207話 終焉を迎える魔界
残り少ない魔力を奪い合う。魔術を扱う能力で言えば“宿主”であるトトの方が上であり、正確な魔力の残量をドゥクスは把握していなかった。
「ウザってェッヨ!!」
放たれる低級魔術は、どれもドゥクスへのダメージにはなりえない。だが、ドゥクスが使う魔術は別だ。主導権を無理矢理奪い取られたせいもあり、朦朧としている意識の中、トトは今にも事切れそうであった。
(ダガ、今ココで死ンでモラッテも困ル。オレの移動ガ完了スルまでハ…)
気を失う程度に力をセーブしたいところだが、トトはしぶとく魔術を繰り返し放つ。
「糞ガッ!」
そんな事をしている間に、セリクが剣を構えて突っ込んで来るのが見えた。
ドゥクスは下方の二本腕でトトを押さえつけたまま、上方に二本腕でセリクと渡り合う!
「治ったツモりカ! オレの毒ガソンナ簡単に治ルわけネーダロォガ! 動き続ケレば確実ニ死が早マるゾ!」
「いま戦えればそれでいい!」
セリクはトトを気にしつつ戦う。どういう意図かは不明だったが、少なくともドゥクスと仲間割れしていることはチャンスに思われた。
「糞! 何故、オレと戦ウ!? 超越者でアル者ガ、神ゴトキに従事シ続けル?!」
セリクが簡単には倒せない敵だと判断したのか、ドゥクスに焦りが見えた。交渉めいたことを口にしたことがその証拠だとセリクは思う。
「お前こそ、なんで戦う? 地上に攻めてきたのは魔王だろう! 戦いを望んだのはそっちだ!」
「チガウ! 地上ノ支配と、神々へノ復習ヲ望んダのはこの女ダ!! オレは生きルためニ仕方なク戦っテいるダケダ!」
セリクは怪訝な顔を浮かべ、振ろうとした剣を途中で止める。
「…なんだって?」
「見ての通りダ! オレはこの女ニ寄生してイル! 宿主が死ネばオレも死ンでシマウ! この女が瀕死ノ危機に際シ、コノ醜い姿を晒す羽目にナッタンダ!」
さっきまでゲラゲラと嘲笑っていた態度とは一転、両手を擦り合わせて嘆き悲しむ。
「…ならお前は助かりたい一心で戦っていたのか?」
「アア、アア、マッたく持っテそのトオリ!」
「…だ、騙されるな」
片目をギョロリと動かし、トトが掠れた声で警告を発した。
次の瞬間、防御をわずかに下げたセリク目掛けてドゥクスは口から毒液を放つ!
「グッ! 卑怯だぞッ!!」
「ギィイヒヒヒヒッ!!! コノ愉悦! たまらネェーぜ! こんナつまんネー嘘にまんまと引っ掛カる馬鹿ガイルんダカラ止めラレネーヨナ!」
セリクを殴り飛ばし、ゲラゲラとドゥクスは嗤い続ける。
「オレがやってるコトは神共と同じコトダゼ! チカラでテメーらの頭ヲ押さえツケて秩序ダノ安定ダノ調和ダノ、偉そうニ語るのとは真反対ニ、オレは全世界に混沌ト不安定ト不調和を巻き起こス!」
セリクは粘つく液を払い、ようやくのことで片目を開く。毒液のせいで左眼の視力がほぼ失われ、ドゥクスの姿が二重になって視えた。
「頽廃コそ、我が望ミ! 苦しミ藻掻キ続ケるテメーらヲ永遠に見続ケるコトこそ、我が愉悦ナノダァ!!」
歪んだ欲望を吐露しつつ、終止符を打とうとセリクに迫る!
