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RUIN【破滅】  作者: シギ
一章 紅い眼の少年
35/213

34話 ユーウ・ライオネル

 赤い煉瓦が敷き詰められた中央の通りを進み、門扉の大きく開いた古城に入っていく。

 中は細長い人工池が壁沿いを流れる回廊となっていて、ビロードの絨毯が惜しげもなく隅から隅まで使われていた。

 通路中央には、透明なアクリルケース台座の上に、歴代帝王のゆかりある品々が並んでおり、それを横目に進んで行くことになる。

 遙か昔の状態を残した外壁とは違い、内部は大分手入れが施されていた。石造りの壁が続いたかと思いきや、いきなり金属の補強された壁に変わったり、松明だと思っていたものが、実は電灯をその形に似せた代物だったりと、よく見れば旧いものと新しいものが組み合わさっているのだ。

 回廊をようやく抜けると、大きく開けたロビーにでる。一階と二階は吹き抜けで、左右に大きな階段が見える。これは古城の造りをそのまま残したのだろう。

 ロビーの真ん中に、石造りのものとは不似合いな白いボックス小屋があった。近づくとそれが受付なのだと解る。


「ようこそ、神国ガーネット帝国城へ」


 二人いた受付の女性が揃って立ち上がり、にこやかに笑顔を向ける。階段の前に立哨している警備兵の物々しさとは対照的だった。


「本日はどういったご用件でしょうか? ご観光でしたら、旧帝国城の一階は開放しております。こちら受付の奥から進みますと、“帝国の歴史”、“神々との関わり”、“老剣豪バージル・ロギロスの伝説”までを順に解りやすくお学び頂けます」


「フロアの最後には、お土産物コーナーもございますよ。一番人気は“大水晶柱キーホルダー”ですね。現大総統が好物とされている、“ダフネス・マカロン”もお勧めです。帝都の学生さんならば、三割引きで……」


 マニュアル通りに喋る受付嬢に向かい、セリクは遠慮がちに首を横に振る。すると、嫌な顔一つせずピタッと喋るのを止めた。


「あの、俺はDr.サガラに用事があって来たんですが……」


 セリクはイクセスの紹介状を差し出した。ペコリとお辞儀をして、受付嬢はそれを恭しく受け取る。

 二人して内容を確認すると、セリクをチラッと見やった。なぜだか、一瞬だけ哀れまれたような雰囲気だったが、すぐにさっきの笑顔に戻り、紹介状を書簡に元通りに入れて返す。


