24話 翠黄兄弟
静まりかえった湖。かつては神聖な雰囲気に包まれていたのに、主を失った今では濁りきって淀んでいる。
周囲の木々も色が褪せ、動物たちは息をひそめ、風は一向に吹くこともない。
それはまるで“死せる森”と呼ぶのが相応しかった。
不思議な力で水面に浮かぶバーナル。
全身を覆っている白布の端を水につけ、それがユラユラと揺れ動く様をジッと見やる。
「…やはり私の力では蘇らない」
謝るかのようにペコリと湖に向かって頭を下げる。
『いいんだよ』と応える代わりに、湖がパシャンと小さく水音と波紋を立てた。
バーナルはクルリと方向転換し、水面をスーッと滑るようにして岸に上がった。
そして岸に上がると、見慣れない人影に気づき立ち止まる。
「…ほんと、手前はここが好きだな」
「エーディン様」
巨大な木。森の長老とも言うべき老樹に背を預け、脚を投げ出して座ったエーディンがいた。
ついさっきまでは誰もいなかったはずだ。今しがた来たというわりには、随分とくつろいだ様子である。
バーナルは顔にこそだしていなかったが、本当は少し驚いていた。エーディンがここを尋ねるなんて珍しいことだったからだ。
「もういねぇんだぞ」
どこを見るというわけでもなく、虚ろな目をして言う。
その言葉の意味するところを噛みしめ、バーナルはわずかにうつむいた。
「ええ。でも…。なんだか、あの方の面影があるような気がして」
「……そうか」
気のない返事だった。いつものエーディンの反応ではない。
そんな物憂げな表情をするようになったのはいつの頃からだったのか……バーナルにはもう思い出せなかった。
しばらくの沈黙が続く。お互いに特に話題を提供する気づかいも必要なかった。そんな親密さを感じる静寂は、バーナルにとって居心地のよいものである。
バーナルは音を立てないように歩き、エーディンの側で腰をおろした。他の四龍がいたら絶対にできない行為だ。ベロリカがこの場にいたとしたら、血相を変えてわめき散らすことだろう。
エーディンは特に何も言わない。しかし、嫌がっている素振りもなかった。これが他の者であったら、たわいのない嫌味の一つでも言うのだろうと、彼女は思った。
「エーディン様。どうしても……人間と敵対するのですか?」
口を開く必要はないのだと知りつつも、いつも静寂を破るのは彼女の方であった。
「…あ? 手前もくどいヤツだな。俺の考えは変わらねぇ。これしか手はねぇんだ」
バーナルは無表情のままに湖を見つめる。そして、チラッとエーディンの無くなった左腕を見やった。まだ再生していないのだ。
イクセスの攻撃自体が、再生できなかった原因ではないようだった。ただ斬り落とされただけだったら、波動の力が戻りさえすれば、すぐに治癒が始まるだろう。しかし、セリクの放った不可思議な紅い光。それが何かしらの形で干渉し、龍王が持つ超越的な再生能力を阻害してるのだろうとルゲイトは言っていた。しかし、効果は一時的なもので、やがて時間が経てばその干渉も消えるだろうとも…。
「アーダン様は…」
「親父の話はするな」
エーディンがギロッと睨む。その視線にもバーナルは表情を変えず、そっと腕の傷口に触れる。
「悲劇は…悲劇を生みます。繰り返すだけ」
諭すように呟く。それはエーディンに向けたメッセージというよりは、自身に言い聞かせているように聞こえた。
「わーってる」
エーディンは眼を細め、触れられている手から、まるで逃れるようにして離れた。名残惜しそうに、バーナルはゆっくりと手を戻す。
「…妖精族から薬をもらってきます」
立ち上がり、そして再び浮き始める。
その時にふとエーディンに視線をやるが、その厳しい顔は湖面へと向けられていた。
バーナルは前方を見やると、もの凄い勢いで遥か上空へと飛んでいったのだった…………。
