199話 神翼島に眠る謎
ついに次で200話です!
本当は200話で終わる予定だったのですが…。
できればあと10話以内で終わらせたい!
もうしばらくお付き合い下さい!
破竹の勢いでセリクたちは神翼島を登り進める。途中立ちはだかる魔物たちはキードニアでも伝説級として語り継がれる強い者たちであったが、今の彼らを止めるには遠く至らなかった。
「結構入り組んでる! もう目の前に見えてるのに!」
天網宮殿の一段下の階層は高い障壁による迷路となっていた。同じような細い道ばかりで、さっきから同じような道をひたすら走り回らされる。
「壁を崩せばショートカットできそうだけど…」
「オウ! 無理だぜ! さっき思いっきり殴ってみたんだが、ちっとも壊れる気配がねぇ!」
「神々の加護を受けているんだ。そう簡単に壊せたら防壁の意味をなさない」
「でもおかけで魔物との遭遇は避けられているよ」
セリクの言う通り、壁に阻まれているせいで上陸した魔物たちも別の入口から入ったはいいが迷っているようだった。
空を飛ぶ魔物も、壁の上にある見えない障壁に阻まれて迷路を進むことを余儀なくされているようなのである。
「僕たちの進んでる方向に間違いはない」
ヘジルは神宿石を出して言う。石から光が漏れ、それが正しい進路を指し示していたのだ。
「だけど、ここって一体何なんだろうね」
辺りに描かれた紋様などを見て、フェーナは不思議そうにする。
「…神界セインラナスの空挺堡にして、龍族に対抗するために備えられた前線基地となる空中要塞。かつて僕たち天軍がここを拠点に龍王アーダンと戦った」
三人の視線がセリクに集まった。
「セリク?」
「…え?」
フェーナに覗き込まれ、セリクは少し驚いた顔をする。
「ここを知ってるの?」
「…ここを? いや、そんなことは」
否定しようとして、セリクは何だか懐かしい感じがさっきからしていたことを思い出す。
ここについてから、なんだか昔に見た覚えがあるように思えてならなかったのだ。
「まさかレイドの記憶か?」
「あ!」
セリクは何かを見つけ声を上げた。
「オウ!? どこ行くんだ?」
走って行ってしまうのを、三人は追いかける。
ある壁の端まで行ってセリクは探し物でもするかのようにキョロキョロとしていた。
「どうしたの?」
「…うん。たぶん、ここら辺に」
セリクが壁と床の境目に剣を刺し入れる。そしてカキンと留金のような物が外れるような音がした。
わずかに開いた隙間にセリクは指を入れて持ち上げようとしたので、ブロウもそれを手伝う。一緒になって壁面を持ち上げた。
「うおおッ?!」
「これは隠し扉か?」
壁の一部が外れ、大きくせり上がる。上部分にダンパーステーがついており、途中まで上げるだけで背の高さまで勝手に開いた。
「この迷路にはいくつか連絡路があって、すべてがこの地下道に続いてる。そこを抜けると居住区になってるんだ。その先が天網宮殿に続いているはず…」
「それもレイドの記憶なの?」
「…それは解らないけれど。なんとなくそんな気がするんだ」
記憶があるというよりは、勘のようなものに近いのだろうとセリクはそう考えていた。確証のような物があるわけではない。
「神々は?」
セリクが問うとヘジルは首を横に振る。
「ここに到着してからプラーターですらだんまりだ。よほど天空神が怖いようだな」
わざと挑発的なことを言うが、それでも神宿石から植神が飛び出すことはない。調子が狂うとばかりにヘジルは肩をすくめる。
「きっと試練だからってわけよね」
「魔王が襲ってきてるってのにか?」
「…だからこそなのかも知れない」
「ヘジル? どういうこと?」
「天空神はフォリッツアに残された神々の中では最高責任者に当たる。この危機を乗り越えて辿り着かない召還師には価値がないとでも言いたいんだろう」
しばらく何か考えるようにしてから、ヘジルは大きく息を吐いて、セリクの顔を真正面から見やる。
