15話 時代の証人 治癒師
龍王城の二階には、吹き抜けのように高い壁に囲まれた空中庭園があった。だが、現在は庭園とは名ばかりであり、花どころか草木一本すらなく、ただ殺風景な黄色い砂地が広がる。
もともとは多くの珍しい植物に溢れ、ささやかながら雨水を利用した噴水や小さな滝のような物があった。それらを力任せに撤去してしまったのは、いま不敵な笑みを浮かべ、偉そうにしているその暴君に他ならなかった。
ファンッ! ファンッ! という風斬り音が、中庭の壁に反響する。
「さあ、来やがれッ!」
エーディンが、振り回していた偃月刀を大上段に構えた。
「は!」「承知!」「応!」
人型となった龍族の兵士三匹が、それぞれ槍を構えてエーディンとの間合いを計る。
そして、誰からというわけでもなく、一気に攻撃を仕掛けた!
「やあッ!」
「でいッ!」
カキンッ! キィンッ! 攻撃は軽々と弾かれ、甲高い金属音が響き渡った。
「イヒヒッ!」
二匹の突きを一緒に払い終えたエーディンが高く飛び上がる!
「うおッ!?」
「まだまだ!」
迎撃しようと、二匹が体勢を整え直す。
「イーッヒッヒッ! 『龍頭掻刀雨ッ!』」
刃先と石突きを、眼にも止まらぬスピードで交互に突き出した!
上空からの激しい雨のような攻撃! 龍が空で暴れ回り、敵を掻きむしっているようだった。
兵士たちは防御もままならなく、打ち据えられて吹っ飛んだ!
「ご免ッ!!」
二匹とは違う方向から近づいていた兵士が、エーディンの背を捉えて飛び上がる! 攻撃を繰り出している今なら隙だらけだ。
「イヒヒッ! 死角だと思ったか? んなわけねぇだろッ! あらよッ!」
偃月刀をザクッと地面に突き刺し、掴んだ右手を支点にして逆立ちしてみせる。振り返る手間を省いたのだった。
まずいと思ったが、もう時はすでに遅かった。兵士の攻撃の勢いは止まらない!
逆さまとなったエーディン、その左手から青白い光弾が放たれた!!
「『龍王小波動弾ッ!!』」
防御もままならない兵士の胸に、光弾は直撃する!
「うぐぉ…!」
鎧を砕かれ、兵士は無惨にもその場に落下した。
「……三〇秒」
金色をした懐中時計の蓋をパチンと閉め、その戦いをジッと見ていたルゲイトが呟く。
「……エーディン。時間をかけすぎだ」
逆さま状態で、顔だけをルゲイトに向けた。不自然な姿勢のはずなのに、その表情は涼し気である。
右手一本で、偃月刀にかけた自分の体重を完全に支えているのだ。尋常でない握力である。
「……それに波動は今回は使わぬ約束だったはず」
「ハンッ! 自分の技を使って何が悪いッ!?」
「……そういう話ではない。エネルギー効率の悪いお前が、ベストに戦う方法を模索している」
「強くなるなら数こなすのが一番ベストだぜ」
倒した敵を見やり、エーディンは苛立たしそうに言う。
「……槍術は人間の扱う技術だが、決して侮るべきではない。身に付ける価値がある」
「あー、そうかよ! だが、そもそも自分の技とかに名前つけんのもどうかと思うぜ!」
グルンと一回転し、エーディンは地面に着々する。
「……技名をつけるのは、系統毎にまとめて記憶させることで、反復練習をしやすくなり、また応用力を育てるにも役立
つ。効率を考えれば利にかなっていることだ」
「ハッ! 俺が言いてぇのは違ぇよ! わざわざ技の名なんて言わずに、ドカンッと派手にぶっ飛ばせばいいじゃねぇかってんだよ!」
「……それにも利点がある。技名の宣言は、共に戦う者への合図になる。龍王の力を無闇に使えば、仲間にも犠牲を強いるだろう」
どこまでも理詰めで話すルゲイトに、エーディンはうんざりといった顔をした。
「……制限された訓練はつまらぬだろう。だが、意味があってのことだ。お前は…」
「ハイハーイ! 退屈な長話はそこまで! エーディンさまぁーん。タオルですわよぉーん!」
説明をしていたルゲイトを突き飛ばし、ベロリカがタオルを持って走る。
「こんな汗だくでぇー。風邪………まあ、龍王様が風邪めされるなんてありえないですけどぉ! でも、拭き取った方が良いですわ! ささ、お取り下さいませ!」
