかのぉ!」
トトの頭上を大きな何かが飛び過ぎてゆき、帝都へと物凄い勢いで急降下して行った………
ズッドオオンッ!!!!
物凄い爆音が響き渡り、大きく地面が揺らぐ!!
お祭りに浮かれていた帝都の人々が、何事が起きたのかと周囲を見回す。
「なんだ!?」
「あ、ああ! 龍よ! ついに龍王が攻めて来たわ!!!」
「神告の最中だというのに! 何ということだ! 神々は我らを見捨てたというのか!?」
手にしていたものを放り捨てて、帝都の人々は逃げ惑う!
仙人屋のフォンが、店の緞帳を開いて空を見やった。そして顔をしかめた。
「龍ぢゃと? なんぢゃ。あれは…違う。龍などとは違うわい。なんと邪悪で面妖な存在ぢゃ…」
帝都からの救援要請を受け、イクセスは自ら車を運転していた。助手席にはセリクが座っている。
城はシャインとクロイラーに任せてあり、フェーナは治療で力を使いすぎてしまって休んでいるのであった。
「魔王の次は、龍の襲撃だと!? いったいどうなってやがるんだ!?」
イクセスは無線を使い、帝都民の避難誘導と城の防備をさらに固めるように指示を出す。
道には人が一杯であったが、けたたましくクラクションを鳴らして蛇行する軍用車を見て、轢かれまいと慌てて道を開く。
その間をイクセスは縫うようにして走り進んで行く。ひどく無茶な走り方だが、非常時にそんなことは言っていられなかった。
ギャッギャッという怪鳥の鳴き声のようなタイヤ音を響かせ、片輪走行になりながら曲がり角を突き進む!
「イクセスさん! あそこです!!」
セリクが空にある影に気づき、それを指さす。
「なんだ、あれは?」
そこには二つの口から光弾を発し、道を破壊している龍が滞空していた。
一つの胴体に、頭が二つある奇形の龍だ。その姿は半分が剥き出しの骨で、あとはドス黒い腐肉に覆われている。片方の頭は上顎しかなく、喉の奥がザックリも裂けていた。
セリクはその姿を見て、見覚えがあることにハッと気づく。
「ようやく、お越しデスか。無力なる者どもを殺しても面白くないデスから待っておりましたヨ。ケホケホ」
奇形龍の側に、ピアーが浮かんでいた。怪しい光を放つ鏡を龍に向けている。
「さっきの魔族!? そんな……その龍は!?」
「コホン。二匹ほど、ちょっと強そうな龍の死体を見つけましてネ。有効活用させてもらいましたのヨ。
拙僧こと、“ピレムソアー”の特技は死者の操作。平たく説明いたしますと、拙僧の魔気で蘇らせましたのデス」
イクセスの顔が、驚きと嫌悪に歪む。
「じゃあ、ヤツは…ヤツらは、この帝国を襲ったあの二匹だってのか!」
「我ラハ、死霊僧ピアー様ニ命ヲ与エラレシ、“双頭魔龍”ハウェ・バゼム、ナリ!!」
奇形龍がそう名乗る。両方の口で名乗ったのだが、顎のない方の声はほとんど言葉になっていなかった。
それはセリクが倒したはずの、翠黄兄弟……翠龍ハウェイと黄龍バイゼムが、醜悪に合体した姿であったのだ。邪悪な双頭龍である。
「コホコホ…。パーツが足りぬので、二匹を合わせましたのデスが、思ったよりも相性が良くて、元よりも遙かに強くなりましたデス」
龍族の骸すら操る魔族の力に、セリクは絶望にも似た恐怖を感じた。
「チッ! 化け物め。この帝国で好き勝手なことはさせねぇ!」
イクセスは二本の“オードソード”を取り出し、車から飛び降りる。セリクもそれに続いた。
「貴様ハ! 覚エテイル! 覚エテイルゾ! コノ、身体ノ痛ミ! 我ラ兄弟ヲ屠リシ、憎キ紅キ眼ッ!!!」
セリクの姿を見るなり、ハウェ・バゼムが怒りに咆吼を上げる。
「蘇ってまで、人間を襲うのか!?」
セリクは剣に力を込める。
「一度退場してて出てくるんじゃねぇよ!! 往生際が悪いぜ!」
イクセスはダンッと、地面を蹴って高く跳躍する!
飛び上がったイクセスの身体がぶれたかと思うと、空中に幾つかの残像に分裂した!
ハウェ・バゼムは戸惑ったように四つの眼をあちこちに動かす。
「シャアア!!!」
二本の“オードソード”による眼にも止まらぬ連続斬りが見舞われる! 腐った肉が削げ、骨が打ち砕かれる!!
