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氷の森



 まずはじめに頭に浮かんできたことは、もしかして自分は死んだのではないかということだった。

 まさか、と否定しようと思えど、あの高さから落ちたにもかかわらず痛む箇所はほとんどない。ただ頭がぼうっとして、耳の奥でキーンと甲高い音が鳴りつづけていた。子猫が鳴いているようなかわいらしいものではなく、生理的にぞっとくるような音だ。まるでとがった金属をこすり合わせているような。


(やっぱり死んだんじゃないだろうか)


 目の前が真暗で何も見えない上に、奇妙な高音に耳を塞がれている状態では、そう思うのも無理はなかった。

 だけれど、じきにそれはどうやら早とちりだったらしいと気が付いた。キーンという音に強弱がつきはじめたのだ。その音が弱まったり強まったりしたあとで、だんだんとおさまってきてホッとする。しかし、今度は別のやかましい音が耳に入り込んでくるようになった。

 一体何なんだ。そう思ってよくよく聞いてみると、途切れ途切れだった音が、きちんと意味を成した言葉として聞こえるようになった。

 それが自分の名前だと気づいたのを合図に、ぱちりと両方の瞼がひらいた。


「ユンスティッド!」


 ぱちぱちと瞬きを繰り返す。

 菫色の瞳をもつ少女が、少し怒ったような顔でこちらを見下ろしていた。夜にも関わらず、瞳がらんらんと光っていて、紫水晶のようだ。彼女の茶色くて長い髪の毛の房が、ユンスティッドの胸元辺りに垂れていた。大勢に反抗するように飛び出た一二本の髪の毛が、下あごをくすぐりそうな位置にあった。

 以前にもこんな風に起こされたことがあったなと思う。その時は往復ビンタをくらったことを考えると、この少女の成長の度合いもはかることができるというものだ。


「ちょっと……大丈夫?」


 ぼんやりとして中々言葉を発しないユンスティッドに不安になったのだろう、マーシャルの顔から怒りが消えて、心配そうな雰囲気だけが残った。


「ああ」と答えて、起き上がろうと身じろぎする。その拍子に、うなじの部分が地面に触れて、チリッと刺すような痛みが走った。

「さっさと体おこした方が身のためよ。下、凍り付いてるもの」とマーシャル。

「道理で」


 忠告に従って起き上がると、地面とくっついていた服がバリバリと音を立ててはがれた。鼻先と耳が赤くなっているのが見なくとも分かる。手袋をしていたにも関わらず、指先の感覚がなかった。両手をすり合わせながら、何がどうなっているのか尋ねることにする。


「ここはモミの森だよな」

「そうよ、ほら上を見て」マーシャルが指差した。「今は見えないけど、あそこに町があるはず」

「すごい高さを落ちてきたんだな……」


 改めて見上げると、自分はよくあの高さから飛び降りたものだと感心してしまう。明るい昼間だったら絶対に躊躇っただろう。マーシャルは、彼女にしては神妙な顔をして相槌を打った。


「そうよ、私、確実に死んだと思ったもの。それをアンタが風の魔法で助けてくれて……おかげでケガはなかったけど、アンタは衝撃で気を失っちゃうし……アンタが……」


 なぜかそこで黙り込む。そうかと思うと、いきなりカッと目を見開いて食って掛かってきた。


「どうしてよ?!」とマーシャル。

「なにがだ」と聞き返す。


 マーシャルの肩はぶるぶると震えていた。寒さからではないだろう。


「な、ん、で、ユンスまで来てるのよ!何とか助かろうと掴まるところを探してたら、上の方からアンタが降ってきて、私がどんだけ驚いたか分かる?!心臓が縮み上がったわよ」


 地団太を踏みそうな勢いで、マーシャルは、まるでユンスティッドが全部悪いのだとばかりに責め立ててくる。

 頭はまだ覚醒しきっていなかったため、まくしたてられるままだったが、ユンスティッドはだんだんと腹が立ってきた。なぜそこまで責められなければならないのか分からない。こっちは助けてやったにも関わらず、だ。


「じゃあ、何だ。あそこであのまま見てればよかったのか」

「それは……だって、私一人なら自力で何とかなったかもしれないもの」


 何とも助けたかいがないことを述べるマーシャルに、ユンスティッドは的確に反論した。


「こんな雪の降り積もった森で?お前のは、何とかなった『かもしれない』だろう。俺には助ける自信があったから、飛び降りただけだ。焦って命を捨てるほど馬鹿じゃない」

「だったら!」マーシャルはまだ納得がいかないようだった。「崖の上から助けてくれればよかったじゃない。アンタは残って、町の人の手を借りてくれれば……」

「崖の上からじゃ距離があって、狙いを定めにくかったんだよ」


 それにあの町の様子じゃあ、手を貸してくれるかどうか怪しかった、ということはこの場では伏せておいた。不安になる要素をむやみに増やす必要はない。とくにこんな最悪に近い状況下では。