丸めたタオルを、豊満な胸の谷間にはさんで突き出す。それを見て、エーディンは渋い顔をした。
「気色悪いぞ。ベロリカ」
「ああーん。ひどいですわぁ!」
汚いものに触れでもするかのように、二本指だけで、ヒョイッとタオルを取り上げる。そして上半身の汗を手早く拭き取った。小柄ではあるものの、余分な肉はまったくなく引き締まっている。拭いている最中、ベロリカがムフフと笑うのを、エーディンは冷ややかに見やる。
「近接、遠距離と、どれをとっても秀逸なる武! 並ぶものなどなし! 四龍などもはや不要かも知れませぬな!」
大男がルゲイトの後ろからノソリとでてくる。
ルゲイトよりも遙かに大きく、2メートルは軽くありそうな巨人だった。横幅も常人の倍はあるだろう。
「世辞はよせ。ガル。手前が相手だったら、俺が空に飛び上がった時点で叩き落としてるだろうが」
ドンッと胸を叩かれ、ガルはニヤリと笑った。かなり強く殴ったのだが、ビクともしないのにエーディンはフンッと嬉しそうに鼻を鳴らす。ガルが並の龍族以上の頑強さを誇るのは周知のことだった。
「……状況は我らの方が劣勢だ。ましてや『ガーネット三将軍』が揃ったとなれば、こちらの勝率は大幅下がる。それに“あの科学者”のこともあるしな。四龍の仕事はなくならん」
ファイルを開き、サングラス越しのルゲイトの眼が冷たく光った。
「まーったく、アンタはいつも不吉なことばかり言うわね。ルゲイトは頭が固すぎなのよ。龍王エーディン様の力を信じてないわけ?」
「……信じていないわけではない。だが、最悪を常に想定して行動せねばな。確実に勝つためには念をということだ」
話している途中で、「あ、もういいわ」とベロリカは手をヒラヒラとさせる。
「はぁ~。お可哀想なエーディン様。この心配性のせいで振り回されっぱなしですわね。このベロリカが、エーディン様の敵はもれなくみーんな蒸発させてしまいますからねぇ♪」
後ろから覆いかぶさるように抱きつこうとしたベロリカを、エーディンはサッとかわす。
「龍王エーディン様は無敵。それは変わらぬ事実だが、ルゲイト殿の言うこともまた正しきこと。神々の下に群がる人間どもは小賢しい。拙者としては、四龍もさらなる研鑽精進に励むべきであるな」
ルゲイトはコクリと頷く。ベロリカはふて腐れたようにしながら髪をかき上げた。
「それを言うなら、“あの子”にしなさいな。四龍の中でも、ずっと力を隠して戦ってるじゃない。どれくらい強いのか解ったもんじゃないしぃ~。秘密主義者には背中なんて預けることなんてできないしぃ~。そんなんで研鑽とか言われてもヤル気でないしぃ~」
明らかに話をすり替えてるのに、ルゲイトもガルも渋い顔をする。
「ああ、そうだな。手前の言う通りだ。どうせ修行すんなら強い相手がいい。今の俺と撃ち合いできるのはヤツぐらいだからな」
「えッ!? ああん! 違いますって! そういう意味じゃありませんことよ! エーディン様との修行なら、この私が喜んで致しますわぁ~」
涙で眼を潤ませ、ベロリカがすがり付いた。
「ああッ!? ひっつくな、鬱陶しい。手前は変な加減すんだろ。だから嫌なんだよ! ……んで、『バーナル』はどこいった?」
エーディンの問いに、ルゲイトもガルも顔を見合わせる。
「はぁ! ったくよぉ…。最近、ヤツは勝手な行動が多すぎだな」
ドカッと地面に座り、エーディンは頭をガシガシッとかく。
「まあ、いい」
切り替えが早いのがエーディンの良いところでもあり、悪いところでもあるとルゲイトは思ったのだが口にはださなかった。
「……あの人間のガキはどうしてっかな」
空を見上げて、エーディンがポツリと呟く。
「……あの人間? セリク・ジュランドのことか?」
ルゲイトの記憶力はかなり良い。とるに足らない相手だとしても、一度会っただけでフルネームを覚えているのだ。
その名を聞いて、エーディンは大きく笑う。ベロリカもガルもキョトンとした顔をした。
「……珍しいな。エーディン。お前があんな子供を気にかけるとは」
