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ちょっとは自覚しなさい!



 とぼとぼと一年ぶりの王宮に帰り着いたマーシャルを真っ先に出迎えたのは、二番目の兄だった。マーシャルにつられて元気をなくした馬を(うまや)に連れて行き、飼葉をやって鼻面をなでて労わった直後のことだ。皆とわいわい騒ぐまでに気分が回復せず、一番遅く厩を出たマーシャルは、背後から突如首に襲い掛かってきた腕を寸でのところですり抜けた。


「おっと、勘は鈍ってないみたいで何より」


 二十年近く耳に馴染んだ声に、マーシャルは振り返る。


「……な・ん・で、鍛えるために出向いた遠征先で、勘を鈍らしてこなきゃなんないのよ、兄ちゃん!」


 くわ!と不機嫌に食ってかかると、ティリフォンはふざけた仕草で両手をあげ、後ずさった。へらへらと締まりのない笑い方をしている。


「いやあ、だって、しけた面してやがるからさ!てっきり己の実力のなさを思い知って、兄ちゃんのすごさを再確認したのかと」

「そんなこと言っていいのかしら!私ったらこの一年の内にめきめき腕をあげたもの、ティル兄だって今なら倒せちゃうかも」

「大きく出やがったな!いいぜ受けて立ってやる!……と、言いたいところだが、その前に」


 額を突き合わせていがみ合う体勢をとっていたティリフォンは、上体を起こして、妹の頭に大きな手のひらをのせ、思いっきり髪の毛を掻き混ぜてやった。


「おかえりシャリー!一年ぶりだな、元気そうでよかった」


 マーシャルはきょとんとして、兄に頭をぐりぐり回されるままでいたが、我に返るとそれを振り切ってティリフォンの腰に飛びついた。その顔に季節外れのひまわりのような笑顔が咲く。


「ただいまティル兄!ただいま!」

「おおっ、熱烈だな。あとで兄貴にもしてやれよー、多分準備運動して待ってるぞ」

「冗談好きも相変わらずね!」

「今のはあんまり冗談のつもりなかったんだけどな」


 再会を祝う抱擁を終え、改めて兄の姿を確認したマーシャルは、きっちり制服をきこなした姿に瞠目した。ティリフォンはいつも制服をだらしなく着崩しているのに。


「ティル兄、どっかいくの?」

「ちょっとな」


 ティリフォンは質問をはぐらかし、マーシャルの額に手を当てた。前髪をかき上げて、すみれ色の瞳を覗きこむ。ティリフォンは、母親譲りの深緑の瞳を持っていた。男と女の違いはあれど、兄妹は似通った顔立ちをしている。


「落ち込んでんな」

「ちょっとね」兄の口調を真似てみたが、「ちょっとね」という感じの響きにはならなかった。

「これから、魔法師団に行くつもりだったんだろ?」


 どうしてそれを、とうろたえる。ティル兄に見抜かれるなんて、私そんなに落ち込んでたんだろうか。表情を隠す修行でもした方がいいかもしれない。


「今、失礼なこと思ったろ」

「ちょっとね」ふざけたマーシャルの額を、ティリフォンが人差し指でピンとはじいた。的確な狙いに、マーシャルの額の中心が赤く染まっていく。じんじんと額の内側から打ち付けるような痛みにマーシャルはぶつくさ言った。

「まったく、親切で来てやってんのに……言っとくけどな、今から魔法師団に行っても、お前の上司も“ユンスくん”もいねーからな」

「え?何で、ユンス出かけてるの?上司ってエヴァンズ隊長たちのこと?」


 マーシャルは驚いて、立て続けに問いかけた。


「ていうか何で兄ちゃんがそんなこと知って――――」

「はーい、そこまでな。ストップ」


 口をふさがれて、氾濫していた言葉がマーシャルの喉元へと逆流していく。ゲホッと咽てから、ようやく落ち着きを取り戻し、マーシャルはもう一度聞き直した。


「それをわざわざ教えに来てくれたの?」

「まーな。もしかしたら落ち込んでっかなと思ってさ」


 そこでマーシャルは、ハロルドの言っていたことを思い出した。隊長たちもおおむね賛成しているということは、兄たちにも伝わっている可能性があったわけだ。むしろ、話が出た時点で、気を遣った誰かが父や兄二人に打ち明けたのだろう。


