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RUIN【破滅】  作者: シギ
二章 魔界の統治者トルデエルト
208/213

205話 影の支配者

 トウヨウを目指して飛び続けていると、やがて草原地帯で争い合っているのが見えてきた。


「御前様たちだ!」


 ユリエが叫ぶ。敵対しているは見たことのない魔物たちだ。人間側は囲まれて劣勢に立たされるようだ。


「降ろしてくれ! 私も戦う!」


「いや、数が多いです。全部を相手にするのは…」


「構わん! 私も武家の娘だ! 仲間たちと共に死ぬなら…」


 ユリエが決意して言い切ろうとしたのを途中で言い淀む。それはセリクが強い怒りを顔に浮かべていたからであった。


「死なせるために連れてきたわけじゃない」


 不貞腐れたようにセリクはそう言うと、敵の陣形を見やる。


「指揮者は…」


 ヘジルだったらどう考えるだろう。そんなことを思いながら敵の流れを追う。

 そして高台に陣取って、あれこれ指示を出している甲冑を着た魔物がいることに気づいた。


「天狗か。裏でコソコソと…」


 ストス村で策を弄していたグレムリンのように、ここでも似たことをやっているのだろうとセリクは思った。

 デュガンのように『衝遠斬』といった技とは呼べないほどの弱い剣閃を飛ばす。それだけで鎧武者の胴体から頭がゴロリと落ちた。

 周囲の魔物たちは何が起こったかまるで解らず、安全地帯だと思っていた場に対する突如の襲撃に驚き慌てふためく。

 指揮が大きく乱れたのを見て、次に人間たちを囲んでいる部隊の中央に向けて何度か剣を振るう。まるで爆撃でも落ちたかのように、紅い光が魔物たちを一掃していき、セリクが予想していたよりも早く混乱が広まって隊列が崩れる。

 

「な…」


 ユリエは空いた口が塞がらなくなっていた。


「お前は一体何者なんだ?」


「セリク。…レノバ村出身のセリク・ジュランド」


 自分らしくないと思いつつ、セリクは名乗ってから少しだけ悲しそうに笑った。



「今が好機ぞ! 押し返せぇ!!」


「「ハハァッ!」」


 たすきがけの着物を着た女性が自ら先陣を切り、朱色の薙刀を振るって敵を砕く。

 老境に差し掛かっている年齢だというのに、息切れ一つせず、幽鬼の類に甲冑を着せた人もどきを次から次へと斬り伏せていった。

 後ろから続く、一から鍛え上げた百数人の婦人たち(武家ではない者たちが半数以上を占めていた)も遅れまいと必死に続く。ここぞとばかりに、旦那や息子を奪われた憎しみを刀や薙刀、槍に込めて敵を打つ。

 自軍に対して、敵はおよそ数千の規模。最初から無謀な戦いであった。相手が人間だけならばまだやりようがあったかも知れない。しかし相手は人非ざる者どもだ。


「ムカサめ。こんなにも怪異を大量に飼っておるとは…」


 かつて数百年も昔に機軸甲国キードニアと呼ばれる国が侵略して来た際、道領国の侍たちが奮闘してそれらを撃退し、当時の天子に「我が国の兵は一騎当千」と賞賛した。しかし、相手はそんな人間の武力が真っ当に通ずる者たちではなかったのである。


「しかし、御前様。あれは何なんでしょう…」


 側近の一人が空に浮かぶ何かを指差した。あそこから紅い光が生じる度に、彼女たちの先にいる敵の半数が吹き飛び、大きく数を減らしているのだ。そのお陰で包囲が弱まり、攻勢に転じられたわけである。

 御前様と呼ばれたその老婆は眼帯を付け直しつつ右眼を細める。


(戦慣れしているな。こっちの部隊の弱いところをカバーするように援護してくれるたぁね)


 未熟な者や若い者たちは極力後方に配置していた。敵はそれを察して回り込もうとしていたのたのだが、それをさせまいと守備の薄いところを重点的に守ってくれるようだった。

 

「…さてね。明神様の導きだとしたら嬉しいね。まあ、いずれにせよ、助けてくれるなら閻王にだって私は礼を言うよ」


「御前様ったら…」


 かつてこの国をひどく苦しめたという神話の登場人物を持ち出したとあって、周囲の空気がやや和らいだ。そんな軽口を言えるのは、勝利の兆しが見えたからだ。

 まとまりを失った敵軍は散り散りとなる。深追いをするのは得策ではないと、向かって来る者がいないことを確認して部隊を止める。

 すると、空に浮かんでいたものが降りてきた。敵ではなさそうだったが、それでも警戒を促す。


「…んん? あれは、まさかユリエかい?」

 

