オークの森で
※若干の流血表現があります。
ユンスティッドは油を塗った布を被り、団舎から七番隊の隊舎へと走っていた。叩きつけるような雨で視界がかすみ、前もまともに見えない。ぬかるんだ地面を蹴ると、泥が飛び散って靴を汚した。
―――なんだって自分がこんなことをしなければならないのか。
答えは一つしかない。同じ見習い仲間――ユンスティッドは認めたくないのだが――のマーシャル=ディカントリーのせいである。
一時間ほど前、隊に緊急招集がかけられ、その場にいたユンスティッドも隊長室での話し合いを傍聴していた。エヴァンズによれば、王宮内に侵入した盗賊が、現在宝飾品をもって逃走中とのこと。賊が逃げ込んだのは北東の森で、魔法師団の敷地から近い。盗賊をすみやかに捕縛するよう、両団に命令が下ったそうだ。
『北西の森は広い。しかもこの雨だ。やみくもに探すより、場所を特定してからの方が早いだろう。エルマ、水晶はあるか』
『はい。丁度森を映すようにしてあるものが』
『それじゃあ、水晶を持って団舎へ行くぞ。団長から命令が下るはずだ』
それから団舎で団長と隊長による話し合いが行われ、魔法師団は盗賊団の姿を見失わないよう追跡に徹すると発表があった。実際の捕縛は剣師団主体で行われるということらしい。
水晶での探索についてユンスティッドは基本的な知識しか持っていなかったため、彼に手伝えることはさほどなかった。魔法師の半分以上は皆ユンスティッドと同じ状況のようで、手持無沙汰に団舎をうろついている。
雨粒が窓に叩きつけ、滴が伝っていくのを眺めていた時だった。
『ユンス、ちょっと聞きたいんだが』
振り返るとエヴァンズだった。
『なんですか?』
『シャリーはどこだ?団舎の方に来てるのか』
ユンスティッドは虚を突かれた。マーシャルのことなど、とんと失念していた。そういえば姿を見ていないなと思い返し、エヴァンズにそう告げる。
『もしかして、隊舎にいるんじゃねえか?すまんが、連れてきてくれ』
『……わかりました』
素直にうなずかなかったのは、面倒くさいなという思いが先立ったからである。隊舎を抜け出していた少女が悪いにもかかわらず、なぜ自分が呼びにいかなければならないのか。
(しかもこんな土砂降りの中)
ようやっと隊舎にたどり着いたユンスティッドは、一度軒下に入って露を払った。水を弾くはずの布も大した役には立たない。帰りは魔法を使おうと彼は思った。見習いの分際でと恨まれるのを避けるため普段は隠しているが、ユンスティッドは大抵の魔法を使いこなすことができた。
暖かい風をおこして適当に服を乾かし、隊舎の扉を開ける。わずかに湿った服の感触が不愉快だった。
「おーい」
何度か声を上げたが返事はなく、ため息をつきながら隊舎内を回る。あちこち部屋を見て、地下書庫まで探してみたものの、少女の姿は見当たらない。
ユンスティッドはふつふつと憤りを感じた。
(こんなときにどこへ行ったんだよ。つくづく傍迷惑なやつ)
このまま放っておきたかったが、エヴァンズに頼まれた手前、マーシャルを連れ帰らないわけにはいかなかった。
ユンスティッドは、再度マーシャルの部屋に入る。特に痕跡はなく、窓がキイキイと鳴って揺れているだけだった。
(いや……なんで窓が開けっぱなしなんだ)
あの少女のことなので、うっかりと言われても納得するが、なんとなく気になってユンスティッドは窓に近寄る。そこから外を覗くと、左の上方に壁を越えてきた枝が突き出ているのが見えた。一度だけ、マーシャルが登っているのを見たことがある。夜中に枝の上で眠りこけているのを見つけた時は、思わず二度見して呆れ返った。