「ようやく解ったぞ! お前が“魔王トルデエルト”そのものだったんだな!」
「ダとシタラどうシタ!?」
「お前を倒すッ!」
セリクはほぼ意識を失っているトトを見やって叫ぶ。この戦いに勝つためには、彼女が鍵になるのではと思ったのだ。
視力を欠いた状態で放たれる『衝遠斬』を避けるのはドゥクスには容易いことであった。
「イたブり殺ス時間はネェかンナ!」
ドゥクスはセリクの両肩を抑えつける。
「コのママ溶岩の中ニ叩きツケてヤルゼ!!」
「クッ!」
下方へと押しやられ、熱気が背中を覆う。拒滅で防御しているとはいえ、直接マグマの中に放り込まれてしまっては激しい対流に巻き込まれて逃げ出せなく可能性があった。
「離せッ!」
剣に拒滅を込めてドゥクスにぶつける!
「ギィェヒヒヒヒッ! ソノ程度の武器デこのオレがヤレるカヨ!」
鋭い痛みが走り、セリクが自分の肩を見やると血が飛び散っていることに気づいた。ドゥクスの指が刃のように食い込んでいたのだ。
「オレの硬度ハなハド鉱石以上ダ! 一〇〇〇度超の高温モ屁デもネェ! テメーは間違いナク死ヌ! 死ぬンダ! 毒ト熱に悶え苦シンでナァ!!」
ドゥクスは嗤い続ける。飛び散る唾液と、食い込んだ爪からさらに毒を送りこんで来るのだ。
「うおおおおおッ!」
「ンガッ!?」
「『紅炎纏!!』」
セリクの全身を紅い炎が包み込み、それがドゥクスにまで伝播する!
「んダ! コレは!? ち、チカラが抜ケる?!」
「お前の原動力は魔力だ! なら、その力を完全に断絶する俺の力は有効だろ!」
掴んでいた手を振り払い、セリクは『紅渦穿』でドゥクスを突き飛ばす!
「そ、ソンナ馬鹿な! このオレの躰ガァ!?」
突いた痕がハッキリ残っているのを見て、ドゥクスは困惑する。どんな達人の剣でも傷一つつけられるはずはないと自負していたからだ。
「終わりだ!」
「終ワり? 調子のンナァ!!」
ドゥクスら上腕を拡げて形を変える。手のような形状であったのが、みるみるうちにねじ曲がった刃となった。それらでセリクの剣を受け止める。
「まだ魔力があるのか!?」
先程からドゥクスが魔術を使わないことから、トトとの応酬でほぼ使い果たしたのではないかとセリクは思っていた。
「ギィヒヒヒヒッ! こノ変形はオレが持ツ能力ダ!」
ニの腕を斬りつけられ、それが骨まで達して酷く出血する。
「拒滅の防御を越えるのかッ!」
「耐えヨうトシテも無駄ダゼェ! オレは毒ダケじゃネェ! 生物に対シテ強い腐食性ヲ持ツ!!」
「な! 剣が…」
セリクは持っていた剣が半ば溶けてしまったことに気づく。それだけでなく、斬りつけられた腕が熱と激痛を帯び、ジワジワとその痛みが拡がるのを感じた。
「そんな剣ヲ持っテるカラダ! ギィヒヒヒヒ!!」
セリクが持っていたのはエーディンの牙だ。中に含まれる有機物が強酸によって壊され、硬度を保てなくなったのである。
「クソッ! 早く決着を…」
「無駄なんダヨ!」
トトがもはや無抵抗なのを察し、下の腕でセリクを捕える。そして宙を浮かぶ魔術を解除した。ドゥクスとトトの二体の重みがセリクに襲いかかる!