 気難しそうな顔をしていた顔が呆気に取られた。


「御前様!」


 途中で飛び降り着地し、ユリエが走り寄って来る。しかし、その隻眼は紅い光を纏っているセリクから離せないでいた。


「…“紅の死神”」


「え?」


「…いや、独り言だよ」


 古い伝承を思い出してつい口に出してしまったが、そんなわけがないと首を横に振って否定した。


「あなたが“ゴゼンサマ”?」


「外国人にそう呼ばれるのはこそばゆいね。そりゃ奥間に居た時の通り名さ」


 道領国の文化に疎いセリクは目を瞬く。


「本名はモクセじゃ。生まれはキナイ。家名は捨てたんで今は姓はない。気楽にモクセ婆とでも呼んどくれ」


 セリクが口を挟む前に、モクセは一気にそう言い切る。せっかちな性格なのだと思ったが、一分一秒でも無駄にしたくないセリクにはむしろありがたくさえ思えてくる。


「モクセさんですね。解りました。俺はセリク・ジュランド。中央大陸、ガーネット…レノバという村の出身です」


 道領国では出身元も名乗るのが当たり前なのだと、セリクはそう考えて答える。

 モクセも幾つか疑問を覚えたようだったが、「そうかい」と頷く。


「…敵の本拠地はあそこで間違いありませんか? ムカサという人が敵の首領だと聞きましたが」


 モクセはユリエとセリクを交互に見やる。そして少し考える素振りを見せたので、ユリエが説明しようとしたのだが、「いらんいらん」と手を横に振る。


「…あのトウヨウ城が我々がこれから狙う本丸だよ。

 太政官ムカサ・ヨドが、この国主たる天子様を暗殺して好き勝手している」


「ムカサ…という人は本当に人間なのですか?」


「人間だとも。彼奴が“おしめ”をグショグショにして泣いてた時分から知っとるわい。…しかし、お前さんの疑問も当然だな」


 煙と還っていく敵兵を指差して、モクセはフンと鼻を鳴らす。


「裏で糸を引いているのはこれら怪異だ。僧正ダイダラと、同じく大天狗ハクロウの二者がムカサと結託している」


「怪異ですか?」


「西陰で言うところの魔物だ。私たちは怪異や物怪もっけと呼んでいる」


「…魔王トト。トルデエルトという存在をご存知では?」


 セリクが聞くと、モクセは首を横に振る。周囲にも聞いてくれたが、やはり魔王を知る者は一人もいなかった。

 有力な手掛かりが得られなかったことに落胆を覚えたが、恐らくは魔族か魔物を名代に立てているのだとセリクは考える。


「さて。レノバ村生まれのセリク・ジュランド。今度はこちらから聞いてもいいかね?」


「…どうぞ」


 これ以上、話をしても無駄だとばかりにセリクは視線を落として頷く。色々質問した以上、こちらも答える義理が生じたと思ってのことだ。


「詳しい話は後にしたいのはこちらも同じだ」


 セリクの内心の焦りを見越して、モクセはそう言う。


「だが、今はこの混乱に乗じてトウヨウ城を一気に攻め落とし男共を救いたい。侍たちさえ戻れば、各地にいる天狗を駆逐しようとする気概も高まろう。

 お前さんは敵ではなさそうだからな。腕っぷしも見事のようだ。是非とも雇われないかね?」


「雇う?」


「そうだ。報酬ならば望むだけだそう。私たちが勝った…」


「くだらない」


 セリクが吐き捨てるように言うと、そんな口を利いたことに周囲が剣呑な雰囲気に包まれる。ユリエですら刀に手をかけたぐらいだ。

 モクセだけは面白そうに口角を上げ、「いい。何もしなさんな」と周囲を宥める。 


「それで何人が死にます? 戦力差は明らかでしょう」


 セリクはモクセの率いる隊が女性ばかりなのを見て言う。別に女性だから弱いと言いたいわけではなかった。明らかに戦闘慣れしていない、それこそ寄せ集めの決死隊なのがセリクには解ったからであった。


「もう人が死ぬのを見るのは沢山だ! 俺が…本当は俺がもっとしっかりしていればッ…」


 セリクは魔王との戦いによる多くの死傷者を見た。自分が意識を失っている間に、皆が必死になって戦い、そして敵であったエーディンですら自分たちを守るように全力を尽くしてくれたのだ。


「ユーウッ。俺は…ッッ」


 ユーウを拐われてしまった。誰もセリクのせいだとは言わないだろうが、それでも彼自身は慢心と油断のせいだと自責し続けていたのだ。

 よりによって、つまらない意地をはったせいで、彼女の名を冠した剣を帯びて来なかった。例え小さな繋がりだとしても、もし微細な糸のような繋がりだったとしても、繋がってさえいれば、もしかしたら彼女の居場所だってすぐに解ったやもしれない。実に非論理的な考えではあったが、セリク自身はそう信じてしまっていた。それ故に自分をひどく責めたのだ。

 そんなセリクの苦しみを知らない女性たち…ユリエも含め、一様に困惑を浮かべる。彼の苦しみや悲しみを知って共有するには情報も時間も足りなかった。


「一人で色々と背負ってきたのかい」


 モクセは薙刀を近くの者に手渡し、そっと近づくと、セリクの頭ごと優しく抱きしめた。


「…え?」


 いきなり抱き締められたことに驚くが、夢の中で母と名乗った女性とそっくりの匂いにセリクはなぜか安堵を覚えた。


「道領国にはこんな諺があってね。“急いては事を仕損じる”。ま、こんな時だ。焦らにゃいかん気持ちも解らんでもないがね」


 自分が心の中でずっと繰り返していた言葉とほぼ同じであった。それを他者が口に出したことで、セリクは改めて心と体が不一致な状態だったのだと気付かされる。


「俺は…」


「何をしようとしているかまでは知らないさ。けど、正しいことをしようとしてんなら、皆がお前さんを支える。何も一人で戦うこたぁないじゃないか」


 モクセがゆっくり離れ、セリクの頭を撫でた。子供を可愛がるやり方はここでも変わらなかった。


「そうやってキナイはしぶとく生き延びてきたんだよ」


「……ごめんなさい。生意気な口を利いてしまって」


 セリクが素直に頭を下げたことに、女性たちは好感を覚える。特に子供を持つ母親はそうであった。


「ハハ。何が生意気なもんかね。天子様の反抗期の方がもっと凄かったもんさ」


 御前様と慕われるだけあって、その懐の深さは並大抵のものではなかった。

 ここに来て、初めてセリクはモクセや他の皆の顔を見やる。できるだけ感情移入しないように努めていたのだ。しかしそれが得策でないことを察した。


「モクセさん。お願いします。教えて下さい。そのムカサたちがいるのは城のどの辺なんですか?」


 力づくで攻めるだけなら簡単だが、逃げられてしまったら元も子もない。敵の素性も知れない状態で戦うのが如何に危険はセリクも承知していたのだ。

 モクセは少し悩んだ後、側近に場内の略図を持って来させ、地面に広げて説明を始める。


「ムカサは術者だ。前線に赴くことはまずない。私たちが反旗を翻したことは天狗どもから伝わっているだろうが、高を括って城内に居座っているだろうことよ」


 周囲を指差し、モクセは肩をすくめる。


「…だが、この戦いの形勢を聞けばどうなるか解らない。武官だけに守備を任せ、自分だけはほとぼりが冷めるまで同盟都市に潜むかも知れないね。そうなると討ち取るのが難しくなる」


