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赤の呪文


「グラキエース」


 ユンスティッドはマーシャルの目前で立ち止まると、おもむろに彼女の両手を取って呟いた。見る見るうちに、白く濁った氷がマーシャルの両手首を固めていく。驚きのあまり呆然としていたマーシャルが我に返った時には、既に氷の手錠が完成していた。


「ちょっと、何するのよ!」

「非難したいのはこっちだ。なんでこんな――」ユンスティッドは顔をしかめて足元に広がる赤い水たまりを見下ろした。「盗賊を一人で追ったりなんかしたんだ」


 マーシャルは答えることができなかった。少年の瞳が、荒れ狂った海のように怒りを露わにしていたからだ。しばらくして、彼は押し黙るマーシャルを視界から外した。


「まあ、大方これを奪い返しに来たってとこか」

「っそれ、私のペンダント!」


 ユンスティッドの手の中で、赤鉄鋼が雨に濡れて光っていた。それは無造作にマーシャルの手のひらに落とされる。小さな石を握りしめて、マーシャルは取り返せたことに安堵の息を漏らした。当初の目的は達成できたわけである。


「地面に転がっていた。戦うのに夢中になって回収を忘れるなんて、本末転倒もいいところだ」

「倒したんだからいいじゃない」


 むっとして反論すると、あきれた視線が返ってきた。マーシャルの傷だらけの身体を眺める。


「なんでそもそも倒してるんだよ。王宮じゃあ、剣師団と魔法師団で連携して捕縛する計画練ってたのに」

「どっち道、捕まえる予定だったんだからいいじゃない!それに、一番強い奴は逃しちゃったし」


 マーシャルがぼそぼそと付け足した最後の言葉に、ユンスティッドがピクリと反応した。信じられないといった風にマーシャルを見遣る。

「す」救いようのない馬鹿だと、口にしかけて、ユンスティッドは何だか空しくなった。


「雷でも落としたら治るのか……」

「は?」

「そのお粗末な頭が改善されるなら、協力することもやぶさかじゃない」


 いつものように怒鳴ろうとしたマーシャルだったが、ユンスティッドの掌で、小さな稲妻が走るのを目にして肝を冷やした。背筋を冷や汗が伝う。


「そ、その、今回は私が悪かったかも!」


 ユンスティッドが無言で見つめてくる。居た堪れなくて、マーシャルは目を泳がせた。


「……私が悪かったわ。迷惑かけてごめんなさい」

「隊長には報告するからな」

「始末書は何枚でも書くわよ」

「始末書で済めばいいけどな」

「え?!」


 少女があたふたとするのを、ユンスティッドはいい気味だと放っておいた。自分を覆っていた空気の層を広げるとマーシャルにも被せ、ついでに水をたっぷり吸っていたマーシャルの服を軽く乾かしてやる。マーシャルは、もう何も言えなくなった。自分が手間のかかる子供になったようだ。


「賊の逃走ルートもつかめたことだし、王宮に戻るぞ。お前を探し出すのに随分手間取った。隊長をこれ以上待たせるのは申し訳ない」とユンスティッド。


 力なく頷いて、先を行く彼に続く。真っ黒い背中を複雑な気持ちで追っていたマーシャルは、唐突に肩をこわばらせたかと思うと、手錠のはめられた両手を振り下ろして、ユンスティッドを押し倒した。うつ伏せで地面に突っ込んだユンスティッドは、顔についた泥をぬぐうと目を吊り上げて叫んだ。


「何するんだ!」


 返事はなかったが、代わりに鈍い音が鳴った。間もなく氷の砕け散る音がつづく。マーシャルの手錠が、真ん中で真っ二つになった。素早く身を起こしたマーシャルは、座り込んだままのユンスティッドを庇うように立ちはだかる。彼女の身体が、再び雨に濡れはじめた。


「ごめんシルバート。片付け損ねた奴だ」

「……随分多いみたいだが」

「お仲間がたくさんいたみたい」


 立ち上がったユンスティッドが、マーシャルの斜め後ろに控える。二人はそれぞれ敵の数を目測した。――三十人は下らない男たちが、物騒な武器を手にして二人を取り囲む。鷲鼻の男の姿は見当たらなかった。予想以上に数の多い盗賊団だったようだ。足止めと口封じにこれ程の人数を送ってくるとは。