(あんな高いとこ上るとか、魔法師じゃありえないな。本当、なんでアイツここに来たんだよ。剣士目指してるくせして)
マーシャルが魔法についてさっぱり知識がないのを目の当たりにするたび、ユンスティッドはいらついた。相手にも事情があると理解はしているが、笑って対応できるほど出来た人間ではなかった。
(……とまあ、現実逃避している場合じゃあないか)
深いため息を吐いて、ユンスティッドは視界に入れないようにしていた足元に目を移した。窓の真下から城壁まで、ぬかるんだ地面に点々と足跡が続いていた。
どう考えてもマーシャルのものである。
ユンスティッドは推測した。城壁をよじ登り、今頃は森の中であろうと。
―――さて、どうしたものか。
徐に顎に手を当て、しばし思案する。
普通に考えれば、エヴァンズに報告してマーシャルが何事かを引き起こす前に止めるのが正しいだろう。
(だけど、エヴァンズ隊長に報告したとして、どっちみち俺が捜索に出されることは決まっているよなあ)
雨の中を団舎まで戻り、再び森の中に探しに行くというのは、かなり非効率的なことに思われた。何もマーシャルに関することでなくとも効率の悪い行いを嫌っているユンスティッドは、躊躇いもせず結論を出す。
(さっさと見つけ出して連れ帰ろう)
空気の層をつくって雨を弾きながら、ユンスティッドは城壁まで歩く。アーチ形の氷の階段を作り上げて、彼はいとも簡単に北の森へと踏み入っていった。その胸中にて、ある決意が渦巻いていた。エヴァンズたちには知られてはいけない決意である。
(アイツに会ったらとっちめてやる。まずは氷漬けだな)
少年は、据わった目をして真剣に考えていた。
深い緑色のオークの木が、見渡す限りに繁っている。つやつやと輝く葉っぱが、リズミカルに雨をはじく音が響いていた。そのうちの一枚が、雨粒の強襲に耐え切れずにくるくると舞い落ちる。ぬかるんだ地面に落ちた葉を、伸びてきた影が勢いよく踏みつけた。
(見つけたら伸す。そして奪い返す)
北の森中では、ユンスティッドとはまた違った理由でマーシャルが闘志を燃やしていた。
どのような経緯かは知れないが、盗賊団などに大切なペンダントを渡す気などさらさらない。自分の現在の立場も忘れ、少女の頭はその考えばかりで占められていた。
大木を伝って森に降り立ったマーシャルは、とにかく盗賊団の痕跡を見つけ出そうと奔走した。雨に閉ざされたオークの森は、薄暗くどこか不気味だった。太い根や低い枝が、罠のように行く手を阻む。マーシャルは、気配を探り、目を皿のようにして地面を見つめ、ようやっとそれらしき足跡を見つけたのである。靴は泥だらけで、全身びしょ濡れになってしまったが、ここまで濡れればいっそ気持ち良いと、少女は一顧だにしなかった。
あちらこちらに出来た水たまりのせいで足跡はとぎれとぎれにしか見当たらないが、苦労して追って行く。そして、膝の高さまである木の根っこを一思いに乗り越えたところで、遂に探し求めていた気配を感じ取った。
鎌首をもたげ始めた闘志と殺気を抑え、慎重に茂みや木の影を渡って行く。靴底にたまった水が嫌な音を立てたが、降りしきる雨の音にかき消される。雨音は、マーシャルの気配も上手く消してくれているようで、あちらが忍び寄る影に気が付く様子はない。
―――もっとも、雨が降っていなくとも、マーシャルには気配を殺す程度のことは朝飯前であるが。
マーシャルは、辿ってきた道から大体の方角を割り出す。森の中心から少し北西といったところか。
―――ああ、もうそろそろ見えてきた。
木々に囲まれた、ぽっかりと小さな空間だった。なるほど、二股の木や、低いところに生えた枝が、巧妙に盗賊の姿を隠していた。
(随分、準備がいいみたいね)