 「用心深い小心者だからね」とモクセは付け加えた。

 セリクは厄介な予想が的中したと思う。敵が必ずしも真っ当に戦うつもりでない場合もあるのだ。もし逃げに徹しられたら、魔王の元への道のりも遠のく。


「…攻めるなら一気に?」


「ああ。だから、セリク・ジュランド。お前さんに力を…」


「いえ、俺だけでいいです。敵の位置さえ解れば取り逃がすことはない」


 まだ頭に血が昇っていると見たモクセは腰に手を当ててフウと息を吐く。


「今一人で背負う必要ないって言ったばかりだろ? 老いたとはいえ、私の腕前も落ちたものでは…」


「違うんです! 敵が油断しているなら。なおさら俺一人だけの方がいい! 軍勢を相手にするよりは、ムカサって人だけを捕まえた方が早いはず!」


「そうは言うけどね。それができるなら苦労はしないよ。天狗の長とは交えたことがないが、少なくとも大入道は尋常ではないほど強い」


「でも俺の方が強いと思います」


 真面目にそう答えたセリクに、モクセは唖然とした顔をする。

 見たことのない敵だ。それも強者だと警告しているにもかかわらず、そんなことを宣言するなどとは、命知らずか分をわきまえてない者だろう。しかし、彼の力と間近に接したからこそ、一笑に伏すこともできなかった。


「今ここで初めて会った者に…この国の行く末を委ねろ、と?」


「難しい話なのは理解しています。でも信用してもらうための時間はないはずです」


「…失敗すればお前さんだけじゃすまない。激怒した怪異は、道領国全体を根絶やしにするだろう」


「失敗しません。…絶対に失敗するわけにはいかない」


 セリクの紅い眼に強い決意があると知り、モクセはややあって頷く。


「…解った。お前さんに託してみよう」


「御前様!」


 側近が心配そうな声を上げたが、ユリエだけはなぜか少しホッとしたような顔をしていた。


「どのみち勝ち筋は見えていない。少しでも打てる手なら、打っとくことに越したことはないさ。それにセリクが中で引っかき回してくれた方が私らも動きやすくなる」


「ありがとうございます!」


「ムカサはここだ。ニノ丸にいると見せ掛けて、城の一番上、天守閣にいる可能性が高い。煙と何とやらは高いところが好きってね」


 モクセは城の一番天辺、過剰なまでの宝飾と金メッキが施された豪奢な造りを示す。


「解りました。なら…」


「待ってくれ! 私も行く!」


 ユリエが声を上げたのに、セリクは困った顔をする。御前様のところにまでは連れてきたが、敵陣に深く斬り込むとなれば正直なところ足手まといにしかならなかったからだ。


「そうだね。私からも頼むよ。連れて行ってやってくんないかい? あの城内にはこの娘の父親が捕らわれているんだ」


「でも…」


「男連中を解放できれば、城内を制圧できる。男共を説き伏せるにゃ、この娘が適任だよ」


「自分の身は自分で守れる! 邪魔はしない…だから!」


 必死に懇願するユリエを見て、セリクは自分が相手の立場だったら同じことをするだろうと思った。

 もし捕らわれているのがユーウならば、いてもたってもいられないだろう。力が及ばないからじっとしているなんてできそうになかった。


「…解りました。なら、俺から決して離れないで下さい」


「ああ!」


 ユリエは先程より強くセリクにしがみつく。


「では、御前様。行って参ります。必ずやムカサめの首印をとって…」


「ああ。気を付けて。私たちは城下町まで登って行く。何かあればそこまで戻ってきな」


「はい。ありがとうございます」


 セリクは頷くと、高く聳える城を見据え一気に飛び立った。


「御前様。あの少年は一体…」


「……さてね。明神様の使いか、はたまた閻王の使いか。どちらにせよ、今日で決着がつくだろうさ」


 自分は間違えた選択をしたのかも知れないとモクセは思ったが、もはや信心すらも失った自分は詫びる相手もいないのだと思い出す。

 強いて言うなればキナイの村の仲間だが、彼らもとうの昔に死は覚悟していた。志半ばで果てたとしても、彼女を恨むような器量の狭い者など一人としていない。


「あの棚引く紅光…私たちを解放する希望の光であると、今だけは信じようじゃないか」




ーーー




 すべての襖戸を締め切った天守閣にて、ロウソクの炎だけがユラユラと人影を揺らしていた。

 亀の甲羅を左手に支え、首を傾げて何度か角度を変え、ようやく納得した位置になると、右手に持った木片を放り込む。

 小さな木片同士が当たる音がするやいなや、目の前に置いてあった金の座布団の上に恐る恐る乗せる。


「次こそは…」


 両手を合わせ祈るように両目を瞑り、そして木片の音が収まると、恐る恐るといった風に片目を開いて覗き見る。

 そして撫で肩をさらに落とし、烏帽子を前後させ、大きく息を細くフーと長々吐き出した。


「…如何ですか?」


 一際、大きな影が問うた。身動きはしなかったのに、ロウソクに照らされた影は襖を忙しなく行ったり来たりする。


「不吉な目だ。“転身望むべきに非ずや”…凶兆の中の凶兆。あーもう! 次こそは!」


「…殿。占術の目を気にされても結果は変わらぬ、かと」


 再び亀の甲羅を掴んだ男は、そう言われて力なく手を離す。


「…ならばダイダラ! ワシはどうしたらいいというんだ!」


 亀の甲羅を蹴り上げると、それは座布団から滑り転げて、畳の上を滑り、ダイダラと呼ばれた大男の膝頭に勢いよく当たる。

 男はビクッとしたが、ダイダラが何も言わなかったので泣きそうに顔を歪めた。


「ワシが…このムカサ・ヨドが! 天子様より畏れ多くもトウヨウ都のみならず、道領国そのものを預かり賜り、太政官として泰平の世と為すべしと剣を掲げたそもそもは! 貴様らがワシを担ぎ上げたからこそなのだぞ!」