(ユンス、王宮にいないんだ……隊長たちも)


 落胆した一方で、ほっと胸を撫で下ろす自分もいた。あんな提案を突きつけられたあとで、ユンスティッドといつも通りに話せる気がしなかった。いくら手紙のやり取りがあったとはいえ、一年ぶりに直接再会するのだから尚更だ。


「そっか、ありがとティル兄。じゃあ大人しく、皆が帰ってくるまで……」

「待ってるなんて悠長なことは、言ってられる事態じゃねーんだな、これが」


 眉を顰めたマーシャルの耳元に、ティリフォンは顔を寄せた。こそこそと何事かを囁く。訝しげに眇められていたすみれ色の瞳が徐々に見開かれ、最後は真ん丸になった。信じられないと言うように、兄を見上げる。


「ティル兄、それって……」

「しっ!」ティリフォンは、さっと周囲にひと気がないことを確認して、声を潜めた。「いいか?今のはオレの独り言だから、絶対秘密だ。約束しろよ」


 マーシャルは神妙な面持ちで頷いた。ティリフォンは、持ち前の明るさを前面に押し出した、屈託ない笑顔で妹の背中を押した。

「ほら、落ち込んでる暇なんかなくなったろ?」確かにその通りだった。ハロルドの言葉は今だ胸の目立つところに引っ掛かっていたが、今はそれより優先すべきことができた。「さあ、行った行った。気付いてると思うけど、嵐がくるぞ」


「うん。帰ってくるとき、雨雲が見えたわ」

「ああ、春の大嵐だ。道中気を付けろよ」

「分かってる!兄ちゃんもね」


 早速足を前に出そうとして、そういえばハロルドへの返事を保留にしたままだと思い出した。ちらりと厩の方を一瞥する。ううん、ハロルドは返事はゆっくりでいいって言ってくれたもの、帰ってから答えればいいわよね、と結論付けた。それにまだ、ちゃんとした答えは出ていないのだ……

 マーシャルは走り出した。ティリフォンは、あれほど声を潜めていたわりには堂々と手を振ってそれを見送ろうとし――――「あ!」と声をあげてマーシャルを呼び止めた。


「シャリー、一つ言い忘れてた!」

「なにー?」


 振り向くと、ティリフォンが口に両手を添えて、厩の周辺一帯に響くどでかい声で叫ぶ姿が目に入った。


「ユンスくんと再会するまでに、そのぶっさいくな笑顔直しとけよ」


 言い終えてケラケラと笑っている。マーシャルは、そこら辺に転がっていた飼い葉桶を無神経な兄に投げつけた。誰が不細工よ!



 見事な軌道を描いて飛んできた飼い葉桶を、あっさりと受け止めたティリフォンは、あっという間に遠ざかっていく妹の背中を見送った。すばしっこい動きで少女が団舎の角を曲がるのを確認してから、物陰に潜んでいた青年に声をかける。


「よお、ハロルド。お前もおかえり」

「ただいま帰りました」

「一年間、ガキどもの世話役ご苦労だったな」

「ありがとうございます。ところでその”ガキ”にはシャリーも含まれているのでしょうか。聞いたら怒りますよ」


 ティリフォンは人差し指で桶をくるくると器用に回しながら、唇をタコのように突き出した。


「えー、でもオレの中だと、シャリーは剣師団に入りたてくらいで成長が止まってるんだって。そんなに身長も変わんねーしよ」

「シャリーには内緒にしておきますね、それ」


 ハロルドはため息を吐いた。入団したばかりの頃は、随分と大きくて立派な人だと思っていたが、背丈はとうに追い越してしまっていた。それでも剣の腕は到底かなわないので、ティリフォンに対する尊敬の念は薄れたりはしない。ただ、年の割に童顔で落ち着きが足りないため、何となく親近感を抱きやすい男だった。