「…セリク。改めて言っておきたいことがある」
「え?」
「お前が紅き破滅の救済者であると同時に、僕もまた神々の召還師だ。正直、サポート役ということには納得していないが、魔王トトを倒すための力は出し惜しみはしない。私情を挟みたくはないんだ。だからこそ、お前の意見も当然に尊重するつもりだ」
なぜいきなりこんなことを言われたのだろうとセリクは一瞬だけ考えた。
ようやく思い当たったことは、ヘジルから何かしらの憤りを向けられている点だ。それは初めて会った時から続いており、ここ最近になって特に顕著に強まっていると思っていた。
それは甘い幻想のような考えばかりを抱き、正しい選択をしてこなかったものにセリクに対する苛立ちなのだろう。そうセリクは考えていた。
「ありがとう。ヘジル。俺、ずっと君には頼ってばかりだよ」
「? いや、そういうつもりで言ったわけでは…」
「俺も君がいなきゃ、ずっと流されるままだったと思う。きっとここまで来ることはできなかったよ」
ヘジルは不可思議そうな顔をしたが、何度か咳払いをして頷く。
「…僕はただセリクの選択を信じると。そういう話をしたかったんだが」
セリクが手を差し出すと、ヘジルは少し気まずそうにしながら握手した。
ランドル兄妹が、ヘジルの肩を左右からニヤニヤと笑いながら叩く。
「な、なんだ?」
「オウ。オメェも丸くなったな」
「うん。前のヘジルだったら考えられなかったよね。“僕は秀才であっても、天才じゃない”だっけ。スゴイひねくれてたもんね!」
「よく解らないが。しかし、なんでお前たち兄妹はいつも上から目線なんだ…」
しばらく不機嫌そうにしていたヘジルだったが、その当たり前となっていたやり取りがあまりにも滑稽に感じられて軽く吹き出す。
四人はしばらくその場で笑いあった。未だ遠慮がちにギクシャクとしていた空気が和む。
こんな状況で不謹慎であるし、そんなことをしている暇はないのも重々承知の上だ。だが、それでもこうすることに価値があるのだと四人は口に出すまでもなく理解していた。
「…ユーウもこの場にいればな」
セリクが思わず漏らした台詞に、フェーナは一瞬だけ寂しそうな顔をしたが、すぐに頷いて微笑む。
「魔王トトさえ倒せれば…皆元通りに。そうだよ。元の平和な世界に戻らないのかな?」
フェーナの問いに、三人は顔を見合わせた。
「エーディンも四龍もイヤなヤツだ…って思うけど。でも、だからって殺してやりたいとかそんな風には思えない。もっと、何か上手く説明できないけれど…ちゃんと話せば理解し合えるんじゃない?」
「だが、アーダンが神界をまだ狙ってるとしたら…」
「そこだよ。でも、だからといってアーダンは人間を憎んでいるわけじゃないんでしょ?」
「オウ! だけど、親父とお袋を殺したのは…」
「解ってる! アーダンだよ! もちろん憎いの! 憎いに決まってるじゃない! だって、こんなことがなければ、私もセリクも傷つかなかったもん!」
辛そうに吐露する妹に、ブロウは何とも言えない顔をする。
「……でも憎いだけじゃ解決しないよ。それも解ってるの。
私、ちゃんとアーダンと会って話してみたい。どうしてセリクじゃなくてお父さんとお母さんを殺したのか。神様の世界を本当に乗っ取りたいって思ってるのか。エーディンたちのことをどう思っているのか」
ヘジルは神宿石が熱を帯びていることに気づき、皆に解らないようにそっと抑える。
「……解った。俺もフェーナの言う通りだと思う」
「セリク…」
同意を得たことで、フェーナはホッとした顔をした。
「これが終わったらエーディンともう一度話してみる。そして、アーダンに会いに行こう。もしかしたら戦わないですむ道もあるかも知れない」
「…ブッ飛ばしてやらねぇのかよ?」
不貞腐れたようにブロウは拳を打ち付ける。
「それは解らない。でも話だけは聞く。聞こうよ。…そうじゃなきゃ解らないわ。なにも解らないまま戦うなんて私はイヤだもん」
