16話 DBでの修行
ガーネット帝都、D地区にある聖イバン教会。
小さな入口に入るとまずロビーがあり、小さな受付が正面に、左側に手洗い、右から奥に進むと縦に長い礼拝堂がある。
礼拝堂は入ってすぐに階段が二つあり、右側の階段はマトリックスの私室。左側にはダイニングキッチンと入浴場になっており、さらに奥に三階に昇る階段があった。
三階は突き当たりに物置と、左右に小部屋が二つ。上がって左の窓側がセリクの部屋、右がフェーナの部屋だ。
ビル自体がたいして大きいわけではないので、部屋の中は四畳も無い。だが、それでも寝るだけなら充分である。
最初、セリクと同じ部屋でいいとごねたフェーナだったが、思春期の少年少女が同室になる事をマトリックスは許さなかった。
マトリックスは自分の部屋をフェーナに貸すつもりであったようだが、荷物の移動が面倒だという理由で、結局のところその話はなくなった。マトリックスの部屋は書庫も兼ねており、大量の書物を移動するだけでも大仕事だったからだ。
三階の物置の脇からは、狭い外階段を昇って屋上に行けるようになっている。
屋上は駆け回る程度の広さがあったが、周囲を高いビル群に囲まれているせいか妙な圧迫感があった。
そんな鉄柵に囲まれた中心で、セリクは一心不乱に剣を振るう。
その隣では、ギャンが重しを背中に乗せられて、その状態で腕立て伏せをしていた。
それらを仁王立ちで見守るのはシャインだ。
「セリク。もっと脇を締めろ。二撃目を常に意識しろ」
「はい!」
「ギャン。スピードが落ちている。なんなら、もう一つ重しを加えるか?」
「か、かんべんしてくれやー!!」
ダラダラと額から汗を流して、グシャッとその場にギャンは崩れ落ちた。シャインの叱責が響く。
「……あんな顔、初めて見るな」
物憂げな表情で、フェーナは鉄柵にもたれかかりながら、そんな光景を見やっていた。
セリクが剣を振るたびに、長い黒髪から汗がキラキラと散る。それを見て、フェーナはなんとなく綺麗だと思った。
外階段には、セリクたちがいる所よりも一段高い踊り場がある。それは教会の看板を支えてる鉄骨を組んだ足場だった。看板が日の光を適度に遮ってくれる上、訓練風景もよく見え、ちょっとした休憩をするにはよい場所なのだ。フェーナとサラはそこに揃って居た。
「……男子三日会わざれば刮目して見よ、ですわ」
スポーツドリンクを一口飲んで、サラが唐突に言う。対してフェーナは「え?」と、顔に疑問符を浮かべた。
「…三日あれば別人のように見えると、それだけ男の子の成長は早いものだという意味です」
それを聞いて、フェーナはフフフと小さく笑う。不思議そうにサラは片眉を上げた。
「ううん。違うの。変な意味で笑ったんじゃないわ。なんだろ。なんて言えばいいのかな。村にいたときのセリクってね……ずっと苦しんでいたから。そういう顔しか見た覚えがなかったの。だから、変な感じがしたのよ」
我が身が裂かれると言わんばかりに、心苦しそうにフェーナは胸に手を当てた。
「村……レノバ村のことですわね。幼馴染みだとは聞きましたけれど」
「うん。そうよ」
「ずっと苦しんでいたというと? どういうことですの?」
「え? そこはセリクから聞いてないんですか?」
問いに問いで返したものだから、しばらく奇妙な気まずい空気が流れる。
フェーナは小首を傾げてちょっと困った顔をしたが、「…ま、喋っちゃっても大丈夫か」と勝手に一人で納得してから続けた。
「……セリクは、あの紅い眼のせいで村で虐められていて、それで龍王の生贄にされちゃったんです」
セリクを見て、サラは少しばかり目を細める。
「…なるほど。そういうことですか。閉鎖的な田舎の持つ悪習ですね。龍王と面識があると言っていた理由が解りましたわ」
フェーナはコクリと頷く。
「それで無事に逃げだせたのですか? って、そうじゃなきゃセリクがここにいるわけないですけども。でも、よく龍王の元から……」
「うん。そこはまだ……」
龍王と遭遇した時の話はまだ詳しくは聞いていない。それがセリクにどういう心境の変化を与えたのか…。知りたいとは思ったのだが、なんだかそれを聞くのはフェーナですら憚れるような気がしたのだ。
セリクは決して争い事を好む性格じゃないことはフェーナはよく知っている。それなのにも関わらず、自らの意志で、恐るべき龍王と戦う選択したのだ。それは並大抵の決意ではないはずだ。
それをなまじ聞くことで、フェーナは自分自身が知らない彼の姿を知ってしまうのが何となく怖かったのである。セリクの成長変化によって、幼馴染みの関係が崩れてしまうような嫌な予感がしていたのだ。
なんだかとても歯痒いような気がして、フェーナは知らずうちにギュッと拳を握りしめる。