「にしてもハロルドには損な役回り押し付けちまったな」

「本当ですよ!」ハロルドは息巻いた。「隊長たちが伝えてくれれば良いところを、何故か僕がおしつけられて……!」

「あー、悪かったって。オレが代わりに謝るからさ」

「シャリーを落ち込ませてしまうし……僕だってシャリーがあちらの師団から離れがたいことなんて分かってますよ」


 沈み込む後輩の肩を叩いて、何とか励まそうと勤しんだが、大した効果はないようだった。


「隊長たちから頼まれた時、きっぱり断れればよかったんだけどな」

「断りましたよ。でもシャリーを落ち込ませてセトラーさんの不況を買うのが怖くて、誰も役目を買って出なかったんです」

「兄貴は公私を分けるから、別にそんなことじゃ怒らないぜ」

「しょうがないじゃないですか……どうしようもなかったんですよ」

「うんうん、そーだな」面倒になってきて、ティリフォンの慰め方にもずさんな部分が現れてきた。「しょうがねーよ、じゃんけんで負けたんだもんな、これも運命だって」


 ハロルドが心底恨めし気な視線をティリフォンに向けた。


「シャリーにまた嫌われたら恨みますよ」

「オレに言われても困るぜー」

「じゃあ可愛い恋人に慰めてもらいます」

「よし、ハロルド、一年間の成果見てやるからオモテに出ろ」


 ハロルド渾身の反撃に、ティリフォンは親指を立ててくいっと後ろに引っ張った。


「勘弁してください」

「生意気言いやがって!」


 ハロルドの首に腕をまきつけて、ぐいぐいと締め付けるティリフォン。軽口をたたいて談笑しながらも、その視線は西の空に向いていた。マーシャルは無事に目的地まで辿り着けるだろうか。鼻先をかすっていった風からは、嵐のにおいがした。



*****



 ビアンは学生寮の窓から空を見上げた。つい昨日までは快晴が広がっていて、陽気な春の空気を取り込もうと窓も開けっ放しにしていたのだが、今は閉めきって鍵もしっかりとかけてしまっていた。


「曇ってきたね、お兄ちゃん……」


 ひゅーひゅーと外で風が鳴っていた。ガタガタと窓枠が揺さぶられる。いつ雨が降って来てもおかしくない状態が続いていた。雲は稲妻をため込んで、嵐を起こす時を今か今かと待ち構えている。


「わ、私、後輩の子たちの様子を見てくる……」


 ソファーにあおむけで寝そべって本を読みふけっているロッソは、投げやりな返事をした。ビアンは兄の読書を邪魔しないよう静かにドアを閉めると、一つ階を下りて低学年の子たちの部屋を訪ねていった。面倒見のいいビアンは、頼まれずとも、こうして何かある度に幼い学生たちの世話を焼いてやっている。長年兄と一緒に暮らすうちに染み付いた習性だった。

 ホッとしたことに、休暇の間も寮に残っていた子どもたちは雷に震えているかと思いきや、ベッドの上で元気に跳ねまわっている。ビアンは用意していた慰めと励ましの言葉ではなく、はしゃぎすぎないように注意の言葉をかけて、階上へ戻った。嵐が来る前に雨戸を閉めるから、真っ暗になったと子どもたちはまたはしゃぐかもしれない。怖さに泣いてしまうよりは余程マシだと、ビアンはひっそり微笑んだ。

 部屋の前で兄に声をかけたが返事はない。いつものことだったので構わずに中に入った。


「小さい子たち、大丈夫だったみたい……そういえばお兄ちゃん、向こうの研究室は……」


 そこまで言って、ビアンははたと口を閉じた。ぱくぱくと金魚のように何度か開閉を繰り返し、やっと掠れた声を出す。「お、お兄ちゃん……」どもりながら兄を呼ぶが、(いら)えはなかった。小さな部屋なので、探すまでもない。廊下を覗いたが、兄の姿はなく、ロッソはあとかたもなく消えてしまってた。

