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RUIN【破滅】  作者: シギ
一章 紅い眼の少年
23/213

22話 デュガン・ロータスの弟子

 まるで地底湖を思わせるような漆黒の水面。そこは凪いでいて微動だにすらしない。水の中に命の気配はなく、無機質な静寂だけが横たわっている。

 湖の中心で、水面からわずかに浮き上がり、レイドはうつむいたまま佇んでいた。


「レイド!」


 セリクは呼びかけてみたが、彼が気づくことはない。声が届いているのかどうかすら怪しい…。

 目の前に見えているにも関わらず、その距離は無限とも思えるほどの奇妙な感覚に、焦燥だけが募る。


『…滅ぼせ。神敵、龍王アーダンを。神界セインラナスに仇せし者を討ち滅ぼせ』


「誰だ!?」


 ゴォーン! という大鐘の音がどこからか響いた。

 厳かな声が響き渡る。それはレイドが発したものではない。

 暗闇に満ちていた水面が、徐々に紅色に染まってゆく……。


『…滅ぼせ。神敵、龍王アーダンを。神界セインラナスに仇せし者を討ち滅ぼせ』


「誰なんだよ!?」


 セリクの声は届かないのか、それには応えない。ただ同じ台詞を何度も繰り返すだけだ。

 紅一色となった水面に、一人の人物の姿が波紋に揺れつつ映し出される。


『…滅ぼせ。神敵、龍王アーダンを。神界セインラナスに仇せし者を討ち滅ぼせ』


 白色の仮面で顔を隠し、ポッカリ一部分だけ開いた左目でレイドを見つめている。その眼には何の感情も宿っていないようにセリクには思われた。

 レイドがクンッ! と、いきなり顔を上げる。そして、微笑んだ。彼らしからぬ狂気を帯びた笑顔で……。


「……さようなら」


 ズブリッ。


「え?」


 セリクは自身の胸を見やる。

 そこには、レイドの持つ剣が深々と刺さっていた…………。




ーーー




「うわぁッ!!」


 自分の声に驚いて飛び起きる。

 冷や汗にびっしょりになりながら、自分の胸に触れる。傷も痛みもなく、血も出ていない。

 どうやら、単なる夢であったようだ。ホッと安堵して溜息をつく。


「セリクッ!」


 持っていた桶を放り出し、フェーナがいきなり抱きついてきた。

 

「え? …あっ、俺は?」


「大丈夫か?」


 部屋の隅に座っていたシャインが覗き込んでくる。


「丸一日寝ていたんだ。あまり急には動かない方がいい」


 ズキリと頭を走る鈍い痛みで、セリクはわずかに顔をしかめた。


「セリク? どこか痛いの? 一応、手当てはしたんだけど…」


 心配そうに見つめてくるのに、セリクは力なく笑う。


「うん。大丈夫……。あ! 俺は! そうだ!! エーディンは!?」


 龍王エーディンと交戦中だったことを思い出し、セリクはバッと布団をはぐ。


「落ち着け。……終わったんだ」


「終わった?」


「…ああ。我々の完敗でな」


 シャインが唇を噛んで悔しそうな顔をした。

 それから、セリクが倒れてからの事。イクセスとマトリックスが助けに入り、そして敵にまんまと逃げ去られたことを説明される。

 敗北したけれども生きている……そのことはセリクには不思議な感覚であった。負けるときは死ぬのだとばかり思っていたのである。


「だが、龍王が相手だったことを考えれば善戦したと言ってもいい。今の私たちが通用しないのならば、さらに精進すればいいだけのことだ」


 落ち込んでいるセリクを見て、シャインはそう言った。その台詞は、セリクにというよりは、まるで自分自身に言い聞かせるかのようである。


「シャインさん。あのことは……」


 フェーナがチラッと目配せする。それに気づいたシャインは、軽く天井を見やって、それから静かに頷いた。

 セリクは何の合図だろうと疑問に思ったが、問おうとする前に、フェーナがパンと手を叩いて笑顔を作る。


「セリク! お腹すいてるでしょ! もう昼過ぎだし! いま何か作ってきてあげるからね! 何がいい? あ、消化に良くて精がつくものがいいよね! ここはやっぱり、定番として玉子粥かなー。よし、任せておいて!」