「柔いぜ! 生前の方が防御力は高けぇじゃねぇか!!」
ダメージを与えたイクセスがニヤリと笑う。
「ケホケホ。まあ、ゾンビ…デスから。でも、そんなことで倒せるわけないデスよ」
その言葉通りに、傷の上に紫色が泡が生じたかと思うと、みるみるうちに傷口が再生していく。
「なんだと!? 不死だとでも言うのかよ!?」
振り下ろされる尾を回避し、イクセスは舌打ちをした。
「なら! 治る暇も与えないくらいの強い一撃を当ててやるッ!! 『衝遠斬ッ!』」
セリクの放つ紅い斬撃が飛ぶ! ズザンッ! と、それが脇腹部分を大きく抉った!!
「ケハケハ……ケホッ! 無駄デスって。そんな傷ぐらい……アレ?」
いつまでも再生されないのを見て、ピアーは首を傾げる。
痛覚のないハウェ・バゼムが苦しむことはなかったが、バランスを失って地面に膝をつく。
「なんで元に戻らないんデスか?」
「…興味深い。あの小僧、神気に似た力を放てるようだのぉ」
ピアーの頭の上に、あぐらをかいて浮かぶトトが出現する。
「まさか! 神気を宿せる人間なんているはずないデス!」
「そうさな。どんなトリックが隠されているのか……はてさて、気になるのぅ」
「魔王ッ!!」
怒りの形相で、イクセスがギロッとトトを睨むが、トトは手の平をヒラヒラと小馬鹿にしたように振った。
「案ずるな。復活したばかりで本調子でないでな。そちの相手はまた今度だ。ま、生き残ればの話だがね」
戦う気がないのは本当のようで、ピアーよりも遙か上空で止まったままだ。
「舐めやがってッ!
どういうこと解らねぇが、セリク。テメェの力だったら、敵にダメージを与えられるようだ。
俺が引っ掻きまわして攪乱させる。その隙に腐れドラゴンを仕止めちまえ!
次はあの覆面女、そしてクソ魔王だ!!」
「解りました!」
得たいの知れぬ力に頼るのはイクセスには不本意なことだったが、それでも敵を倒すためならば、帝国を守るためならば致し方ないと考えたのだ。
イクセスは先ほどよりもスピードをあげ、空中を自在に飛び回る。敵にダメージを与えるつもりはないからこそ、動くことに専念していた。
むくりと起きあがったハウェ・バゼムは、周辺をウロチョロするイクセスを捕まえようと躍起になる。あちこちに向けて光弾を飛ばした!
セリクは大きく息を吸い込む。そして、自分の心の中に声をかける。
(俺の中の力よ。レイド……俺に力を貸して。
ギャンを、サラを、マトリックスさんを…傷つけた敵なんだ。許せないんだ。
俺は誰かを護るためにこの力を使いたい。この力が皆に必要とされるなら、俺は悪魔の子だとしても、怖くてもこの力を使う!)
セリクの中で何かが弾ける!!
「おお!」
トトが眼を丸くし、身を乗り出した。
セリクの身を紅いオーラが包む。それは広がり続け、通りを埋め尽くし、やがて背後で実体となり、紅い巨大な像を生み出す!
仮面をかぶり、無数の手を持つ紅き巨像。甚大なるエネルギーの塊。セリクの瞳と同じように煌々と輝き、それらは夕陽の如く街を染め上げた。
「な、なんだ。これは…」
飛び回りながら、イクセスは驚愕する。
ハウェ・バゼムも動きを止め、ピアーも口元に手を当てていた。
「クハハ! なんだ、神王ラクナ・クラナではないか!! この小僧に、自らの力を分け与えたか!?
はーん、なるほど。それが対龍王の切り札! 神々の最終兵器というわけかね!!」
トトは面白そうにケラケラと笑う。
「わ、笑い事じゃありまセン!! ケホッ! このエネルギー量は危険デス!!」
焦るピアーに対しても知らん顔で、トトは顎に手をやって思案しているようだった。
「……さてはて。どうやって、あんな膨大な神気を人間に?
それに微妙にラクナ・クラナの力とは異質だねぇ。紅玉石を使ってはいないようだ。ましてや余の造った魔玉石とも違う」
セリクが剣を掲げる。次の瞬間、ラクナ・クラナの像が動き出した。
無数の手がググッと広がり、それぞれの手の内にエネルギーを集束し始める。一つ一つの指が『衝遠斬』のような光を集め始めた!