 久方ぶりに声を張り上げたせいで、ムカサはむせ込んで苦しそうにする。


「ぶ、ぶ、武官! 大入道ダイダラ! 答えよ!」


 ムカサがそう叫ぶと、ダイダラはややあって立つ。

 細く小さなムカサが哀れに思えるぐらいに、ダイダラは三メートルを超える長身にして大柄な大男であった。

 気圧されてムカサは一歩下がるが、ダイダラは一歩進み出ると、片膝をついてムカサに視線を合わせた。ボロボロの袈裟が畳を摺り、ジャラジャラリと首に掛けた大数珠が揺れる。

 禿頭とは対象的なボウボウの髭面、厳つい顔の中にある小さな眼の瞳孔が縦に細長いのが、彼が人間ではないことを如実に示している。


「殿。殿は何も間違ってはおりませぬ。天下泰平のための覇道なれば、その頂点に相応しき方でございます。ですから、なにとぞ志高くあられますよう…」


 低く深みから響く声であったが、それがどこまでも肯定的だったことムカサはホッする。

 そう。このダイダラが召喚主たるムカサに逆らうことなど一度もなかったのだ。改めてそれを思い起こし、ムカサはようやく落ち着きを取り戻した。

 大入道とは言ってはいるが、彼の正体は鬼と呼ばれる怪異だ。角が一本もないのは下級位であるためだが、それでもその腕力たるや侍が束になっても到底敵うものではなかった。

 ムカサは符術師のはしくれであり、先祖が残した一枚の魔呪符から苦心してダイダラ一体を呼び出したのである。

 それからというもの、今の今まで彼の右腕として、ダイダラは忠義の限りを尽くしていたのだ。


「…ギョウブ。“黒天狗”どもは?」


 ダイダラが眼だけ後ろに向けると、その背に隠れていた影が横にずれ、ポンと腹鼓を鳴らしてみせた。


「…血相を変えて何やら奥間で密談に耽っておるようだヨ」


 それは年老いた狸姿の怪異であり、これもまたムカサが呼び出した式紙の一体である。力こそさほどではないが、千里眼や地獄耳といった不思議な力を扱うので、偵察役として重宝していた。


「“常闇主とこやみあるじ”に何かあったのかな…」


 ムカサがそう呟くのに、ダイダラは太い眉をひそめた。


「…殿。凶兆といえど変転の兆しなれば、天狗どもと手を切る良い機会やも知れませぬぞ」


 ここぞとばかりに声を潜め、ダイダラはムカサに耳打ちする。

 ギョウブが再びポンと鳴らす。周囲に気配はないとの合図だ。


「…滅多なことを言うな。恩がある」


 袖に手を差し入れ、ムカサは不機嫌そうに口を歪ませた。


「彼らの協力なしに、ワシがこのトウヨウを治められたとは思えん」


 この国を治るべき天子が夭折した際に巻き起こった権力抗争。決してその中枢にいた訳ではないムカサもそれに否応なしに巻き込まれることとなった。

 決して彼自身が望んだわけではないが、彼の家が中途半端に力を有していたがため、やがて血生臭い争いにまで発展して行く権力闘争の中で上を目指して進み続けねば待っているのはお家断絶であったのだ。

 当然だが、ダイダラもギョウブも彼への協力を惜しまなかった。ムカサの命がかかっていなかったとしても、主を国の盟主とする…それが当たり前のことと思い行動してきたのである。

 しかしそんな一騎当千のダイダラなどの力を持ってしても、強靭な侍を何万と保有する大名たちは一筋縄ではいかなかった。むしろ術者としても未熟なムカサ陣営は劣勢に立たされることとなる。

 そんな折、突如としてどこからともなく現れたのが黒天狗たちである。その長と名乗る大天狗は、ムカサの太政官の地位を約束すると共に一つの条件を提示してきた。


「…常闇主への忠誠。そして定期的な“供物”の奉納」


 ダイダラは独り言のつもりだったが、後ろめたさを覚えているムカサはピクッと肩を震わせた。

 黒天狗たちはダイダラが見ても地獄から来た者たちではなかった。天狗という怪異がいることは知ってはいたが、ダイダラの知る者たちとは異なっていた。しかもヤツらは見知らぬ魔物たちを大量に引き連れてきたことからしても、怪しい存在であり充分に警戒する必要があった。

 そしてこの黒天狗たちが信奉している者が、何とも胡散臭い“常闇主”という謎めいたものだ。彼らは実在する超常的な存在であると説明し、明神に匹敵するかそれ以上の位階であると言っていた。

 そしてこの常闇主というのが、毎月、各村から一人づつ優れた力を持つ男の武芸者を捧げよと命じてきたのである。

 この要求はダイダラにとってはさほど驚くには値しなかった。そもそも鬼が人間を喰らうのは自然であるし、彼らの中ではより強い者を取り入れればさらに強くなると信じられてきたからだ。中には龍を襲い喰らう者までいたぐらいである。そしてやはり若い時分、かつての主と“この世界を支配していた”頃にはダイダラも人間を少なからず食べることがあったからだ(今ではムカサに配慮して自ら断っている)。

 しかし、ダイダラが妙だと思ったのは、事細かに供物の捧げ方を指示してきたことである。それも各村に対してどうやって人間を徴収するか、それをどの座敷牢に閉じ込め、どう管理して決められた時期に送り出すか。それらすべてを天狗たちに徹底的に監督させているのである。