 矢継ぎ早にそうまくしたてて、フェーナは行ってしまう。セリクが口を挟む間もなかった。


「…フェーナが一番に心配していた。セリクが目覚めないんじゃないかとな。今はしたいようにさせてやることだ」


 シャインがフォローするかのように説明すると、セリクは素直にコクリと頷く。

 フェーナを守ると言ったのに、何も出来ずなかったことを情けなく思う。颯風団のこともそうだったと、強く自分を責めた。

 怖さがなくなったとしても、それだけで戦えるとは限らない。

 剣の才能があるといわれても、活かさなければ意味がない。

 デュガンに言われたことの意味が、今になって痛切に感じられてならなかった。


「シャインさん……」


「ん?」


「俺、きっと強くなります。次は…」


「必ず勝つ! 当然だ!」


 セリクが言いたかったことを、シャインに先に言われる。

 二人は口元だけを笑わせて、頷きあったのだった…………。


 


ーーー




 イクセス・ブラッセルが教会を訪れたのは、日がだいぶ傾きかけた頃のことだった……。

 白色のフードの兵士二名を引き連れ、ドカドカと乱暴な足取りで礼拝堂に入り込み、講壇前の長椅子に腰かけた。もちろん誰の断りもなくだ。


「……教会内は禁煙です」


 講壇のマトリックスが苦い顔をすると、懐に手を差し入れていたイクセスは肩をすくめてみせた。


「あいにく、イバン教徒ではないんでね。イバン・カリズムの前で畏まるつもりはねぇよ」


 取り出したタバコを口にくわえると、兵士がすぐに火をつける。フワッと紫煙が礼拝堂に漂った。


「さぁて。皆さん、お揃いってとこすかねー? ……なんて、演技はもういらねぇか」


 イクセスがチラッと、キッチンのある側の扉の方を見やる。

 扉を前にして、シャインを筆頭に、ギャンとサラ、そしてセリクとフェーナが神妙な顔をして並んでいた。

 マトリックスが小さく頷くと、皆揃って講壇まで近づく。


「えー、これは神国ガーネット帝国軍、第二将軍イクセス・ブラッセルからの命令である」


 わざとらしく格式ばった口調で言うが、足は大きく投げ出したままである。


「帝国政府“暫定”公認、龍王討伐自警団ドラゴン・バスターズ。以下……後は任す」


 そこまで言って、イクセスはヒラヒラと手を振る。途中で面倒くさくなったのだと誰もが感じた。


「暫定…だと?」


 シャインが眉を寄せる。対してイクセスは、ニヤニヤした顔でフーッと煙を吹く。

 兵士が懐から書面を取り出し、それをガサガサと大げさに音を立てて広げてみせた。


「…『ドラゴン・バスターズは、対龍王戦闘組織としては不十分なものと判断! よって、組織の即日解散を此処ここに命ず! ただし、自警団としての機能のみは存続を許すものである! 以後、元組織の隊員は“民間警備隊”として再編され、その目的と活動は、帝国軍指揮下に置ける国内の治安維持のみとする! 以上!』」


「ほう。なるほどなぁ…。そう来おったか…」


 ギャンが顎に触れつつ、大きく頷く。


「……で、詳しくはどうなるんや?」


 それから小声で隣に尋ねたので、聞かれたサラはその場で転けそうになった。


「どんだけバカなんですの! DBは解散して、帝国軍の“小間使い”になれってことですわよ! 今まで以上のつまらない雑務を押し付けられるんですわ!」


「なんやって!!?」


 ギャンが鼻の穴を膨らませて真っ赤になる。

 しかし、怒っているのはギャンだけではなかった。DBの面々が皆、不服といった顔付きでいる。


「なんや! 確かに龍王には負けたかも知らんが、いい線いってたやないかい!」


 腕を振り回してギャンは抗議するが、シャインもサラも渋い顔をする。いい線というにはほど遠い戦いだったからだ……。


「確かに。実力が見合わなければ即時解散もありとは言っていましたね…」


 マトリックスも自分たちが不利な状況にあると解っていた。まるで仕切り直すかのように一つ咳払いをしてみせる。


「ですが、その審査そのものが私には疑問でした。四龍もあの場に居合わせたことを考えると……。今一度、審査をやり直すべきではありませんか?」


「審査をやりなおす? そんな必要はねぇな。戦況は刻一刻と変わる。その都度、正確な判断ができなきゃ死ぬだけだ。それがテメェらはできてねぇんだよ。…それだけを見極めるだけなら充分な内容だったはずだ」