「でも、失敗したら二人とも死んでたわよ?アンタの魔法が失敗するとは、そりゃあ思わないけど、万一のことを冷静に考えてみたら、アンタだけでも無事でいた方がマシじゃない」


 食い下がるマーシャルに、いい加減ユンスティッドも苛ついてきた。マーシャルの言うことにも一理あるけれど、終わってしまったことはどうにもならないし、結果が良かったならばそれでいいじゃないか。しかし、面と向かって怒ることはしなかった。マーシャルの八の字型になった眉を見れば、巻き込んでしまったことを申し訳なく思い、ユンスティッドを心配していることは明らかだったからだ。泣きっ面に蜂を放つような悪趣味は持っていない。

 はー、とユンスティッドはため息を吐く。白く濁った色が広がって、森の空気に霧散した。


「あのなあ、マーシャル」はなはだ心外だという気分で言って聞かせる。「俺だって別に冷血漢ってわけじゃない。冷静ってお前は言うけど、さすがに親しい人間の命の危機を前にして焦らないほどじゃないからな」

「嘘だあ、血の代わりに黒いインクでも流れてるんじゃないの」


 半ば冗談、半ば本気で言っているのがわかって、ユンスティッドはマーシャルを軽くにらんだ。


「お前の中の俺のイメージどうなってるんだよ」

「血も涙もない魔法研究オタク……」ユンスティッドの眼光の鋭さに焦ったのか、それとも元からそうするつもりだったのか、マーシャルはおどけた仕草ですぐに前言撤回した。「っていうのはさすがに冗談。でも、アンタが追っかけてきたのにびっくりしたのは本当」


 どうして?と聞くマーシャルは、本当に不思議そうな顔をしていた。何年も一緒にいるのに、彼女とは未だに分かり合えないことがある。いや、分かり合えないことだらけ、のほうが正しいかもしれない。

 差し迫った状況でもないため説明してやろうかとも思ったが、何だか面倒になってしまった。てっとり早く片付けてしまいたい。


「お前が俺の立場だったらどうしたんだ?」

「私がアンタの立場だったら?」


 ユンスティッドの質問に、マーシャルはきょとんとした。ちょっと考え込んだ後、「そっか」と閃いた様子でにっこりと笑う。先程までの落ち込んだ雰囲気が薄れた、彼女らしい天真爛漫な笑顔だった。


「私がアンタだったら、アンタと同じ行動をとるわね」


 ユンスティッドは満足して黒目を細めた。


「そういうことだ」

「うん――――助けてくれてありがとう」


 そこでユンスティッドは、心置きなくこう答えたのだった。「どういたしまして」





 マーシャルの気持ちも落ち着いたところで、さてこれからどうしようかという話になった。とにかく状況を確認してみよう。マーシャルに聞いてみると、彼女はユンスティッドが目覚めるまでそばについていたため、辺りの探索はしていないということだった。


「とにかくここが危険かどうかだけ知りたいな」

「そうね」と、マーシャルも同意した。


 二人はできるかぎり崖から離れないように注意しながら、魔法の光を灯してぐるりとあたりを回ってみることにした。革製の長靴が、積もったばかりの柔らかい雪をサクサクと踏み鳴らす。

 夜の色にそまった氷の森は、ひっそりと静まり返って不気味だった。足元の地面から、見上げる木々の枝葉の先までが半透明に凍り付いている。時折風が吹いたけれど、樹幹はピクリとも動かない。そそり立つ樹木の集まりは、荘厳な神殿の天井を支える白い柱のようだ。鳥の声も獣の足音もしない。雪はまっさらなままで、自分たち以外の足跡は見つからなかった。

 まるで生きているものは、自分たち二人だけしかいないような――――。


(いや、そんなわけないか)


 ユンスティッドは首を振ってその考えを追い払った。こんな暗い森の中にいるから、雰囲気にのまれてしまっているだけだ。動物たちは冬眠しているのだろう。きっとそうにちがいない。

 そうこうしているうちに、見覚えのある足跡を発見する。


「とりあえず、危険なものはなさそうだけど」


 元いた場所に戻ってきたのだと確認して、マーシャルはそう言った。


「でも正直、あんまり長居はしたくないわね」

「だろうな」

「どうする?今から町に戻る?迷わなければ、朝までには帰れるわよ」

「いや……」


 ユンスティッドは躊躇った。

 二人で話し合った結果、この暗闇の中、土地勘のないまま町に戻るのは危険だろうと意見が一致した。かくなる上は野宿しかないが、この寒さでは凍死する危険が高い。とりあえず日が昇るまで寒さをしのげる場所を見つけようということで話がまとまる。

 夜が更けるにつれ、外の気温はますます下がっているようだ。息を吸い込むと、喉の奥まで凍り付きそうだった。ユンスティッドは吸った息を吐き出しつつ、白い喉をさらけ出して雪雲の垂れ込める空を振り仰いだ。