 少なくとも鬼であればこんな面倒なことはしない。村を襲い奪うか、もしくは村長などに人間を寄越すよう交渉とも言えぬ恫喝をするくらいだ。

 ダイダラがこれらを見てまず思ったのが、やり方が人間臭いということだ。その扱い“栽培”や“畜産”に似ていると気付いたのだ。まるまると肥えるまで待ち、確実に最上のものを得る。決して根こそぎにはせず、繁殖させて熟れた物だけを刈り取っていく。

 それができるのは、常闇主が人間の性質をよく知っており、ただの“食料”としか見ていないわけでないことを示していた。


「…常闇主を信じてはなりませぬ。アレは殿を操ろうとしているように思いまする」


「は? 操る、だと」


 ムカサが詳しい意味を尋ねようと口を開こうとした瞬間、ギョウブがポンポンと二回鳴らした。

 ダイダラは音を立てぬように数歩下がる。

 

「……杞憂だ」


 ムカサは自分に言い聞かせるようにして俯く。顔にこそださなかったが、ダイダラは主を説得できなかったことに落胆した。


「…大天狗ハクロウ殿」


 足音から何者か言い当て、ギョウブがヒゲをピクッとさせた。


「う、ウム。苦しゅうない。入室を…」


 居住まいを正し、ムカサはいつものように太政官として威厳が見えるようもったいぶったようにそう言う。

 ギョウブが襖に手を掛けた瞬間、勢いよくパーンと開かれる! そんなことを予期していなかったギョウブはコテンとその場に転げた。


「何と無礼な! ここを…」


 抗議の声を上げて腰を浮かしたダイダラであったが、ハクロウのただならぬ姿を見て息を呑んだ。

 大天狗は他の黒天狗を何倍も大きくしたかのようで、横幅はそうでもないが背丈だけならばダイダラ並にある。立派な赤い鼻が、頭目の高慢な性格をよく表していた。

 終始余裕がある態度を見せ、それこそ言葉遣いは丁重であったが、どうも上からの物言いが多く、ムカサやダイダラを見縊る慇懃無礼な態度を隠そうともしなかった。何事につけてもいつも事後報告ばかりで、武官であるダイダラが戦況を最後に知るということなど日常茶飯事だ。文句を言おうものにも、「すでに知っておられるかと」と煙に巻かれるのである。

 そんなハクロウが、元来からの赤い顔をそれこそ比喩ではないくらいに蒼白とさせていた。その眼に浮かぶのは明らかな恐怖であり、ひどい混乱と困惑が大天狗の中で渦巻いているのが察せられた。


「ハクロウ殿? ど、どうなされたと…」


「ムカサ公! し、至急! この城に確保している奴隷たちを送る手筈を整えて頂きたい!」


 舌を噛みそうな勢いで、ハクロウはそう大声を張り上げる。

 ムカサは呆気にとられたが、つい懐にある牢鍵を服の上から確かめるように握りしめた。


「いきなり何の勝手を言うか! 捧げる日時を指定してきたのはそっち側ではないか!」


 ダイダラが怒るのにも、ハクロウは全く意に介さない。


「事情が変わったのだ! 今すぐに人間が必要だ! 牢にいる者どもだけで満足してくれればいいが、さもなければ…」


 ムカサもデイダラも常闇主に何か異変が起きたのだと察する。


「さもなければ?」


「わ、我らごと…一匹たりとも残ることなく! 主は我らを喰らい尽くすッッ」


 充血した眼を小刻みに揺らしているハクロウの様子はただごとではなかった。

 策士としての面での有能さしか知らないが、本人もひとつの怪異をまとめる実力ある長だ。それがあからさまに恐怖に駆られているのだ。 


「き、貴様らが信奉している者は一体なんなのだ!?」


「そんなことを説明している猶予はッ…」


「何か来るでポン!」


 ギョウブが何かを察知したらしく、ハッと振り返る。


「トト様か?!」


 ハクロウがガチガチと歯を鳴らす。

 ドォン! という轟音が響く。それが柱を叩き折った音だと気づいたダイダラは身を挺してムカサを庇い、ギョウブやハクロウは身を低くする。

 音の後に信じられないことが起こった。天井が引き剥がされたのだ! 爆風で襖が倒れ、燭台のロウソクが吹き飛ぶ!


「ヒィイ! な、なんだぁ!? 砲撃かあッ?!」


 ムカサが喚く。ダイダラもハクロウも眼を見開いて何事かを注視する。

 そして、埃が舞う中、一人の少女を小脇に抱えて空に浮かぶ少年がいることに気づいた。全身を覆う紅い力と、真紅の眼が特に目を惹く。


「ムカサァ!!」


 少年に抱えられていた少女が暴れ振りほどかれると同時に、抜刀して一直線に突進して来ようとした。


「させぬッ!!」


 ダイダラは背に帯びていた金棒を掴むと、大上段から叩き潰そうとして振り下ろした!


「やめろッ!」


 少年が吼えた! ダイダラと少女は歴戦の猛者が放つような裂帛の気迫に打ち据えられた。少女は一瞬たじろいだが、勢いよく駆け出した一撃はもはや止めることはできなかった。ダイダラの方も来るならば迎え打たんとばかりに力を緩めない。

 そして、二人の間に瞬時にして少年が割って入る。信じられてないことに少年は少女の刀を素手で掴み、ダイダラの金棒を剣で弾き飛ばした!


「ぬ、ぬぁんだと!?」


 ダイダラは全力で握りしめていたはずの、何も無くなった己の手を見つめる。痺れる余韻しかそこにはなく、カチャリと喉元に剣先を突き付けられて背筋が凍る思いをした。


(つ、強い…。コイツは人間か? も、もしや、伝説の前鬼・後鬼では?)