 にべもなく否定され、マトリックスは少し考える。閉じた瞼の下で眼が左右に動く。


「……DBの結成は、大教会レ・アームから、ダフネス大総統に正式に依頼したものです。それも、龍王アーダンに関する教会のすべての情報を無制限に提供するという交換条件を出しての契約のはずですよ」


「…ああ」


 退屈そうにイクセスは頷く。


「この帝都内で自由に活動しても良いという許可は、将軍からではなく、大総統から頂いているわけです。つまり、これは国家間での決め事。軍部の一将軍の立場で口出せる問題ではないはず」

 

 その切り返しに、ギャンが「おおッ!」と感嘆の声をもらした。

 兵士たちも動揺するが、イクセスはフンと鼻を鳴らして笑う。


「さらに付け加えて言えば、国兵が対応できない雑務までを引き受けるという、あなた個人が出した不当な条件までこちらは呑んでいるんです。……ここまで譲歩したのに、そう簡単に解散を命じれるものですか?」


 ここぞとばかりにマトリックスが畳み掛けた。


「ということや! どや!」


「…ギャン。あなた、どうせ意味も解ってないんでしょうに?」


 調子だけはいいギャンの態度に、サラは額を抑える。


「せやかて、将軍はんは何も言い返すこともできへんのは事実やで!」


 イクセスに向かって、ビシッと指を突き付けてギャンが勝ち誇る。

 沈黙していたイクセスは、タバコを大きく吸い、そしてゆっくりと吐き出してからようやく口を開いた。


「……そうだな。だが、大総統と交わした契約書の一文にはこうあるんだぜ。『ただし、組織活動において、帝国の龍王討伐の妨害となる一切の行為は禁ずる』と、な」


 イクセスの言葉に、マトリックスは怪訝な顔をした。


「……解らねぇほど、頭が悪いわけじゃねーだろ? “足手まとい”がいるせいで、帝国軍が迷惑を被ってるってことが言いてぇんだ。半端な戦力はいらねぇ。これははなっから解散云々なんて問題じゃねえんだよ。テメェらへの戦力外通告ってこった」

 

 DBの一人一人を、火の着いたタバコの先で差していく。

 カッと眼を見開いて抜刀しようとしたシャインを、マトリックスが慌てて制止させた。


「……龍王エーディンの実力は、見誤っていた節があります。しかし、まったく我々が通用しないかといったら話は別です。これからの成長次第では…」


「そんなものは待ってられねぇんだよ。残りの二人の将軍にも、帝国への召集がかかった。全兵力を集中させ、短期決戦を行う考えだ」


 しばし、マトリックスとイクセスが睨み合う。どちらも引かないといった感じであった。


「……どうしても命令を取り下げないならば結構です。ダフネス大総統に直訴するまでです」


「大総統は『神告しんこく』の準備に入られた。その間の一切の権限は、『ゲナ副総統』にある。さらに言えば、帝都内の軍指揮に関しては俺に全権があるんだぜ」


 マトリックスが息を飲む。


「クッ。このタイミングを狙っていたんですね…。ロダム・スカルネ閣下の名を出したのも口実ですか」


「ロダム閣下がお前達を評価しているのは嘘じゃねえ。が、考えてもみろ。簡単に民間の武力組織を認可できるわけねぇだろうが。…大総統やロダム閣下は比較的寛容なお人だ。それでも貴族議会が納得するわけがねぇだろうよ」


「そんな貴族間の政治的なことなど…」


「関係ねぇってか? なら、宗教的な視点はどうだ? 三神教からも、聖イバン教会の活動自体が危険との見方も出てきているぜ。国教を脅かすための武装蜂起だって主張してる神官もいる」