 目が暗闇に慣れきったおかげか、さっきここにいた時にははっきりしなかった崖の様子がありありと見えた。灰色の岩壁は全体的に凸凹としていて、ところどころには尖った石が槍のように突き出していた。あそこに叩き付けられていたら、と考えたら背筋が寒くなる。高所から落下する浮遊感を今更思い出して、少し気分が悪くなった。自分たち二人の幸運を、ひとこと神に感謝する。

 そんな繊細な感性とは無関係そうなパートナーは、突き落とされた経験からはあっさり立ち直っているようで平然としている。マーシャルは、自分の毛皮のコートをかき寄せて、両手で体を抱き込んだ。


「そうは言っても、どうやってそんな場所を見つけるのよ」


 それについては、ユンスティッドに策があった。


「もちろん、魔法と、お前の耳を使うんだ」


 ええ?と、マーシャルの顔つきが怪訝なものに変わった。口に出して言わないのは、極力冷たい空気を吸い込みたくないからだと思われる。ユンスティッドもそうだったので、よく分かった。

 目をしばたたかせているマーシャルは一旦放っておく。ユンスティッドはかさついた下唇を舐めて湿らせ、ガチガチと鳴りそうな歯を食いしばって、唇同士の小さな隙間からすばやく呪文を囁く。


「テンペスタス――――ヴィンディカット」


 数秒して、二人のほうに吹き付けていた風向きが、後ろからの追い風になり、今まで静かだった森にヒューヒューとかすかな風の音が響きはじめた。すぐに風の音であたりが支配される。


「どうすればいいかは……」

「わかんないわよ!」


 風音に負けないように、マーシャルが大声で叫んだ。


「洞窟のたぐいがあれば、風の音が変わるだろう?それを聞き分けてほしい」

「アンタの中の私のイメージこそどうなってんのよ。私のこと野生動物か何かと勘違いしてない?」

「まあ」


 あながち間違っていないよな、とユンスティッドが正直に肯定すると、マーシャルの口元がヒクヒクと引きつり、眦が吊り上がった。怒鳴ろうか迷ったようだが、寒さには敵わなかったようで、姿勢を正して音を聞くのに集中しはじめた。

 ユンスティッドは、邪魔しないように数歩退いたところでピタリと止まって待つ。試しに自分も耳をすませてみたが、風の音は聞こえても、どこで鳴っているかまでは到底聞き取れない。

 ほら見ろ、とため息をつく。これが普通の人間のレベルだ。聞き取れるほうがおかしいと、あっさりとあきらめて、冷たくなった耳を指で擦った。

 一分も待たなかったと思う。マーシャルがくるりと振り向いて、「分かったわよ」と告げた。こういうときの彼女は大抵頼りになる。内心で「さすが」と呟いて、ユンスティッドはマーシャルのもとに寄っていった。雪がサクサクと鳴る。


「ここから遠いか?」

「そんなに離れてないと思うけど……でも、間違ってても文句は言わないでよ。私だって確信はないんだから」


 マーシャルは疑わしげな表情でユンスティッドを見上げた。


「言うはずないだろう、俺から提案したんだ」と答えれば、

「ならいいわ、行きましょ」と、先立って歩きはじめる。


 確信はないと言っていたが、その足取りに迷いはない。それでも念のため、ユンスティッドは道々、木の幹に短剣で傷をつけていった。短剣は、先ほどの探索の前にマーシャルから渡されたものだ。「何があるかわからないから」と言った少女の顔がいつになく真剣だったため、ユンスティッドも何も言わず受け取った。

 荷物はすべて町長の家に預けてきてしまっている。マーシャルが肌身離さず身に着けている短剣数本と長剣一本しか、今の二人を守るものはない。身軽といえばそうだったが、どこか不安な気持ちを抱きながら、ユンスティッドはマーシャルについていく。

 魔法の風が止んだ森は、再びの静寂に包まれていた。しんしんと降り積もる雪は、暗闇の中で青白く光って見える。髪についた雪の一片をはらうと、体温で溶けて水滴がポタリとしたたる。モミの木たちは、相変わらず門番のように背を伸ばして歩き回る二人を監視している。枝にくっついて垂れ下がった青い葉は、白く凍り付いて巨大な雪男の手に見える。その大きな手と手の間には真黒な暗闇がのぞいているのが目に入って、ユンスティッドは魅入られたように一瞬立ち止まった。

 何かがこちらを見ているみたいだ……

 気が付くと、マーシャルも立ち止まって辺りを見回していた。同じように魅入られている様子の彼女の肩をたたく。ハッと我に返るマーシャル。


「着いたのか」

「ええ……すぐそこだと思う」

「早く行こう。立ち止まっていると、そのまま氷像にでもなりそうだ」


 見計らったように、マーシャルがクシュンとくしゃみをした。鼻水をすすりながら、心底賛成するという感じで首を縦に振った。





 マーシャルの言った通り、ほどなくして目的の洞窟が目の前に見えてきた。先に発見したのは視力のいいマーシャルだ。白い雪のつぶてが、二人の顔に向かって吹き荒れていたけれど、ユンスティッドにも難なくその洞窟は発見できた。一目見てわかるほど、黒々として大きな空洞だったのだ。