 ソファーにぽつんと置かれた本を見て、ビアンは驚きに立ち止まる。ページが開かれたままで、しおりも挟まれていない。日常生活ではずさんな兄だが、本と研究道具だけは大切に取り扱うのに……


「お兄ちゃん?」


 不安になって何度も呼ぶ。外に探しに行った方がいいだろうか。だが、兄も立派な大人なのだし、ビアンが心配しすぎる方が迷惑かもしれない。

 どうしよう、どうしよう……でも、やっぱり探しに出よう。悩んだ末にそう決めて、ビアンが上着をとって再び部屋を出ようとした時だった。

 バシンッ!

 窓が打ち鳴らされる。小石でも投げられたかのように、薄いガラスがたわんだ。バシンッバシンッ!連続でガラスが叩かれた。恐る恐る振り返ったビアンは、弱々しげに「あ……」と叫び、いつも垂れ下がっている眉尻を更に下げた。ちぢれた赤毛をぎゅっと引っ張って伸ばし、不安を抑えこもうとした。


「どうしよう……お兄ちゃん、傘持ってるかな……」


 外では、我慢の限界を超えた雨雲が、黄色く光る笑い声も高らかに、大粒の雨を降らせはじめたところだった。

 ロッソはどこに消えてしまったのだろうか。



*****




 三大公爵家と謳われるだけあって、シルバート家のダンスホールは広大だった。何百人も収容できる空間であり、床は一面の大理石。天上を支える柱は、乙女の肌のように滑らかで白く、巧みな技術によって大輪の薔薇の彫刻があしらわれている。壁にはお抱えの画家に描かせた何枚もの巨大な絵が、金色の額におさまっていた。二階にはコの字型に赤い廊下が張り巡らされ、柱と同じ色の欄干が作りつけてある。そこからバルコニーに出ることも出来た。

 国で一二を争うほど豪華なダンスホール。

 しかし、その中で最も人々の目を引くものは、何をさておき壮大な天井画だった。海神ポーミュロンを中心に据え、まわりには絶世の美貌をもつ四人の女神たちが夫を慕い、ある者は神々しい足に縋ろうと、またある者はポーミュロンが身にまとう腰布の端に触れようとしている。雲一つない空には、蔦のような植物から咲く桃色の百合のような天上の花や、虹色の尾をもつ鳥が飛び交い、ポーミュロンの足元では神の威光に打たれる地上の動植物が群がっている。雄々しく天に向かうポーミュロンは愛用の槍と盾を携え、頭上から差す光は、誰しもに楽園を想像させた。

 その天井からは、真鍮を使った、それだけで家が一軒立ちそうなシャンデリアがいくつもぶら下がる。はじめてこのホールを訪れた人々は、必ず入り口で足を止めて、ほうと感嘆の息を漏らすのだった。

 父である公爵とともに来客に挨拶をしていたユンスティッドは、次に控えていた伯爵夫妻が進み出てくる前に、隣に佇んでいた女性にすばやく謝罪した。


「すみません、キルシュさん。付き合わせてしまって」

「いいのよ、了承したのは私だもの。気にしないで」


 伯爵夫妻に声をかけられたキルシュは、如才なく受け答えして、微笑みと共に彼らを見送った。ひょっとした自分より社交の場に向いているのではないかと思ったが、時折笑顔が消えるところを見ると、やはり彼女も疲れがたまってきているらしい。

 申し訳なくて、ユンスティッドは頃合いを見計らって、父親に一旦抜けさせてもらえるよう頼み込んだ。ダンスがはじまるまでには戻ってこい、と言われ、ユンスティッドはキルシュをダンスホールから外に連れ出す。一度二階のバルコニーに出ようとしたら土砂降りの雨が降っていて驚いた。歓談の声に雨音が紛れて気付かなかったのだ。仕方なく、公爵家の空いている部屋で休むことにする。一緒に誘っていたエヴァンズ隊長にも声をかけると、香水臭い貴族の奥方に話しかけられてたじたじとなっているところで、助かったとばかりに飛びついてきた。