 これについては聞き覚えがあるのか、マトリックスは難しい顔をするだけで反論しなかった。


「…結論はこうだ。お前とシャインは、今までどおり細々と自警団をやるか、もしくは龍王と戦いたきゃ帝国軍の傘下に入るしかねぇんだよ」 


「イクセスッ! あなたは私の能力と、シャインさんの力を掌握したいだけでしょう!」


 ついに耐えきれなくなり、マトリックスが声を荒げた。


「……昔の馴染みってのもある。お前の気持ちは解らないでもない。だが、一将軍としての立場上、使える戦力を無駄にしたくないってのが本音だ」


 イクセスとマトリックスの視線が、互いの腹を探ろうとする。


「……私の目的は龍王の悲劇を止めること。エーディンくんを止めることだけです。あなたのように戦争を引き起こしたいわけではありません」


 静かにマトリックスが言うと、イクセスは大きく息を吐き出した。そして、苛立たしげにタバコを放り投げ、靴でグシャッと潰す。


「だから! テメェの作った組織は用の足りないママゴトだって言ってんのが解らねぇのか!? 龍王エーディンを止める? ただ止める、だと? はん! 片腹痛いぜ! そんなこと出来るものか! 帝国の意向は、龍王アーダンの撲滅だ!!」


 イクセスの言葉に、セリクは眉を寄せる。


「龍王アーダンを? 戦争を起こしてるのはエーディンだって……帝国は知らないんですか?」


「あ? 知らないわけねぇだろうが。なんだ。テメェらは龍王エーディンを倒して、はい。終わり……そう思ってたのか?」


 まるで責めるかのように言われて、セリクは眼を丸くする。


「でも…龍族は全員が戦うつもりがあるわけじゃないと聞きました」


 セリクは、龍王城で出会った執事ロベルトの事を思い出して言う。

 龍族全体がどう思っているのかは知らなかったが、少なくとも閉じこもっている龍王アーダンや、温厚だったロベルトには戦う意志はないようにセリクには思えたのだ。


「誰から聞いたんだか知らねぇが、そんな話を信じるとはおめでたいな……。いいか。エーディンであろうが、アーダンであろうが関係がねぇ。重要なのは、“龍王が人間に牙を剥いた”ってことだ。神話に過ぎないと思われた怪物が、現実の脅威となって姿を出した。この意味が解るか? これはすでに人間と龍王による“戦争”なんだよ!」


 戦争……その言葉に、セリクは衝撃を受ける。そんなつもりで戦ってるつもりなどまったくなかったからだ。


「……イクセス。前にも言いましたように、龍王アーダンことは捨て置くべきです。今回の宣戦布告はエーディンくんの独断のはずですよ。戦争にまではなりません」


「マトリックス。そりゃ、テメェがエーディンと顔見知りだから言えることだろう。帝国の考え方は違う。龍王に対する警戒は他国よりも強い」


 イクセスが、新しくタバコを一本取り出した。すぐさま兵士が火をつける。


「……龍王エーディンと四龍だけだったら俺と将軍がもう一人いりゃ事足りる。だが、神々と張りあったっていう龍王アーダンの強さが本物だとすりゃ、用心に用心を重ねてもまだ不用心だ。遊んでられねぇんだよ」


 話は以上だと言わんばかりに、イクセスは立ち上がる。

 兵士の一人が、先ほど読み上げた書面を差し出した。仕方ないという感じにマトリックスはそれを受け取る。

 それを見て、誰もがガックリと肩を落とした。解散はもう避けられないことだと……


「バッカモーーーーーンッ!!!」


 そんな大声と共に、ダーンッ! と、物凄い勢いで教会の入り口が開いた!!

 何事かと、皆がそちらに振り返る。


「ゲッ!? ロダム閣下!?」


 イクセスがくわえていたタバコをポロッと落とした。兵士たちも動揺する。

 ドン、ドンッと勢いよく杖で地面を突きながら、ロダムが肩をいからせて入ってくる。


「こんのクソガキが!! 何を勝手なことばかりやっとるんだ!! ワシは“DBに神告警備の一翼を担ってもらえ”とだけ伝えたのだろうがッ!!」


 真っ赤な顔をして怒鳴るロダムに、イクセスはタジタジになる。


「きょ、今日は御嬢様と夕食があるんじゃ……」


「その娘、だ! ついさっき、この話を聞いて、慌ててすっとんで帰ってきたんだ!! メインも食わんでなッ!!」


 イクセスは額を抑える。

 ロダムはマトリックスが持っている書面を見やると、ヒョイッとそれを奪い取って、グシャグシャに丸めた上で破り捨てた。呆気にとられたマトリックスは「あ…」と小さな声をあげる。