 もしかしたら上級の鬼が子供に化けているのではないかと、ダイダラは一瞬そんな馬鹿げた考えを抱いた。それだけ信じられないことが起きたのだ。


「せ、セリク…」


 少女が肩を震わせつつ、自分の刀を掴み続ける少年の名を呼ぶ。

 その顔はきっとダイダラと同じ気持ちを抱いているのだろう。勢いよく突き出した真剣を素手で握り止めるなんて普通ではありえないことだ。

 しかし、少女の表情にはそれ以外に“なぜ止めたんだ”という非難めいたものも滲み出ていた。

 セリクは何も応えず、ただムカサをジッと見やる。


「…動くな。俺はこの状態からもお前を攻撃できるぞ」


 ダイダラは最初自分に言ったのだと思った。

 そうでなかったと気付いたのは、透明化を解いたギョウブが両手を上げて降参のポーズを取ったからだ。ギョウブは口をパクパクとさせてアブクを吹く。


(気配を消したギョウブの動きが解ったというのか? なんなのだ…この小僧は)


「後生だ! 頼む! ムカサを斬らせてくれ!」


 少女が暴れる。その眼は獣を思わせる。

 己の命が危ういと思ったムカサはグッとダイダラの裾を掴んだ。

 ダイダラは何としてでも殿を守らねばと思うが、このセリクという少年が相手では自分ごと主君まで叩き斬られる想像しか浮かばなかった。


「斬らせろ! そうすればこの国の独裁は終わる!」


 少女が涙を流して嘆願する。先程から何をしようとも、刀は微動だにしなかったのだ。


「ユリエさん。…この人はそんなに悪い人には見えない」


「なに! なんだと!? セリクは知らないんだ! その男がどんな酷いことをしてきたか…」


「ああ。知らない。けど、悪いヤツはもっと悪い顔をしている」


「そんな理由にもならない理由で…」


「斬ってしまうのは簡単だよ。殺しては話し合うこともできない」


 優しい言葉とは裏腹に、凄みを利かせてセリクはダイダラを見やる。これは抵抗するなという脅しなのだ。


「それに…本当にどうしようもなく悪いヤツはそこにいる」


 ドサクサに紛れて逃げ出そうとしていたハクロウが苦々しい顔で振り返る。


「は、話が違うぞ…。なぜ神々の下僕がこんなところにまで来おった?」


 問い掛けには答えずセリクは剣を軽く降る。紅い剣閃が飛んだかと思うと、ハクロウの鼻を叩き折って顔面にそれが喰い込む!


「オ、オゴハッ!」


「き、貴様は!」


 ワナワナと震えたハクロウの顔の下から、本当の素顔が顕となる。艶びやかな赤ら顔の下には、シワクチャで気味の悪い老顔が隠されていたのだ。

 淀んだ紫の瞳が、憎々しげにセリクを睨めつける。


「やっぱり魔王トトの手下の魔族だな。グレムリンか?」


 聞き慣れない名前に、ダイダラもムカサも眉を寄せる。


「グヌヌ! この“デーモン”様をあんな下等魔族と同じにするでない! 畏れ多くも我は三魔臣様に並ぶ、遥か上位の魔族よ!」

 

 ハクロウはプライドを傷付けられ激高するが、セリクは上手く情報を得られたと思う。やはりこの地にも魔王は手を伸ばしていたのだ。

 そしてこのデーモンは、ギラやピアーなどよりは劣る中級魔族なのだろうと知る。


「そう。殺したくはないけどそれを狙うなら容赦はしない」


「舐めるなぁッ!!」


 ハクロウが爪を立てて襲いかかるのに、セリクは視線を逸して一瞬で斬り捨てる。


(強いッ! なんだ、この異様なまでの強さは!!)


 ダイダラは自分の感覚が正しかったことを思い知らされる。

 ハクロウが実際どの程度の強さかと言えば、ダイダラは自分よりも一回りほど上だと見ていた。一対一ならば命懸けで戦えば倒せるまでもなくとも、何とか致命傷を負わせるだろうと思っていたのだ。

 しかし、この少年だけは別格だ。ダイダラの決死の一撃ですら、わずかに掠らせることもなく終わるだろう。


(まさか我が王に並ぶ…統治者クラス…なのか)


「あなたはこの国の支配者になりたいのか?」


 セリクが問いかけると、ムカサは肩をピクッと震わせる。そして顔をクシャクシャにして首を横に振った。


「ワシ…ワシはそんな器ではないッ。ただ、天子様の御遺志を継がねば、この道領を護らねばと必死でッッ」


「保身の為に白々しい嘘を吐くな! 貴様が天子様を暗殺したのは皆に知れ渡っているッ!」


「根も葉もないことだ! ワシが暗殺など! 天子様を手にかけるなど考えた事もない!」


「まだそのようなことを! 圧政を敷いて民草を散々苦しめておきながらッ!」


「ウソではないポン。天子様は病を患われていたヨ。コレが心の臓の脇に生え出る大病ポン」


 ギョウブが懐から黒く丸い宝石のような物を取り出す。


「なんだそれは?」


「…魔玉石」


 セリクが忌々しそうに呟く。


「知っているのか?」


「魔族が使うのを見たことがある」


「なんだと? …では、もしや天子様は」


 ダイダラはハクロウの真っ二つになった亡骸を見やる。


「断言はできないけど、魔王ならやりかねない話だよ」


 セリクは神告間でダフネスを誑かそうとしたトトを思い出す。もし提案を受け容れたとしたら、きっとこの道領国のようになっていたのだろう。


「そんな…。なら、ムカサの後ろにはその魔王というのがいたってことなのか? それが黒幕でこの国を操っていたと? そんなこと信じられるものかッ」


 初めて聞かされる真実にユリエは戸惑う。


「そうだ! 父は! 男たちはどこだ!?」


 一瞬気圧されたムカサであったが、何度か頷くと牢鍵を取り出す。



 複雑に交差する回廊で埋め尽くすされた城内。それを造り上げたのは黒天狗たちであった。所々に禍々しい装飾が施され、悪意に満ちた笑みを浮かべて人間の根城を弄くり回していた事が想像できた。