 男たちの輪が縮まってきて、マーシャルとユンスティッドは自然と背中合わせになった。ユンスティッドは雨を防ぐための魔法を解いていて、触れ合った背中から彼の緊張が少女に伝わって行く。


「半分ずつだ」


 ユンスティッドはそう言って、覚悟を決めた顔をした。マーシャルは驚いて振り向きそうになる。


「……いいの?」と、小声で確認する。

「良いも悪いも、お前だけじゃ無理だろう。だけど俺だけでも無理だ。俺は専ら研究しかしてこなかったんだからな」


 彼はいっそ堂々として主張した。雨で滑る剣をしっかりと握りなおして、マーシャルは穂先を敵方へ向けた。ユンスティッドの意向を了承したことを気配で伝える。


(これ以上は弱みを握られたくないもんだわ)


 そう思いながら、マーシャルは最初の一撃を繰り出した。





 実のところ、ユンスティッドがマーシャルを発見したのは、彼女が九人の盗賊を伸してしまった後だった。  

 その直前のこと、風を操って地面すれすれを滑るように飛びながら森を探索していたユンスティッドは、判断を誤ったかといささか後悔し始めているところだった。オークの森は予想以上に広く、森を探検した経験など皆無の少年は、どこまでも続く同じような景色にほとほとうんざりしていた。彼も貴族の生まれであるが、乗馬や狩りといった趣味はなく、本に囲まれた子供時代を過ごしてきた。

―――せめて冬だったら、もう少し見晴らしが良かっただろう。

 彼はそんなことを考えたが、今が冬であったなら、彼がマーシャルを探すために森に入ることなど有り得なかっただろう。冬の王国は、雪に閉ざされる。

 目の前に迫っていた背の高い木を避け、小枝を数本弾き飛ばしたところで、ユンスティッドは不気味な声を聴いた。土砂降りの中では鳥の声すらしなかったというのに、突然蛙の潰れたような悲鳴が耳に飛び込んできたのだ。

 まさかマーシャルの声ではあるまい、と思ったのは、見習い仲間を心配したわけではなかった。


(悲鳴あげるなら、もう少し女らしい声じゃないと助ける気も起きないよな)


 ユンスティッドは、大抵のことにおいては大人びた対応を心掛けていたが、背丈に関しては別問題だった。思春期の少年にとっての重要かつ繊細な問題を容赦なく指摘された日から、マーシャルは目下の敵である。勿論、彼女が気に食わない根本的な理由は他にあったのだが――。

 上空に飛んできょろきょろと森を見下ろしたユンスティッドは、ある一点に目をとめた。叫び声が聞こえてくる上に、絶え間なく音がする。

 様子を見ようと降下する途中で音が聞こえなくなったため、慎重に降り立った。木の後ろから覗き、見覚えのある背中が易々と背後から襲われそうになっていたのには、普段の冷静さも吹っ飛んだ。

 マーシャルの元へ行こうとして、倒れていた男たちの傍の地面に、赤い石が転がっているのを見つけた。一月も共に仕事していれば、何度か目にする機会はあった、マーシャルのペンダントと同じものだ。

 頭の切れるユンスティッドは、その瞬間大体の事情を察した。

 傷だらけのマーシャルに呆れ、しっかりと釘を刺して、いざエヴァンズの元へ戻ろうとした。

―――そうした途端、この様だ。


(本当、探しになんて来るんじゃなかった)


 少し前の自分に肩を落としてから、ユンスティッドはじりじりと迫る盗賊たちを睨みつけた。背中に多分の不安が残るが、それよりも目の前の問題を片づけることが先決だった。

 両手を突出し、息を大きく吸う。湿った空気が流れ込んできた。


「グラキエース」


 手のひらが熱くなり、手首がドクンと脈打つ。ユンスティッドの魔力があふれ出て、手のひらより一回り大きい魔方陣が出現する。彼の周りに降り注ぐ雨粒が、共鳴するように震え、破裂するようにはじけ飛んだ。