「失礼致しました。研究所は地下一階になります。そこは新城の方になりますので……」


「ちょっと」


 案内しようとした方を、隣が小声で止める。


「前にご案内した時、消毒室を通さなかって、研究所の人にお叱りを受けたじゃない」


「あ……。そ、そうだったわね」


 受付同士でこそこそ喋り合うのに、セリクは首をわずかに傾げる。


「……お待たせしました。被検者の方は、お身体を一度清めて頂く必要がございます」


「身体を清める?」


「はい。清める……簡単に申しますと、お風呂に入って頂くということですね」


 セリクは自身の姿を見やる。ちゃんと風呂にも入っているし、洗濯もこまめにしている。それほど汚れているつもりもなかった。


「あ、いえ。研究所は精密な機械がございます故、わずかな埃も入れてはならない……とのことらしいのですが」


 受付もちゃんと理由を把握しているようではなく、ちょっと困ったようにそう言う。

 なぜ城に来てまで風呂に入らねばならないのかと疑問だったが、とりあえず言われたことをしなければ研究所には入れないらしい。

 納得したわけではないが、仕方なくという感じにセリクは頷いた。


「では、ご案内を……」


 そう言った瞬間、受付の電話が鳴って、一人がそれを取った。

 ほぼ同時にして、別の来客がやってくる。残された受付嬢はセリクと、別の来客の顔を交互に見る。


「ええっと、申し訳ございません。少々お待ち頂いて……」


「時間がないのだ。大事な約束があるんだが……」


 新しく来た来客は、セリクをジロリと見やると苛立たしげにそう言った。後から来ておいて、子供なんかよりも自分の方が優先と言いたげだ。

 もう一人の電話している受付嬢の方もまだ終わらないらしい。残された方は、困ったようにセリクを見やった。


「…あ。俺、場所さえ教えてもらえれば一人で行けます」


 セリクがそう言うと、受付嬢はホッとした顔をする。


「本当に申し訳ございません! 左手の階段を上がって頂きますと、すぐに新城に入るエレベーターがございます。その側にいる兵士に……」


 詳しく説明しようとしてくれたが、横柄な客がゴホンと咳払いをした。


「解りました。後は向こうで聞きます。ありがとうございました」


 セリクはお辞儀をして、その場を離れる。

 これ以上この場にいたら、あの客が受付を怒鳴り出すだろう。それを見るのは忍びなかったのだ……。


 言われた通りに階段を昇ると、少し開けた場所にでた。階上からは、自分がやってきた入口や受付がよく見える。

 少し先に進むと、銀色の金属で出来た扉が奥にポツンとあるのが解った。その横に兵士が立っている。


「ん? おい。そこの坊や、ここは立ち入り禁止だよ」


 兵士はセリクを見つけるとそう言う。


「あ、俺、ここの研究所に用があって……」


「研究所に? ……ああ、なるほど。異端者の子かな? 珍しいな。所員か保護者同伴じゃないのかい?」


 しげしげと見られ、セリクは気まずい思いをする。自分の紅い目を見られたくないと思い、顔を伏せてしまった。

 俯いたまま紹介状を出すが、兵士はろくに見もしないで頷いてみせる。


「うん。よしよし。なら、こっちにおいで」


 兵士はフードをはずし、二カッと笑って手招きした。まだ若い兵士だ。新兵なのだろうか。いつもの帝国兵に感じる冷淡な印象はまるでなかった。気さくな感じだ。

 

「さあ、どうぞ」


 兵士はにこやかに、扉の方を示す。だが、セリクは扉の前で固まってしまう。

 扉には取っ手らしきものがなく、平べったい二枚の板を合わせただけの形をしていた。今まで見たことのないような造りで、どうやって開けて入ればいいのか解らないのだ。


「どうしたんだい? あ、そうか。ごめんごめん。階数を指定しなきゃいけないんだよな。つい忘れてたよ」


 兵士はペロッと舌を出し、胸元から一枚のカードを取り出した。そして、扉の脇についてる細い横穴に差し込む。ピピッと音がしたかと思うと、ガチャガチャと上についたボタンを幾つか押す。

 しばらくすると、ガチャンという響いて自動的に扉が開いた。


「はい。これでオーケーさ」


 進もうとしたセリクが、入る前に足を止める。それもそのはずだ。案内された中は行き止まりだったからである。すぐ目の前が壁なのだ。

 もしかしたらからかわれているのではないかと、セリクは眉を寄せた。


「今度はなんだい? ……ああ、もしかしてエレベーターは初めてだったかな? これは上下階に移動するための機械さ」


「キカイ?」


「来客用は下層階しか行けないから、全部に行けるってわけじゃないけどね。研究所には僕のIDでも行けるんだ。乗れば解るさ」


 言っている意味は解らなかったが、とりあえずセリクは指示通りに扉の中にと入った。


「それじゃ、いってらっしゃーい」


 ニコッと笑って、扉を閉める。


「あ! ちょっと待って!!」


 扉が閉まる寸前で、セリクが腕を出した。危うく挟まれる寸前で、兵士が開くのボタンを押す。


「あ、危ないなぁ。怪我するよ! 大丈夫だって。閉じこめるわけじゃないからさ」


「ううん。そうではなくて、そういえば受付の人に、“なんとか室”に行くように言われていたんです。えっと。なんと言っていたか……その、忘れちゃいましたけど」


 受付嬢が会話していた内容を思い出す。小声だったのでよく聞き取れなかったのもあるし、聞きなれない単語だったので覚えていなかったのだ。


「“なんとか室”? それじゃ解らないなぁ……」


「うーんと、確か……身を清めるって。風呂に入らなきゃいけないって言われたんです。そうじゃないと、研究所の人に怒られるって」


 それを聞いた兵士は青い顔になる。


「そうか。あそこの連中はやたら神経質だからなぁ…。でも、風呂か。そんな話は先輩からも聞いたことないけど。うーん、それなら、五階の大浴場に案内しちゃっていいのかな。もしかしたら、特別待遇なのかなぁ? うーん。でも、紹介状を持っている子を案内しなかったら案内しないで怒られるし……」


 悩みつつも、兵士は扉の脇の操作板に何かを入力する。


「とりあえず、風呂に入るっていうのなら……大浴場しかないよね。うん。まあ、いいや」


 なんだかいい加減なことを言うので、セリクは途端に不安になる。そういえば、この兵士は紹介状も肝心の中身まで見ていないのだ。もしかしたら、さっきの受付嬢よりも解っていないかも知れなかった。