「……これはどういう?」


「解散などなしだ! ワシすらも駆り出されるこの非常時に、こんな馬鹿の言い分など聞かんでいいッ!」


 ロダムの断言に、ギャンの顔がパーッと明るくなる。


「おお! なんかよう解らんが、とりあえず解散はなしにったんやな!? ナイスやで! オッサン!」


 オッサンと言われ、ロダムの頬が一瞬だけピクッとする。それを見て、慌てたギャンは「オジサマ…」と訂正したのだが、そのあまりの気色の悪さにロダムは首を横に振って知らん顔を決め込む。


「うーんと、話ちんぷんかんぷんだったけど。えーっと、つまりはこのまま働けるってことだよね!」


「そうだ。フェーナよ。ワシの眼の黒いうちはDB解散などない!」


 名前を呼ばれ、フェーナは少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔となって何度も頷く。

 はしゃいだギャンとフェーナは手を叩き合って喜ぶ。


「……スカルネ家に救われるとは心中複雑ですけれども」


 サラを見やると、ロダムはグルリと眼を回した。


「なんだ。ミルキィのとこの娘ではないか。お前さんも一員だったのか」


「ええ。でも、お父様とは関係がありませんことです。個人的なことですから…」


「むう? まあ、ワシが口出すことでもあるまいしな……」


 ロダムはまだ何か言うべきかを考えている節があったが、サラはプイッとそっぽを向いてしまった。


「……あー。ロダム閣下。こう言っちゃ申し訳ないんですが、現状の帝都戦力は俺の管理下にあります。この場合、勝手なことをされているのは閣下の方ですよ。恩義はあるとはいえ、公私は混同するつもりはねえです。職務は全うさせてもらいますぜ」


 イクセスがそう言うと、ロダムは額にシワをグワッと寄せた。


「まだ気づかぬのかッ。貴様の眼は節穴か!? このバカモンが!」


「は?」


 イクセスが首を傾げる。

 ロダムは開けっ放しにしてあった入口に向かって、ヒョイヒョイと手招きしてみせた。すると、入口の側で立っていた青年が小走りでやってくる。


「マトリックス隊長。ここの礼拝堂、ちょっと使わせてもらいますぞ」


 ロダムがそう言うと、何のことだか解らないといった表情ではあったが、その迫力に圧倒されたマトリックスはとりあえず頷いてしまう。


「おい! テリオ! ここの椅子を端にやって、ちょっと場所を広くとれ!」


 テリオと呼ばれた青年は、ギャンと同い年ぐらいで、ちょっと頼りなさそうな感じだった。肉体労働は明らかに苦手といった真面目なデスクワークタイプである。

 イクセスの付き人だったはずの兵士たちも協力し、礼拝堂に並んでいた椅子をロダムの指示で動かしていく。

 椅子が端に追いやられ、講壇の前にかなり大きなスペースができた。


「…で、これは? これで何をするんすか?」


 訝しげな顔でイクセスが尋ねる。


「うむ。ワシを助けた少年! ……セリク・ジュランドよ。こっちに来て、イクセスと剣を交えてくれ」

 

 ロダムの言葉に、セリクを含めて皆が驚いた顔をする。


「え? 俺……ですか?」


「相対すれば気づくだろう。別に殺し合えと言っているわけじゃない。ちょっと実力を見せてくれればいいだけだ」


 戸惑うが、ロダムがしつこく手招きするので、しょうがなくセリクは前に進み出る。


「……確かに、そいつは龍王エーディンと戦うときに不思議な力を発揮してましたけどね。だからといって、不確定な力はどんなに強かろうと評価に値しない。ましてや戦いの最中に倒れちまうなんてのはありえねぇ」


「え? 俺、エーディンにやられたんじゃ……」


 イクセスの言葉に、セリクはキョトンとする。紅い光を纏って戦っていた時のことはまったく覚えていないのだ。てっきり、自分はエーディンに倒されたものと思っていたのである。