 洞窟の入り口まで近づくと、遠くから見たよりもさらに大きくて深い場所だと分かった。縦横の幅がゆうに五メートルはある。楕円型の入り口の周りはギザギザとしていて、吹き込んだ雪がとけて凍りついたのだろう、ユンスティッドたちが光をかざすとキラキラと反射した。灯りを大きくしてみたが、到底奥までは照らせそうになかった。もしかしたら、向こう側まで突き抜けてトンネルになっているのかもしれない。

 二人は並んで洞窟に入ると、用心深くあたりを照らしてまわり、危険がないかを確認した。十メートルを過ぎたあたりからは、岩壁は冷たくとも凍ってはいなかった。背後三〇メートルには何もないことが判明して、同時に肩の力を抜く。とりあえず、一晩の仮宿を確保できたみたいだ。


「と、とにかく、あたたまりましょうよ」とマーシャルが言った。唇が薄い青紫色に変色して、鼻の頭や耳が真っ赤になっている。鏡はなかったけれど、ユンスティッドもそう大差ない状況だと想像することはたやすかった。

「歩きながら探してみたが、燃料になりそうなものはなかったな」


 焚き木は無理だと暗に言うと、マーシャルが悲しそうに呻いた。


「い、一番肝心な時になんで荷物持ってこなかったのよ」

「さすがにこんな事態を想定しろというのは無茶だろう」


 マーシャルの声がますます悲しげになった。


「こんなことなら、魔法予知学を習っておくんだった。そしたら水晶で予測できたかもしれないのに」と過去の自分を悔やんでいる。


 予知学?興味ない!と言い張って、貸してやった本を突きかえしてきたのはどこの誰だったのやら……


「占い学はこういう突発的な事態を予測できるものじゃない。分析した情報と合わさって初めて信用できる予知になる。人間の運命を占うなんて、それこそ神殿にでも行って来い」

「神殿まで何キロあると思ってるのよ!」

「さあ?だが方角はわかるぞ、洞窟の入り口が東向きだから、反対の奥に向かって祈ればいい」ユンスティッドはしれっと返して、さらに嫌味っぽく付け足す。「もっとも、こういうときだけ祈ったって、迷惑なだけだと思うがな」

「じゃあアンタが私の分まで祈ってよ!アンタ結構信心深いところあるもの」

「そうするとしようか。お前とデュオを組んでからは、とくに熱心に祈るようにしてるからな」

「どういう意味よ……」


 クシュン!という音が、マーシャルの口から飛び出て洞窟内で響いた。それを合図に言い争いは終結する。

 改めて自分たちの姿を見てみると、お互いコートは雪まみれで中まで湿っている、髪の毛は濡れたネズミの毛のようにペタンとして、長靴の中は水がたまってぐちょぐちょだった。なんて惨めなんだろうと、お互いがお互いの姿を見ながら思った。

 マーシャルがまた小さく呻いたが、ユンスティッドだって嘆かわしげなため息をつきたい気分だった。それで状況が良くなるなら、いくらだって吐いてやる。


「……一度外に出るぞ」


 わざわざそう言ったのは、洞窟内を少しでも快適な空間に変えるためだった。

 嫌がるマーシャルを無理やり引っ張っていって、洞窟から数メートル離れたところに立つ。雪を踏んで足場をしっかりさせると、手早く呪文を唱えた。


「イグニス」


 洞窟に向かって放たれた高温の炎が、入り口付近の氷をとかして一気に蒸発させる。垂れ下がっていた大きなつららが、岩にあたって砕け散った。ムワッとした熱気がしばらく辺りを包む。あたたかさにつられて一歩洞窟に歩み寄ったマーシャルを、首根っこをつかんで引き戻した。安全な位置くらい分かっているといっていたが、どうだか。やけどしてから文句を言われても困るのだ。



 豪快なつらら落としがひと段落して、二人は今度こそ洞窟に入ってくつろぐことにした。そこでまたユンスティッドは風の魔法を使って、入り口を薄い膜で覆い、さらに重ねて結界を張る。ついでに服も不快に感じない程度に乾かした。冷たい外気が締め出されて、洞窟内がだんだんとあたたまってきた。乾いた地面に座り込んで、マーシャルが猫のように伸びをする。


「うーん!さっきと比べたら天国みたい!」


 そう、打って変わってはしゃいだ声を上げた。そのままごろんと岩の床に寝っころがる。あんなにごつごつしているのに、痛くないだろうか。疑いながらユンスティッドも軽く背中の下の方をくっつけてみると、分厚い防寒具のおかげで岩の感触はそれほど伝わってこないことが判明した。