「言っタだロウ! テメーは間違いナク死ヌ! 死ヌ死ヌウウゥ!!」
セリクは必死に抵抗し、剣をドゥクスへと突き入れるがそれは途中で無残に折れてしまった。
「ギィヒヒッ! オレの躰を砕きタケれば聖剣でもモッテ来るベキだっタナ!」
セリクはベロリカの持っていた浮かぶ剣を思い起こす。
「聖剣の対となる剣…魔気を吸い上げ力にする…」
まるで正解と言わんばかりに、ドゥクスの眼が細くなる。
「じゃあナ! 紅キ破滅!」
「『アスポート』」
あわやマグマの中に叩きつけられるかと思った瞬間、トトの魔術がセリクを瞬間移動させる。
「オォオアオッ! バ、馬鹿ジャねぇーノカァ!」
煮えたぎるマグマの中にドゥクスは単身突っ込む。その際、トトを庇うようにして魔術のシールドを展開した。
(そうか。トトが死ねば自分も…)
間一髪、助かったセリクは、高温に熱せられた鉄のように真っ赤になったドゥクスがマグマを振り払いながら浮かび上がるのを見やる。
「糞、糞糞糞ッ! もう少シなンダ! テメーミテぇなデキソコナイと心中スルのは真ッ平ダゼェ!」
ドゥクスは忌々しそうにトトを睨みつける。
「新たナ寄生体が見ツかったンダ! オレはマダマダ生ケトし、生けル者ドもニ絶望ヲ与エ続けルンダ!!」
ドゥクスは炎魔城の方を見やり癇癪を起こして手を振り回す。
「寄生体? まさかユーウを拐ったのは…」
「ギィヒヒヒッ! “アレ”こそオレがズット探し求メてイタ物! このエィルートなどヨリもっと優レタ“魔王”とナレル素体!!」
「そんなことさせないッ!!!」
怒りを眼に宿し、セリクは高速で飛びかかる!
「剣ヲ失っタ今のテメーにナニがデキル!?」
折れた剣を手放し、仮象化の『紅炎纏』、『紅雷跳』、『紅氷抑』を駆使して攻撃する!
「クッ! 攻撃力が足りないッ!!」
戦っていてセリクはようやく気づく。ドゥクスが未だに魔力を帯びているのは、トトに依存しているだけでなく、躰そのものが魔玉石のような性質を持っており、周囲の微弱な魔気を常に吸収して活動を維持しているのだと。
強い力であれば打破れるだろうが、中途半端な威力では、元々の硬度に加えた魔力による防御によって弾かれてしまうのだ。
「限界を超えた一撃…」
セリクはふと懐に入れた瓶のことを思い出す。魔界に赴く際にブロウから渡されたものだ。
「ギィヒヒッ! どーシタァ!? 殴りカカってコイヨ! テメーの拳がズタズタにナルだけだガナァ!!」
全身を刃と化したドゥクスは、己の優位性は揺るぎないと、ここぞとばかりに猛攻を加える!
「…きっと、何か弱点があるはずだ」
窮地に追い込まれているというのに、セリクは至って冷静であった。ユーウの話を思い起こし、そして今までのドゥクスやトトの動きを、敵の攻撃をかわしつつ考察する。
敵は強大だ。しかし、セリクの中ではへジルやブロウだったらどう戦うだろうか、そしてフェーナだったらこんな時にどんな励ましの言葉を言うだろうかなどと考えていた。
そして彼らだけではない。セリクは今まで出会った人々、ギャンたちの声や、デュガンの声までまるですぐ側にいるかのように聞こえていた。
そして、最後にユーウが微笑む姿を幻視する。
「俺は…」
「さア! さアさアッ!! 愉悦なる絶望ヲテメーにくれてヤル!」
ドゥクスはパキンと両肩を開く。それを見てセリクは眼を見開いた。そこには魔玉石…それも通常の物よりも三倍はあろうかという大きさの物であった。
「コイツはオレの体内デ生成サレるのサ! 糞神と戦う時ノ隠し玉だっタガ、もう必要ネェ!!」
ドゥクスの眼が炎魔城をチラリと見やる。ユーウの身体が手に入るから…そう言いたいのだと、セリクは理解した。
「魔術を…」
「ギィヒヒヒヒ! 魔術ダァ? そンな小細工スルこともネェヨ! 蓄えてあった魔力をただ解放スル!! ソのエネルギーは、『タオ・ウェイブ』の比じゃネェ!!! 魔界の熱海ゴト蒸発シろヤ!!」
──マキシマム・リリース──
セリクの眼前に映ったのはただ白熱! それらが力の濁流となり押し寄せ、マグマの海と挟み撃ちにする!!