 そのやり取りを聞いていたフェーナもシャインも困ったような顔をした。あえて話すこともないだろうと、セリクの変貌については話さなかったのである。


「いいから。やってみれば解る」


 ロダムに言われ、イクセスもしぶしぶと言った感じに進み出て来た。

 懐から銀色の柄を取り出し、ブゥンッと金色に輝く半透明のブレードをのばす。初めてそれを眼にするセリクは眼を瞬いた。


「“オードソード”だ。戦気を刃に変換させる装置でな。携帯に便利ってな点と、研がなくても斬れ味が落ちないって点以外は、普通の剣と変わんねぇよ」


 面倒くさそうにしながらもイクセスは説明する。セリクは感心して頷く。


「勘違いすんなよ。武器の性質知らなかったから…なんて言い訳をさせねぇためだたな」


「あ、はい。大丈夫です…」


「チッ! とろいヤツだな! さっさと構えろよ…戦場ならもう斬ってんぜ」


「え? はい…すみません」


 セリクは剣を抜き構える。


「気を付けろ、セリク。腐った人格だが、まがりにも将軍だ。強さだけでいえば私よりも強いぞ」

 

 シャインよりも強いという事実に驚きつつも、セリクはコクリと頷く。


「腐った人格ねぇ。好きに言ってくれるぜ。ま、否定はしねぇけど…なッ!!」


 イクセスがビュンッ! と、風切り音と共に消えた。


「え!?」


「ヤツは戦技こそ使わないが、“最速のブラッセル”との異名を持つほど素早いと聞く! 眼で追おうとするな!!」


「そんなこと言われても! うあッ!!」


 ガキンッ! いきなり現れたイクセスの剣に吹っ飛ばされ、思いっきり尻餅をつく!

 だるそうにイクセスは肩をすくめてみせた。


「……はあ。これ以上やる意味が? やっぱり話になんないですよ。わざわざ外して当ててやったってのに。うちの下級兵だって、今の一撃で倒れることはないですぜ」


「話になんないのは貴様の方だ。まーーだ解らんのか」


「あ? だから、何が、です?」


 イクセスは苛立たしげにロダムの顔を見やり、それから再びセリクに向き直った。


「あんなガキがいったいなんだってんで……ん?」


 セリクは頭を振って立ち上がり、ヨロヨロとしつつも剣を構える。

 それを見て、何かに気づいたらしいイクセスが目を細めた。


「ワシは颯風団と戦っているあの少年を見た時にすぐに気がついたぞ。……貴様はその時の実力だけで判断しとるから見落としたのだ」


 ロダムが腕を組みながら偉そうに言う。


「……おい。ファバード流。お前があのガキの師匠じゃねぇのか?」


 イクセスの問いに、シャインは眉をピクリと動かす。


「フン。鍛えはしたが…。最初から型はできていたからな。基礎鍛練を指導しただけだ」


「どうりで、な……。俺としたことが、ただの素人剣法だと思って見過ごしてたぜ」


 イクセスはガリガリと頭をかく。そして、バチンとオードソードを閉じた。


「なんだ? どういうことだ?」


「んだよ。ファバード流の師範も気づいてねぇのかよ?」


 ロダムが豪快に笑って、セリクの側に立った。


「セリクよ。お前さんの剣の師は誰だ?」


「え? 師…って?」


「お前さんに最初に剣を教えた人だ。その人の構えなのだろう?」


 ロダムに言われて、セリクは少し戸惑う。

 確かに構えは最初に見たときから真似している。どうしてか解らないが、その構えが一番隙が少ないように思えたので使っていたのだ。

 しかし、正式に教えてもらったわけでもないのに、師などと言っていいのだろうかと考える。


「なんだ? 口止めでもされておるのか?」


 そういえば、別に教わったことを誰かに話してはいけないなどとは言われなかったとセリクは思い出す。もし話していけないのであれば、『衝遠斬』という戦技を教えるわけもないだろう。


「あの……その、デュガン・ロータス…って人です」


 セリクの言葉に、その場にいた全員が一瞬かたまる。


「まさか! デュガンだと? だが……そうか。その弟子というのなら……その強さも頷ける。なるほどな」


 シャインは誰よりも驚きが隠せなかったようだったが、それでもコクリと頷いて一人納得していた。


「はぁ?! デュガンって、あのデュガンか!? “無影むえいのデュガン”!?」


「え…? そんなに有名な人なの?」


 セリクが恐る恐る尋ねる。

 龍王アーダンと戦おうとしていたぐらいだから強い剣士であることは間違いないだろうが、まさか帝都にまで名前が知れ渡っているとは思わなかったのだ。


「えー!? セリク、何言ってるのよ! “ドラゴンまでもが避けて通る剣士”だって! 私だって知ってる超、超、超! 超有名人よ! ってか、昔、その話をしたことあったじゃないの!」