「差別される苦しみは、わたくしもよく知っています。“ゴロゴロ雷女”なんて、大人になってもからかわれましたわ。ま、そんな失礼な輩はすぐに痺れさせてさしあげましたけれども……」
人差し指からバチバチッと放電させて見せて、サラは口元を笑わせる。ちょっと沈んだ顔をしていたフェーナも釣られて笑った。
セリクの境遇のことで悩んでわけではなかったのだが、それでもそんなサラの気づかいが嬉しく感じられた。
「まあ、紅い眼は確かに珍しいかもしれませんけれど……。帝都じゃ誰も気にしませんわ」
「そうね。サラさん……。DBの皆さんもとっても良い人たちばかりだし」
「おい! サラ、いつまで休憩しているつもりだ!? それを飲み終えたらさっさと来い!」
下でシャインが腰に手を当てて怒鳴る。サラは小さく舌を出して笑った。
「……ふぅ。フェーナ。訓練が終わったらちょっと付き合ってくれませんこと?」
「付き合う?」
「ええ。服……それしかないんでしょう?」
サラがフェーナの服を指さす。
錆びていた手摺りにもたれかかっていたせいで、赤錆の跡がうっすらついてしまっていた。「ああっ」と悲しげな顔をしてパンパンとはたく。
「……もしかして、臭ってたりします? 下着はちゃんと替えてたんだけど。あんまり上着とかは洗えてなくて」
「ええ。それはもうプンプンと………それは冗談ですわ。わたくしも買い物がありますから。都市部は初めてでしょう? 行きつけの服屋に案内しますわ」
「ホントに!? ありがとうございます!!」
フェーナは嬉しそうに手を叩く。帝都での買い物など初めてなのだから、嬉しくないはずがない。
「サラッ!!」
二度目のシャインの声が響き、サラは慌てて階段を降りて行ったのだった……。
「シャインさん。戦気で敵を捕まえたり……その、潰したりすることって、できるんですか?」
ようやく厳しい訓練から解放され、今度は室内で、剣の手入れの仕方を教わっているセリクが何の気なしに尋ねた。
それはゴーモラス村での戦いからずっと気になっていたことだった。
「戦気で? それは無理だろう。戦技ならば存在するかもしれないが、私の知る限りはそんな技はないな」
自分の刀を丁寧に磨きつつ、シャインが答える。
「そうですか……」
それじゃ自分が出したものは一体なんだったのだろうかと、セリクは少し考え込んでしまった。
「……戦気を扱う技術は人それぞれだ。例えば『衝遠斬』とやらは私には使えん」
「え? でも、サラさんの『エレキテル・バトラー』を斬った技は……」
「『回払』のことか? あれは私の周囲だけを薙ぎ払う戦技だ。セリクのように、遠方にまで強い戦気を飛ばしたりはできん」
「え? そうなんですか?」
「戦技は天性に左右されると聞く。修練を経たからといって使えるとは限らない。使えても実用に足らなかったりする場合が殆どだ。私の師も、戦気はまとえても戦技を扱うには至らなかった。……それでも達人には違いなかったがな」
「だから、俺が使えた時に驚いてたんですね」
「そういうことだ」
今まで身近で戦っていたデュガンやシャインが当たり前のように使っていたので、セリクはてっきり誰でも使えるものぐらいに考えていたのだ。
「…だが、いくら才能に恵まれたからといって、戦技ばかりに頼った戦い方は禁物だ。異端者を見れば解るだろう?」
シャインが、ギャンとサラを指差す。二人は少し離れたところで、マトリックスに与えられた課題をこなしていた。
確かに二人は、持っている能力がことごとくシャインに通用しなかったのだ。
「なんや。ワイかて、炎をうまく操れるよう練習しているやないかい………あっちち」
指先で炎の球体を維持し続ける。ギャンは苦戦しているようだったが、サラは涼しげな顔で雷の球をクルクルと手の上で滑らしていた。
それは力を抑えて小さく使うことで、精密にコントロールできるようになるための訓練である。
「そうですわね。シャイン副隊長の言う通りですわ。今までは能力だけで他の人を圧倒していましたから…。でも、ちょっと格上の相手が来ると何もできないのだと試験で思い知らされましたわ」
「フッ。ずいぶんと今日は殊勝な事を言うではないか」
「あら、元から謙虚なほうですわ」
したたかに笑うサラ。その顔は、そのうちに強くなって見返してやるといった感じだった。それに気づいたシャインは口元だけを笑わせる。好敵手と思われ、成長してくれるならばそれに越したことはないのだ。
「剣も能力も、扱う者次第で強くも弱くもなる。才能があっても鍛えなければ意味がないぞ」
デュガンも似たようなことを言っていたのだと思いだし、セリクはコクリと頷いたのだった…………。