 受付まで一旦戻ろうかと考えている間に、兵士は入力を終えてしまう。そしてボタンが押し終わると扉が閉じた。

 閉じこめられてしまったが、中には電灯があるので明るい。これからどうすればいいのだろうかと思案しかけた時、グゥーンッと何かの音が底から響いた。

 

「うあッ!?」


 ガクンッと揺れたかと思うと、底から突き上げるようなわずかな衝撃を受ける。なぜだか解らないが、胃のあたりがムカムカする感じを覚える。


「え!?」


 いきなり背中が明るくなり、振り返ったセリクは目を丸くした。

 今いるところは城の背部にあたるのだが、全面総ガラス張りのおかげで、裏手の景色がよく見渡せるようになっていたのだ。

 背の高いはずの木々が足下に見え、遠くまで山々がよく見える。マトリックスたちと颯風団が戦った場所までがはっきりと解った。

 いま乗っている箱のようなものが、高速で上に昇っているのだとセリクはようやく理解した。

 石造りの壁を抜けると、今度は鉄骨や白いコンクリートで出来た場所にと移っていた。それがビルのような新城の方なのだろう。

 どうやら、旧城と新城はこのエレベーターで行き来できるようになっているらしい。これを使わないと新城に入れない造りになっているのだ。

 入ってきた扉の右上にある数字が次々と変わっていく。


 三……四……五……チーン!!


 ガクンッと小さく箱が揺れ、ベル音が響く。

 そしてガチャンと扉が開かれた。このまま居たら箱が落ちるような気がして、慌ててセリクはエレベーターから出る。


「すごい……。ここが五階? あっという間についちゃった」


 窓から外を見ると、かなり高い位置だ。こんな高いところから外を見たことなんてない。思わず足が竦んでしまいそうになる。

 内側に向かう壁も透明になっていて、遙か下に古城の尖塔が見えた。まるで天空から覗いてる気分だ。

 あそこに見える古城ですら、セリクの知らない技術で作られたものだろう。ならばこの新城を作った技術は、いくら丁寧に易しく説明されても、とても理解できないだろうなとセリクは思った。

 しゃがみ込んで風景にしばし見とれた後、セリクはようやく腰を上げる。


「……そうだ。身体洗わなきゃいけないんだ」

 

 よくよく考えればタオルも着替えも持ってきてはいなかった。だが、とりあえずはその大浴場とやらに向かってみようと歩き出す。


 不思議と五階には誰もいなかった。兵士がいてもおかしくないし、いれば場所を聞くこともできたのだが……。

 迷路のような通路を歩いていくと、どこからか水の流れる音が響いてくる。セリクはその音を頼りに進んで行く。

 自動に開く扉を何枚かくぐると、いきなり目の前が暗転する。ブラックライトで照らされた薄暗い通路に出たのだ。

 水の音はより大きくなり、空調設備から冷たい風が流れてくるのを肌に感じる。

 そしてようやく、大浴場らしき入口にと辿り着く。ガラス張りだが、スモークフィルムを使用しているため中の様子は見えない。

 なぜか赤いロープで入口が仕切られていたのだが、それが何の意味なのか解らないセリクはくぐって中へと入った。


「……えっと? ここで服を脱いでいいのかな」


 脱衣場と思わしき場所で、セリクは左右を見回す。スノコの床に、竹カゴの桶があることから間違いはないだろう。

 新品のタオルがひっかけてあったので、それを借りることにした。黙って使うのはまずいような気もしたが、タオルは所狭しと山積みになっていたのだ。一つぐらい使っても解らないんじゃないかと安易に考えてしまう。

 見知らぬ場所で裸になることには抵抗があったので、身を隠すように、端の方で身につけているものをサッと脱ぐ。こういう場合はさっさと済ましてしまうことに限る。

 裸になると、空調が効きすぎていたせいで肌寒い。クシャミをして、小走りに浴場へと向かった。

 

「これが風呂?」


 セリクは言葉を失う。昔、本当に小さい頃、まだ軟禁されていなかった時のことを思い出す。フェーナと一緒に水遊びした湖がレノバ村の近くにあった。それと見間違うぐらいに大きい浴槽があったのである。