「あー。そうだな。アイツに似てる……いや、違うな。そんなんじゃねぇな。なんだかよ、ヤツとはまた会いそうな気がすんだ」
ルゲイトが片眉をピクリと動かす。
「……たかが人間の子供一人だぞ? 野垂れ死にしている可能性のが高い」
エーディンが再び笑い出す。
セリクはいつの間にか逃げ出していて、ロベルトが手引きしたのは明らかだったが、エーディンは「もういい」と言ってあっさり引き下がったのだ。だからこそ、ルゲイトには、セリクに興味を持っていたことが意外に思われたのである。
「ルゲイト。手前には解っただろ?」
「……なにがだ?」
「俺がヤツの首を締めた瞬間だ」
ルゲイトは、生意気な口をきいたセリクに制裁を加えたのだとは聞いていた。だが、それ以上の事は何も知らない。
もちろん当人自身が喋らなければ、その場にいなかった者に解るはずもなかったことなのだが……。
こういったエーディンの態度はいつものことだった。ルゲイトならば見てなくても解るだろうとぐらいに思っているのだ。
「……それがどうしたのだ?」
エーディンは妙な顔をしたが、そのまま続ける。
「…野郎。あのまま首締め続けてたら俺を殺す気だったんだぜ」
サラッとそう言うエーディンに、ルゲイトたちは目を丸くした。
「……まさか」
ルゲイトはセリクの姿を思い浮かべる。
全身から漂う自信がなさそうな姿。無力だった自分の子供時代とそれが重なり、ルゲイトは不快そうに眉根を抑えた。
だが、どういう風に考えても、脅威になりそうな存在ではない。ましてや龍王が気にかける対象だとはどうしても考えられなかった。
「イッヒッヒ。人間を排するのは、なかなか難儀になりそうだぜ」
空を握り潰すような所作をしながら、エーディンは一人面白そうにいつまでも笑っていたのだった…………。
ーーー
神国ガーネット帝国、聖イバン教会礼拝堂。
ここにセリクとフェーナ、そして他のDBのメンバーが揃っていた。
「私は断固反対ですッ!!!」
シャインの拳が、バゴンッ! と、講壇の上に大きな陥没を作った。その衝撃で礼拝堂がわずかに揺れ、それに驚いた道端のネコや、木々にとまっていた鳥たちが慌てて逃げ出す。
「ま、まあまあ、シャインさん……」
「反対は反対ですッ! それ以外にありません!!」
「なんでですか!? それなら、セリクは辞めますから! ね! そういう約束ですよね!! マトリックスさん!!」
シャインの横で、食いつかんばかりに歯を剥き出して怒るのはフェーナだった。
「なにを勝手な事を言っている!! 隊員本人が辞めるというならともかく、お前は部外者だろう!! …マトリックス様!!」
二人に鼻息荒く詰め寄られ、マトリックスは冷や汗をかいて笑うしかない状態だ。
この発端となる原因といえば、セリクがフェーナを連れ帰ったことにある。
ちょうど教会の入り口にたどり着いた時、哨戒の任務を終えたギャンとサラに出くわしてしまったのだが、開口一番に「おー、セリク。帰ったんか! こっちは相も変わらずなーんもあらへんで。いつになったら龍王と戦うんやろうかなぁ~」などと、トサカ頭が軽く言ってしまったものだから大変である。
それから、フェーナの「セリクはホントは何をやってるの?」「龍王と戦うってどういうこと?」などという小一時間にも及ぶ質問責めが始まった。
詳しい事情は話さずに、ただ“何でも屋”をやっているということにしておきたかったセリクだが、その願いは余計な一言のせいで消えてしまったわけであった。
本当ならば、マトリックスとシャインに口裏を合わせてもらい、フェーナは別に住処をあてがってもらうつもりだった。そうすれば、なんとか秘密で任務に専念できるとセリクは考えていた。が、まさか初っぱなからこんなことになるとはまさに不運としか言いようがない。
必死の弁明と説明により、DBの活動については、フェーナは渋々と承諾した。
しかし、その次に放った言葉が更なる問題を呼ぶ。「なんで龍王とセリクが戦うのかいまいちわかんないけど。でも、セリクがやるなら私もやる!」などとフェーナが言い出したのである。
