3話 審判の書(セリク視点)
俺は住んでいた村で嫌われて……龍王の生贄にされたんだ。
この生まれついての紅い眼。こんな眼をした人なんて、村の中で他には誰もいなかった。
俺は覚えていないけれど、村長様からは、両親は俺が生まれた時に死んだって聞いている。
そして両親が死んだのは、俺がこんな紅い眼をした“悪魔の子”だから。そのせいだって大人たちはいつも言っていた……。
こんな俺が今まで殺されなかったわけは、祟りや呪いのようなものがあるんじゃないかってことを怖れていたからだと思う。変な話だけれど、悪魔の子だから生きていられたってわけだ。十四歳になるこの年までね……。
寂しく村の離れで暮らしている生活に変化が訪れたのは突然のことだった。
村からでたことのない俺はよく知らなかったけれど、レノバ村より南に住んでいる龍王という凶悪な怪物が暴れだしたらしい。帝都からきた噂で村全体がソワソワしていた。
村を龍王から守るため、村長様や男衆がだした結論は、俺を生贄にすることだった。
忌むべき龍王に、忌むべき悪魔の子を食べさせてしまえ……。そうすれば、村には災いが来ることはないだろう。そう村長様は考えたんだろう。
悪魔の子と言われても、俺自身にその自覚はなかったし…なんで生まれつきのことでこんな風に嫌われなきゃいけないのかってずっと思っていた。
悲しくて辛くて、楽しいことなんて一度もなかった。それでも、龍王なんて怪物に食べられるのはイヤだった……。
逃げたかったけれど、逃げられない。逃げられないように足に鎖がつけられていたから……。
殴られ、蹴られ、ツバを吐きかけられ……気を失って、眼をさました時には、砂漠をひたすら行く馬車の中だった。
俺を連れていったのは、木こりをやっている大きなオジサンと、靴職人の小さなオジサンだったと思う。
“だった”っていうのは、俺が村人で知っているのが、村長様と、よく俺の世話をしてくれた女の子ぐらいしかいなかったからだ。
こじんまりとした村の中で、顔は見たことがあっても、名前は知らない人ばかり……。
おかしいと思われるかも知れないけれど、確か悪魔に名前を知られてはいけないのだとか村長様が言っていた気がする。
だから、俺の前で名前を出すようなことをしないようにしていたんだと思う。悪魔に名前を知られることで呪い殺されないようにするためだろう。
でも、もしそうなら、俺を世話をしてくれた女の子はとっくに死んでいておかしくないのに……。
俺にそんな力なんてあるわけがない。そう言っても信じてもらえないのがもどかしくて、とても悔しかった……。
馬車の中では、龍王という怪物の姿を思い浮かべていたのと、寒かったせいもあって、ずっと震えていた……。
見たこともない、ほんのちょっとだけ聞かされていた神様にも祈ったけれど……悪魔の子である俺の祈りは聞き届けられなかったみたいだ。
明るくなってきて、馬車が止まって、誰かと話している声が聞こえたとき、俺はもう疲れ果てていて諦めていた。どうやっても助からないんだ、と。でも、どうせ死ぬなら一瞬で苦しまずに死にたいな……そんなことを考えていた。
でも、いつまでたっても馬車から降りろと言われない。不思議に思ってカーテンを少し開けて、外の様子をのぞいたとき……俺の眼に映ったのは、オジサンたちが青い光に照らされてあっという間に消し飛んでしまう瞬間だった。
変なヒラヒラの服を着た男が何かをしたせいで殺されてしまったということだけが解った。
“次は俺なんだ”……そう思うと、身体が今まで以上に震えた。諦めて死ぬ覚悟ができていたはずなのに、また恐いっていう感情がひどくわき上がってどうしようもなかった。
なんで、俺がこんな怖い思いをしなきゃいけないんだろう。こんな辛い目に遭わなきゃいけないんだよ……。誰か、誰か助けてよ!