 湯気がモウモウと立ちこめている。ザッと身を流すと、おそるおそる湯に足をつけた。ちょうどいい温かさだ。

 これだけの量の湯を、こんな高い場所に集めるという作業はどれだけ大変なのだろうとセリクは考える。これにも未知の技術が使われているのだろうが、もし手作業だったならば、レノバ村の人間が全員働いたとしても、丸一日がかりの大仕事になるに違いない。自分がこの湯につかれるのがとてつもなく贅沢なことのように思えてならなかった。

 胸まで浸かると、湯煙に包まれていた奥の光景が見えてくる。それはさっきエレベーターで見たものと同じだった。浴室の壁も、透明で分厚い大窓になっていたのである。

 こんな湯につかりながら、こんな景色を楽しめることにセリクは深い感動を覚えた。

 キラキラと目を輝かせ、窓辺に寄ろうと進んで行く。


「……誰?」


 人の声がした。ギクリとして、セリクはその場に硬直する。

 脱衣場には自分以外の被服はなかったように思う。でも、確かに一人で入るには大きすぎるし、脱衣場の隅々まで見たわけでもない。すでに誰か入っていてもおかしくないだろう。よく確認もせずに入ってきてしまったことを後悔した。


「……あ、あの…俺」


 なんて説明したものかと考えて、セリクはしどろもどろになった。

 風呂に入れと言われたから従ったまでなので、なんら負い目に感じる必要はなかったのだが、裸でいることの無防備さがより不安にさせていたのだ。


「ん? 子供? 間違えて入ってきたの?」


 相手もセリクの姿がハッキリと見えてるわけではないようだった。背格好だけで判断したのだ。


「でも、入口にはウォルタが…。ははーん、またサボリか。いけないヤツ。ボクから目を離したら、パパに怒られるだろうに……」


 バシャバシャと湯をかき分けて、セリクに近づいてくる。


「ご、ごめんなさい! 勝手に入っちゃまずかったですか!? ダメだったら今すぐ出て行きます…うッ!?」


 いきなりセリクはしゃがみ込んだ。

 バシャンッと湯が飛び散り、相手の顔にまで飛んだらしく微かに悲鳴が上がった。


「プウッ! なんだよ。それは女のボクがやることだろ? 男の子が隠すってどういうことさ」


 相手が笑う。セリクは頬を赤く染めて目をそらした。

 てっきり「ボク」と言っていたので男だとばかり思ったのだ。

 湯煙でよく見えなかったとはいえ、シルエットからして完全に女性だ。相手は隠すこともなく堂々と立っている。


「貸し切りになっていて、この時間は誰も入れないはずだったんだけど……。まあ、賊や痴漢じゃなきゃいいんだ。風呂での来客は初めてだけど、こういうのも新鮮でいいよ」


 近づいてきたので、相手の顔がようやく見える。

 腰まで届く長い真っ直ぐな銀髪。外からの光に当てられて、それがキラキラと虹色に輝いていた。それと同じ色をした眼は、見た人を惹きつける不思議な自信に溢れている。湯に反射した光に照らされ、白い肌がまるで透き通っているかのようだ。