解放された力は制限されることなく暴走して、魔界全体を震撼させた──。
ーーー
魔気が嵐のように吹き荒れるのを耐え、小高い場所で戦いの行方を見守っていたペインズとイシャーは地形が大きく変わったことに息を呑んだ。
マグマの海の下に大きな窪みが生じたせいで、そこに向かって流れが生じる。底の見えない奈落の底へとマグマは流れ落ちていく。それは混沌に追い立てられ、世界そのものが逃れようとしているかのように思われた。
「ル・ローン…(終わった…)」
ペタリと膝をつき、イシャーは顔を翼で覆う。理屈は解らずとも、感覚的な部分で世界そのものが壊されたことを察したのだ。
「いや、こんな物であるはずがない」
ペインズは思い起こす。かつて、主ゼルナンデューグンが語っていた紅き破滅の存在を。それは魔神と恐れられる統治者であっても、手の届かないほどの力を持っているという話であった。
「…世界を破滅させられるということは、逆に言えば世界を破滅させようとする力を“止められる者”であるはず」
主君を失い、長年に渡り感情を殺してきたはずのペインズの心の奥底に小さな火種が生じる。
「セリク…。ガンバレ」
イシャーがたどたどしく、セリクの名前を呼んで祈るような真似をするのにペインズは何やら皮肉めいたものを感じた。
「…私たちの魔界を外から来た者に託すことになるとは」
ペインズは首を何度か横に振り、イシャーのように頭を下げて眼を閉じる。
「さよう。未来を託したのだ。今更、否定などするまい。勝利を。かの少年に…」
ーーー
ドゥクスは小刻みに痙攣する。魔力の総量は既にレッドゾーンに達しようとしていた。
ドゥクスは生命維持のために魔気を用いるが、その量の細かいコントロールするのはほとんど宿主任せにしていた。魔玉石の生成も実際のところドゥクス自身は行えず、トトが魔術を用いて創り上げるのが常であった。作成する媒体としてドゥクスは手を貸しただけである。そうでなければ、最初から主導権をドゥクス自身が掌握してしまえば済む話なのだ。
しかし、今回、窮地に立たされドゥクスは自ら動く必要があった。これは非常に高いリスクを伴う行為だ。宿主の意思に反し動く…トトが朦朧としていなければ、反旗を翻されて完全自滅してもおかしくはなかったのである。
そして現実として、ある程度は“精神を支配して乗っとれている”と思っていたトトに反抗された。予想はしていたが、ドゥクスの消耗は結果として想像していたものより激しいものとなった。
共生と依存…歪な結合であるが故に、痒いところに手が届かないのにドゥクスは強い不満を覚える。
「ポンコツなんダヨ…」
ドゥクスは自ら下半身にぶらさがるトトを見下して言う。
すべてがおかしくなったのは、バージル・ロギロスに敗れて魔気を溜めておく丹田という部位を子宮ごと斬り裂かれてからである。
それからは魔力は全盛期の半分にも回復せず、自分の手足である“魔族もどき”も生みだせなくなってしまっていた。
魔界に閉じ込められた1000年に近い月日、それを苦々しい気持ちで耐えていたのは魔王トトだけではなく、ドゥクスもまた同じであったのである。
「…だガ、そレモ終わリダ」
ヨロヨロと飛び、炎魔城へと向かう。
邪魔する者はもはやいない。魔都ガルガンチュラの強い魔気を持つ魔物は“事前”に喰らい尽くしていた。残りはほとんどをガーネット攻略に投入したのだ。
今残っているのは微力な力しか持たない都民だ。なぜトトがこんな者たちを生かしていたのか疑問だったが、ドゥクスにはどうでも良い事であった。およそ時間の問題で、このままマグマの流れが早まれば城も街も山もまるごと奈落へと消えることだろう。ドゥクスにはそれを惜しいと思う気持ちどころか、ほんのわずかな寂寥感すらも持ち合わせていなかった。
「後はテメーの身体ニ乗り移ルだケダ!」
「…乗り移る」
固い表情のまま、ドゥクスを真正面から睨みつけてユーウは立つ。怯えた様子がまるでないことがドゥクスには不快に感じられた。
「ギィェヒヒヒヒ! オレが乗っ取レる人間には制限がアッテな!」
「ボクが適合者だと言っていた件?」
「サスガ察しガいいナ! ソウ! 忌々しいコトに、このエィルートの“血”ガ、このオレの足枷トなってイルわけダァ!!」
「血? …血だって?」
ユーウは眼を見開き、項垂れるトトを見やる。
「バージル・ロギロスとエィルート・トゥルーデ…まさニ純血たる天界人はもはや地上ニはテメーしか存在シネェ!!」
「ボクが…バージル・ロギロスと魔王トトの…血縁?」
頭の回転の早いユーウですら、いきなり突きつけられた事実に酷く混乱していた。
「理解スル必要はネェ!! ただ受ケ容れロ! そシて、魔王トトを継グ…?!」
ドゥクスは身を震わせる。それは魔力欠乏によるものではなかった。今まで感じたこともない悪寒によるものだ。
「なン…ダ?」
振り返った瞬間、横薙に吹き飛ばされる!