ヘジルは三人の意見にしばらく耳を傾け、眼鏡のツルを擦る。
「…天空神を得て、魔王トトを倒したならば、龍王アーダンとて僕たちを無視はできなくなるだろう。紅き破滅、召還神、そして息子のエーディン。アーダンを交渉の場に引きずり出すには充分だ」
肯定的な回答に三人は大きく頷く。こういった場で冷静な判断を下すヘジルはとても頼もしかった。
「…それでまた平和になったら、またラーム島に行こうよ。今度は観光で、もちろんユーウを連れてさ」
フェーナに手を引かれ、ようやくセリクは自分を気遣っての発言なのだと気づいた。
「オウ。あの時は泳げなかったしな。ギャンやベン、アレンの野郎も誘ってやろうぜ」
「…フッ。随分と騒がしい人選だな」
満更でもなさそうにヘジルは笑う。
「なら早く行かなきゃ! パパッて天空神様に会って、さっさか魔王を倒しちゃおう!」
そう簡単には行かないだろう…そんなことを思いつつも、フェーナの気持ちを汲み取り、そうなることを願って壁に空いた穴へと降りて行ったのだった。
細長いトンネルを抜けると、縦一〇メートルはあるかという巨大な空間に出る。
横幅は縦に比べ狭く三メートル程、左右は壁面を利用した住居となっており、言わば地下に作られたメインストリートにと出たのであった。
「外観には生活感がなかったが、ここは違うな。こんな空高くに街を築いていたのか」
食料を保存していたらしき古びたタルを覗き込みヘジルが言う。
「なんで下に降りてきたのにこんなに明るいの? さっきのトンネルは薄暗かったわよね?」
「天井に採光窓がある。そこの光を鏡で反射増幅させ、余すところなく通路全体を照らし出している様だな。しかも空気もまったく淀んでない。空調もしっかり働いているんだろう。見た目は古くとも、設備としては新帝国城並かそれ以上だ」
「でも誰も住んでなさそうだね?」
セリクが言う通り、通路どころか建物にも誰かが住んでいる気配はなかった。
「ここは昔の基地なんだろ? 役目を果たし終えたから撤退したんじゃねぇのか?」
「そっか。お兄ちゃん、たまに賢いよね」
「オウ。たまには余計だぜ…」
「天軍の拠点…」
ヘジルが何か考えるようにしつつ辺りを見回す。
「ヘジル? どうしたの?」
「いや、僕の思い過ごしだと…」
「あ!」
セリクが声を上げるのに、一斉にフェーナたちは振り返った。
「オウ? なんかあったのか?」
「うん。たぶん…。ちょっと行って見てくる。すぐ戻るから!」
「オイ! また一人で…」
「セリク! 待て!」
セリクが走り出すのに、再び三人は慌てて付いて行く。
「もう! 先に何があるかを…え?」
ある家屋の扉を開いて入って行ったセリクにフェーナは仰天する。
「ちょっと勝手に入っていいの? 許可は…たぶん誰もいないからいらないんだろうけど」
「しかし誰の家なんだ? 普通の民家…ではないな。何かの施設か?」
大きさや掲げられている看板からヘジルはそう察した。
古代クリバス文字で書かれれているのを見て訳そうと手帳を取り出したが、その前にフェーナとブロウは建屋に入ってしまうのを見て、手帳を閉じてそれに続いた。
通路に比べて屋内は暗く、生活動線をまったく考えないような配置でテーブルやら棚がところ狭しと並べられている。家具に少し触れただけで埃が舞い上がって咳込む。
「セリク! …いない? もっと奥に行っちゃったのかな?」
「オウ。しかしなんだこりゃ? 何かの缶詰工場か?」
木箱に入っていた銀色の円筒をブロウは何となしに持ち上げる。
側面部はガラスで覆われていて、中は薄汚れた黄緑の液体が詰まっていた。
「…食えんのかこれ?」
「キャア!」
「ウオオッ?! っととッ!」
フェーナが悲鳴を上げたので、ブロウは危うくそれを手を滑らして落とすところだった。寸前のところで掴み直す。
「なんだってんだ!? いきなり叫ぶやつがあるか!」
「だって! なんか…目玉みたいなのがこっち見てたんだもん!」