 マーシャルが一度寝返りを打って、上半身を持ち上げた。両肘を地面について、手のひらの上に顎を乗せている。


「それにしてもお腹空いたわね」


 寒さがおさまったところで、さっそく空腹を覚えたらしい。


(能天気なやつ)


 ユンスティッドは呆れてしまった。


(助かったとはいえ、命の危機にさらされたっていうのに……まあ、もうすっかり慣れたけどな)


 マーシャルの突き抜けて前向きな性格は癇に障ることも多々あったけれど、これくらい大雑把な方が生きやすいのかもしれないと偶に思う。


「町に戻るまでは我慢しろよ」

「やっぱり?あーあ、秋だったら、木の実とか獣とか食べれたのに!」

「助かっただけでも御の字だよ」


 マーシャルは不満げな様子を隠さず、ぱたりと上半身を伏せてうつぶせになると、床に向かってぼやきはじめた。「お腹空いたー」「ひもじいー」という声が、灰色の床に跳ね返ってユンスティッドの耳に飛び込んでくる。うっとうしいことこの上ない。


「おい、こら。食事より重要なことがあるだろう」

「なによ?」

「当人の癖に忘れたのか――――お前を突き落した、男の正体についてだよ」


 真夜中の森の中に人がいるとは思えないが、ユンスティッドは後半の声をひそめた。それに合わせてマーシャルの顔つきががらりと真面目なものに変わる。むくりと起き上がり、ユンスティッドと向かい合って胡坐をかいた。


「実は、ユンスが気を失ってる間、いろいろと考えてはみたのよね。でも、全然見当もつかなくて……残る可能性は、実はアンタの知り合いとか」

「俺だって初対面だ。あんな陰気な男は知らない」

「だとすると、一体誰なのかしら……」


 そこでマーシャルは挙動不審にそわそわとしはじめた。菫色の瞳が左右に振れている。


「あのさ、私ってもしかして恨まれてたりするのかな」

「どういうことだ?」思いっきり当惑した声音を出してしまった。

「だから、もしかして私のことを恨んでいる人がいて、腹いせに突き落とそうとしたのかなあって……」


 喋りながら、言葉尻がだんだんと萎んでいく。つられてマーシャルの視線が下を向き、膝の上で握りしめた拳のせいでコートのしわが増える。


 ユンスティッドはなるべく言葉を選んだ。「まあ、お前も特殊な事情があるしな。剣師団のこととか……全く恨まれてないってことはないと思う」


 心当たりがあるのか、マーシャルの両肩が強張った。


「だけど、俺の勘が間違っていなきゃ、あの男はお前を殺す気だっただろう」

 マーシャルが力強く頷く。「ええ、間違えないわ」

「王宮にお前を恨んでいる奴がいたとして、それは殺したいほどなのか?些細な嫌がらせくらいなら分かるが、正直そこまで恨まれることはしてないだろう」


 一応確認の形を取ってはいたが、ユンスティッドはその点については疑っていなかった。


「それに、ここは王宮から何日も離れたところにある。俺たちの任務のことは言いふらしてはいないし、少なくとも王都の人間じゃないはずだ」

「じゃあ、一体誰なの?」

「それは……」


 二人は一斉に黙り込んだ。かいもく見当がつかないのだ。ユンスティッドがあの若い男に気が付いたのは、それこそマーシャルに体当たりしてくる直前で、顔を確認する暇はなかった。黒いコートと赤茶けたニット帽だけは記憶に残っていたが、それだけでは何の足しにもならない。完全にお手上げ状態だ。


「まあ、これについては町に戻ってからだな」

「そうね」


 解決しなければならない問題が一気に増えた気がするが、今は身の安全だけを考えたい。

 王都の人間が犯人でないと分かって、マーシャルは元の元気を取り戻したようだった。


「にしても、私を殺そうとするなんていい度胸よね!崖から落ちて死ぬなんてお間抜け、するわけないっての!見つけ出して取っちめてやる!!」


 メラメラと復讐の炎を燃やすマーシャル。ユンスティッドは、しっとりと濡れたままの茶色い頭を軽く叩いた。これ以上心配の種を増やす気か。


「くれぐれも一人で突っ走らないこと」

「分かってるわよ」


 心を込めた忠告にもかかわらず、マーシャルはけろりとした顔で笑った。


「捕まえるときは、アンタも連れて行くから」


 微塵も疑っていないマーシャルに、ユンスティッドは返す言葉を失った。

 心配の種が増えたのか減ったのか。こういう時は、思考をとっとと放り投げるに限る……とりわけこのパートナーに関しては。

 マーシャルが再び横になり、今度は腕を枕にあおむけになった。頬に張り付いた髪の毛をわずらわしげにはがしている。長剣はいつの間にか岩の壁に立てかけられていたが、太ももには短剣が二本おさまったままだ。