 天守閣の真下、城内の奥間と呼ばれるところに、黒天狗たちが普段使っている部屋があった。本来は血縁の臣下たちが住み込みで働き、天子の日常生活を世話する場所だ。しかし天子の死後にムカサが実権を握ったことで、それらを無下に追い出してしまったのだ。そして我が物顔で居座ったのである。

 しかし今は部屋はもぬけの殻となっており、黒天狗たちの姿は影も形もなくやっていた。

 そして奥間には座敷牢があった。これらは黒天狗たちが連れてきた男たちが入れられていた。その座敷牢には幾つか種類があり、壮健で若い男と、病弱な者や年老いた者と別れていた。ここでどんな扱いを受けるのかムカサですら知り得ぬことであったが、道領国では見られないコンクリートを使った防音設備からしても禄でもないことが行われていたのだろうと察せられる。

 不思議なことに天狗たちが開けられる牢は全て開かれており、中には人の居た形跡はあったが誰もいなくなっていた。


「父上…」


 一つ一つの牢を見やり、木製の格子に額を打ち、ユリエは震える声で祈るように呟く。


「たぶん…大丈夫だ。キナイは侍が多かった…だから、一番奥牢にいるはずだ。あそこは黒天狗では開けられん」

 

 ムカサがそう言うと、ユリエはキッと睨みつける。


「なんでその牢だけは人間に管理をさせたんだ?」


 セリクが問うが、ムカサもダイダラも解らないと首を横に振った。

 特上品と彼らが呼ぶ最も優秀で若く腕っぷしの強い者たちのいる牢は、ムカサの持つ鍵でないと開けられないのだ。必然的に黒天狗たちではなく、ムカサの側近たちが彼らの面倒を見ることになった。

 そして薄暗い、一番奥の牢へとようやくのことで辿り着く。


「父上ッ!」


 人影が見えると、ユリエは一気に駆け寄った。

 中の人は皆疲れきってこそいたが、食事だけはちゃんと与えられていたようで立派な体格をしていた。だが髪も髭も伸びてボサボサであり、フェタリルの奴隷市場と同じ獣のようなニオイが辺りに満ちていて、セリクはそれを思い出して憤りと不快感を覚える。


「キナイのユリエです! 父上! 父上はおりませぬか!?」


「ユリエだと?」


 奥から低い声がして、「ちょっと通してくれ」と言いつつ、男たちの間から白髪の混じった壮年の男性が現れる。そしてユリエの顔をみると、目尻に涙を浮かべて破顔した。


「まさか生きてお前に再び会えるとは!」


「ああ、父上!」


 お互いに抱きしめようとしたが、格子が邪魔でできなかった。それでも手と手を取り合い、親子の再開を喜ぶ。それを見て、失って久しい日常を、人としての感情を取り戻した者たちは涙を腕で擦った。それによって目の周囲の垢が少しだけ洗い流され、力強い眼光がより鮮明になる。彼らの強靭な精神は、この地獄にあっても決して折れてなどいなかったのだ。

 ムカサが屈んで牢の南京錠を外そうとする。そう複雑でもないのに、カチャカチャといつまでも鍵穴に上手く入らないのは、彼が小刻みに震えていたせいだ。


「…そうか。これが狙いだったんだ」


「? 何の話か?」


 セリクが納得したような顔をしているのに、ダイダラが尋ねる。


「殺気に当てられている」


 そう言って、セリクは牢を指す。

 先程から親子の温かい触れ合いに弛緩していた空気だったのが、鋭い殺気にいつの間にか変わっていた。射殺さんばかりの怒気の籠もった幾つもの視線が、錠に触れているムカサに全て集まっていたのだ。


「魔王は人間をどう飼い馴らせばいいか知っている。人間に恐怖を最も与えられるのは人間自身だ。敵意ある者を身近に置いておきたいとは思わない。政治の指導者ならば尚更のことだ」


 一瞬だけ、セリクが別人のようになったようにダイダラには感じられた。


「ムゥ?」


「…供物を自ら捧げるようにしやすくしたってことだポン。殺意を抱く相手に同情はしにくいヨ」


 理解できていないダイダラに、ギョウブが補足を加える。


「なに? だとすると、殿にすすんでサムライどもを常闇主に捧げさせたというのかッ。なんと狡猾なッ」


「…常闇主?」


 セリクが初めて聞く名に首を傾げる。

 ようやく錠が外されると、男たちが蹴り飛ばして扉を開いたものだから、ムカサはその場で尻餅をついて眼を白黒させた。

 まずはユリエの父が出て来て、父と娘が互いを離すまいとばかりにしっかりと抱き合う。


「わ、私もホノカも父上がいなくなってから必死でッ! 必死でッッ!!」

 

 幼子のようにワンワンと泣き喚く。気丈に振る舞ってこそいたが、彼女の本当の姿はこちらの方なのだろうとセリクは思った。


「さて、この落とし前はどうしてくれようか!」


「八つ裂きにしたって収まらねぇ!」


 男たちはムカサを取り囲み、逃がすまいとその立派な着物の襟首を掴み、引っ張り上げる。今まで殆ど経験したことのない暴力を前に、ムカサは内股となって半ベソをかいていた。だが、それでも逃げ出そうとしないのは彼がその責任を痛切に感じているか、はたまた観念しているかに思われた。


「貴様ら! 殿にッ!」


 ダイダラがセリクの動向を気にしつつ、控えめではあったが圧を発する。一瞬だけ気圧されたようであったが、今は刀こそ持っていないくとも彼らは武士だ。負けじと拳を握りしめて睨み返す。捕らえられ閉じ込められるという屈辱がそれほどまでに強かったのだ。

