13話 家出人捜索指令
DB試験から数日が経過し、過酷と言っていたわりには、帝都では特に何事もなく平穏が続いていた………。
ギャン、サラ、シャインの三人は自宅から出勤し、帰る家のないセリクはマトリックスと共に教会に住み込みで働くこととなる。
基本的には待機している時間が長く、午前中はほとんどがシャインによる戦闘訓練ばかりだった。
たまに事件があったとしても、酔っぱらい同士の喧嘩の仲裁や、迷子になった猫を探したりという程度だ。
あとは兵士たちの警備業務の一端をサポートするなどの、まったく龍王とは関係のない仕事ばかりをこなす日々であった……。
「………もう限界や」
袖をまくり、タオルでほっかむりをしたギャンがポツリと呟く。
スコップを排水溝の溝の深々と入れ、やけくそのように外へ強く放り投げた。
全身は泥で真っ黒だし、膝の下は完全にヘドロの中に浸かっている。
「ワイは…ワイはな! こんな仕事やるためにDBに入ったんとちゃうわ!」
スコップを投げつける。それが泥のなかに落ち、はねてギャンの服を更に汚したのでますますの仏頂面となる。
「そんなこと言ったって……」
大きなゴミ袋をかかえたセリクが困った顔をする。
頭に巻いたタオルのせいで、額がむきだしになり、うっすらとかいた汗が陽光に光った。
「うるさいですわね。皆、そう思っていますわ。まったく、考えないようにしていたというのに」
サラが腰に手を当てて怒る。
せっかくの巻き毛をバンドでおさえつけ、スカートの裾を紐でくくっている。
大股で泥をすくっている様は、とてもお嬢様の格好に似つかわしくなかった。
「ハハハ。まだ平和だからこそ、こういった依頼が来るんですよ。良いことだと考えなければいけません」
シャインが掘り起こした泥を、一輪車で受けながらマトリックスが笑う。いつものローブではなく、格好いいとはお世辞にも言えないジャージ姿である。
「せやけど! なんちゅうかな! 違うんや! こう、ごっつ悪いヤツをとっ捕まえたり、ビシッと街のみんな守ったりしてな! んで、街のチビッコどもにサインねだられたり、キレイなねーちゃんらに囲まれてキャーキャー言われて………いや、その……ともかくな! ワイが言いたいのは誰がこんな“何でも屋”がやるような仕事せなあかんのやってことや!!」
「でも、エーディンは今のところ何の動きもみせてないらしいし。街にいる悪人だって……」
セリクはシャインをチラリと見やる。その視線に気づいて、鼻先に泥をつけたシャインが顔をあげた。
「そのごっつ悪いヤツっていうのが、刀に真っ二つにされることを怖れて、悪事っていう悪事しないんじゃないですの……」
サラが肩を竦めながら続けた。まるで咎めるように聞こえたのか、シャインはムッとした顔をする。
「でも、確かに俺たちの活躍する場はないよね」
「そうなんや! それや! セリク! 何が悲しゅうて、城の外掘をワイらが掃除せにゃあかんのや! こんなのは国の仕事やろ! 兵士や清掃屋にやらせろや!!」
バチャバチャとぬかるみを踏みつけて、ギャンは側にそびえたつ超巨大高層ビル……帝国城を指さした。
一般通りにある排水溝などとは違い、城の防備として、敵の侵入を防ぐ意味もある外堀は規格外に大きく深いのだ。その分、たまった泥汚れも多い。
「いや、帝国との契約の中に……『国兵が対応できない雑用の一切を引き受けること』という条文がありまして。実のところ、依頼があった場合は断れぬのですよ」
マトリックスは苦笑いしつつそう言った。
「なんやそりゃ! 完全、いいように使われてるだけやないか! リーダー! しっかりしてくれや!!」
ギャンに指摘され、申し訳なさそうにマトリックスは額をこする。その部分が泥で黒くなったので、セリクは思わず吹き出して笑いそうになった。
「愚痴を言っていては、いつまでも終わらんだけだぞ。いいから、黙って手を動か…………ん? あれは」
作業を続けていたシャインが、何かに気づく。
「……マトリックス様」
「ええ。解っています」
神妙な顔をする隊長と副隊長に、三人はどうしたのかと顔を見合わせた。