気味悪そうにフェーナは距離を取りつつ筒を指差す。
「ああ? …目玉? 魚の缶詰だったのか?」
「…馬鹿か。どう見ても違うだろう。いい加減、食べ物から離れろ」
「食えねぇならいらねぇや。んだとしたら、暗いからただ見間違えたんだろ」
「ホントだもん! ホントに赤い眼がこっち見たんだもん!!」
ヘジルがブロウから筒を取って見やる。
「…培養液か? たぶん、生体の一部を何かしらの実験で保管していたんだろう」
「ゲ! マジかよ!」
ブロウは苦々しい顔で手を払うようにして振る。
「じゃあやっぱ目玉だったの?!」
「…長い年月で液内に溶け出したせいで濁ったんだ。目玉かどうかはまでは解らない」
フェーナは「うげぇ!」っと顔を歪めて舌を出す。
「イヤだ! 早く箱に戻してよ! 絶対落としたらダメだかんね! 許さないからね!」
ヘジルは肩をすくめて筒を木箱の中へと戻した。
「もうこんな所に何があるってのよ! さっさと出ようよ!」
「セリクを置いてか?」
フェーナは唇を尖らして、カクンと肩を落とす。
「お兄ちゃん! 絶対ここの物に触るの禁止!」
「お、オウ」
「セリクを見つけてさっさと出るからね! 解った?」
「そうだな。パパが見たら有益な情報もあったかも知れないが、残念ながら僕にはさっぱりだ。長居するメリットはない」
開かれた資料のページを数枚めくり、書かれていることの内容の半分も理解できなかったので、ヘジルは降参とばかりに手を上げた。
「…なんかちょっと意外」
「何がだ?」
「ほら、へジルってお父さんのことになると冷静になれないっていうか…。その、すんなり自分には解らないなんて言わないタイプじゃない」
「オウ。そうだな。いつもだと、“僕が見るに…”だとか、さんざん勿体つけて言い訳すんじゃねぇか」
「誰が勿体つけて言い訳したんだ。…まったく、お前たちはさっき僕をどんな人間だと思っている。
最低限度の知識があるなら説明するが、まったく見たこともない分野について口出しはしない。知らない物は知らない。解らない物は解らないさ」
「あ…」
「な、なんだ?」
フェーナが眼を大きくするのに、ヘジルは嫌そうな顔をした。こういう時は良い話じゃないと経験的に知っているからだ。
「ううん。なんか、そういうとこ、お父さんとそっくりだなぁって思っただけ」
「は? なんで、僕がパパ…いや、Dr.サガラとそっくりなんだ。全然似てなんかない」
「うーん。ぶっきらぼうだけど、ちゃんと説明しようとする律儀なところ?」
「律儀? あんないい加減な人のどこが…」
ヘジルが反論しようとした矢先、上の方からカタンと少し大きな物音が響く。
「オウ? セリクか? 上の階だな」
ブロウが奥に階段を見つけて指差す。
上に昇ると、そこはこじんまりとした執務室があった。下にサンプルを置き、主に上で作業をしていたのだろうと解る。
セリクは壁に立て掛けられた半透明なケースをジッと見やっていた。
「…セリク?」
「…“チィメ・ドゥクス・レシ・ワナ・ユセーセ”」
「え?!」
聞き慣れない言葉を口にするセリクに、三人は度肝を抜かれる。
「セリクッ!」
「……あ。うん? え?」
まるで夢から醒めたかのように、ハッとしたセリクが振り返った。
「あれ? 俺どうして…」
「オウ。何かに気づいて来たんじゃねぇのか? って、どうした? 泣いてんのか!?」
ブロウに言われ、セリクは涙が頬を伝っていることに気づいた。
「ここの記憶があるのか?」
「いや、覚えはないけど…。でも、なんか知っている気がする。とても悲しいことがあった様な気がするんだ」
どう説明していいか困ったようにセリクはそう言った。
「…このケースに何かが収まっていたのか? このサイズだとそう大きくはないな。人の手で運べそうだ」
壁にある二つのリングのような金具を見やってヘジルは言う。そして懐から手帳を取り出した。
「さっきのセリクの言葉…チィメは剣か。となると、“剣に理性をもたらす研究”という意味か? しかし、“ドゥクス”は…」