「なんだ、ビビッてるのか?!」


 そういって真っ先に飛びかかってきた男が、斧を振り上げた態勢のまま凍りついた。地面に突き刺さるように落下し、横倒しになる。ぎょっと目を丸くしている後ろの数人を立て続けに氷漬けにしてやると、怯んだ盗賊たちが一歩後退した。


「お前ら一斉にかかれ!」


 盗賊の一人が叫んだ。良い作戦だろう。ユンスティッドが、年相応の見習い魔法師だったならば。


「コングラキア」


 先ほどとは比べ物にならないほど巨大な魔方陣が現れ、盗賊と少年を隔てた。ユンスティッドは氷の魔法を最も得意としていた。


ヴィンディカット(解放)


 そして出来上がった連なる男たちの氷像に、彼は満足げにほほ笑む。対人魔法などほとんど経験はなかったが、なかなかに上出来だ。

 上機嫌で振り向いたユンスティッドの目と鼻の先で、マーシャルの飛び膝蹴りが敵の腹部にめり込んだ。



 男の悲鳴が上がり、段々と呻き声に代わってゆく。肩口を縫いとめていた短剣を遠慮なく引き抜くと、どくどくと血があふれ出した。呻く男の意識を奪い、マーシャルは三本の剣の露を払った。

 久々の本格的な戦闘に、心は高ぶったままだ。頬を上気させた少女は、幼くも艶やかな美しさを保っていた。いつのまにか小降りになっていた雨が、控えめにマーシャルの身体から泥や血を流していく。膝を払って、マーシャルは立ち上がった。

 顔を上げると、何とも言えない表情のユンスティッドが、オークの木の下からこちらを見ている。彼の魔法を横目で見ていたマーシャルは、素直に感心した。高揚した心からは、普段彼といがみ合っていた事実など抜け落ちていた。


「すごいわね。私、まともに魔法を見たのははじめてだから」


 興奮していると、ユンスティッドは躊躇いがちに頷いた。彼もまた、まともに剣技を見るのは初めてだったため、内心ではマーシャルの戦いぶりに舌を巻いていた。少女が剣師団を志望していたというのも納得せざるを得ない。

 しばし、立ち尽くす二人の間に沈黙が降りた。

 マーシャルは、そっとユンスティッドを伺い見る。気持ちがおさまってくると、ユンスティッドの服があちこち汚れ、泥水を吸ってしまっていることが気になり、申し訳なく思った。


「その、本当にごめんなさい。巻き込むつもりなんてなかったのよ」

「……分かってる。そこまで頭が回るようなら、そもそもこんなことは仕出かさないよな」とユンスティッド。怒っていないわけではないが、少年の顔からあからさまな不機嫌は見て取れなかった。


 厭味と言うわけではなく、しみじみと実感を込めた一言に、マーシャルは泣けばいいのか笑えばいいのかわからなかった。


「敵の親玉は逃がしちまったし、隊長にこってり絞られるだろうな」

「言われなくても分かってるわよ」

(私はただ、お祖父ちゃんからのプレゼントを取り返したかっただけなのに)


 穏便に事を運ぶことが、根っから苦手なマーシャルである。がっくりと落ち込んだ肩を、湿った風が撫でていった。雨はほとんど止んでいて、時たま枝葉が大粒の滴を振り払っている。今もマーシャルの足元の水たまりで、大きな波紋が広がった。茶色の蛙がぴょこぴょこと跳ねて森の奥へと消えてゆく。

 その行方を見送ったユンスティッドは、額に張り付いた髪をかきあげる。


「少しくらいはフォローしてやるから、陰気くさい顔するな」


 マーシャルは驚きに目を見開く。あんまりにもじっと見つめられて、ユンスティッドは珍しくたじろいだ。


「何だよ」

「だって、アンタがフォローしてくれるだなんて。……私のこと、気に食わないんだと思ってた」マーシャルの口からポロリと本音が漏れる。

「それは……まあな。だけど、それはお前もだろう。俺のこと毛嫌いしてるじゃないか」

「毛嫌いしてる訳じゃないわよ。アンタが初対面であんな厭味な態度取るから。それに」

「それに?」先を促すユンスティッド。マーシャルは白状した。

「ちょっとだけ、ほんの少しだけよ。役に立ってるアンタに嫉妬してたの」


 それっきり、マーシャルは俯いた。頬がほんのりと赤く染まり、後悔と羞恥が渦巻いている。ユンスティッドから返ってくるだろう反応をいくつも予想して、必死に心を宥めようとしていた。「呆れた」、「そんなことで嫌っていたのか」、「子どもっぽい」。