「危険だから!」というセリクの言葉にも、「危険なら、なんでセリクもやるわけ?」と、“あー言えばこう言う”の膠着状態に陥る。
一つ言えば、百の言葉で返ってくるものだから、セリクは逆に説き伏せられてるような気分であった。
その間、ギャンとサラは、教会の中に入ることも出来ず、玄関先のセリクとフェーナの激しい応酬を延々と見せられる羽目となる(応酬といっても、一方的にフェーナが喋っているだけだったのだが)。
そして、喧騒に気づいたマトリックスが教会から出てきて、更に事態は悪化することになる。セリクでは埒があかないと、フェーナの矛先が隊長マトリックスに向いたのだった……。
そうこうして、現在。フェーナがDBに入るかどうかで揉めているわけである。
フェーナの主張は、「私もDBに入る。入れてくれないなら、セリクも隊を抜ける」というものだった。それに烈火の如く怒り、異を唱えたのが、副隊長シャインである。
「ええい! フェーナとかいったな! 小娘! 貴様が言っているのは、子供の屁理屈だ!!」
「はー? シャインさんでしたっけ? 私は子供ですけれど!」
「それを屁理屈と言うのだ!! ええい! 子供ならば子供らしくしろ! 自警団になどに入るな!!」
「それならセリクだってそうですよね! DBに誘ったのはシャインさんだって聞きましたけど!」
入隊自体はセリク自身の決意だったのだが、実際にそれを許可したシャインはグッと言葉に詰まる。
「あー。勤務明けですのに。うんざりですわ」
「なんや。もうかれこれ何時間もやりあっとるで……。いい加減にしてほしいわ」
ギャンが椅子にもたれかかり、前の席に座っているセリクの頭をコツンと殴る。
「…本当にごめん。とんでもないの連れて来ちゃって」
シュンとして謝るセリクの顔もゲッソリとしていた。
「お二人とも、ちょっと落ち着きましょう。ね?」
マトリックスが間に割って入っていたのだが、すでにもみくちゃにされ、髪も服もボサボサになってしまっていた。
「……ちょっと整理しましょう。シャインさんは、フェーナさんの入隊は絶対に認めないと?」
「ええ。ここにいる隊員三人は、厳粛な審査を通って採用された者たちです。例外はない。例外を認めてしまえば、落ちた者たちに示しがつかないでしょう」
落ちた者というか、シャインがほとんど落としていたのだが………と、隊員たちは思ったのだが、それを言い出せる雰囲気ではない。
「だから! 私も審査を受けさせてくれればいいでしょ!」
「もう審査はしてない! 入隊募集は締め切ったと何度言えば解るのだ!?」
「まあまあまあ!」
慌ててマトリックスが、再び取っ組み合いそうになった二人の間に入る。
「……はあ。もう、能力のあるなしで決めちゃっていいんじゃないんですの?」
サラが手を上げて提案する。フェーナがパチンと指を鳴らした。
「サラさん! 良いこと言う~! 好きになっちゃいそう!!」
ウインクして言うフェーナに、サラは呆気にとられた顔をする。
「……もう私の名前を覚えてますわ。名乗った覚えはありませんのに。すごい子ですわね。セリク」
サラが耳打ちすると、セリクは苦笑いした。
「せやな。要は戦う力があるかないかや。戦力にならなきゃ話にならへんし」
ギャンが言うのに、フェーナは困った顔をした。
「戦う力…かぁ」
その様子を見ていたシャインは、勝ち誇った顔で腕を組む。
「ギャン、ナイスだ! 確かに! 見たところ、戦闘要員にはなれないだろう!?」
「で、でも……セリクだって」
口を尖らせて、フェーナはセリクに助けを求めるような視線を送る。
「残念だったな! セリクの実力は私と肉薄している!! 剣技のみならず、その人格や判断能力も申し分ない! 全てに置いて、そこらにいる有象無象の兵士などよりも遙か上をいっている!! このDB副隊長にして、ファバード刀術師範シャイン・ファバードが保証する!」
シャインが目を血走らせて、ここぞとばかりに力説した。
「うわー、大人げないなぁ。シャインのオバハン。役職に加えて、お家柄まで丁寧に添えて言っとるで」