―――
村で唯一、俺の面倒をみてくれた女の子は、教会で聞いてきた話をいつも教えてくれた。
龍王が忌む恐るべき存在であること……これは地上フォリッツアに住む人々には当たり前のことらしい。
およそ一〇〇〇年前、龍王アーダンは神々に挑みかかり、神界セインラナスを手に入れようと、多くの龍族を率いて戦いを挑んだ。
この物語は、昔の偉いイバン・カリズムという人が、神龍大戦と名前をつけて、“審判の書”という書物に記しているそうだ。
俺みたいな孤児じゃない、普通の子供であれば、父さんや母さんからこの神々と龍王の戦いの物語を聞かされて育つ。
そんな子供に聞かせる伝承にもなっていることもあって、神々に挑む程の強大な力を持つ龍王アーダンは、恐怖の対象としていまだ人々に知れ渡っているんだ。
審判の書では、気の遠くなるような長い戦いの末に、神々が勝利することになる。
深い手傷を負った龍王アーダンは、呪われた大地ファルドニアの居城に逃げ隠れた。そして、神々に挑んだ愚かさを恥じて、二度と姿を外に現さなくなった。
荒廃した地上を見た神々は深く悲しみ、このような悲劇がもう二度と起きぬようにと、神界の扉を固く閉じ、ファルドニア以外の土地を人間たちに分け与えた……。
と、確かそんな内容だったと思う。
俺のいたレノバ村は、神国ガーネット帝国が統治する領の最も南方にあり、ファルドニアに一番近い……。
村のある麓から山脈を越えて、すぐがファルドニアなんだ。だからこそ、龍王を村人たちはとても恐がっていたんだと思う。
龍王を目撃したという噂も、大人から子供たちにその恐怖が伝わっていたせいか、俺も小さい頃にいくつか聞いたことがあった。
目玉が一〇〇個もあったとか、頭から尾までが地平線よりも長かったなど……。うっかりそんなことを耳にした夜には眠れなかったのを今でも覚えている。
でも、いま俺の目の前にいるのは、龍王アーダンの息子エーディンだった。
目玉が一〇〇個あったり、尻尾が地平線まで……どころか、尻尾すら見あたらなかったけれども。姿形は人間のものと変わりなかった。
帝都の噂や、審判の書にはエーディンの存在はなかった。でも、この男が何か得体のしれない力を持っていることだけは、さっきの村の人を殺したことからも解った。
生贄にされた俺とすれば、相手がアーダンだろうが、エーディンだろうが……恐いということに変わりはなかったんだ。
だけれど、エーディンは俺を食べることはなかった。それどころか、俺がどうして生贄になったのか興味をもったようだった……。
村人が抱いていたような、そして審判の書にあったような龍王のイメージとはなんだか少し違っていたんだ……。
―――
城の執事をやっているというロベルトが、ベッドのシーツを整えてくれる。俺はそれをただ見ているしかなかった。
龍族なんだろうけれど、ほとんど人間と違わないエーディンに比べ、ロベルトはいかにもドラゴンという感じがした。
遠くから見れば、燕尾服に身を包んだ太めのおじいさんなんだけれど、近くで見れば、頭には角が生えてるし、なによりもはみ出た長い尻尾が目立っている。
同じ龍の仲間だとしたら、この違いはなんなのだろうかと俺は不思議に思う。
「これでよしと…。龍族は普段はベッドなんか使いませんからね。私が用意した寝床ではなかなか休まらないかも知れませんが」
ベッドを使わないってことは、どうやって寝るんだろう?
冷たい石の上に寝そべるのかな? それとも、コウモリのように天井にぶらさがったりして……。
俺にはエーディンやロベルトが寝ている姿は想像できなかった。
「この部屋は自由に使って下さって構いませんよ。もちろん棚の中の物もご自由にどうぞ」
ロベルトに言われ、俺は部屋の中を見回す。
さっきのエーディンの部屋と同じような部屋だ。違うのは、本がいっぱいあることだ。
窓のある場所以外の壁という壁が、全て本棚に埋まっていて、それもギュウギュウなまでに本が詰め込まれている。入りきらないものなんて、本棚の上に山積みになっていた。
俺の村だと本は貴重で、村長様の家か教会ぐらいにしかないって聞いた。もちろん、俺の家にも本はなかったし……。
文字を教わるのも、教会で審判の書の写しを貰って来てもらい、木の板にそれを真似して書いたんだった。だから、俺も少しは文字が読み書きできる。
並べられた本のタイトルを見る限り、読めるのでそれは人間が書いたものだと思う。
なんで、龍が人間の本をこんなに持っているのか不思議だったけれど……。
「……昔、この部屋を使っていた方がとても勤勉な方でしてね。こうやって集めて読んでいらしたのですよ」
俺の視線で、何を疑問に感じているのか解ったのか、片眼鏡を布で拭きながらそう教えてくれた。
本を集めて読む龍族……。もしかしたら、正門にエーディンと一緒にいたルゲイトっていう背の高い男の人かも知れない。