そこまで言って、ヘジルは神宿石が反応しているのを感じた。
求めに応じて召還すると、剣神グライドが姿を現す。
「何か心当たりがあるのか?」
「左様。“ドゥクス”は拙者が打った剣の一振りの名にござる」
「もしかして、グライドさんでも扱えないって剣ですか?」
ベロリカが持つ聖剣セラフムを思い出してセリクは尋ねた。
それは自身が創ったにもかかわらず、その当人以上の力が宿ってしまったので剣神でも扱えない。そんな刀剣が二十本あるという話であった。
「いや、それが…そのドゥクスという剣は単なる失敗作にござる」
グライドは何とも困ったように言う。
「失敗作? それがここにあったの?」
グライドはケースを見て首を傾げる。そこには古代クリバス語で確かに“ドゥクス”と書かれていたのであった。
「厳重に廃棄したはずでござるが…。その名がここにあるとは面妖な」
「いまは無くなっているようだけど…」
「フム。某の記憶では、確かにこの壁掛けにちょうど掛るサイズでござるが…」
「もしかして誰かがここで剣神の創造した剣を研究していたのか? “剣に理性をもたらせる”とは?」
「申し訳ない。皆目、思い当たる節もござらん…」
グライドは首を横に振る。
「それってどういった剣だったの? どうして棄てちゃったの?」
「…聖剣の対となる剣として創ったつもりでござる。魔気を吸い、それを力として変転させる能力を備えるつもりで鍛え上げ申した」
「オウ。で、その剣はそういった力を宿さなかったってわけか?」
「全く仰られる通りにござる。創母神殿より一時的に借り受けた“創生の器”から“種子”を預かり、稀有な鉱物と合わせ生み出す神聖錬金。某の技量でも、成功と失敗は紙一重にござる」
失敗は珍しくないのだと、それだけ難しいことなのだとグライドは説明する。
「うーん。でも、失敗した剣に名前をつけたの?」
「刀剣は我が子と同じにござる。最初から駄目だと考えて創りはしませぬ。故に某は常々、打つ前に名を与えておりまする」
結局、ここで議論したところで、剣神が創った剣がここにあったのではないかということしか解らなかった。
ここが生体の何かしらの調査を行う施設だったのは間違いないようだが、天軍の中にもそういった研究を行う者は少なからずいたとのことで、神々もその中の一兵卒の誰が何を行っていたかまでは把握していなかった。
膨大な資料を机の上に広げ、せめて記入者か建物の持ち主の名前は解らないかと軽く調べる。
「オウ。ヘジル、頭いーんだからよ、何か見て少しは解んねぇのかよ」
小さな活字ばかりの羅列を見て、ブロウは早くも拒否反応を示した。
「無理を言うな。全部、古代文字で書かれている上に専門用語ばかりだ。訳すだけでも難しい」
「ハァー。お兄ちゃんだけじゃなく、私もギブアップ。こんな文字ばっかじゃ頭痛くなるわ」
イラストの一枚でもあればと冊子に手を出したはいいが、まったくそんな物はなく意味不明な文字が統一感もなく乱雑に並んでた。あるものは縦書き、その上から横書きで訂正されている物もあるぐらいだ。
「…どれも覚書のようなものだな。同じような言い回しの文字並びも多い。本人しか解らないよう暗号を使っているのかも知れないな」
そうしたらお手上げだと、ヘジルは冊子を閉じる。
「だが、こんなことする意味あんのかよ?」
ブロウは神翼島まで来てこんなことをしなきゃいけないのかと不満そうな顔を浮かべる。
「でも、セリクは…じゃなくて、レイドはここを知っていて、誰がいたのかも解っていたのよね? それって重要な秘密か何かじゃないの?」
「うん。…たぶん」
フェーナに尋ねられるが、セリクは何とも曖昧に頷く。
無意識のうちに動いて来てしまっていたが、それからは部屋や資料を見ても何の反応もなかった。さっきまで働いていた勘のようなものがまるで消えてしまっていたのだ。
「…ここら辺が限界だろう。何かある可能性は否定できないが、それを調べるだけの時間はない」