 神々しいとまで思わせる相手の姿にセリクは口をポカーンと開く。


「ほんと。…皆、同じような顔をするね。裸を見られてまで、そういう反応だとちょっとショックかな」


 言われて、マジマジと相手の裸を見てしまったことに気づく。

 慌てたように、再び顔をそむけた。紅い眼と同じぐらいに真っ赤になる。

 あまりに美しいので、恥ずかしさすら忘れ、相手に思わず見とれてしまっていたのだ。もちろん、そんなことを説明する勇気はセリクにはなかった。


「いいよ。別に。顔下げていたら話できないしさ。それにキミも隠すなよ。隠すから恥ずかしいんだよ」


「で、でも……」


 恥ずかしいから隠すんだと言いたかったが言葉にならない。

 相手が堂々としているのは、完璧なまでの完成された美形なのだからだろう。それに比べ、自分がとてつもなく卑しく惨めな存在に思えて仕方なかった。


「フウ。男女の隔たりは、淵が見えぬ程にかくも深いものか……。では、仕方がない。ボクが合わせてあげよう」


 そう芝居がかったように呟くと、バシャッとその場でしゃがみ込んだ。


「さあて、キミを惑わす悪魔は今しばらくは去ったぞ! 秘密も吐露されずベールに包まれたままだ。契約を結ぶか否か、考慮する刻は与えられん」


 何かの書物からの引用なのか、演劇役者のやるように、抑揚を付けて流れるように喋る。


「…これで対等な条件だね? これで話せるだろう?」


 銀髪の少女はズイッと顔を近づけてくる。

 間近にすると、よりその美しさが完全なのだと思わさせられる。目、鼻、口に至るすべてのバランスが完璧すぎて、ほんの少しの欠点すら見当たらなかった。

 しばしセリクの顔を見た後、自分の顎に二本指を当てて、トントンと小さくリズミカルに叩く。


「うん。実に綺麗な真紅の瞳だ。世の数多の血、それを集めて濾過して凝縮して、丹念に時間をかけて洗練したかのよう……とてもいいね」


 紅い目を指摘されたので、セリクはちょっと悲しくなった。

 だが、それ以上に完全美の者に褒められたという事に気後れする。落ち込むより、申し訳ないような気持ちの方が強かった。


「ユーウ」


「え?」


「ボクはユーウ・ライオネル。キミは?」


「あ……はい、セリク・ジュランド…です」


 ユーウの視線が左右に彷徨う。


「ジュランド? なら、帝都生まれではないね。“ジュラ”がつくのは南方の民に多い名だ。“ンド”が付くってことは……大陸の“末端”かな。たぶん、レノバかゴーモラス辺りの生まれじゃない?」


 名乗っただけで出身地を当てられたことにセリクは驚く。


「…いくつ?」


「ええっと…?」


「年齢だよ」


「ああ…。十四…もうすぐ十五になりますけど」


「ふーん。ボクより二つ下だね。その年齢に、その紅い瞳……」


 ユーウが左右に揺れる度に、長い銀髪が湯の中で自由に広がる。


「んー。もしかして、サガラの客かな?」


 これも当たった。これだけの情報でユーウは全部言い当てたのだ。驚いた顔をしたままセリクはコクリと頷く。


「はい。研究所に行く前に、風呂に入るように言われて……」


 セリクは事の経緯を説明する。

 真剣に話を聞いていたユーウだったが、しばらくしてから大きく笑いだした。バシャバシャと湯を叩いて笑い続ける。

 あまりにずっと笑っていたので、セリクはちょっと戸惑った。


「……あー、おかしい。こんなに笑ったのは久しぶりだよ。それでキミは大浴場に来たわけ? キミ、おもしろいねぇ」


「…俺、言われたまま来ただけです」


 何も面白くないと、ちょっとムッとした顔をしてセリクは答える。


「あー、ゴメンゴメン。身を清めるってのは、消毒室のことを言っているんだよ」

 

「消毒?」


 随分と風呂からかけ離れたイメージだとセリクは思う。


「服を着たまま、霧状の薬剤を吹きかけて終わりさ。消毒室は研究所内にあるんだ。行けばたぶん所員が教えてくれるよ。風呂なんて…プックク! 入る必要ないんだって……ウククッ!!」

 