 キルシュは腰から薄緑の布がさらさらと流れるロングドレスをうっとりするほど可憐に着こなしていたが、エヴァンズは着なれぬ燕尾服が鬱陶しいらしく、何度も襟を調節していた。似合っていますよと言うと、厭味かよと返される。そういうユンスティッドは、白色の軍服風の衣装を着ていた。肩の所に金色の房が付いている。


「剣師団の奴らが着てるのは見たことあるが、うちの団でそんなもん着てる奴を見たのははじめてだ」


 エヴァンズが指摘すると、ユンスティッドは顔をしかめた。


「母が着ろってうるさいんですよ。うちのパーティーはどうしても学院関係の客が大半なので、燕尾服ばかりで飽きるからって。断ったんですが、今まで出席しなかった分償えと押し切られまして……」

「俺たちとしちゃ、その場面見て見たかったもんだな。お前が口で負けるなんて、あんまあったことじゃねえだろ」

「そうですか?」キルシュまで頷いたので、ユンスティッドは首を傾げた。


 三人は、暖炉のある小部屋で、一人用のソファーにそれぞれ腰掛けてしばらく談笑した。暖炉には当然ながら火は入っていなかったが、色とりどりのタイルが張られていて、目に楽しく、話題はそこから公爵家のダンスホールの話になり、やはりというか魔法に関する話題に移り変わり、ユンスティッドがすまなそうに、そろそろ戻る時間だと告げたところで切り上げることとなった。


「このあとのダンス、疲れたらすぐに休んでくださいね。行ってもらえれば早めに抜け出せるようにも手配しますから」


 自分の都合で慣れない場に引っ張り出してきたことを心苦しく思い、ユンスティッドは再三気遣いの言葉を口にした。廊下は横幅も広いが縦にも広く、ホールの騒がしさが遠く感じられる。シャンデリアの輝きに比べると、ここは薄暗かった。


「もう、いいわよそんなに気を遣ってくれなくても。私も、久しぶりにパーティーに出れて嬉しかったし。ここ数年、魔法師団主催のものくらいしか出ていなかったから」

「違いねえ!俺はうめえもん飲み食いできて楽しいぜ、まああの鼻につく臭いは気に入らねえけどよ……」

「あー、隊長って大自然の中でお肉食べてる図が似合いますもんね」


 キルシュがそう言って、ユンスティッドも同意したため、エヴァンズは舌打ちしながら首の後ろをかいた。否定はしなかったところを見ると、自分でも納得してしまったらしい。

 ホールに戻ると、すでに最初の曲がはじまっていた。主賓である侯爵夫妻がホールの真ん中で最初に踊り、それにつづくように周囲の男性たちがおのおの女性客にダンスを申し込んだ。つつがなくワルツが奏でられる。公爵家お抱えの楽団の腕は確かで、すぐにホールは踊りを楽しむ男女であふれた。

 ユンスティッドも礼儀正しくキルシュを誘って、するりと踊りの輪の中に入っていく。二人ともステップに淀みはなかった。こうなると、ダンスのパートナーを変える時がますます憂鬱だった。ずっとキルシュと踊っていられれば気楽なのに。

 物憂げな雰囲気を表情に出したつもりはなかったが、キルシュは何かを悟って話題を振ってきた。彼女なりの、明るい話題を。


「シャリーちゃん、いつ帰ってくるのかしらね。もうそろそろよね?」


 またこの話題か、という思いは何とか悟られずに済んだ。無理やり笑みを浮かべて誤魔化す。キルシュがじっとそれを見つめた。


「そうですね、正確な日程は分からないって手紙に書いてありましたけど」

「王宮に帰ったら、シャリーちゃんに出迎えられちゃったりしてね。楽しみだわ」


 言外に、あなたも勿論そうよね?と言われているようでならなかった。楽しみ……自分はマーシャルが帰ってくるのが嬉しいのだろうか。確かに、春が近づくにつれてマーシャルの帰還を意識してはいたけれど、キルシュやエヴァンズたちのようにそわそわしたりはしなかった。マーシャルがいない状況に体が慣らされてしまったのではないかと、心の片隅で思う。