 ギョウブに至ってはブツクサと念仏のようなものを唱えている有様である。抵抗するのはもはや無意味だと、主の死に追従するつもりなのであった。


「…その人をどうするんですか?」


 見慣れない紅眼をした異国人の少年に問われ、男たちは顔を見合わせる。


「…君は?」


 ユリエの父が自らが代表とばかりに口を開いた。誰もそれに異を唱えないことから、恐らくは彼はそれなりに尊敬される立場の人なのだろうとセリクは雰囲気で感じ取る。

 セリクは答えずにムカサを黙って見ていたので、しばらくして仕切り直すようにユリエの父はコホンと咳払いして続ける。


「まずは私から名乗るのが礼儀だな。もう知っての通りだとは思うが、この娘の父で、キナイ生まれのタウという」


 タウが頭を下げると、そこで初めてセリクの視線が向けられ、釣られたかのように頭を下げ返す。しかしどこか心ここに非ずといった風であるとタウは思った。


柘榴石国ガーネットから来た西陰人のセリク・ジュランドだ。あの大天狗を倒して私をここまで連れてきてくれたんだよ」


 ユリエがそう言うと、男たちにどよめきが走る。


「あのハクロウを…」


 ユリエの父はダイダラを見やる。武官たる彼が否定しないことが、何よりもそれが真実なのだということを示していた。


「そうか。ユリエが、そして私たちは君に非常に世話になったようだな。心から礼を…」


「必要ないです。俺は目的があって来た。そのついでですから」


 冷たい言い方だと思われたが、何やら少年に焦りや苛立ちのようなものがあることにタウは気付く。


「…セリク君。君の目的とは?」


「常闇主……たぶん、あなた方がそう呼ぶ存在です」


 ムカサとダイダラが同時に眼を見開く。


「それで、この人をどうしますか?」


 セリクは少し苛立ったように問いかけた。急がねばならないのに、一つ一つ説明しなければならないような煩わしさを感じているのだ。


「当然、この場で殺す! コイツは生かしておいていい存在じゃない!」


「この道領国を滅茶苦茶にしたヤツだ!」


 男たちは激高して口々にそう言う。だが、タウは黙ってその光景を見やっていた。内心は男たちと同じだ。ムカサを殺すべきだと考えていた。

 しかし、異国の少年が何事かを考えているのが気にかかった。そしてユリエが何とも先程から何故か歯痒そうな表情をしていたのだ。ムカサへの恨みは男たち並にあるだろう。それを噴出させないことが、何か意味あってのことだとタウは感じ取ったのだ。


「…本当にその人が悪い人なら、すでに皆さんは肉片になっていましたね」

  

 不穏なことをセリクがポツリと言うのに、男たちは顔を見合わせる。


「…俺に首を斬られて死ぬことを厭わない、この配下の人が、主人を助けるためになりふり構わず武器を振るってたはずですから」


 セリクがダイダラを見てそう言う。ダイダラは小さく「愚僧は人ではない…」と呟いたが、セリクの耳には届かなかった。


「……どういう意味だ?」


「この人が配下に“何もするな”と命じているからです」


 セリクはムカサを指差して言った。

 最初からムカサがダイダラとギョウブに向けて手の平を向けていることにセリクは気付いていたのだ。それは“待った”をかけていたのである。


「殺すのは後からでもできます。だから、少し話しをしてみては?」


 セリクがそう言うと、ややあってからタウが頷く。


「……解った」


「タウ!」


「…命の恩人がそう言うのだ。ならそうしよう」


 殺気が和らいだことに、ダイダラが大きく息を吐き出した。


「…セリクポンは、常闇主と魔王が同一の存在だとポン?」


「セリクポン? …ああ。ほぼ間違いないと思う」


「ならばさらに奥だろう。黒天狗どもが供物を捧げるのに使っていた門がある。案内しよう」


 ムカサの命を救われたことで、ダイダラとギョウブはセリクに対して協力的となった。

 いや、むしろ常闇主とやらをセリクが倒してくれた方が主人にとって都合がよいと打算していた部分もあったわけであったが……。


 

 最奥祭壇。それは材質不明な幾つもの硬質な横柱を螺旋状に複雑に組み上げたものであった。魔呪符が所々に使われており、セリクの眼はそれが強い魔力を帯びているのだと気付く。部屋全体がその魔力の流出を阻止する素材でできているため、城の外からはバレないようになっていた。もし、セリクがしらみつぶしに道領国を回り、自力でここに辿り着くとしたらもっと時間がかかったことだろう。

 そしてセリクは何の迷いもなしに、祭壇の中央の魔力が満ちている場所に飛び込んだ。ユリエが背後から叫ぶのに一度も振り返ることもなく、だ。そしてセリクの姿は幻のように掻き消えてしまったのであった。


「…セリク。無事に戻って来るかな?」

 

 ユリエが黒い渦を見やり、心配そうにしながら父に尋ねる。


「ああ。きっと大丈夫だ」


 タウは強く頷く。ほんの一瞬だけの出会いであったが、それでもあの少年に強く惹かれる何かを感じた。


「為すべきことを為して…きっと戻って来てくれるだろう」


「……その時にはもてなしてあげないとだね」


「そうだな。御前様たちともう一度、この国を建て直そう」


 そう言って、タウは座り込んで放心しているムカサを見やった。


「これからどうなるかは解らんが、嫌でも協力してもらうぞ。ムカサ・ヨド」 


「……ああ。ワシにできる償いならなんでもする」


 気力こそ欠けていたが、ムカサの言葉には嘘偽りはなかった。


「お前たちは…」


「我々は殿に従う」

 

 ダイダラもギョウブも頷く。もし彼らが反抗すれば、ムカサはまだ太政官としての地位を保てたであろう。しかし、そうしないことは彼にそんな野心がないのだとタウは理解した。


「……話し合うか」


 道領国には調和を尊ぶという古来から続く観念があった。まさかそれを西陰人の少年に自分たちが教わるということに、タウは皮肉なものを感じたのであった……。

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