「お、おい。冗談だろ……。あれが全部、『衝遠斬』だったとしたら……。やべぇぞ! この辺り一帯が吹っ飛ぶ!」
イクセスがチラッと辺りを見回す。
そこにはまだ逃げ遅れた人々がいた。兵士たちが懸命に逃がそうとしているが、ケガを負っている者たちもいてはかどっていなかったのだ。
「トト様!」
ピアーが必死に呼びかけると、トトは
鷹揚に頷いた。
「ま、大事な玩具をやたらに壊されては面白くないのは確かだねぇ」
トトは、逃げ惑う人々を見てペロリと舌をなめずりする。
「力馬鹿の龍王ならばいざ知らず。余が相手とは不運よな…」
魔王から笑みが消え、両手を組んで、印をいくつか素早く結ぶ。
「怨! 呪! 業! 煉! 劫! 縛! 怨! 呪! 業! 煉! 劫! 縛! …『魔円封緘!!!』」
どこから現れたのか、トトの背中から幾つもの呪符が飛び立ち、セリクとラクナ・クラナの像ごとその周囲を覆う。
グルグルと呪符が勢いよく回り出した!
「ケホッ! トト様のお得意の封印呪デスね!!」
「『魔呪符』は貴重なんだけれどねぇ。ラクナ・クラナの好きにさせるのも良くない。封印されていた恨みは、同じ封印で晴らさせてもらおうか」
トトがパンと両手を叩くと、呪符がボッと青紫に燃えあがる!
セリクから放たれていた紅い光が薄らぎ、神像が瞬時にして消える! それと同時に、放たれんとしていたエネルギーも失われた。
「うッ……あ…?」
セリクは目眩を覚えてふらつく。
瞳から紅い光が消え、瞳の色が紅から黒へと変わってしまっていた。
「覚醒しつつある力か。ま、今のうちに封印させてもらったよ。この封印は、余を倒さねば解けぬ。クハハ、ますます人間側に打つ手が無うなったな!」
トトの高笑いに、セリクは困惑の表情を浮かべる。
「力が……封印された? そんなこと」
「チッ! どこまでも、ふざけた野郎だ!!」
イクセスが“オードソード”を合わせ、“ツインソード”にして攻撃態勢をとる。
イクセスは瞬時に作戦を変えていた。殺るのは頭目だけ。狙うのは一番の脅威である魔王トトだけだ。
セリクの攻撃が期待できない以上、自分がやるしかない。ならば各個撃破よりも、一番リーダー格を狙うのは戦いの定石である。
「サセヌ!!!」
イクセスの行く先を立ちはだかるように、ハウェ・バゼムが飛来する!
「邪魔だ!! どかねぇなら、そのドテッ腹を抉ってやるぜ!
俺はいまこの場で魔王を殺すんだからなッ!!!」
焦ってトトしか見ていなかったイクセスは、迂闊にもハウェ・バゼムの四本の腕がさっきから強大な波動を溜めていることに気づいていなかった。
そして、気づいた瞬間には、もはや手遅れであった…
「『双龍天地爆!!!!』」
二本の腕が上空に、残りの二本の腕が地面に向けられ…エネルギーの塊を放つ!!
上から下への無数にして無差別の乱爆! それらが帝都を蹂躙する!!!
「……なんとも大仰な。殺りすぎださね」
己とピアーを囲う程度のシールドを張り、なんなくその攻撃を防御したトトが呆れたように呟く。
ピアーは申し訳なさそうに頭を下げた。そして憎々しげにハウェ・バゼムを睨むが、破壊しか思考にない魔龍は素知らぬ顔をしている。
下には瓦礫と、無数の死骸。人々を助けていた兵士たちも側に重なるように倒れていた。
セリクやイクセスは辛うじて生きていたが、大怪我を負っていた。
「……グッ。い、イクセスさん」
セリクは額から血を流しながら、這いずるようにしてイクセスの側に行く。
イクセスは仰向けに倒れ、白目を剥いて気絶していた。右手が吹っ飛び、左足が逆方向に向いている。
「……フゥム。その若者と小僧は興味深い。今殺すには忍びない」
「…ケホ。お忘れデスか? そうして、バージル・ロギロスに裏をかかれ、御身を裂かれる羽目になったデス」
「解っておるわ。だが、もうチィとぐらいいいではないか……。そうさの、一〇年、二〇年放置して熟してからでも……」
ジュルッとすするような音がするが、セリクの目の前は霞んでいて見えていなかった。
「トト様。ケホケホ。再び封印されてもよろしいんで?」
「……それを言われると弱いな。
あい、解った! そちの好きに始末せい」