「セリクッ!」
ユーウが叫んだ。ドゥクスは体勢を立て直す際、紅い光の柱を捉える。
それは満身創痍…左手はひしゃげ、片目は開かず、それでも少しも揺るがぬ戦意を残った紅い眼に宿していた。
「ユーウには手を出させない!」
「な、ナゼ生きテヤガル?!」
ドゥクスは下手をしたら己も殺しかねない魔気の全解放まで行ってセリクを倒したはずだった。世界そのものを破壊するほどの力を秘めており、神王や龍王などの統治者クラスと戦う際、必ず勝利するための本当の奥の手だったのだ。それで倒せない存在などあり得なかった。ましてや直撃したのはドゥクス自身が確認していたのだ。
「俺は負けない!! お前を絶対に倒す!!」
セリクは手にした小瓶を一気に飲み干す。それがどういった効能をもたらすのかは詳しくは知らなかった。だが、仲間のブロウがくれたものだからこそ、何の迷いもなく口にできた。
セリクの命が拒滅へと変換される! 命を削り、それがほとんど全て力へと変わったのだ!
まさに力の化身…下を流れるマグマより熱く、まるで大きな翼のように紅いエネルギーが奔出して拡がる! それは大きな鷹…いや、まるで不死鳥のようにユーウの眼には映った。
「ア…ぐ、ウゥ、ウ…」
饒舌であったドゥクスが言葉に詰まる。自身が“武器”だからこそ、圧倒的な武力の差があることを真に感じ取れたのだ。彼が覚えたのは破壊されることへの恐怖である。
「だ、ダガ…ヤツは剣がナイ。オレに致命的なダメージを与えルことハ…」
もしセリクが鋼の硬度を持つ剣を持っていたならば敗けていただろう。しかし、ドゥクスが優位に立てていたのはその守備力の高さだ。そこが揺るがされない限り、自身が破壊されることはないのだとドゥクスは考える。
「魔力はもうネェ! ダガ、確実に息ノ根を止めルマで斬り刻んでヤルだけダァッ!」
物理攻撃に特化した、まるで四本のサーベルを持ったような姿となり、ドゥクスは勢い良く特攻をしかける!!
ドゥクスにももはや時間がなかった。早く乗り移らねば、“魔力を持たぬ剣”にと戻ってしまうのだ。
全てを拒絶する力がドゥクスに襲いかかる! 今までセリクから喰らった攻撃の中で一番強烈だったが、それでもまだドゥクスの耐久力の方が上だった。
(コノままヤツの頭ヲ叩き斬り潰してヤル!!)