菫色の瞳が細まると、波が引くように柔らかい印象が消え失せる。マーシャルは茂みの中に躊躇いなく首を突っ込むと、目の前で繰り広げられる会話を、しばし傍聴することにした。
「急げ。もうそろそろ追手がかかるはずだ」
盗賊団をまとめるリーダーの声に、まだ青臭さの抜けない青年は、荷を運ぶ足を速めた。両手で抱えられるほどの麻袋は、その大きさに反してずっしりと重く、加えて雨の中を走ってきた体には疲労が蓄積されていた。しかし、青年は歯を食いしばり、麻袋を木の洞に滑り込ませる。地下へと続くトンネルの下で、仲間がそれを受け取ったのを見届け、ほっと溜息を吐いた。
青年にとっては、これが盗賊としての初仕事だった。孤児として薄暗い路地で這いつくばるように生きてきた彼は、この盗賊団に入れたことをありがたく思っていた。汚い仕事など今更であるし、何より衣食住に困らない。大きな失敗もないと同業者たちにも一目置かれる盗賊団だった。
「よし、粗方片付いたな」たっぷりと口髭を生やしたリーダーが、ささやくような声で伝える。浅黒い肌に大きな鷲鼻、屈強な身体と精神を持つ彼に憧れるものは多かった。「一つずつ袋を担げ。痕跡は残すなよ。……いいか、ずらかるぞ」
青年は、背中の麻袋に目を走らせた。すると、ひもで縛った口から、一本の細い鎖が飛び出ていた。先に赤い石が引っかかっている。落としてはまずいと、青年はそれを袋に入れ直そうとした。
「ねえ。それ、しまってあげようか」
唐突に背後から声がした。少年のような声だった。自分が最後尾だと思っていたため一瞬ぎょっとしたものの、青年は「頼む」と頷いた。声の主の姿は、雨にかすんで見えなかった。
「じゃあ、失礼して……」
その言葉を聞き終わるか終らないかというところで、青年は首筋に強い衝撃を受けた。わけもわからないまま、彼の意識はあっという間に遠のいていく。ドサリと倒れ伏す体を見下ろして、子供のように甲高い声が呟く。
「ちょっと手ごたえなさすぎじゃない?」
異変に気が付いた盗賊団のリーダーが、警戒心をむき出しにして振り向いた。丁度、木の洞から続くトンネルへと飛び込もうとした直前のことだった。
一気に緊張の糸が張り詰める。
「誰だ」彼は猛禽類のような目つきで辺りを見回した。彼の仲間が倒れ伏したすぐ傍に、小さな人影が佇んでいた。
「……追手にしては妙だな。一人じゃないか」
「仲間がいるかも」
雨の向こうの襲撃者は、声と背丈からして明らかに子供であったが、男が気を緩めた様子はなかった。
「いないな、少なくとも駆けつけられる範囲には」
「それぐらいは分かるのね。嬉しい」
眉を顰めた鷲鼻の男は数秒黙考したが、ここを抑えられてはまずいと考えたのだろう、逃走する気配はない。代わりに、現れた追跡者の周りで殺気が膨れ上がり、物騒な音がいくつも聞こえた。
マーシャルは危機的状況にも関わらず、悠然と微笑んでいた。戦いにおいて、マーシャルが恐怖を感じたことなどないに等しい。ディカントリーの血とは、そういうものである。
―――イカレタ戦闘狂。ディカントリー家の者たちは、皆一様に己をそう称した。
(十人ねえ……いけるかな)
鉄の刃が次々と鞘から抜かれていくのが分かる。ぞくりとマーシャルの背筋が震えた。
「殺れ」
一斉に飛びかかってくる殺気。肌が泡立つこの感覚。やけに長い間感じていなかった気がする闘志に、マーシャルの眼がきらめいた。思わず満ち足りた笑みをこぼす。
襲いかかってきた幾つもの刃を、後ろに跳んで躱す。すぐ横からマーシャルの胴を狙った攻撃がやって来るのを感じ、右手で木のこぶを掴んで上空に飛び上がる。そのままの勢いで太い枝に両手をかけ、ぐるりと一回転してその上に着地するや否や、真下にいた二人組の背後に降り立った。両足のふくらはぎを深く切りつけると、大の男二人が、びしゃりと泥の上に倒れる。マーシャルは一旦身を沈めると、後ろで剣を振り上げていた男の顎に剣の柄を叩き込んだ。