明らかに未練がありそうな感じだったが、トトは諦めたように答えた。
その言葉と同時に、ハウェ・バゼムがエネルギーを再び溜めているのを肌で感じる。
きっと、自分たちを一気に消滅させる気なのだろう……そうセリクは覚悟した。
「おい。俺に傷をつけた野郎が、こんなとこで死ぬのか?」
聞き覚える声がして、セリクの側に誰かが立った気配がする。霞んだ眼は黒いブーツの爪先をぼんやりと映す。
「手前かよ。随分と薄気味悪い波動をダラダラ放ちやがって……吐き気がすんだよ!」
その口調で、セリクはハッと顔を上げた。
そこに立っていたのはエーディンだった。視界は薄ぼやけてはいたが、間違いない。
どういうことか、魔王たちと相対するように向かい合っている。
「エーディン……?」
セリクが呟くと、チラッとエーディンはセリクを見やったが、何も言わずにトトの方を再び睨み付ける。
「うん? 龍王の気配? アーダン……ではないな。もしや“息子”か?」
トトが眼を細めて顎に手をやる。遠慮なしにジロジロとエーディンを見やった。
「クハハ! そうかそうか。これは愉快。相当、龍王アーダンは弱っていると見た! なるほど。“娘”だけではなく、“息子”にまで“力を分けなければならん”とはな!」
父親の名前を聞いて、エーディンは苛立たしげにする。
「……んなことはどうでもいい。手前は何者だ?」
「うん? はぁ、またか。やれやれ。人間の王といい、この時代の者どもは敬意というものを知らぬようだな。
…余は魔界の統治者、魔王トトよ」
それを聞いてエーディンが眉を寄せた瞬間、突風がまきおこる。
「……魔王、だと!?」
物凄い勢いで後方からやってきた白龍だった。
その背から飛び降り、ルゲイトが驚いた顔をする。
その後にバーナルが降り、白龍がボウンと煙と共に人型に変わった。白い服で統一された少女である。地面に倒れ込み、舌を出してゼェゼェと息をつく。
「…お疲れ様でした。エシュロン」
バーナルが白龍エシュロンに労いの言葉をかけるが、エシュロンはへばった顔で微かな鳴き声を上げる。
「ハァハァ……無茶ですぅ…本気の龍王エーディン様のスピードに追いつくわけがないですぅ……」
「…“龍王”エーディン?」
エシュロンの言葉に、トトが少し驚いた顔をする。
「“龍王継承”したということかえ?」
魔王の問いに、エーディンはクワッと眼を見開いた。辺りにズンッと見えぬ圧がかかる!
「んなことはどうだっていいってんだ!」
エーディンが吼えるのに、ビクッとエシュロンが跳ねてガクガクと震えだした。バーナルがその背を優しくさする。
エーディンの視線がハウェ・バゼムをギロリと捉える。その瞬間、蛇に睨まれた蛙の如く硬直した。怯え、戸惑い……魔龍と成り果て、無くなったはずのそんな感情が垣間見える。
「ハウェイにバイゼム。龍族として正々堂々と戦い、敗れ死しただけならば俺は何も言わん。だが、卑賤な魔物の王に従属するとはいったいどういう了見だ? あ!?」
「オ……ウ……ウ……」
小刻みにハウェ・バゼムが震える。
「…拙僧の操作が…鈍イ?」
ピアが怪訝に鏡を覗きこんだ。
「誇り高き龍族が飼い慣らされてるんじゃねぇ!!」
「ヒィイ! ご、ごめんなさいですぅ!!」
「エシュロン。貴女にではありません」
白い帽子をかかえて震え出すエシュロン。
「……エーディン。冷静になれ。奴が本物の魔王ならば敵対するわけにはいかない」
心なしか青ざめていたか、相変わらずの無表情でそうルゲイトが言う。
「うるせぇ! これだけは譲れねぇ! 俺の部下を使い、こうも虚仮にしてくれたクソババアに一撃かまさなきゃ俺の気がすまねぇ!」
エーディンの眼は、ハウェ・バゼムの後ろにいる魔王にまで憤りを向けていた。
「……クソババアか。随分と品のない。アーダンはもう少し理知的であったぞ」
「黙りやがれ! 親父の名を口にするんじゃねぇ! 手前の目の前にいるのは、龍王エーディンだ! 手前を跡形もなく消し飛ばす者の名だ!!」
エーディンが両手を大きく開く。それを見て、トトはピアーの服を掴んでいち早く飛び退いた。
「……やめろ! エーディン!!!」
両手に強大なエネルギーが集束し、圧縮されていく!!