「お腹空いて眠るに眠れないし、見張りは私がするから寝てても良いわよ」

「いや、俺も目が冴えてて眠れそうにないからな。夜が明けたらすぐに出発して、町長の家で休ませてもらおう」


 ユンスティッドはマーシャルの側の壁に寄り掛かって、そこに落ち着いた。天上を仰いだ拍子に、前髪から滴が滴り落ちる。乱雑にかきあげて、もう一度天井を伺った。地面と同じような岩の集合体だ。ぱっと見、しっかりと上にくっ付いている。落盤の危険は少ないだろう。

 マーシャルに言ったように、空が白んで来たらさっさと洞窟を出ていくべきだ。昼になって日が照ったりすれば、冬でも活発な獣たちが現れるかもしれない。自分もマーシャルも、少なからず疲れているのだから、危険に遭遇する確率は避けたい。


(昼までに町に戻って一休みして、それから町長との取引をゆっくり行うのが理想だな。謎の男の正体は、最後に後回ししよう)


 洞窟で座り込んでからずっと肩が重い。大きな石を両肩に乗せられているみたいだ。気力も体力も使い果たしてへとへとだ。徹夜は慣れているが、今危険が襲ってきてもうまく立ち回れるかどうか……

 つらつらとそんなことを考えていたところだったので、マーシャルが「ああっ!」と大きく叫んだときは、正直ぎょっとした。


「なんだ?!」


 すわ敵か獣か、それともあの謎の男か?!

 腰を浮かせて隣を振り向いたユンスティッドが見たのは、洞窟の奥へと猛然と走っていくマーシャルの姿だった。唖然として数秒見送ってしまう。その間にも、マーシャルとの距離は大分開ひらいていた。背中がすでに小さい。


(いきなり何なんだ!)


 咄嗟に入り口に結界を張り直して、マーシャルの背中を追いかけた。入り口を魔法で覆っているせいか、洞窟内で走るといつもより息が苦しい。走りながら叫ぶ。


「マーシャル!一旦戻れ、奥が安全かどうか、きちんと確認したわけじゃない」


 困ったことにマーシャルは止まらない。ユンスティッドは小さく舌打ちした。もうとっくに、最初に安全確認した三十メートルを過ぎ去っている。

 あの馬鹿!


「止まれって!」


 かくなる上は魔法で食い止めるか、とユンスティッドは思い悩んだ。無駄な魔法は使いたくないが、このままだとそれ以上に無駄な危機に見舞われそうだ。


「グラエ……」


 呪文を唱えようとしたところで、渾身の警告が功を奏したのか、前方の二本の足が止まった。それ以上遠ざからなくなった背中と、魔法を使わなくてもよくなったことにほっとして、ユンスティッドも歩幅を小さくした。

 改めて状況を見てみると、マーシャルの動きを止めたのは、ユンスティッドの警告ではなかったらしい。それは当然か、アイツが俺の言うことを素直に聞くことなんてそうないんだから。

 マーシャルの勢いを止めてくれたのは、立ちふさがる壁――――洞窟はそこで行き止まりだった。

 冬眠中の動物がいなくてよかった、殺気立った熊に襲われなんて真っ平御免だ。


「おい、急にどうした。何があったんだ」


 肩を叩くと、マーシャルががばっと勢いよく振り向いた。顔いっぱいに絶望の表情が浮かんでいる。


「ど、どうしよう。ペンダントが、おじいちゃんからもらった大事なペンダントが!」


 震える指先が指し示したのは、行き止まりの壁の下の方――――ひび割れた小さな隙間だった。

 ユンスティッドはあらかたの事情を察した。


「そんなことか」


 脱力して、思わず本音が飛び出る。


「そんなことじゃないわよ!わ、私が起き上がった拍子に」

「ペンダントの飾り部分が外れて転がっていったんだろう?あの隙間に入ったなら、剣で上手く引き寄せればいい」

「ううーん、でも、傷つけちゃったら……」

「俺が灯りで照らしてるから、とりあえずやってみろよ。無理だったら魔法で何とかしてやる」

「よし!約束よ」

「お前最初から俺に頼る気だったな」


 低い声ですごんだが、マーシャルはどこ吹く風といった態度でさっさと作業に取り掛かった。亀裂の前で屈みこんで、そうっと穴に剣先を差し込む。腑に落ちないものを感じながらも、約束通りユンスティッドは手元を白い光で照らしてやった。マーシャルは寝そべった状態で、肘を伸ばして穴の中を探っている。


「とれそうか?」

「うーん、もう少し」


 しばらくゴソゴソとやっていたが、二十秒も経たないうちにピタリと動きが止まった。


「とれたのか?」

「う、うーん、もう少しかな……」


 そう答えたマーシャルの額の下で、細い眉根がきゅっと寄っていた……雲行きが怪しい。剣の柄ごとその手を押さえ込んだ。


「正直に答えた方が身のためだと思うけど」

「あははー!」乾いた笑みをじっと見つめていると、マーシャルが耐え切れずに視線を逸らした。「えーと……さっきより奥に押しやっちゃった」

「バカ」

「言わないでよ、分かってるわよ。でも約束でしょ!お願い何とか取って。宝物なの!」


 何度目かのため息が漏れた。

 ユンスティッドはマーシャルのペンダントを思い浮かべた。短剣と同じように、彼女の肌身離さず身に着けられているものだ。ずっと見続けてきたペンダントを、マーシャルが何より大事にしていたことはきちんと知っているつもりだった。