ーーー
龍王城に戻ったエーディンは、城門を前にして怪訝な顔をする。二階のバルコニーから、喧騒にも似たやり取りが聞こえてきたからであった。
「生温い! だから、人間部隊に任せておけぬと言っておるのだ!」
「……人間だからこそ解る部分もある。真っ向からやり合って勝てるならば、もとよりそうしている」
「フン。悪戯に時間をかければかけるほど、勝機が失われるのではないのか?」
「……敵を知らぬまま、戦などできはしない」
バルコニーで、翠龍と黄龍に詰め寄られられながらも、涼しげな顔でルゲイトが応対しているのが見えた。
「おい…。やんなら中でやれ。外にだだもれだ」
下からエーディンが言うと、二匹が長い首をグルリと回した。
コウモリのような形の翼に、トカゲのような両腕と両脚を持つ“人翼龍種”である。
「殿下! お帰りになりましたか!! お聞きください! もはや我慢なりませぬ!!」
黄龍の方が、バッサバッサと羽ばたいてエーディンの側までやってくる。
着地すると、ドシンッと辺りが揺れて砂埃が舞った。エーディンは迷惑そうに目を細める。
「四龍を重用されるのは解りまする! しかしながら、龍王様に仕えるべきは龍族! 我ら“翠黄兄弟”こそ、エーディン殿下の片腕に相応しいのではありませぬか!?」
拳を握りしめ、唾を飛ばしながら力説する黄龍。
その丸太のような太い腕と、城壁を思わせる平たく広い胸板からしても、その戦闘力が申し分ないことはエーディンにも解っていた。が、それ以上に脳までが筋肉で出来ていることも承知していた。
「ああ、ああ。わーった。だが、話すなら人間化しろ。そのデケェ声がキンキン響くんだよ」
耳が良い分、上にいるルゲイトの声もハッキリ聞こえている。
翠龍が降りてきて、幾分か抑え気味に口を開いた。
「殿下。怖れながら、我らは人間形態を好みませぬ。失礼を承知で言わせて頂けるならば、エーディン様が人間如きの姿をとっておられるのもいささかどうかと…」
その口調は落ち着いた雰囲気である翠龍だが、ルゲイトを睨み付けている眼は深い敵意に満ちていた。
「はっ! だから、ハウェイにバイゼム……手前ら二匹は目立ちすぎて連れて歩けねぇんじゃねぇか」
翠龍ハウェイ、黄龍バイゼム…の二匹が、顔を見合わせる。
「我には解せませぬ! なぜ一気に人間を殲滅せぬのです!? エーディン様の命令とあれば、若衆をすぐにでも集え、苛烈なる猛攻を加え、反撃の余地も残さずに人間どもを撃滅してやれるものを!」
バイゼムがギラギラと光る眼をして、ギギギッと奥歯を噛みしめた。その声量は相変わらずだったので、エーディンは不快そうにする。
「前線出撃の許可さえいただければ、殿下の失われた左腕の仇……必ずや、数万倍以上にして返してくれましょう」
ハウェイが膝を地につけ、頭を地面に擦りつける。エーディンへの恭順を示しているのだ。弟のバイゼムが、慌てて兄を真似た。
「良い忠義だ。嫌いじゃねぇ…。手前らの力量も知っている。口にした成果もあげられるだろうな」
肯定的な評価を受け、兄弟は気を良くする。表情こそ解りにくいが、エーディンの眼にはハッキリと二匹の悦びが感じ取れていた。
「…だが、人間攻略作戦はルゲイトに一任しているんだ。これは龍王エーディン直々の命だ。従え」
悦びから一転、あからさまに悔しそうに、歯を一瞬だけ剥き出したが、ハウェイもバイゼムも頭を下げ続けた。
しかし、尾が逆立っているのを見て、相当なまでに怒りを抑えているのが解る。エーディンが目の前にいなければ、ルゲイトに飛びかかっていたかも知れなかった。
エーディンはバルコニーにいるルゲイトに目配せする。そして、二匹の間を通り過ぎようとした時だった。わずかにハウェイが頭を上げる。
「……近々、神告というものを人間どもが行うようです」