「うおおおおおおッ!!」
溜めるだけ溜めたエネルギーをグッと後ろに逸らし、勢いをつけて前に放り出す!!
『龍王波動集束大砲!!!!!!!!』
ズドオオオオオオオオンッ!!!!
今までセリクが聞いたこともない物凄い轟音が響き渡る!
津波を思わせる波動の奔流。それらに呑み込まれ、ハウェ・バゼムは一瞬のうちに溶解し蒸発した!
蒼白いエネルギーの帯が、エーディンの全身から一気に放たれたのだった!
「……う、ううッ!」
「ウヒィイイン!」
ルゲイトがその威力に身を震わせ、エシュロンはバーナルの胸の中で泣きわめく。
「……よく見ておけ。ピアー。これが龍王のみが扱える“タオ・ウェイブ”よ。アーダンが最強とした切り札よ。こいつだけは、まともに受ければ余とて無事にはおられまい」
高く浮かび上がりながら、トトがそう言う。
ピアーは自分で飛べず、トトの腕にしがみつきながらガクガクと顎を振るわせていた。
しかし、ピアーが恐怖を抱いたのも仕方がないことだった。エーディンのいた場所から、真っ直ぐ……帝都に一直線の更地が出来ていたからだ。人もビルも道も、すべてが一撃の元に消滅してしまったのである。そしてその線上にいたはずのハウェ・バイゼムの痕跡すら無くなっていた。
「……ゼェゼェ……み、見たか。これが、龍王の力……だ」
力を全て使い果たしたエーディンは、フラフラとよろめいたかと思うとその場に倒れる。それをバーナルが後ろから支えた。
ゆっくりと降りてくるトトに、ルゲイトがエーディンを庇うように前に進み出る。
「人間との交渉は失敗に終わってしまったが……フム。龍族と敵対する気もなかったのだがね?」
「……こちらとしてもそのつもりだったのだがな。
だが、今のが答えだ。交渉すらお断りということだ」
フッと、トトは自嘲気味に笑う。
「クハハ。なんとも、思うようにいかぬものよな……。
“龍王”に伝えよ。そちが人間ならば、余が愛でるに値しておった…と」
「……本人は嫌悪するだろうがな。魔王の言葉、確かに伝えよう」
額に冷や汗を浮かべながらも、ルゲイトはハッキリと答える。
「…して、紅き力の小僧よ。敵である龍王に助けられ悔しいかえ?」
トトは倒れているセリクに向かいそう声をかけた。
「久方ぶりに良いものが見れた。故に余はとても今機嫌がよくてな、そちの命は摘まむのはやめておこう……これも余の気まぐれよ」
「な、なにを……ッ」
「悔しければ余を打ち破ってみせい。そして、命の限り余を魅了してみせよ」
トトは再び浮かび上がりながら告げる。
遥か高みからの言葉と人間を弄ぶ者の嘲笑。セリクはそれを睨み返すだけが精一杯の抵抗だった。
「では、諸君。ここに魔王“トルデエルト”が宣言しよう! 地上フォリッツアを盤上とした狂騒の始まりを!!
神を! 人を! 龍を! 余が引きずり降ろし、魔族が主となる三世界統治を為す!!」
両手を広げ、高らかに魔王トトが言い放つ。眼下にいる全てを睥睨しつつ…。
誰にも高慢な姿に映ったが、それだけの実力を誇ることは認めざるを得なかった。
「クハハハハッ!!」
トトは哄笑をあげたまま、ブワッと全身から闇を放つ!
トトとピアーの二人の身体を闇が包み込んだかと思うと、一瞬にしてその場から掻き消えた。
姿がなくなった瞬間、辺りに立ちこめていた邪悪な重圧がなくなる。
「…ルゲイト様」
倒れているエーディンを介抱しながら、バーナルの眼がわずかに揺れる。
“魔王の実力は、エーディンをも凌駕している”…その眼は、そう強く訴えていた。
「……帰るぞ。これから忙しくなる」
ルゲイトの眼が、瓦礫に埋もれているセリクを見据えた。
「……魔王は龍王が滅ぼす。セリク・ジュランド。貴様が余計な手出しをすることをエーディンは望まぬだろう」
本人に聞こえてるかどうかも確認しないうちに、ルゲイトは踵を返した。
そして、龍化したエシュロンに乗り込み、龍王たちもその場から立ち去ったのであった…………。
しばらくして、ポツポツと黒い雨が降り始める。血まみれのセリクの全身を、容赦なく濡らし汚していく……。
その不吉な雨は、まるで神国ガーネット帝国のこれからの行く末を暗示しているかのようだった…………。