よりサーベルが歪な殺傷力を持った形へと変化する。ドゥクスにとって最大の攻撃を放てる最適な形に、と。
「お母さん!!」
そう叫んだのはユーウであった。なぜ彼女はそう声に出したのか、それは本人もほぼ無意識から生じたものであり、ただセリクを助けたいその一心からであった。
もしこの言葉の重みを理解していたらあるいは対処できたかもしれない。しかし、セリクを殺すことしか頭にないドゥクスには単なる雑音としてしか聞こえなかった。
──イグニートサーベルス!!!!──
炎熱の魔力の曲刀がドゥクスに突き刺さる! 炎熱系の魔術を得意としているのは“彼女”だ。セリクの拒滅による損傷に加え、魔気の防壁を失ったドゥクスがダメージを負うのは当然だった。
「馬鹿ナ! そ、ソんナ魔力がドコに…」
「…か、隠し事はお互い様さね」
トトはニヤリと笑い、胸元に爪を刺して開く。心臓の横に小さな魔玉石があり、一瞬だけ輝いて砕け散る。
「…セリク・ジュランド! 余を狙え!」
そう言い、トトはユーウの姿をチラリと見やった。
──何もしてあげられなかったね。ゴメンね…ユーウ──
「お母…さん」
胸を抑え、ユーウは唇を震わす。もし時が止められるならば、整理する時間がわずかでもあれば、現状を受け止めて良い言葉をかけられたかもしれない。しかし、流れる時はそれを許さなかった。
ドゥクスはそのまま特攻以外の選択はなかった。セリクを倒し、死損ないのトトを殺し、ユーウを乗っ取る…その順番を変えることはもはやできなかったのだ。
ギリギリではあったが、それでもドゥクスはまだ勝算があると考えていた。
セリクはポケットから小さな円筒の武器を取り出す。最初、それはナイフのような頼りない武器だとドゥクスは思った。
だが、『イグニートサーベルス』のような紅く輝くエネルギーの刀身が瞬時にして現れたのを見てそれが剣なのだと気づいた時には全てが遅かった。
「これで本当に終わりだぁッ!!!」
“オードソード”の試作品は、セリクの限界を超えた力に制御装置が小爆発しつつも刀身をトトへ定めて進む!
トトはまるでそれを向かい入れるように両手を開いた。
そして、刀身がトトの心臓を穿く!!!
「…ゴフッ!」
振り下ろされるドゥクスの剣を左腕で受け止め、トトは庇うかのようにセリクの小さな身体を抱き止めた。
「…トルデエルト」
「よく…やってくれた。辛い思いをさせたね。すまなかったね」
トトは優しく笑う。虚ろな色であった瞳が少しだけ人間の物のように戻っていた。これが本来の人間だった時の彼女なのだろうとセリクは思った。
「これで魔王は滅び去る…あの娘と一緒に地上に帰りなさい」
「し、死死死死死死死ィイイッ!!!」
ドゥクスはもはや姿すら維持できなくなり、各所が風船のように膨らんでは萎むを繰り返す。
「俺はあなたを…」
もしトトがドゥクスに操られていたのだとしたら…その可能性を考え、セリクは悲しそうな顔をする。だが、トトは軽く首を横に振った。
「世界を…すべてを憎んだのは本心さ。私が報いを受けるのは当然なんだよ…」
「だけど!」
トトはそっとセリクを押しやる。セリクも力を完全に使い果たしていた。それなのに炎魔城の端に無事に着地したのは、トトが最期に力を使ったからに他ならなかった。
「エィルート…オレはオレはコンナ所デ!!」
「…“魔剣ドゥクス”。私が甦らせた偽りの意思。もう終わりさ。一緒にバージルに謝りに逝くとしよう」
「冗談ジャ…ネェ!! 冗談じゃねぇヨオッッ!!!」
生に執着するドゥクスの罵声を聞きつつ、トトはゆっくりと瞑る。
そして、静かにマグマの海の中へと消えていったのであった……。
「セリク!」
目尻の涙を拭き払い、ユーウがセリクの元へと駆け寄る。
「ゴメン。トトを…トルデエルトを…」
助けられなかった…その言葉がなんだか適切ではないような気がしてセリクは言い淀む。