二人の視線の先には、城壁の側に立っている人物がいた。
目だけを出した青い頭巾に、長い灰色のローブ。たすきがけにした茶色い肩掛け、そして腰元に帯剣していた。
「……帝国軍の兵士や。“ブルーフード”ってことは下級兵やな」
ギャンが兵士を睨み付けながら、セリクに耳打ちする。
兵士の姿なんて今まで見たことがなかったセリクは、その異様な格好をまじまじと見てしまった。戦いのプロなのだから、てっきり甲冑に身を固めているものとばかりに勝手に思っていたのだった。
見た目はともかくとしても、フードの下からこちらに向けられる視線は、とても冷酷なものを感じさせる。
軍手を外し、マトリックスが堀から出ようと歩きだした。
長い斜面を登っている最中に、兵士は懐から書面を取り出して突き付ける。
「……ファテニズム神父。ブラッセル将軍からの指令書だ」
「指令? 依頼でなくてですか?」
問いに兵士が答えないのを見ると、フウッと小さく息を吐き、書面を受け取る。
「内容は?」
「自分で確認するがいい」
ぶっきらぼうにそう言い放ち、兵士はクルリと踵を返して行ってしまった。
「なんだか感じ悪いですわね」
「フン。城の兵士など、皆、あんなものさ」
封を開き、内容を確認する。
皆、泥すくいどころではなくなって、持っている道具を置いてすぐにマトリックスの側へと集まった。
「どんなことが書かれているんですか?」
セリクの問いに、マトリックスは眉を寄せた。
「うーん。……どうやら、家出人の捜索のようですね」
「なんや! またそんなんかいな!! ワイは絶対に行かへんからな!!!」
ギャンはふて腐れ、頭のタオルを堀の奥に向かって投げつけた。
「わたくしもパスで…。ここの傷、猫に引っかかれたのがまだ治らないんですのよ」
サラは自分のふとももを指さす。前の依頼にあった迷い猫の捜索をしていたときにやられたものだ。
猫に向かって電撃を放とうとしたのを止めるため、とばっちりで感電したギャンは青い顔をする。
「おい。これも自警団の仕事だぞ……」
シャインが少し語気を強めて言うのだが、辟易しているのは同じようで、泥のたくさん入った一輪車を見て口をへの字にしている。
「困りましたね……。捜索といっても、帝都内のことじゃないようです。ある農村からの、政府への正式な依頼のようで。それが軍部へと届き、私たちへと回されたのでしょう」
「農村?」
「ええ。それも……セリクくんのいた村だと思うのですが。レノバ村の村長からの依頼です」
「レノバの………」
もしかしたら、村の皆が自分を心配して……そんな風な考えが一瞬よぎったが、それは到底あり得ないことだろうと思った。
自分を生贄にするような連中だ。仮にセリクを捜しているにしても、ろくでもない理由に決まってることだろう。
複雑な顔をしているセリクを見て、マトリックスは首をひねる。
「何か訳ありのようですね……。よし! この依頼は拒否しましょう!」
マトリックスはニコッと微笑み、指令書を破こうとした。
「お待ち下さい! 私はマトリックス様のご命令とあれば!!」
シャインが慌てる。気乗りしてなかったのは事実だが、だからといってやらなくていいなどとも考えていなかったのだ。
「さっき、自分、指令書って言うてなかったか? そない簡単にキャンセルしてええんか?」
「指令書? ああ、いいんですよ。将軍様はなんだか我々のことを勘違いされているようなのでね。こんなものは見なかったことにしましょう」
そう穏やかに言いながらも、マトリックスの作る笑顔の内側に怒りが隠されているのは明らかだった。
ギャンはゴクリとツバを飲み込む。“この人だけは絶対に怒らしちゃあかん!”と頭の中で赤色灯が回転していた。
「…マトリックスさん。その家出人の名前は書かれていますか?」
セリクは思い切ったように尋ねる。
「ええ。最後の方に記されてはいますが…。でも、セリクくん…」
心配そうな顔をしたマトリックスだったが、セリクの真剣な顔をみて言いかけた言葉を止める。
再び書面に眼を落とし、名前らしき単語の下を指でなぞる。
「行方不明者の名前は…『フェーナ・ランドル』。十四歳の女の子のようです」