 ユンスティッドは、ゆっくりと口を開く。


「俺は、お前が剣師団志望のくせに、ここに来たのが許せなかった」

「え……?」

「俺は魔法師に憧れて見習いになったのに、隣で不満たらたらの、ろくに知識もない奴が働いてて、気分がいいはずがない」


 マーシャルは愕然とする。ユンスティッドの心情など、これまで考えたことがあっただろうか。いつも自分のことばかりで、「早く剣師団に移りたい」と願ってばかり。


(子供っぽいどころじゃない。ちっぽけなプライドを傷つけないために、馬鹿なことをしてしまった)


「ごめんなさい」と、少女の顔がみるみる青ざめる。しかし、ユンスティッドはきっぱりと断言した。

「確かにお前はムカついた。だけど、お前が全部悪いわけじゃあない。事情を聴いても態度を改めなかったのは俺だ」

「でも、私がもしアンタの立場だったら、私のことなんかぶん殴ってるわ」

「俺が剣師団に入ったら、一日で辞めてると思うけどな」


 そう言って、ユンスティッドは笑った。どこか悪戯好きな少年っぽさが見え隠れする笑顔だった。


「つまり、お相子ってことにしとけ」


 きょとんとしたマーシャルの顔に、光が差したように笑みが広がった。丁度、雨雲の間から太陽が顔を出した時だったため、ますます輝いて見える。

 嬉しさの余り手を差し出そうとしたマーシャルの背後に、不穏な気配が忍び寄ったのはその時だった。

 ユンスティッドが目を丸くしたのと同時に、ゴツンと鈍い音がマーシャルの脳天を打った。危うく舌を噛みそうになったマーシャルは、あまりの痛みに悶絶し、蹲る。目尻に涙を浮かべて後ろを振り向いた。


「何するのよ!痛いじゃ、ない、の……」



 勢いよく飛び出した文句は、しかし尻すぼみになって終いには消えてゆく。残ったのは、マーシャルの青白い顔だけだった。わなわなと唇を震わせる姿は、憐憫の心を抱かせるほどだ。


「セ、セト兄さん……」


 へなへなと座り込むマーシャルの目前に仁王立ちしていたのは、怒りも露わに目を吊り上げている兄セトラーの姿だった。更に、後ろの茂みから、ティリフォンがやって来るのを確認して、マーシャルは消えてしまいたいと心底願った。


「マーシャル」


 地底から響いてくるような、おどろおどろしい声に、無関係のユンスティッドまでビクリと肩をすくませる。


「し、視察に行ってたんじゃ」

「さっき帰ったところだ」

「俺らも、兄貴たちと途中で合流して帰ってきたんだ。帰ってそうそう王宮が大騒ぎになっててビビったぜ」

「一番驚いたのは、剣師団にいるはずの妹が、事件の渦中にいたことだがな」


 怒気を放つセトラーを、ティリフォンが面白そうに見ている。高みの見物をする気だと悟り、マーシャルはいよいよ遠い目をした。


 一方、兄妹のやり取りを蚊帳の外で眺めていたユンスティッドは、左手の木の陰に見知った姿を見つけていた。

 「隊長」と小声で呼びかけて、金髪の男の側へと寄っていく。


「一体何が起こったんですか」

「それを聞きたいのはこっちもなんだが。つーか、お前ら二人でやったのかよ。ユンス、お前血みどろだぞ」

「僕の血じゃないですよ」

「それはそれでこえーな」


 エヴァンズは一つ息を吐いて、事の次第を説明し始めた。


「はじめ、魔法師団だけで水晶を使って盗賊団を探索してたんだよ。エルマの水晶はすげえからな、お前が隊舎に向かって少し後ぐらいか。盗賊たちが、見つかったんだが――」エヴァンズは、その時のことを思い出したのか表情を険しくした。「奴ら、三つに分かれて逃げてやがったんだ。剣師団によると、そこそこ切れる頭がいるらしくてな、上手いこと叩かねえと逃げられるってんで、両団で作戦を立てて決行しようって時だ。水晶の映像に異変が起こった。