「分かったよ」とユンスティッド。


 マーシャルは「ありがと!」と、飛びあがって喜んだ。腰に下げた長剣の鞘が、カンッと壁にぶつかった。調子に乗られる前に、明りで穴を照らすように言いつけて、マーシャルが従うのを見届ける。それくらいしてもらわなければ困るし、ユンスティッドの魔力だけが消耗されるなんてムカつくからだ。

 小さな隙間を覗き込むと、奥の方で銀色がチカリと光った。なるほど、ユンスティッドの腕二本分くらいは奥に押しやられてしまっている。これでは魔法でも使わない限りとれやしないだろう。


「ヴェントゥス」


 昨日から何度使ったかしれない風魔法の呪文を唱えた。ペンダントの向こう側からこちらにそよ風が吹き込むように、正確に魔法を操る。

 もう少しで引き寄せられそうだ。しかし、まさにその時、突然洞窟の上の方からドスン!と大きな音がした。何か大きなものが降ってきたような音だった。雪崩だろうか。慌てて天井を見上げようとして、ユンスティッドの手元が僅かにくるった。風の流れが反対向きになってしまったのだ、つまりペンダントを奥へ追いやる方向へ。


(しまった……また、やり直しか)


 ペンダントは先ほどの位置よりさらに奥に追いやられていた。思ったより亀裂が深い。げんなりしながら魔法を唱えなおそうとした手を、突然ぎゅっと握られた。


「待って」


 マーシャルが、人差し指を唇に当てて、しいっ!と囁く。ユンスティッドは素直に黙り込んだ。


「ねえ、さっきの風の音、変じゃなかった?」

「変?」

「もしかしてアンタ、奥に向かって風を吹かせたんじゃない?」


 頷くと、「ほらね、やっぱり!」と言って、マーシャルは両手をパチンと叩いた。ユンスティッドは訳の分からないまま目をぱちくりさせる。


「ねえ、もう一回やってみてよ!」と言われて、首を傾げながらもその通りにすると、亀裂の奥から微かな風音が聞こえてきた。マーシャルに倣って、ユンスティッドもじっと耳を澄ませてみる。


 ヒュー、ヒュルルル、ヒュルルル。


「あ」とユンスティッドは声を上げた。マーシャルがにっこり笑って頷く。


 そうか、風の音が跳ね返ってこないのだ。


「ってことは、この奥に他にも空間があるってことか」

「ここが行き止まりじゃないのよ」


 すごい!大発見ね!とマーシャルははしゃいでいる。ユンスティッドも驚いていた。一見、完全な行き止まりに見えたのに、まさかこの向こう側にもつづきの空間があったとは……だけれど。そこで思考がひっかかった。こんな不自然な洞窟は今まで見たことがない。向こう側にも洞窟があって、一枚壁で区切られているのだろうか。この壁を壊せば、貫通してトンネルになるということか?考えても埒が明かなかった。


「ねえユンス。ここ、崩してみない?」


 マーシャルが軽い調子でとんでもないことを提案してきた。


「はあ?何言ってるんだ、そんな危険なこと……」

「でも、そんなに厚くなさそうだから、天井を崩さなくてすむかも。それに、こんな楽しそうな事態、放っておけって言うの?!」

「当たり前だ」


 ユンスティッドは絶対ダメだとおっかない顔つきで言いきった。マーシャルの冒険心につきあって、事態がよくなったためしがない。

 意外にもペンダントのことで反省していたのだろうか、マーシャルは奇妙な程あっさり引き下がった。


「そうねえ、まあ、言う通りかも。危ないことはしないわよ」

「物分りが良すぎるな……怪しい」

「ちょっと、仮にもデュオなんだから信用しなさいよ!でも、ペンダントは取り戻しても良いでしょう?もう、自分で取れる距離だから」


 ユンスティッドが返事をする間もなく、マーシャルは屈みこんで長剣をひび割れに差し込んだ。

 あとから思ったのだが、この時にユンスティッドが率先して風の魔法を使ってやればよかったのだ。信用しろという言葉に、良心を動かすべきではなかった――――そう悟った時には、すでにマーシャルは高らかに叫んでいた。


「ヴェントゥス!!」


 ユンスティッドの顔から血の気が引く。

 呪文は同じでも、自分が使った魔法とは違う。今使われたのは、魔法剣から放たれる、敵を切り裂く風魔法だ!

 小さな亀裂から、一本の細い線がはみ出した。ピシ、ピシと不吉な音を立てて、線が広がっていく。ピシ、ピシピシピシビシリッ!