 再びお腹を抑えて笑うユーウに、セリクは大きく息を吐いて肩を落とす。


「はー。まあまあ、そんなに怒らないでよ。ボクの裸を見れただけ得したとでも思ってさ」


「そんなつもりじゃ!」


 セリクは憤るが、ユーウが両手を広げたので豊かな胸が顕わになる。見てはいけないと、セリクはギュッと目を瞑った。


「ウククッ。いいね、その反応。ボクの友達によく似てるよ。すぐ激するくせに、自制心はもっと強い。…根が素直なんだね」


 ユーウは目を細め、窓から空をチラリと見やってそう言う。


「……あの、いったい君は誰なの?」


 さっきから疑問に思っていたことをぶつけてみる。自分の方が部外者なので妙に思われたが、ユーウだったらそんなことを気にしないのではないかと思われたのだ。

 口振りから城の偉い人だというのは解ったが、こんな時間に一人で大浴場を占拠しているのだ。貴族の中でも上の人物なのだろうとセリクは思った。


「ボク? ボクは誰でもないさ……」


 自嘲気味に、ユーウは肩をすくめてみせる。


「鳥籠の中に佇む大瑠璃オオルリよ。

 ああ、美しいね。ほら、鳴いてごらん。

 ああ、可愛いね。ほら、踊ってごらん。

 誰もが囲んで笑顔で褒め囃すのさ。

 いくら舞っても、いくらさえずっても、誰も出してなんてくれやしないのに…。

 そのうち、声は嗄れ果て、羽毛は抜け落ち、翼は萎れて、底板まで真っ逆さま…。

 ああ、哀れな大瑠璃よ。

 空を見ても、風を味わうことなく…。

 山を見ても、緑を嗅ぐこともなく…。

 ただただ籠の中で咽び泣いて、腐り果てて行く……」


 ユーウは遠くを見て、詞のようなものを口ずさんだ。


「…城から出られないの?」


 セリクが問うと、ユーウは答える代わりに湯を掬って窓に放った。ビシャッと雫が散る。


「出れないのかな? 出たくないのかな? ……さあ。どっちでもあるし、どっちでもない」


 曖昧なことを言い、ユーウは目を閉じる。何が言いたいのかセリクにはさっぱり解らなかった。


「大瑠璃はね。空を自由に駆け回り、雷風をもって万象を打ち砕く存在、滅亡をもたらす大きな“災禍”が来るのをジッと待っているんだ。籠を壊されては仕方ない。大瑠璃は災禍に拐われてしまうんだよ」


 何かを例えているのだけは解ったが、セリクは本当のところは解らずに首を傾げる。

 もしかしたら、ユーウはそこまで話したくないからこんなことを言って誤魔化しているのではないかと思った。


「……紅烏くれないどり。そう! キミは紅い鷲だ!」


 セリクを指差し、いきなりユーウがそう叫ぶ。


「自由が与えられているならばもうお行き。その爪が紅く染めあげるのは誰?」


「…誰、って?」


「誰をキミは狙っているの?」


 ユーウはセリクの問いなどまるで聞いていなかった。いや、聞こえていなかったようにも見える。


「…ボクに教えて」


 ゆっくりと顔を近づけ、その真紅の眼の奥を覗き見る。金縛りにあったかのようにセリクは身動きがとれないでいた。

 ユーウの銀色の瞳孔に、セリクの姿が映り込んだ。そして、逆にセリクの眼にもユーウが映り込む。


「…………そうか。キミが倒すのは災禍か。それもいい。ああ、とてもいいねぇ。キミがボクを奪う? 奪ってみるかい?」


 ユーウは恍惚とした表情で、ニィっと笑う。さっきまでとはまるで様子が違う。

 言い知れぬ恐怖を覚え、セリクはわずかに後ろに下がった。


「……奪うってなんだよ? さっきから何を言ってるの?」


 セリクの怪訝な表情を見て、ユーウの瞳と唇が小刻みに振動した。かと思いきや、瞳孔が焦点を一気に取り戻す。ハッと我に返った、という表現はまさにこのことを言うのだろう。

 警戒するように周囲を見渡して、何度か首を左右に傾げてみせる。まるで何が起きたのか自分でも解らないと言いたげな仕草だった。

 ユーウは指先を顎に手をやった。トントンと、さっきよりも早めのペースで叩く。どうやらこの動作が彼女の精神的な安定を得るためのルーティンのようだ

 セリクといえば、奇怪な行動をとるユーウをただ見守ることしかできなかった。


「…………ごめん。ボク、時々、“スイッチ”入っちゃう時あるんだ。気にしないで」


「スイッチ?」


「うん。スイッチ」


 そう言って、ユーウはレバーを動かすような真似をした。


「か、変わっているね」


 セリクが言うと、ユーウは髪の先を弄びながら息をつく。


「そう? 寝ぼけて訳の分からないこと言ったりするときあるでしょ。あれの延長みたいなもんだよ」


 別に大したことじゃないという感じにユーウは言った。

 寝言を言うことはあるかも知れないが、ユーウは確実に起きていたように見えた。それでそんなことが果たしてあるのだろうかと、セリクは不思議に思う。


 そんなやり取りをしていると、いきなり浴室の扉がガララッと開く音がした。


「ユーウ様! そろそろお出になられてはいかがですか!? このままでは、のぼせてしまわれますよ!!」


 しゃがれ声が響いた。年輩の男性の声だ。


「隠れて!」


 ユーウはとっさにセリクを湯の中に押しやり、自分の身で匿った。

 いきなりのことで、鼻からも口からも容赦なく湯が入ってくる。


「言っただろう! ボクは自分が出たいときに出る!」


 声を張り上げてユーウは答える。


「そんなこと言われましてもな! この一般浴室は無理を言って借りているのでございますよ! ごゆるりと使われるならば、専用浴場でも、これ以上の大きさでゴージャスなものがあるではありませんかぁ!」