血だまりに足を突っ込み、マーシャルはいよいよ楽しげに笑う。さしもの盗賊も、頬を引きつらせて剣を強く握りなおした。
少女が剣を一閃すれば、盛大な血飛沫、もしくは苦悶の声が散っていく。一撃一撃が恐ろしく正確で、太刀筋は洗練されて一切の無駄がなかった。それでいて、野生の獰猛さを隠すことはない。
水たまりに血が流れ、赤色が煙のように広がり、やがて地面を染め上げた。雨が洗い流していなければ、空気まで鉄錆の色に染まったと錯覚したかもしれない。鷲鼻の男は隙なく構えながらも、自分たちの計画が大きく狂ってしまったことを感じていた。思いの外早くやってきた追手が一人だったことが、彼に引き際を誤らせた。
とうとうまともに立っているのは、男一人になってしまう。じりじりと、少女と男は互いの距離を測った。
「……王宮仕えの剣士に、腹を空かせた虎みたいなのが居たとは驚いた。しかも女だ」
男の皮肉を、マーシャルは肩をすくめて受け流した。
「あいにく剣士じゃないわ。まあ、腹を空かせたってところは頷いておくけど、虎って程じゃないし。せいぜい猫かな。前にとびきり凶暴な雌猫って言われたことがあるもの」
「その力量で猫程度か」
「ええ。本物の剣士団には、虎とか熊とか獅子がいるわ」
「俺たちも一応、並み以上には強いと自負していたんだがな」
「そうでしょうね。そこで倒れてる人たちは、私より少し弱い。で、アンタは私より強そう」
マーシャルの評価は妥当なものだった。九人の男を打ちのめしている間に、彼女自身も腕や足を切りつけられていた。線のように細い傷口から、痛々しく血がにじみだしている。全身傷だらけといっても過言ではなかった。
そんな状況を正確に理解した上で、マーシャルは胸を躍らせていた。彼女が男たちよりも格段に勝っているもの。それは、闘志。血流が暴れるような、戦いへの欲求。
爪先が柔らかい地面をえぐると同時に、マーシャルは宙に身を躍らせて斬りかかる。鷲鼻の男はそれを難なく避け、ひらりと翻って背中を向けた。その行動に小首をかしげたマーシャルは、すぐさまハッとする。
「待ちなさい!」
男が鮮やかな身のこなしで、木の洞へと飛び込んだ。舌打ちしたマーシャルは空洞を覗き込むが、男の姿は暗闇に消えていた。トンネルは直角に近い角度で地下へと続いている。敵を逃してすっかり頭に血が上ったマーシャルは、それを追おうと洞に上半身を突っ込んだ。
雨脚は強まるばかり。空では巨大な蛇がとぐろを巻いたような雲が、体内のあちこちで稲光を光らせていた。鷲鼻の男に気を取られていたマーシャルは、背後への配慮を完全に怠っていた。地面に倒れていた者たちの息の根を、止めることはしていなかったというのに。背中にひやりと悪寒を感じた時には、同時に斬りつけられる痛みも覚悟しなければならなかった。
しかし、痛みどころか、殺気さえ一瞬のうちに消え失せてしまったのはどういうわけか。
振り向いてすぐに短剣を突き出したマーシャルは、そこにあった顔を見て顎を落とした。短剣を突き付けた右手から力が抜ける。
「こ、こんな所で何してるの」
混乱のあまり声の調子が一オクターブ跳ね上がる。垂れた枝を風で弾き飛ばしながら現れ、マーシャルの向かいに立った相手は、深いため息を吐いて地面に転がった盗賊の氷像とマーシャルとを見比べた。
「馬鹿なお前を連れ戻しに来たんだ」
服もどこも濡れていない、雨の降りしきる森にはそぐわない恰好で、ユンスティッド=シルバートが冷ややかな目をして近寄ってきた。