ボロボロになりながらそんなことを心配するセリクを見て、ユーウは胸の中がグッと押し潰すされるような気がした。
「いい。もういいんだ。セリク…。何も言わないで」
ユーウはセリクと額を合わせる。
炎魔城が揺れる。この城もマグマの濁流に呑み込まれんとしているのだ。
「…脱出しなきゃ。でも」
セリクは立ち上がろうとしたが、右脚に酷い大火傷を負っていて動かない。痛みがないのは感覚が麻痺しているからだ。そして“拳闘士殺し”の効果が終わり、その副作用が無情にもセリクの身体を蝕む。至る場所から出血し、それがユーウの肌と衣を鮮血に染めた。
「……俺は、もう、ダメみたいだ」
「…ダメとか言わないで」
「ユーウだけでも…逃げ道を…」
そこまで言ってセリクは気を失う。
「死なせない。絶対に死なせるもんか…」
様々な想いを胸に抱きつつ、ユーウは決意する。
炎魔城が沈み行く。魔王トトの力が失われたことで崩壊に一気に弾みがかかった様であった。下層が崩れ、奴隷たちを閉じ込めていた牢や、彼らが戦わされていた血生臭い闘技場も等しく灼熱に呑まれて跡形もなく消えて行く。
さっきまでまるで感じられていなかった熱気が、ユーウの額に玉の汗を生じさせる。喉が渇き張り付く。
「このままじゃ…。でもどうすれば…」
──汝が務めを全うするのであれば、私は願いを聞き届けよう──
ユーウは最初それは幻聴かと思った。
熱さで朦朧としつつも、ユーウは胸元から三重輪のペンダントを取り出す。素肌につけていたはずなのに、なぜか焼けるように熱くなっていた。
──汝、祈るべし。其の願いに値する代償を──
ユーウはペンダントを両手で握り締める。ジュッと、焼きゴテを当てられたかのような熱さが手の平を焼いた。
「お願い…。ボクが持つものならば何でも差し出します。だからどうか助けて下さい」
ーーー
魔界の終焉に際し、力の弱き魔族・魔物たちは種族を越えて集い、一様に不安な顔を突き合せていた。
イシャーの仲間たちも同じであり、同族の無事を喜ぶことも束の間、いずれにしても滅びの道が変わりないことに沈む。
そんな仲間たちの輪には入らず、ペインズはただその光景を無表情に見やっていた。かつて自分も同じように仲間たちと一緒にいたことがあったが、その想い出は遠い彼方のものへとなっていた。
「フルキモノ。ドコイク?」
なぜか人間の言語で呼び止められ、そのまま立ち去ろうとしていたペインズは振り返る。なぜかイシャーだけではなく、その仲間たちもペインズの側に集まっていた。
「…紅き救済者との約束は果たした。もう私には用はないだろう」
ペインズに何か特に思いがあるわけではなかったが、彼らは少数ながらトトが自ら産んだ者や、魔神から鞍替えして寝返った者も多数いた。そんな彼らからすれば、ペインズは微妙に感じられる存在だろう。敵とまではならずとも、決して仲良くしていい相手ではなく、遠巻きにして関わり合いにならないのが正解に思われた。
「…源泉主様。まずはイシャーを助けて下さったこと感謝致します」
地上に出ていたことがあるのか、流暢な人の言葉を話す獅子面をした魔物が先頭に立って頭を垂れる。雰囲気から彼がこの群れの長のような存在なのだとペインズは理解した。
「感謝など不要。どうせ、同じだ」
「お、お怒りはごもっともで御座います」
短くそう言ったのを怒ったのだと捉えた獅子は慌てて平服する。
ペインズからすれば、死ぬタイミングが少し遅くなっただけでしかない。そこに感謝を述べる意味が解らなかったのだ。
「怒り…とは別だが、少なくとも礼を尽くす相手ではないことは正しい」
「お怒りではない?」
「? さよう。我が主君も君たちに怒りは覚えてはいないはずだ。より力の強い者に従うのがこの魔界の原則だからね」
それを聞いて、周囲から少しだけ緊張が解けた雰囲気があった。ペインズは不思議そうにする。
「これからこの魔界は…ただ滅びを待つしかないのでしょうか」