(楽しみ……か)


 マーシャルと毎日一緒にいた頃、自分は楽しかったのだろうか。分からなくて、思い出の引き出しをあさる。ふと、足元に視線を落とした。磨かれて艶光りする二足の靴が、音楽に合わせて上下左右に忙しく動く。まわりのカップルもくるくると回っていた。

 あの時は、こんなにきらびやかな服は着ていなかった。水色の質素なローブをお互いまとっていたはずだ。シャンデリアもなくて……もっと暗い場所で……酒のにおいが漂っていて……飲んでもいないのにこちらまで酔ってくるような陽気な空気に満ちていた。なによりパートナーとの身長差がもっと少なくて、くるりと回る度に、目の前で馬の尻尾のような髪の毛が躍っていた。

 ユンスティッドは、はっきりと思い出した。


(三年前の豊穣祭だ、あいつと踊ったのは)


 一度きりの出来事だった。それきりマーシャルと踊る機会はなかったのだ。ちょっとした事件があったからだろうか、その時の光景は鮮やかに脳裏に蘇る。夜闇に浮かぶ、星より明るいランタンたち……


(あの時は楽しかった)


 そう思うと、たちまち次の思いが押し寄せてきた。キルシュの前でこんなことを考える自分が信じられず、だが、水中から浮かんでくる気泡のように思うことは止められない。


(もし……もし、この舞踏会も、あいつと踊っていたら、俺は――――)

「シャリーちゃんがいたら、一緒に踊れたのにね」


 大げさなまでにギクリとした。心臓が早鐘を打つ。琥珀の瞳に考えを見透かされたかと思ったのだ。しかし、てらいなく笑うキルシュを見る限り、どうやら違うようだった。


「ユンス君だって、その方がいいに決まってるものね」

「いえ……」


 キルシュは「でも」と言って、表情を一転させた。


「シャリーちゃん、ちゃんと魔法師団に帰って来てくれるかしら」


 まさしくそれは、先日リングアに問い詰められた問題だった。キルシュは心配そうな顔つきをしたが、一瞬のうちに心配事が掻き消えたとでもいうように、笑顔に戻った。


「もし剣師団がいいって言われたら、ユンス君引き留めてね」


 それが当然のような口調だったため、ユンスティッドは返事をするのに手間取った。驚きに目を瞬かせる。キルシュは、どうしてそんなことを言うのだろうか。


「どうしてですか?」


 今度はキルシュの方がユンスティッドの言葉に驚いていた。あんぐりと口を開けている。


「どうしてって」キルシュは絶句した。少しして、言葉を取り戻す。「だって、ユンス君も、シャリーちゃんがいなくなるなんて嫌でしょう。あなたたちずっとパートナーだったじゃない」


 ユンスティッドは戸惑った。マーシャルが遠征を決めたのは、マーシャル一人の選択だ。パートナーだったら、他人の決意や重要な選択に口出ししていいだなんて、そんなわけはないだろう。


「あいつの人生はあいつのものです。剣師団に行きたいと言われたら見送るだけです」


 ステップを踏むのをやめて棒立ちになったキルシュの目が、これ以上ないほどに見開かれた。唇が小刻みに震えている。


「デュオじゃなくなったって、あいつとの関係が変わるわけではありませんから。現にこの一年間だって、」

「ユンスティッド=シルバート!!」


 突然の大声にユンスティッドはぎょっとした。まわりで踊っていた招待客たちも一斉にこちらを向く。キルシュは己の手をユンスティッドから奪い返すと、肩を震わせて俯き、キッと睨み上げた。体全体で怒っていた。琥珀の瞳の中で炎が燃えている。キルシュは、人差し指をユンスティッドの眉間に勢いよく突き付けた。そのまま額を刺しかねない勢いだった。