「うん。そうだね」
何か釈然としない気持ち悪さはあったが、ヘジルの言っていることは正しいとセリクもそう思う。
「気になるのであればまた来ればいいさ。今は魔王を倒すことが先決だ」
セリクは自分のせいで時間を無駄にしてしまったことが申し訳なく思えてくる。
「なんか、ゴメン…」
「オウ。ま、いいんじゃねぇか。あの迷路からの抜け道を見つけたことを考えりゃ、そこまでの遅れじゃないだろ。今から急げば余裕で取り戻せるぜ」
ブロウの言う通り、魔物たちが姿を現さないことからしても、未だ上層で迷い続けていると思われた。セリクが抜け道に気づかなかったとしたら、もっと長い時間を無駄にした可能性があるだろう。
「居住区の先が天網宮殿に繋がっているという話だったな。行こう」
「ん? 何これ?」
二階を降りようとした矢先、フェーナが足元に転がる何かに気付いて拾い上げる。
「オイ。そんなんどうだっていいだろ。どうせ、また何かの標本じゃねぇのか?」
「ううん。スゴく軽いわ。カラカラ音してるし」
それは手の平サイズの小さな細長い木箱だった。軽く振ると、確かに中で物が当たる小さな乾いた音がする。
「ミイラの骨とか?」
「やめてよ! でも、そんなモノを箱に入れる? 何か隠すように机の下にあったみたいだし…」
木箱をよく見ると、細かな彫り物がされた凝った細工なのだと解る。確かに実験サンプルが入っていた瓶などに比べて無機質な感じではなかった。
「フン。悠長だ。埒が明かない。気になるなら、さっさと開けてみればいいだろう」
「なら開けてよ」
「なぜ僕が?」
「あ…」
ヘジルが受け取らないのを見て、横からセリクが取って開いた。
「なに?」
「…たぶん、髪留め?」
それはベージュのバレッタであった。箱に比べると凝った装飾もなく、あまり高価な物には見えないが、持ち主はとても大事にしていたであろうことが伝わってくる。
「女の人だったのかな? なんか、これだけスゴく思い入れあるように見えるね」
「名前は…どこにも書いてないか」
髪留めよりも、むしろ箱の方に興味を示していたヘジルが言う。
「持っていくの?」
「うん」
箱に丁寧にしまい、箱ごと自分のポケットに入れたセリクは頷いた。
「役立つ物には見えないが?」
「解らない。けど、もしかしたら何かのヒントになるかも知れないし…」
ヘジルとブロウが顔を見合わせ、“どっちでもいいか”とばかりに頷く。
「なら、先に進もう。だいぶ時間を使った。少し走るぞ」
「オウ! そいつはいいな!」
「走る? マジ? …はー、まあしょうがないよね」
三人が建物を出て行く。セリクだけは出た瞬間、一度だけ外観に眼をやった。
「…レイド。俺に何を伝えたかったの?」
独りそう疑問を口にしたが、それに対する答えは返ってはこなかった……。
居住区を抜けると、男女の像を模した柱が何百本も立ち並ぶ壮観な広場へと出た。
それらの柱は人間の背丈の五倍はあり、天井付近にはところ狭しとビロードが垂れ下がっており、まるで布地で雲海を表そうとしているかのようだった。
「位置から察するに、この上が天網宮殿か?」
ヘジルが聞くと、セリクは肯定の返事をする。
「ここは“比翼の間”…神々や指揮者がここにいる人々を集めた場所だよ」
「オウ。しかし、どうやって上に行くんだ?」
「神々や俺は空を翔べたから…」
なんてことはないとセリクは思って言ったが、三人は怪訝そうにする。
「階段や梯子は無いんだ。だから…」
セリクは片手を伸ばし、軽く拒滅の力を発する。
何かが天井付近で切れる音がして、網目状態になったロープのようなものが柱の間から降りてきた。
「これは麻ではない? まさか金属の束か? これが上まで続いているのか?」
「“天紡ぎの糸”。宮殿の中はビッシリとこれが詰まっているんだ」
セリクがスラスラと説明するのに、もはや三人は驚かなくなっていた。