その言葉に、エーディンがピタッと立ち止まった。
「…神々が動き出すのは、想定していたことなんだろ?」
確認するかのように言うと、ルゲイトがコクリと頷く。
「捨て置かれると?」
ハウェイの質問はエーディンに対してのものだったが、その射殺すような視線はルゲイトの方に向けられた。
「……現状を鑑みた時、攻めあぐねいているのはお互い様だ。何かしらの決定打が見つかれば、人間側は間違いなく龍王城を狙うだろう。こちらの体勢としては籠城戦の方が好ましい」
ルゲイトが答えると、バイゼムも頭を上げて身を乗り出そうとした。それを、ハウェイが制す。
「なるほど。籠城となれば、頭の固い老龍ども否応なしに戦うでしょうからな…。策としては一理ありまする。が、龍王アーダン陛下ならばそのような考えはされぬでしょう」
父親の名に、不快そうにエーディンが眉を寄せる。その姿を見て、ハウェイが「失礼しました」と再び頭を下げた。
「まどろっこしい…。何が言いてぇんだ? ハウェイ」
「は! 僭越ながら、戦となれば龍族の犠牲を最小限にと考えるが上策必定! 膠着しているならば、なおさらこちらから撃って出るべきです! 龍族を駒としか見れぬ人間風情の言うことなど聞けませぬ! 何卒、ご再考を!!」
堰を切ったように一気に話す。
「そうですぞ! 兄者の言うとおりです!!」
命を賭けてでもと言っていたのに、次には犠牲を最小限にだと言うハウェイ。それがルゲイトへの対抗心から出た言葉に過ぎないことは明らかであった。
その点を指摘すべきかとエーディンは少し考えるが、途中で面倒くさく感じる。いずれにせよ、ルゲイトとこの兄弟の確執が消えるわけではないのだ。
このように、人間である四龍を疎ましく思っている若龍は多かったのだ。
「ああ、もういい。わーった。手前らの好きにしろ」
「……エーディン!」
ルゲイトが抗議の声をあげるが、エーディンはうるさそうに耳を抑えて首を横に振った。
ハウェイとバイゼムが再び頭を地に擦りつけ、そして、翼を大きく広げて勢いよく飛んでいく。発言を撤回されぬ前にとばかりに素早い動きであった。
ルゲイトはすでに遥か空の点となった兄弟を見て、深くため息をついた。
「……眠っている獅子をわざわざ起こしにいくとは」
手で抑えたぐらいで、エーディンの聴覚で聞き取れないはずがない。それを知っているルゲイトは嫌味を呟く。
「ああ、わーってる。だがよ、あいつらはいずれにせよ、勝手に動いてただろうさ」
「……龍王アーダン様が相手でなければ、神々とて疑わしい情報だけでは本気にはならなかっただろうに」
「俺じゃ敵にもならねぇってか?」
「……そうではない。神告などは勝手にやらせておけば良かったと言っている。それで敵の出方が解れば、対抗策は幾らでも講じられた。だからこそ、ガーネットへの攻撃は時期尚早なのだ」
小難しいことは聞かないという感じに、エーディンは大きくアクビをした。
「どっちでもいい。神々が敵に回るなら、俺はそいつらもぶっ潰すだけだ。最初からそのつもりだしな」
「……勝手を言ってくれる。攻撃力の不足は防御力で補えるが、その逆は出来ぬのだぞ」
「へっ。それをやってのけるのが、四龍ルゲイト・ガルバンだろうが」
ルゲイトは口をへの字にしたが、やがてフッと笑う。
「……まったく。策を考えるこちらの身にもなってくれ」
「そんだけ信頼してってことだ」
「……よく言えばな。まあ、まだこれも想定の内だが」
ルゲイトはサングラスをクイッと得意気に上げてみせる。エーディンは眼を丸くし、チッと舌打ちした。
「んだよ、やっぱり俺が二匹を使うって解ってたんじゃねぇか」
「……お前の軽率な性格を読まないで策は作れんさ」
二人は顔を見合せ、どちらからともなく笑い出したのであった……。