「あなた、ちょっとは自覚しなさい!」


 あまりの気迫に、しんとその場が静まり返った。雅やかな音楽だけが流れるが、キルシュの怒りを宥めてくれることはなかった。


「その出来の良いおつむは飾り物なの?天才魔法師なんて、名ばかりだったの?」

「は?いや……キルシュさん?」

「この鈍感!!」


 おいたをした子供を叱るような調子に、ユンスティッドはたじろいだ。一歩後退すると、キルシュはその距離以上に詰め寄ってくる。一体何なんだと、ユンスティッドは目を白黒させた。


「いい?ちゃんと考えるのよ……」言いかけて、言葉を取り消した。

「いいえ、そんな必要ないわね。あなた一年もシャリーちゃんに会ってないから、そんなこと言えるんだわ。会ったら分かるわ、きっと。嫌ってほど思い知るわよ」

「それは何を……」

「それくらい自分で考えなさい!」


 ぴしゃりと跳ねつけて、キルシュは踵を返した。ハイヒールをカツカツと鳴らして、肩を怒らせたまま、食事が用意されている別室へと立ち去って行った。


「あー、こりゃ、明日は二日酔いでからまれるかもな」

「エヴァンズ隊長」


 いつの間にか傍らにやって来ていたエヴァンズに、ユンスティッドは声を上げた。


「お前何やらかしたんだ?オレが来た時にはもうおっぱじめてたから、何が何やら」

「…………」


 何が何やらは自分も同じです、と言いたかったが、ユンスティッドは口をつぐんでおいた。しかし、キルシュにはもはや何も隠し通せないというのか、彼女は別室に入る直前で振り返り、つかつかとこちらに戻ってきた。そして再び突きつけられる人差し指。隣のエヴァンズも何故か一緒に肩をびくつかせていた。


「ユンス君、一つだけ教えてあげる」もう片方の腕も伸ばしたかと思うと、キルシュはユンスティッドの両頬をつねって引っ張った。

「あなた、自分が最近ちゃんと笑ってるか、よく考えてみなさいな」


 目を据わらせて鼻を鳴らしたキルシュは、今度こそ――――おそらく酒を飲むために別室へと消えて行った。エヴァンズが慰めるようにユンスティッドの肩を叩く。キルシュの怒りをなだめすかすために、彼もまたダンスホールから去っていった。取り残されたユンスティッドは、何とも気まずい思いを味わう。まわりで踊っていた客たちに謝罪し、空気をやわらげ、ダンスを再開するように促す。

 それを終えると、足早に二階のバルコニーへ向かった。外は叩きつけるような大雨のため、えんじ色の分厚いカーテンが閉め切ってある。カーテンの陰に隠れるように壁にもたれて、途中で従僕からもらったワインを片手に考えにふける。


(全く、なんだって言うんだ。思い知る?何を)


 マーシャルはやっぱり騒がしい、とか?ふざけた考えは頭を振って追い払った。キルシュにああも叱られては、考えざるを得ないではないか。

 仮に、王宮に帰ってきたマーシャルが、やはり剣士になりたいから魔法師団を辞める――――ユンスティッドとのデュオも二度と組まないと言ってきたとして、自分に何が言えるだろう。


(確かにあいつは最初に思ったよりずっと良いパートナーだった。俺たちはそこそこ良いデュオだっただろう。でも、だからこそちょっとやそっとのことじゃどうにもならないだろうに。剣師団に行ったとしても、同じ王宮内じゃないか、いつだって会える距離だ。それで大きく関係が変わる訳じゃない)


 確かに、近くにいないと、無茶やらかしていないかと心配になることはある。キルシュもああ言っていた。だがそれでも、ユンスティッドが口出しすべきことではないと思うのだ。

 この一年間だって、何度か手紙のやり取りはしたものの、マーシャルは何も変わっていないように思えた。自分たちの関係に変化はない。だからユンスティッドの考えに間違いはないはずだった。

 そこで、ふと引っ掛かりを覚えた。


(一年……そうか、もう一年も経つのか)