「なぜ私に聞く? 君たちよりも魔力を持たぬ古者に?」
皮肉を込めて鎖を見せる。一対一ならば魔力が無くとも勝てるかも知れないが、それでも集団で来られてはまず自分は殺されるだろう。
イシャーを連れて行く時、ペインズはその同族にあらぬ嫌疑をかけられ殺されても仕方ないと思っていたのだ。
セリクがドゥクスを滅ぼした。それだけでもうペインズの望みは叶ったのである。その他のことはもはやどうでも良かったのだ。
「…勝手とは存じております」
獅子が金色に輝く鍵を取り出す。その手は緊張に震えていた。
「なぜそれを?」
「トト様…いえ、あの怪物が鍵の番人まで喰らってしまった故に…」
ペインズはなぜ自分に渡すのか尋ねたつもりだったのだが、獅子は勘違いしたらしく入手理由を答えた。
「私が魔力を取り戻せば生き残れると?」
ペインズが感じたのはその場にいる者たちの強い期待感だ。かつて、魔神に仕えていた時分に向けられたものであったと懐かしく思う。
「イシャー、タスケタ。セリク、ペインズ」
イシャーが苦手な人間の言葉であえて話すのは、自分の気を引くためとペインズは理解する。
「私は主君を守れなかった男だ…。それでも信じる、と?」
「…恥ずかしながら、我々も主君を裏切った者の集まりです」
獅子がそう言う。そこには覚悟があった。もしペインズが魔力を取り戻した時、気紛れに殺されても構わないという覚悟だ。
その気概がどこから来たのかと考え、群れの中にまだ幼い子供が混ざっているのを見やる。彼らもまた未来を託すべく者たちがいるのだ。
──力が支配する世界。だからこそ、統治者こそが手本となり、善を識り、善を成すのだ──
魔神と呼ぶにはらしくない自ら主の言葉を思い起こす。
「……鍵を」
ーーー
──懸氷に抱かれし監獄。無窮の眠りを希求するは氷皇。我が霊威が興すは万象凍てつく大河。刹那な命を嘲笑いて、凛冽を齎せしめよ…グラングレイシャー!!!!!!──
“氷の源泉主”が最高位魔術を展開する!
巨大な氷塊が穿たれた穴へと落ち、豪炎とぶつかり合い多量の水蒸気を拭き上げた!
自身が取り戻した魔力の残量に加え、生命力までを惜しみなく注ぎ込み、氷の生成をさらに早める。
それは徐々にゆっくりではあったが、マグマの流れが段々と緩やかなものとなり、溶け損なった魔都ガルガンチュラや山々が冷えた溶岩と混ざり合い、奈落の底を封じる栓の役割を果たす。
マグマの流れは氷の魔術が消えたことで次第に元の姿を取り戻すが、魔界全体を襲う暴走は完全に収束した。
「…さよう。自然の営みに逆らうとは、またもや魔力を失う愚行…だ…な」
氷の源泉主はフッと笑い、そのままマグマの海へと落下する。
それを一匹の空を翔ぶ魔物が途中で抱き止めて安全なところを求めて羽ばたいて行く。
風が吹き荒れ、魔気による暗雲が晴れる。遥か高みからそんな光景をずっと見やっている男がいた。
男は羽ばいて行く魔族をチラリと見やると、口髭をわずかに震わす。
「……魔界は消えぬ、か」
そこに目立った感情はなかった。消えるならば消えるで仕方ない。そんな諦観があったからこそ、そして自身が何もしなかった…いやできなかったからこそ、数多の命が救われたというのに、それを素直に称賛する気にはなれなかったのだ。
チラリと自分の下方にある光の珠二つを見やる。ちょうど人の丈ほどの大きさがあり、その中ではひどく傷ついて憔悴した状態で、気絶している者たちがいた。
「…未だ汝らの戦いは続く。神々の計画は終わってはいない」
奇妙に歪な形をした黒い剣を右手に掲げ、それをしばし眺めてから、彼だけが知る異空間へと消し去る。
「紅き破滅セリク・ジュランド。神皇国女王ユーウ・フガール…汝らに惜しみなき恩寵と祝福を」
男は人差し指を上に突き立てる。一陣の風が吹き去ったかと思いきや、光の珠とともに彼の姿は瞬時にと消え去ってしまったのであった…………。