間近で見ると、幾つものワイヤーで束ねられた金属のロープは一本が太腿くらいの太さがあり、掴んで登るには不向きであった。それでも両手両足を踏ん張らせて必死で上へ向かう。
そして天井のビロードを越えた辺りで、そこに仕切りのような物が全くないことに気づく。セリクが落とした網目はほんの一部だったようで、その上にはさらに重なるようにして平行に張り巡らされていたのだ。
「まさに、天“網”宮殿というわけか…」
宮殿の外壁付近の窓枠からもロープが垂れ下がっている。
部屋や通路という概念はなく、それはとても人間が考えないであろう建築物であった。
「これが最上階まで続いているの?」
「うん。上はフロアになっているはず…」
網目を潜り抜けて行くと、セリクが言ったように吊り下げられた回廊らしき物が見えてくる。
「でも、もう糸がないよ。どうやってあそこまで行くの?」
フェーナの言う通り、回廊までの間にはロープが続いていない。完全に途絶えてしまっていた。
「オウ! 魔物だ!」
ブロウが動く気配をいち早く察知して叫ぶ。
「ええ?! こんな足場の悪いところで戦うの! ムリだって!」
「しかし、やるしかないだろう!」
「待って」
戦闘態勢を取ろうとしていた三人をセリクが止める。
「なぜ止める? 近づかれる前に倒した方が…うん?」
網目を伝ってこちらにやって来る魔物を見やり、ヘジルも何かを感じて眼を細めた。
「うあ! 蜘蛛! 巨大蜘蛛だよ! しかも金ピカ!」
虫が苦手なフェーナは兄の背に隠れる。
その巨大な蜘蛛の魔物は、八本の黄金の脚を器用に動かして糸を滑るようにしてセリクたちの前にまでやって来る。
近くで見ると生物というよりは機械的で、まるで金の全身鎧をまとっているかのようだ。顔の部分はより作り物めいていて、彫刻された女性の顔にも見えた。
──お帰りなさいませ。レイド様──
「うわッ! どこ!?」
「お、オウ! なんだこりゃ!」
頭に直接響く音に、ランドル兄妹は面食らって左右を見回す。
「この蜘蛛からの会話か? …念話というやつか?」
「レイドの名前を言ったってことは…敵じゃないの?」
「魔物ではないな。むしろ、聖獣なんかに近いと思う」
ヘジルは神宿石を見やり、この魔物から神気が放たれているのだと気づく。
──私は“浄化”された“天上に戻されし者”です。天界人様…? …いえ、地界人様──
セリク以外を見て単語の発音を言い替えたことに、ヘジルは違和感を覚える。
「彼女はこの宮殿の番人、金糸の蜘蛛アラーニェだよ」
なぜ自分がそんなことを知っているのか、奇妙な感覚を覚えつつセリクが紹介する。
──何百年ぶりでしょうか。この場所でこうして天界軍長レイド様と再びお会いできるとは──
「ああ。そうだね。アラーニェ。でも、今の俺はレイドじゃない。レイドの記憶はわずかにあるけれども…」
──? イバン様はご一緒ではないのですか?──
「え? イバン?」
「ちょ、ちょっと待って! イバン様って、イバン・カリズムのこと?」
フェーナが驚いて身を乗り出すが、相手が蜘蛛であることを思い出してわずかに身を引いた。
失礼な態度であったが、アラーニェは特段気にした様子は見せなかった。答えないのは、セリクの反応を気にしての様である。
「大地神はイバン・カリズムが下地を作ったと言っていた。天界人と地上人…もし人間の橋渡し役を担っていたとしたら、天軍のリーダーであるレイドと知己であってもおかしくはない」
ヘジルは探るべくして“ヨニマ”を強調したが、アラーニェは変わった反応は見せなかった。
──しかし、レイド様。魔の眷属たちがなぜ攻め来ているのですか?──
頑固なのか、それとも理解できないのか、セリクのことをアラーニェはレイドと呼び続ける。
「なぜ? 敵だからじゃないの?」
セリクがそう答えると、初めてアラーニェは迷ったような素振りを見せる。
──敵? “魔神”様が?──
「魔神? ゼルナンデューグンのこと?」
──はい。ですから…──