「覗き込んで仰天したぞ。マーシャルが盗賊の一部隊壊滅させたかと思ったら、お前までやって来るんだ。ふんじばって連れ帰ろうと立ち上がったからな、俺は」


 ユンスティッドは、そっとエヴァンズから身を引いた。全身傷だらけにもかかわらず、容赦なく怒りの拳をお見舞いされているマーシャルを目にして、不安に駆られるなという方が無理な話である。


「だけどな、俺が立ち上がった瞬間、剣師団から怒号が聞こえてきたわけだ。視察から返ってきたばかりの隊も呼ばれてたらしいんだが、まさかマーシャルがあそこ二人の妹とはな……。角でも生えそうな形相だったから逆らえなくてな、俺も対処を任せた。

「どうだ。大体分かったか?」

「はあ、大凡は」

「ちなみにユンス。お前も勝手に行動した罰として、反省文百枚提出だ。それから、一週間敷地内の草刈りな」


 ピクリと眉を動かしたユンスティッドは、賢明にも不満の声を上げることはしなかった。エヴァンズの魔法師にして逞しすぎる肉体と対峙して勝てる気はしなかった。

 二人してオークの木に隠れるように佇んでいると、ぐったりとしたマーシャルを俵担ぎしたセトラーが無表情で近寄ってきた。


「愚妹がご迷惑をお掛けして、誠に申し訳ありません。殴ってやりたい気持ちで一杯だと思いますが、先に医療室に運んでもよろしいでしょうか。その後ならば、どのような処罰でも受けさせますので」

「いえ、お気持ちだけで結構ですよ。それよりも、大丈夫なんですか。妹殿、血だらけですが」

 エヴァンズはマーシャルの容体を気にして尋ねた。すると、セトラーの後ろからひょっこり顔を出したティリフォンが、大げさな手振りで笑い飛ばした。


「ぜーんぜん、大丈夫っすよ。こいつなんか、丈夫なだけが取り柄なんで。それにちっこくて軽いから、打ち身とかは殆どないし」

「ティリフォン!お前は何時になったらまともに敬語が使えるようになるんだ」

「やっべ……。そいじゃ、兄貴。先に行って、医務室手配してもらってくるわ」


 そう言いおいて、ティリフォンは飛ぶように森を走り去っていった。

 セトラーはため息をかみ殺すと、エヴァンズに向き直った。剣師団団長である父親に似た容姿に見つめられると、誰もが思わず姿勢を正してしまう。例に漏れなかったエヴァンズは、相手が十歳近く年下だと思い出して苦笑いした。


「それで、妹殿のことはどうしましょうか。元々は手違いでうちが引き取ったようなもんですし、このままそちらに行ってもらっても構いませんよ」


 エヴァンズの申し出に、セトラーは首を振った。ユンスティッドは、二人の隊長のやり取りをそれとなしに聴きながら、たまりにたまった疲労がどっと押し寄せてくるのを感じていた。


「いえ、今回の件、思わず口出ししてしまいましたが、本来は魔法師団で処理していただく問題です。妹には、きっちりと後始末させます。それが終われば、即刻引き取って再教育いたしますので」

「まあ、そうですね。手続き諸々もありますし、それがいいでしょう」

「よろしくお願いいたします」


 セトラーは深々と頭を下げると、不意にユンスティッドの方へと近寄った。予想外のことに、ユンスティッドが身体を固くしていると、セトラーは少年に対しても同じように頭を下げる。


「この子の兄として謝るよ。君にも迷惑をかけた。処罰を言い渡されたかもしれないが、それは妹にも負担させてくれて構わない」

「ああ、いえ。報告を怠った僕も悪いですから」

「他にもいろいろと迷惑をかけたことだろう。後日、魔法師団には改めてお詫びを入れに行きます」


 最後の言葉はエヴァンズとユンスティッドの二人に向けて、セトラーはマーシャルを担ぎなおした。血が抜けてぐったりとしていたマーシャルは、そこで弱弱しく目を開ける。「すみません」とエヴァンズに謝り、隣のユンスティッドに視線を移す。何かしら言葉をかけようと思ったのだが、結局はそれが彼に伝わることはなく、マーシャルは再び目を閉じた。