 フェーナに詰め寄られ、セリクは自分の世間知らずをちょっと恥じた。

 記憶を探るが、フェーナとそんな話をしたのは覚えていない。だいたいがフェーナが勝手に喋っているので、セリクは聞き流すということも多かったのだ。何気ないお喋りの中で、デュガンのことに触れたのかも知れないが、それをセリクがいちいち覚えているはずもなかった。


「ワシが将軍だった頃の話だ…」


 いきなり語り出したロダムに、皆の視線が集まる。イクセスだけは、“またかよ”という露骨な態度を隠さなかった。


「帝国内で一番の剣士を決めるため、武術大会を催したことがあってな。我こそはと思う古今無双、それは一〇〇人を越える剣客が集ったのだ。誰もが龍王アーダンを斬れるというだけの自負があったろうし、決して口だけではない実力を持っていたに違いあるまい思う……少なくとも、予選は生半可ではなかったわい」


 眼をつむり、昔を懐かしむように続けた。


「そこにデュガンがふらりと現れたのだ。当時の歳は……そうだな、たぶんセリクとそう変わらぬ少年だったと思う。だが、このワシが戦慄を覚えるほど強かった! 一〇〇人の剣豪を相手に、誰の攻撃もかすらせもせずに、一太刀で全て倒してしまったのだ!! 誇張でもなんでもない、本当にたったの一太刀だぞ!!」


 ちょっと興奮したロダムが、セリクの肩を掴んで揺さぶる。


「……そんなに、強くて、凄い人だったんですか」


 デュガンが凄い剣士だとは知っていたが、まさかそこまでとは思わなかったのだ。


「そのデュガンが弟子をとったとはな」


「いえ、弟子ってほどじゃ……。その、戦技を一つ教えてもらっただけで」

 

 セリクが気後れしながら言うのに、シャインが首を横に振る。


「デュガンに弟子入りを志願をした者は数多といる。不愉快なことに、私の元道場生でも何人かいた。だが、運良くヤツに出会えたとしても、弟子入りを断られる以前に、一撃で気絶させられて終わりだったそうだ。

 ヤツの剣はただの修羅。自分が強くなることしか眼中にない。そんなヤツが誰かに一つでも技を教えるなんて余程のことだ」

 

 自分は相当運が良かったのだろうかと、セリクは思う。

 戦技を教えてもらったのも、セリクが望んだというよりはデュガンが促してくれたからだ。

 この出会いがなければ、今の自分が剣を握っていることなんてなかっただろう。


「どうだ、イクセス! 可能性を無視する気か? この子は申し分ない切り札になると思うぞ」


 ロダムにパンッと背中を叩かれ、セリクは咳き込む。

 イクセスは難しそうな顔で、セリクの顔をジッと見やった。


「……このガキがいれば、上手くすればデュガンを引き込める、か」


「え?」


「いや、なんでもねぇ。解りましたよ。ま、取りあえず、解散はなしだ……」

 

 イクセスがそう言うと、フェーナが心底嬉しそうな顔をした。喜びに手を叩きあう隊員たちを見て、イクセスは気にいらなそうに舌打ちする。


「……だがな、まだ浮かれるなよ。条件がある」


「条件ですって?」


 また面倒なことを言い出すんだろうと、嬉しそうな顔をしていたはずのフェーナが頬を膨らませた。表情がコロコロ変わるので忙しい。


「まさか、また審査……なんて言いだすのですか?」


 マトリックスが刺々しく尋ねる。どうにもイクセスとは波長が合わないようだ。


「いや、審査はもういい。これから、ちょうど一ヶ月後に神告が行われる。それまでに使える戦力になってもらう。これが条件だ。無理だったら解散……ってことだ」


 イクセスはロダムをチラッと見やる。何か言いたそうな表情をしたのだが、さんざんもったいぶった挙げ句にロダムは首を縦に一つ振る。


「まあ、強くなるのに異存はありませんしね」


 サラが言うと、DBの全員が頷く。

 龍王エーディンにあっさりと敗れ、誰もが悔しいと思っていた。皆が皆、強くなるためならなんでもする覚悟だったのだ。


「うむ。では、神告警備をDBに手伝ってもらってもよいのだな?」


「ええ。閣下の言う、当初の予定通りにしましょう。……まあ、いないよりゃ幾分マシでしょう」


「いないよりはって……ムギギギ!」

 