ヘジルは神宿石が熱く輝くのを感じた。
アラーニェはその光を見てわずかにたじろぐ。
──失礼しました。まさか神々がご一緒とは存じておりませんでした。過ぎた発言をお許し下さい。レイド様──
謝罪するアラーニェを見て、セリクたちは問い質したい気持ちを削がれた。
(発言させてはならないこと…か。アラーニェに話す権利はなく、僕たちには知る権利がない)
「…アラーニェ。俺たちは天空神に会いに来たんだ。最上階へ行きたいんだけど」
──左様でございましたか。畏まりました。ならば“道”をお作り致します──
そう言ったかと思いきや、アラーニェは人間の胴体を一回り大きくしたような下腹部を持ち上げると糸を繰り出した。今までセリクたちが伝ってきたあの金属の糸の正体がこれであった。
「なるほど。番人に認められた者しか先には進めないわけか…」
──さあ、どうぞ。ご案内致します──
「? ちょっと待って…」
「セリク?」
首を傾げるセリクに、アラーニェが振り返る。
「最上階に天空神がいるの?」
「何を言ってるんだ? いるからこそ、上を目指してたんじゃないのか?」
へジルだけでなく、フェーナもブロウも怪訝そうにする。
「そうなんだけど…」
セリクはアラーニェの顔をジッと見やるが、作り物めいたその表情からは何も読み取れない。
──私は“私の役目”を果たします。レイド様。貴方様への忠誠心に変わりはありません──
「…含みある言い方だな。上に天空神はいるのか? いないのか?」
へジルの問い掛けにはアラーニェは答えない。
「…みんな、変なこと言ってごめん。行こう。行って確かめるしかないんだ」
セリクがそう言って進み出すと、アラーニェは先導すべく回廊に向かった。
三人は顔を見合わせると、その後に続いたのであった。
天網宮殿、最上階回廊。それは天蓋部すべてを硬質なガラスで覆われたフロアであった。
雲一つない青空。しかも高度が非常に高いせいか、地平線の端に大気圏を抜けて黒い夕闇が迫りつつあるのまで見えた。そこには星々が小さく煌めく。
そして中央には燦々と輝く太陽。輪郭を覆う炎が揺らめき燃える様、内部が対流して蠢く様が手にとるように解るが、不思議と強い眩しさなどを感じることはなかった。
「スゴイ。こんなの地上じゃ見れないわよね」
「オウ。太陽デッケーな。デカすぎだろ」
「まさに神の視点に僕たちはいるんだな」
しばらく感動に浸っていたかったが、アラーニェとセリクはさっさと進んでしまうので三人も遅れまいとする。
そして辿り着く回廊の終わり。それを扉と呼ぶのが相応しいのかは疑問であったが、幾つもの歯車を重ね合わせたような巨大な壁が姿を現す。
──レイド様。宜しいでしょうか?──
「うん。頼むよ」
扉を開いていいのかという問い掛けだと思ったセリクは頷く。
アラーニェは糸を幾つか飛ばし、歯車に引っ掛ける。そして華奢な見た目に反した剛力で糸を引っ張ると、その一つが回転し出す。連動し、小さな歯車から大きな歯車へ、さらに大きな歯車へと動力が伝わり、やがて壁の歯車全体が回転し始めた。そして、最初に回り始めた歯車から役目を果たし終えたとばかりに壁の奥へ引っ込む。あっという間にすべての歯車が姿を消して通路となった。
──さあ、進みま…──
先頭を行こうとしたアラーニェの頭上に戦斧槍が振り下ろされる!
「なに!?」
「ファハハッ!」
高笑いと共に、巨大なハルバードがセリクたちを一薙にしようと振り回された!
憐れにも、頭を真っ二つにされたアラーニェは紙屑のように吹っ飛ばされる!
「ウグッ!」
セリクが咄嗟に剣を出して身を守るが、剣ごと弾かれ、ブロウに支えられた。
「これを耐えるか! やはり小癪な子供だな!」
「お前はッ!」
「魔王の側近、魔騎士ギラか!?」
天空神を前にして、四本の脚で地響きを立て進み、鉄仮面越しに猫科の猛獣を思わせる鋭い眼で睨みつけるギラがセリクたちの前に立ちはだかったのであった……。