「申し訳ないが、お先に失礼します」


 セトラーは丁寧に頭を下げ、その場を去っていった。人一人を担いでいるというのに、それを感じさせないしっかりとした足取りだ。

 ユンスティッドは数歩後ずさって、背中を幹に押し当てた。そのままずるずると座り込む。あれだけ空を覆っていた暗雲は、ほとんど風に流されてどこかへ行ってしまっていた。枝葉の隙間から見える夕焼け空の紅と紺色の境目が、水平線のようである。


「帰るか」


 エヴァンズが、ユンスティッドの顔を覗き込んだ。マーシャルとユンスティッドの隊長として胃をキリキリとさせていたエヴァンズも、疲れが濁流のように襲ってくるのを感じていた。

 ユンスティッドは、セトラーとマーシャルが去った方角を見たが、そこに二人の姿はなかった。代わりに、エヴァンズとユンスティッドの名を呼ぶ声が、いくつもオークの森に響いていた。七番隊の隊員たちである。


「帰りましょう」


 エヴァンズが差し出した手を掴んで、ユンスティッドはぬかるんだ地面から立ち上がった。





 がっしりとした肩の上で揺られながら、マーシャルは遠ざかってゆく北の森をぼんやりと眺めていた。雨に濡れた紫色の可憐な花が、木の根元にぽつんぽつんと咲いている。柔らかい土に、大きな足跡が点々とつけられていく。セトラーがマーシャルの身体を抱えなおすたび、世界がぐわりと揺さぶられた。


「ごめんねー、兄さん」


 とろんとした口調で言うと、セトラーがちらりと背中に視線を寄越した。


「ん?ああ、それについては後でたっぷり説教してやる」

「さっきあんなに怒られたのに」

「あれで足りるわけがないだろう。父さんにも報告するからな」

「生きて帰れるかなあ」

「お前の態度次第だな」


 マーシャルは、菫色の瞳で、森の奥をじっと見つめた。彼の少年とは、少しは和解できただろうか。


(少なくとも、当初よりはマシになったわ)


 散々な結果に終わった今回の事件だが、赤鉄鉱を取り戻せたことと、ユンスティッドの本音を聞くことができた点については満足していた。


「それにしても、よく根をあげなかったな。お前、魔法なんててんで興味がなかっただろうに」

「ええ?そうだっけ」


 ユンスティッドが繰り出した魔法が、鮮明な姿で頭の中によみがえる。

―――ユンスティッドが使っていたのは氷の魔法だったけれど、雨を防いでいたのも魔法なのだろうか。だとしたら、一体どんなものなのだろうか。


「まさかお前、魔法に興味がわいたのか。止めておけよ、勉学は向いていないだろう」

「もう、言われなくても分かってるわよ。ただ、綺麗だなと思っただけ。それだけだもの」


 意地悪な兄の言葉を言い返した後で、マーシャルはこっそり両手を下方に突き出してみた。ユンスティッドがそうしていたように、真似をしてみる。


(イグニス)


 小さな声で、兄には決して悟られないように呟く。以前にやって出来なかったのだから、期待はしていなかった。

 ところが、予想に反して手のひらがじんわりと熱くなった。ぎょっとしつつも更に力を込めるようにすると、今にも消えそうな火がともった。小指の爪ほどの大きさの炎が、手のひらの上でユランユランと踊っている。


(海神ポーミュロン、貴方のたゆまぬご加護に感謝いたします……)


 マーシャルは、静かに感激した。

 そっと吹き消さないように、胸元に炎を近づける。不思議と熱くはなかった。鎖骨の下に下がったペンダントが、明りを得て燃えているようだった。

 セトラーが次に声をかけるまで、マーシャルは小さな炎に魅入っていた。彼女のはじめての魔法は、この先何年経っても、その胸の内で赤々と燃えつづけることになるのである。





タイトルは、Ki●●roの曲名をちょっと参考に...。内容は全く関係ないです汗

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