「しかも、かなり大げさに言ってますわよ。実に見苦しいですわ」
今度はフェーナが言葉に詰まる番だった。言いたいことを言い終えたシャインは、満足気に鼻を鳴らす。
「……マトリックスさん。戦えなきゃダメですか?」
「ううーん。それは……」
「駄目だ! まったくもって駄目だ!!」
マトリックスが答えるのを遮って、シャインが拳を振りつつ言う。
「……はいはい。じゃあ、これでとりあえず終わりですわね? 報告書だして帰らせて頂きますわ」
小さくアクビをして、サラが立ち上がる。俯いたフェーナの横をスタスタと通り、報告書をマトリックスに手渡した。
「あ。ふともも……ケガしてる」
沈み顔のフェーナが、ポツリと言った。
今日のサラはレギンスではなく、ミニスカートの下に白いタイツをはいていた。それに血が少し付いて、赤く目立ったのでフェーナは気づいたのだった。
「え? ああ。これ? ネコにやられたんですのよ。大した傷じゃないですわ。でも、動き回ったから血が滲んできたんですわね」
肩をすくませながらサラは言う。フェーナはそれを聞いて、何かピンッと閃いた顔をする。
「ねえ、マトリックスさん。戦闘が主な仕事ならケガ人はたえないですよね!?」
いきなりそんな事を言われ、ちょっと驚いた顔をするが、マトリックスは「そうですね」と頷いた。戦いが主な仕事になる以上、傷つくことは当たり前のことだった。
「なら! ちょっと、サラさん! 傷口もっとよく見せて!」
「え? なんですの? きゃあッ!?」
サラの疑問が解決する前に、フェーナがサラのタイツを引っ張って脱がせようとする。セリクが真っ赤になり、ギャンが鼻血を吹いて倒れた。
「わかったわ! わかりましたの! 脱ぐから、引っ張らないで!!」
講壇の裏に隠れ、サラがタイツを脱ぐ。もちろん、男連中は後ろを向くことを強制された。
「何をする気だ? まさか、包帯の巻き方でも披露する気ではあるまいな」
シャインが小馬鹿にしたように言うのにも、フェーナは答えなかった。サラの傷口を真剣に見るのに集中していた。
「まだ使い慣れてないんで……。あんまり動かないで下さいね」
「? 何をする気か知りませんけど…。解りましたわ」
フェーナは両手を組み、まるで祈るかのように口の中で何かを呟いた。
「……これは」
マトリックスが何かに気づいて振り返る。
講壇の奥、純白のローブを身にまとった男性の描かれたステンドグラスがあるのだが、それが仄かに白く光り出した。
「聖イバン・カリズムの加護が発現している?」
フェーナの手から、光の珠のようなものが現れる。
「な、なんですの!?」
「シッ。静かに…。お願いだから、動かないで」
光の珠は、フェーナの指先でクルクルと踊るように回る。
「『セイン・ケア!』」
そして、それはサラの傷口に入って消えた。まるで溶けたように、染み込むかのように見えた。
「……? これはなんですの? あ! 傷が…ない? なくなった?」
三本の筋となっていた傷がすっかり消えて、新しい皮膚が上にできている。サラは驚いて自分のふとももを擦った。
「フーッ! 上手くいったわ。よかった!!」
「…な、なんなんや。異端者か!? 異端者だったんか!?」
動揺したギャンがセリクの肩を揺さぶる。
「いや、俺も……初めて見る。フェーナ、こんなことできたんだ」
目を丸くしつつ、セリクは言った。
「ん? ううん。できるようになったのは最近だよ。ま、それまでも、傷は抑えているだけで無くなったりしたんだけどね。イバン様の力なのかなーって、思ってたんだ」
「でも、傷を治す異端者なんて聞いたことがないですわ…」
「えー、コホン。いえ、これはフェーナさんの能力というわけではありません」
マトリックスが咳払いして説明しはじめた。
「だよね。神父様なら知っていると思ってたんだけど」
「ええ。聖イバンの“三大奇跡”の産物ですね。一つは、神々の大水晶柱。もう一つは、審判の書。そして、最後は『時代の証人』です」
「なんやそれ?」