 それからはあっと言う間だった。

 爆音とともにヒビが一気に広がり、壁がガラガラと崩れはじめる。

 ユンスティッドは怒りに震えていた。


「この、大馬鹿女が!」


 はらわたが煮えくり返る思いだった。今こそにこやかに送り出してくれたエヴァンズ隊長にモノ申したい。どこをどうやったら素敵な旅を楽しめるんですか!と。疲労と怒りが着実に溜まっていく一方で、いいことなんて一つもないじゃないか。

 マーシャルの方も、少しやりすぎたと思っているらしかった。豪快に崩れていく岩壁にたじろいでいる。今更反省しても遅い!

 一先ず退散しようとしたユンスティッドは、壁の中から現れた黒い影にハッとした。身を強張らせるユンスティッドの頭を、一瞬先にその存在に気が付いていたマーシャルがぐっと押さえ込む。二人同時に身を伏せて、何とか第一撃を回避した。腹ばいの状態で、ユンスティッドは視線を走らせた。


(罠がしかけられていたのかっ)


 目の前の光景に肌が泡立つ。おびただしい数の蝙蝠が、壁の内側にはりついていたのだ。丸い体が、芋虫の群れのようにうごめいている。二本の足についたかぎ爪の先端がこちらを向いたかと思うと、黒い巨大なカーテンのようなそれらが、壁の崩壊と共に一気に襲い掛かってきた。羽がはばたく風圧で、魔法の光が大きく揺らめく。

 頭を庇いながらも蝙蝠たちを必死に観察していたユンスティッドは、何か引っかかるものを感じた。この蝙蝠たちは、どこかおかしい。そして違和感の正体に気付き、驚きに目を見張る。


「このっ!」


 マーシャルが膝をついて立ち上がろうとした。右手には長剣を構えている。叩きのめすつもりらしい。慌てたユンスティッドは、切りかかる寸前の少女を食い止めた。パートナーの剣を握っていない方を手を、乱暴に引いて後ろに下がらせる。


「何を……」

「魔法は使うな!」

「はあ?!」


 ユンスティッドは空中に留まっている蝙蝠の群れを隈なく見渡した。次の攻撃にそなえて、傘のような翼を広げている。羽毛のない黒い体に目を凝らしても、目の前の事実をまだ信じられない思いでいた。

 一匹の蝙蝠の目玉から、黒い滴が零れ落ちて、灰色の地面と衝突する。黒い液体がビチャリと飛び散った――――インクだ。見間違えようがない。

 蝙蝠たちの中には、翼が破れているものが何羽かいる。パリパリに乾燥した翼は、ユンスティッドの見慣れたものにそっくりだ。


(紙だ、やつら紙で出来てる。だとしたら、これは普通の魔法じゃなくて……!)


 必死に記憶の本棚から、学院時代に覚えた知識を引っ張り出す。ぼんやりと浮かんだ本の一ページに心の目を凝らして、ユンスティッドは渇いた喉から声を絞り出した。額に脂汗がにじむ――――失敗は出来ない。


「ネクエホステーススムス ネクエアミーチースムス ティビドミニースムス(我々は敵でもなく味方でもなく、お前にとっての支配者である)!」


 知識としては知っていたが、はじめて使う魔法だった。本来なら、一生使うことのなかったかもしれない魔法だ。


「パーレートー(服従せよ)!!」


 ごくりと唾を飲み込む。蝙蝠たちはじっとこちらを見下ろしている。まだ変化は現れない。まさか失敗したのだろうか。頼むから……

 やにわに、一番端にいた蝙蝠の瞳が、ボトリと落ちた。ビシャリと黒い液体が飛び散ってユンスティッドのブーツを濡らした。それにつづくようにして、一斉に蝙蝠たちの丸い目玉がボロボロと取れはじめた。ただのインクに戻った眼球が、瞬く間にねっとりとした黒い水たまりをつくり出す。マーシャルが背後で「ひいっ」と情けない悲鳴を上げた。

 間髪おかずに、二人の前では、第二の魔法の効果があらわれはじめていた。

 目玉をなくした蝙蝠たちの体から、するすると色が抜けはじめたのだ。カラカラに乾いた羊皮紙のように黄ばんだ色になり、ぐしゃり、と音を立てて羽がつぶれる。そしてこれもまた一斉に落下した。紙屑の塊が、大量に頭上に降ってくる。

 ただの年代物の羊皮紙だと分かっていたが、気味の悪い光景にぞっとして、両手で頭をかばった。マーシャルなど、もっと大げさにギャーギャー叫んで蝙蝠だった紙屑を振り払っている。


「き、気持ち悪い!何よこいつら、魔法生物?」

「いや……」


 ユンスティッドは答えようとして、ふっと口を閉じた。振り返って、洞窟を行き止まりにしていた壁がすっかり崩れ落ちていることに気が付いたのだ。ひゅっ、隣のマーシャルが息をのんだ。

 二人の目の前では、地下へと続く暗闇が、悠然と大口を開けて待っていた。





neque hostes sumus neque amici sumus, tibi domini sumus.

pareto!

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