 思ったより短かったような気がする。でも、もう一年間もマーシャルの顔を見てもいなければ、直接口を利いてもいない。ふっと彼女の顔を思い浮かべようとして、ぼんやりとした輪郭しか浮かばないことに愕然とした。そういえば、三年前の豊穣祭のことだって、夜空や広場の景色はよく覚えているのに、マーシャルの顔だけが曖昧模糊としていた。確か、笑っていたはずだ。

 マーシャルの髪のやわらかい感触が不意に懐かしくなった。だが実際にどんな風だったかといえば、まるで思い出すことができない。


(どんな風に話していただろうか)


 キルシュに教えられた言葉が急に重みを増してのしかかってきた。カーテンを少しだけ持ち上げて、雨に濡れたガラスに自分の顔を映す。見慣れた無表情だった。


(前は、どんなふうに笑っていたんだろうか)


 ユンスティッドは口角を持ち上げようとした。自嘲するくらい、下手くそでぎこちない笑みが出来上がった。キルシュに言われた通りかもしれない……ユンスティッドは認めざるを得なかった。でもそれがマーシャルと離れたせいだなんて、そんなことあるのだろうか。マーシャルがいれば、自分はどんな風に笑うのだろう。マーシャルと笑いあったことなど何度もあったはずなのに、ガラスに映った自分がそれを再現できないのは妙な話だった。



 音楽からだんだんと楽器の音が抜けていって、最後にバイオリンが弦を鳴らして曲が終了した。シルバート公爵が二階からホール全体を見下ろすように立ち、片手を上げて声を張る。コントラバスのような、厳格な響きの重低音だった。

 父の声を聞いて、ユンスティッドは我に返った。急ぎ足で父親の下に向かう。パーティーの余興として魔法を見せるよう、事前に言い渡されていたのだ。魔法は見世物じゃないんだからと断ろうとしたが、これまた押し切られて渋々引き受けた。ほろ酔いの観客など何を見せても拍手を贈るのだから、簡単なものでいいと言われたが、面倒なことに変わりはなかった。親孝行は、普段からこまめにやっておくべきだと今回のことで身に染みた。

 父親の傍らに立ったユンスティッド。公爵の合図でダンスホールの明りが全て消えた。フッと、鼻をつままれても分からない様な暗闇が訪れる。少しの沈黙、ざーざーと降りしきる雨音、招待客たちがざわつく。

 ユンスティッドは、小声で呪文を呟いた。「ソール、ヴィンディカット(解放)」公爵がちらりとこちらを伺った気配がした。

 片腕を上げて、ユンスティッドは生み出した魔法の光を操る。招待客がため息のような歓声を上げた。

 天井からぶら下がっていたいくつものシャンデリアが、ぼうっとした白い光に覆われて虫の繭のような球体となった。そこから、小さな光の球が飛び出てきて、ホタルのように飛び交い、地面が近づくと雪のようにはらはらと舞い落ち、大理石に吸い込まれていく。小さな球体が飛び出るにつれて、シャンデリアを覆う球体は萎んでいき、やがて消滅する。最後に、全ての光の小球を吸い込んだ大理石の床をまばゆく発光させて、ユンスティッドは演目を終えた。

 パラパラと拍手がばらついた後、割れるような喝采が起こった。短い余興だったが、十二分に満足してもらえたらしい。

 何事もなく終わったことに安堵したが、心には霞がかかったままだった。雨粒で濡れたガラスを通した度との景色のように、自分のすべきことが分からない。ホールの暗闇を照らす光さえ、ユンスティッドの本心を照らし出してはくれなかった。こればかりは自力で見つけ出さなければならないのだ。


(マーシャルに会えば分かる?そんな単純なことで分かるんだったら、今すぐ答えが出てもよさそうなものじゃないか)


 いらだたしげに、暗いままの虚空を見つめた。明りは未だ戻ってこない。瞼の裏では、白い沢山の光たちが、道に迷うユンスティッドを惑わして遊んでいるようだった。




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