「神々の加護を受けた人々。聖イバンが任命した“奇跡の代行者”です。治療の奇跡を扱える人は、一般的に『治癒師』と呼ばれています。聖職者でも高い地位の人に多いのですよ。まあ、治癒師が高い地位になる、というのが本当のところですが…」
「なんや。化け物扱いされとるワイらとはエライ違いやなー。普通のヤツにできんことができるっちゅう話やろ? だったら、異端者と同じやないかい。何が違うん?」
ギャンがふて腐れたように言う。
「ええ。先ほど言いましたように、フェーナさん自身が発した力ではないというのがまず違います。異端者は、自ら持つ能力を扱うのですが……力が強すぎるせいか、暴走しやすく持て余し気味なのです」
マトリックスがそう説明すると、思い当たる点があるのかギャンもサラも小さく頷く。
「それと、時代の証人には『水晶石』があるはずですが……。もしくは『紅玉石』とも呼ばれてるものです」
「あ。はい。たぶんこれです」
フェーナが胸元をグイッと少し下げて露にする。大胆な動作に、男達はギョッとしたが、マトリックスだけは難しい顔をしたまま頷く。
胸の上に、ボタンのように見える小さな紅い平べったい石が付いていた。
「レノバ村の神父さんには、あまり人には見せないようにと言われたんですけど。その、聖職者には余りなりたくなくて……」
フェーナは困ったように言う。神父であるマトリックスに失礼に当たると思ったのだ。しかし別段と気にした様子はなかった。
「なるほど。いや、当然でしょう。奇跡を行える者ということで、周囲に祭り上げられる可能性もありますしね。場所によっては、無理矢理に大教会に送られた人もいます。そういう人を何人も見てきましたから……」
聖教会の負の部分を語るのに、マトリックスは辛辣そうにする。
「私の力じゃなく、聖イバン様の力だからダメ……ってことはないですよね?」
マトリックスは顎に手を当てて、少し考える仕草をする。
「……治癒の力は、扱い主の“生命力を他者に渡して癒す”と聞きます。治癒師は例外なく短命です。レノバ村の神父もそれを危惧されていたのでしょう」
その説明を聞いて、隊員たち全員が驚いた顔をした。
「私はセリクを助けたいと思います。それで仮に命が尽きたとしても悔いはありません」
ハッキリとそう言うフェーナに、シャインはいま言いかけていた言葉を呑み込む。
「惚れた男のため…か」
シャインはチラリと、マトリックスを見やる。
「…解りました。確かに、私たちの相手は龍王。生死に関わる戦いをせねばなりません。その中で治癒の力は大いに役立つでしょう。必要なものだと思います」
「え? なら!」
嬉しそうな顔をするフェーナに対し、マトリックスは首を横に振ってから続けた。
「ただし、その力の乱用はしないこと…。私が許可した場合以外は、決して使ってはいけません。それが守れないならばどうあっても駄目です。守れると言うならば、フェーナさんの入隊を許可しましょう」
「はい! 守ります!」
少しも躊躇わず、フェーナは敬礼してみせる。
シャインも、マトリックスの決定を聞いて納得したのか、これ以上は何も言わなかった。
「フェーナ……」
心配そうにセリクが近寄ってくる。
「そんな顔しないで。大丈夫だって。だって、私のことはセリクが守ってくれるんでしょう?」
「それはそうだけど…」
「まあ、ええやないか」
いつの間にかギャンとサラが、セリクの両脇に立っていた。そしてなだめるかのようにセリクの肩をポンポンと叩く。
「とりあえず、ワイらが傷ついたりせにゃいいんやろ? それにワイらの後ろにおるなら絶対安全やしな。ぜんぜん問題あらへん」
「そういうことですわね。なかなか肝が座っていて、気に入りましたわ。よろしくどうぞ」
フェーナはニッコリと笑うと、ギャンとサラの手をとって固く握手する。そして、してやったり顔で、セリクにウインクして見せた。
こうして、マトリックスを説き伏せただけでなく、ギャンやサラまでも認めさせてしまったのだ。
そのフェーナの恐るべき行動力を前に、セリクはただ唖然とするしかなかったのであった…………。