 小馬鹿にした言いように、憤ってギャンが歯ぎしりする。


「神告ですか。龍王、颯風団……双方による妨害が考えられますね」


「そうだ。帝国に兵力を集結させているのも、それを警戒してのことだ。神告なしに、龍王打倒への道はない。隠居していたワシも呼び出されるほど人手不足なのだしな。君たちの仕事は山ほどあるぞ!」


「呼び出されるって……ご自分が勝手に躍起になってるだけじゃないっすか」


 イクセスの言葉を、ロダムは聞こえなかった振りをした。 


「あ。そいえば……気になってたんやけど。神告ってなんなんや?」


 シャインとサラが揃って、「はあ?」という顔をした。


「さっきからなんですの! 物を知らないにも程があります! 同じ帝都民として恥ずかしいですわ! 大水晶柱を通し、大総統が神々からの啓示を受ける儀式のことじゃありませんの!」


「そ、そうなんか……」


「正確には、フガール家の血筋を引く、大神官か帝王になるんですが…。今のダフネス帝は大総統という役職なので間違いではありませんけどね」

 

 マトリックスが補足して言った。正直、セリクには帝王と大総統の違いすらよく解っていない。むろん、ギャンに至っては言うまでもないことだった。


「…んで、その神告の日程が決まり、急遽として執り行われることになったわけだ。龍王エーディンによる宣戦布告を受けてから、ダフネス大総統はずっと交信を試みていたんだがな。それがようやく通じたってことだ」


 セリクは眼を大きく開いて驚く。


「神様からの言葉が……直接、聞けるの?」


 神告の話はマトリックスから聞いてはいたが、実際に神々と話せるというのはどういうことなのかセリクは興味を覚えた。

 レイドの言っていた話も、神に直に聞ければもっと詳しいことが解るのではないかと期待を抱く。


「ええ。ですが、声が聞けるのは大神官の資格を持つ血筋だけでして…。我々の誰しもが実際に聞けるわけではないのです」


 その説明を聞いて、セリクは少しションボリとした顔をした。それがなぜなのか解らなかったので、マトリックスはわずかに首を傾げる。


「さっきも触れたが、人間側が神々と通じることを、龍王側が面白く思うはずがねぇ。付け加え、帝国内でテロ活動してやがる颯風団の動向も気を付けなきゃいかねぇんだ。

 ……猶予は一ヶ月。それまでには四龍の一人ぐらいは倒せるぐらいになってくれや」


 期待はしてないという感じにイクセスは言う。


「言われるまでもない! 次こそは龍王エーディンの首を討ち取ってくれる!!!」


 シャインが怒鳴りながら前に進み出て、セリクとギャンの首根っこをむんずっと掴んだ。


「え?」 「へ?」


「時間がない! 猛特訓だ!! ファバード刀術師範の名にかけ、私が休みなしに貴様たちを鍛えあげてやる!!」


 フンッとシャインが鼻息を吹くと、二人の身体がヒョイッと持ち上がった。


「え! そんな! あない激しい戦いしたばかりやんか! ちぃと休ませたって! オーバーワークやで! 勘弁したってぇな!!」


 ギャンが泣き言を言うが、血走った眼で睨まれてヒィッとすくみ上がる。


「あー! セリクゥ!! 私も、私も修行するッ!!」


 ズカズカとそのまま歩いていってしまうシャインを、フェーナが慌てて追いかけて行く。


「……見ての通り、というわけです。私は遊びでこの組織を作ったわけではありません。期待には応えますよ。イクセス将軍に、ロダム閣下」


 マトリックスが挑戦的に見やると、イクセスはフッと笑った。


「ま、せいぜい頑張ってくれや。帝国のために、な」


 こうして、それぞれの思惑が交錯する中ではあったが、当面のDBの存続は許されたのであった…………。

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