 さすがに女性が入浴しているせいか、入口の方から男性が入ってくる気配はなかった。大声を出しているのはそのせいだ。


「何度も言わせるな、ウォルタ! パパに言いつけるぞ! ましてや見張りをサボッて煙草を吸いに行ったろう!? ボクが知らないと思ったか!」


 その言葉に、ゴクリと息を呑んだのが解った。図星だったのだ。


「……うむむ。差し出た真似を致しました。しかしながらお時間はお守り下さいませ」


「解っている! もう出るさ! まったく興醒めだよ!」


 怒ったように言うと、渋々といった感じでウォルタと呼ばれた男が出ていく音がした。

 扉が閉まったのを確認すると、ユーウは大きく安堵の息を吐き出した。


「……ふう。あ!」


 ユーウが尻をどかすと、下敷きになっていたセリクが飛び上がる。


「ゲホッ! ゲハッ!! ゴホッゴホッ!!」


 大量の湯を吐き出して、セリクが咳き込む。


「あー、ホントごめん。危うく死ぬとこだったね。ウククッ!」


 言うほど悪びれた様子もなく、ユーウは喉の奥で笑う。どうにもかみ殺したような笑い方をするのは癖のようだった。

 セリクは恨みがましい目で見る。それを見て、ユーウはまた面白そうに笑った。


「……やっぱ、地上に近い位置にある風呂はいいねぇ。こういう出逢いもあったわけだし。空しか見えない風呂なんてつまらないだけさ」


 そう言うとユーウは立ち上がる。セリクは再び目をそむけたが、ユーウはどこからかバスタオルを取ってきて身に巻いた。


「ボクがウォルタを引きつけておくから。キミはその隙に出ていった方がいい。さすがに見つかったら……ボクでもかばいきれないしね」


 やはり大変なことをしてしまったのだと、セリクは緊張した顔をする。


「ま。大丈夫だって。来客用エレベーターの位置は……壁に沿って歩いていけばやがては着くからさ。この階層にはボクがいる限りは誰も入らないはず。ま、キミを除いての話だけどね」


 セリクも自分の腰をタオルできつく巻き直して頷く。


「……ごめんなさい。なんだか、面倒をかけてしまったみたいで」


「いいんだ。楽しかったし。またボクが風呂に入っている時にでも忍び込んで来てよ」


「いや! それは…」


 セリクが困った顔をすると、冗談だと言ってからユーウは笑う。さっきからセリクはユーウの笑った姿しか見ていない。


「また会えたらいいね。今度は目をそらされないよう、ちゃんと服を着た状態でね」


「うん。その時は改めて挨拶するよ」


 もしかしたら、次に会えた時は友達になれるかも……そうセリクは思った。



 ユーウが脱衣場に行き、セリクの服と剣を持ってくる。

 浴室で着替えたら湿ってしまうが、そんなことを言っていられない。脱衣所で一緒に着替えていたら、さっきみたいにウォルタが入って来たときに困るのだ。

 剣を手渡すとき、なぜかユーウはジッとセリクの顔を見た。不審者に武器を渡すことを警戒したのかと思ったのだが、そうではなく、セリクのような子供が剣を持っていたことが気にかかった……そんな様子だった。

 

 セリクが服を着る間に、ユーウも脱衣所で着替える。

 長い銀髪をサイドで束ね、そしてライトイエローのゆったりとしたチュニックにハーフパンツといった姿になった。

 そんな格好だからこそ早く着替えられるわけだが、貴族にしてはずいぶんとラフな服装だ。だが品はよいものらしく、おそらくセリクが身につけているものすべてを売り払っても、髪を束ねているリング一つ買えはしない高価なものなのだろう。

 服を着ただけで、幾分か気安さが出てきた部分はあるが、それでも当人の秀麗さは少しも変わらない。むしろ一般人のような服を着ることで、着飾ったような美しさでないことが逆に強調されている。


「…ここで隠れていて。脱衣所でウォルタと話すから。ボクが行って、五分したら出て行っていい。もしダメなら、ボクが扉を叩くから。そしたら、そのまま待機してさらに五分待って」