「えっと…あの、ロベルト、さん?」
呼び捨てじゃまずいかと思って、俺はそう呼ぶ。人間じゃないから、別にそんなことをする必要ないのかもしれないけれど……。
人間の敵であると教えられてきた龍族に声をかけるのはどうかと思うけれど、いま生き残るにはなんでもいいから情報を聞き出さなきゃいけない。
それに、このロベルトさんはさっきから敵意を持っている様子はなかったし……たぶん、大丈夫だと思う。
俺を食べるんだったら、とっくの昔にそうしてるだろうし……。
「はい?」
人間に話しかけた時のように、ロベルトさんは普通に答える。
村で人と話すことなんて滅多にないんで、相手が人間じゃなくてもなんだかちょっと嬉しいような気がした……。
唯一、村で話せる相手も、向こうが一方的に喋っていることが多かったし……。
声をかけて、返答がもらえるってのはそれだけでなんだか新鮮だ。
「あの、俺……これからどうすれば?」
緊張していたのもあって、変な質問だったけれど、本当にどうしていいか解らないのだ。
エーディンが俺をこの部屋に閉じこめておくつもりなら、人間の情報を聞き出すだけ聞き出して、いつかは殺すつもりだってことで…やっぱりはやく逃げなきゃいけない。
それに閉じこめられるのは、もうたくさんだった。こんなところまで連れて来られて、いつ殺されるかと怯えながら生きるよりは、可能性は少なかったとしても、逃げ出すことに賭けた方いいだろう。
「恐らく、エーディン様はあなたを人間の元に返したいとは思ってはおられないでしょう。まあ、しばらくはここに居て頂くしかないと思いますが……」
予想していた答えだったけれど、俺はがっくりする。
もしかしたら、「情報さえもらえれば解放しますよ」……と、そんな答えもちょっと期待していたからだ。
俺がもっている情報なんてたかが知れているけれど、人間の村のことだったらエーディンが興味を持つ内容も話せるかも知れない。
それで満足してくれたら、俺のことなんてどうでもよくなって、そのまま城から出て行け……ってなるかも、そう甘いことを考えていた。
これで、やっぱりなんとか逃げ出さなきゃいけないことが確実になった。
逃げ出さなきゃいけないってことは、捕まる危険もあるってことで……捕まったら、あのエーディンのことだ。俺は間違いなく殺されるだろう。殺されたオジサン二人のことを思いだし、同じようになるかも知れないと考えると、足が震えてくるし、気持ちが沈む。
「まあ、大丈夫ですよ。おりを見て私が逃がしてさし上げますから」
その言葉に俺は驚く。
俺の聞き違いだろうか?
逃がしてあげるって……どういうことだろう?
「そんな事をして…いいの? 龍族は人間が憎いんでしょ? 滅ぼそうとしているんじゃないの?」
龍王アーダンは、神々の敵で人間の敵でもある。その息子のエーディンは俺たちを滅ぼそうとしている。
ということは、龍族は人間を敵だと思っているはずだ。俺はそう考えていたんだけれど……それは違うってことなんだろうか?
「私のような老いぼれが、そのような恐ろしい考えを抱いたりはしませとも。龍族全体がそう考えているわけではないんですよ」
それって、王様の考えに反対ってことだろうか? そんなことを言って大丈夫なのかこっちが逆に不安になる。
確かにロベルトさんは、最初から俺を心配してくれていた。争いごとが好きそうには見えないのは本当だったんだ。
これはもしかしたら、エーディンは龍族にはそれほど慕われていないってことかも知れない。
「それに、あなた一人ぐらい逃がしたぐらいでどうってことはありません」
それはそうだろう。俺みたいな子供が一人逃げたところで、エーディンの支障になるとはとても思えなかったし……。
俺がさらに何かを質問しようとした時、すでにロベルトさんは部屋を出て行こうとしているところだった。
「……私はしばらく地下にいますから。何かありましたら、そちらに声をかけてください。それでは失礼しますね」
声をかけてって、ここに閉じこめられたら、どうやって声をかければいいんだろう?
そんなことを少し思ったけれど、ロベルトさんが出て行った瞬間に、俺は急に身体が重くなって眠気を感じる。
誰もいなくなったことで、なんだか気が抜けてしまったみたいだ……。
目の前のベッドはフカフカそうだ。俺の家にはこんな上等なものはない。床にひいたボロ切れにくるまるだけだったし…。…
触れてみると、あまりの柔らかさに驚く。触ってみるだけのつもりだったのに、我慢できずに中にもぐりこんでしまった。
馬車の中や、エーディンの部屋はあんなに寒かったのに……ここは温かく、とっても良い匂いがして、安心してしまった。
あまりに温かく心地よかったので、俺は考えることをもう止め、そのまま深く眠ってしまったのだった…………。