 セリクは頷き、浴室の扉の裏に隠れる。

 ユーウは脱衣場で大きな声を上げた。


「いやはや、待ちくたびれましたぞ。約束を破ったならば、私がゲナ様にお叱りをうけるのですからして…」


 クルンと毛先が丸まった頭髪が特徴の初老の男性だ。いかにも執事という出で立ちである。


「解っている。しかし、煙草はもう止めたのではないのかい? ウォルタ。肺の手術を受けたばかりじゃないか」


 気まずそうにゴホンと咳をして、ウォルタは口髭を撫でつける。


「……イクセス殿が美味しそうに吸っておられるのを見て、ついつい。いや、しかし、もう止めますぞ。ええ。止めますとも。怪しげな道領医術はこりごりでございます。薬、苦いですし」


「そうだね。ボクもキミに死なれては困る。パパも同じだろう。下心なく仕えてくれる臣下はそういないからな」


 ユーウがそう言うと、ウォルタはちょっと驚いた顔をした。そして、ハンケチを取り出して目元を擦る。


「おお! フガール家にお仕えして三十年。お口を開けばご悪態ばかり、そんなユーウ王女よりまさかそのようなお言葉を頂けるなんて感激の極み! この不肖、ウォルタ! 生涯をかけて、ダフネス帝とユーウ王女に従いまする所存!!」


「解った、解った。キミはいつもオーバーすぎるんだ。……でも、あまり長話をしていると湯冷めしてしまう。早く部屋に戻りたいよ」


「おお! そうでしたな! ダフネス様が神告の儀をしておられる最中。姫君の身に何かあれば一大事! ささ、早く戻ると致しましょう!」


 ウォルタが脱衣場の外へ行き、ガタガタと音を立ててロープを束ねて持ってきた。浴場の入口を覆っていたバリケードだ。それを手早く片付けると、さっと胸に手を当ててお辞儀した。

 ユーウはチラッとセリクの方に目配せして、そのまま何事もなかったかのように出ていく……。


「……ユーウ王女? …ダフネス・フガールの娘?」


 浴室から話を盗み聞いていたセリクは、さっきから開いた口が塞がらなくなっていた…………。




 王族専用エレベーターで自室階に戻る最中、ユーウは自分の湿った髪を弄びながら微笑んだ。


「…おや、思い出し笑いされているのですかな?」


「うーん? さあ、ねえ」


「オッホホ。珍しく上機嫌でございますね。何か良いことがあったのでも? 意地悪せずにこのウォルタめにもお教えくださいな」


「そうだね。ウォルタ。キミはDBって知ってる? それってなんだっけ?」


「DBですと? はて。聞き覚えがあるようなないような。……ああ、確か、民間にそんな店があったような。呉服屋…いや、金細工屋でしたかな」

 

 とんちんかんなことを言うウォルタに、ユーウは喉の奥底で笑い声を漏らした。


「ダメだなぁ、ウォルタ。市井のことはもっと知らないと…。政府認定龍王討伐自警団ドラゴン・バスターズの略称だよ」


 知っていたのに聞かれたのかと、ウォルタはちょっと苦い顔をする。ユーウはそうやって人を試す事があった。


「DBの紅き剣士セリク・ジュランド…か。ボクの災禍とどっちが上だろうね。ウククッ。ホント、楽しみ。ゾクゾクするね」


 ユーウは自分の髪を噛み、ニイッと笑った。


「災禍は荒れ狂う。災いだ災いだ災いだ…」

 

 ユーウがつぶやきだすのに、ウォルタはわずかに眼を細めた。


「安らかな眠りから覚め、大瑠璃は籠の中で破滅を歌う……。

 欺瞞の愛より放たれし紅鳥! 紅い鷹よ! まだ覚束なくも、遥か高みに追い立てられひたすら進み行く!

 先に見えるは、人知を越えし災禍! その爪と牙は嵐が如く善悪も関係なく切り裂く凶刃!

 剣と牙を打ち合わせ、穢らわしき血風に互いの身をさらせ!

 その激しき欲望のまま、どちらも大瑠璃を目指せ!

 空も! 地も! 海すらも! 何者もそれを止めること叶わぬ! 

 世界の真実すらも、ただただ真紅の血で染めあげろ!!

 籠の主もろとも、全てを紅く染めあげろ!!!」


 狂ったように同じ言い回しを繰り返す。後半はただの怒鳴り声となってしまっていたが、それでも恍惚の笑みを浮かべ喉の奥で笑う。それは異常な姿だったが、それが異常なのだとは本人も気づいていないことだった。

 ウォルタは見ぬ振りをして、知られぬよう小さく溜息をついた。そう。いつものようにただ“スイッチ”が入っただけなのだと…………。

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