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決戦



 灰色の石を四角く切り出しただけの、簡素な椅子が縦に六列、横に五列並んでいる。一日目はひしめきあうようにして大勢が集まっていた控室も、最終日の今日はしんとしたものだ。大会三日目の朝、控室にいる剣士はたったの八人。この中で勝ち残った一人だけが、去年の優勝者と決勝で戦う権利を得られる。軽口をたたく余裕などなく、重い沈黙が部屋を占めていた。


(とうとう来てしまった)


 マーシャルの唇の間から、短い息がこぼれる。座っているのは部屋の角っこの席だった。昨日は緊張と興奮、そして不安のあまり、よく寝付けなかった。そのせいで随分と早くに闘技場へ着いてしまったが、一番乗りではなかったので、緊張の具合は他の出場者たちとそう変わらないだろう。だけれど、そう考えたところで緊張と不安にさいなまれる心が落ち着くはずもない。

 鋼色の鎧がやけに重く感じる。実家にある中で一番軽いものを選んだはずなのに、上から石で押さえつけられているような気さえした。

 少しでも気分を鎮めようと、今朝確認したばかりのことをもう一度計算してみる。昨日表に張り出された対戦表を思い出しながら、指折り数える。親指を折り曲げ、人差し指も折り曲げた。うん、間違えない。ハロルドと戦うためには、二回仕合に勝たなければならない。


(大丈夫、勝てるわ)


 そう何度も言い聞かせているうちに、会場のざわつきは大きくなり、マーシャルの出番がやって来た。

 耳にタコができるまで自分に言い聞かせただけのことはあり、一度目の仕合は思い通りに戦うことができた。強張っていたからだも、熱狂に包まれた場所に出れば自然といつもの感覚をとりもどした。相変わらず鎧と兜はうっとうしかったが、相手が極度に緊張していたせいもあり、試合開始後三分も経たずに決着がついた。

 しかし、準々決勝はそうはいかない。

 対戦相手と向かい合ったとき、マーシャルはそれを悟っていた。他隊の女剣士――――面倒見のいい人で、マーシャルとも親しくしている。少数派の女同士、一緒に鍛錬することも多かった。つまり、手の内を知られてしまっているということだ。もっとも、それは相手にも言えることだったが。

 何分にも及ぶ激しい打ち合いの末、小さな隙を見つけたマーシャルが、一気に攻め立てた。首の横に切っ先を突きつけたところで、審判が試合終了の声をかける。お互い、息はすっかり上がっていた。相手が苦々しい顔で「まいった。君の勝ちだ」とたたえてきた。なんとか笑顔で答えて、マーシャルは、からくももぎ取った勝利に嬉しさと安堵がこみ上げてくるのをじんわりと感じていた。




 準決勝は、昼の休憩を挟んで行われることになっていた。

 魂が抜けたように座り込んでいたマーシャルは、大きくなった外のざわめきに我に返った。


(……外の空気でも吸ってこよう)


 兜を脱ぎさって石椅子の足元に置き、鞘に収めた剣をその横に立てかけた。兜の中に押し込まれて絡まってしまった髪の毛をほぐしながら、通路を通って闘技場の外に出た。建物の外から会場を覗き見しようとしていた何人かの見物客が、こちらをちらちらと見てくる。その視線を避けて、隣の時計台の方まで歩いていった。時計台の前は小さな広場のようになっていて、天使像が手にした壺から水が湧き出す噴水が中央にある。噴水の縁に腰掛けて深く息を吸い込むと、湿った空気が肺に入り込んできた。吸い込んだ息を吐き出すついでに空を見上げる。闘技場の湾曲したふちを下方にして、雲一つない青空が瞳に眩しい。


(もう言い訳が通用しないところまできちゃったな)


 言い訳などもとよりするつもりはなかったけれど。マーシャルが示した条件は9割方揃ってしまった。あとは自分がハロルドとの勝負に勝てばいい。……ただそれだけなのに。


(勝負なんてそれこそ数えきれないほどしてきたけど、こんなに心してのぞむことは初めてだわ。本当に何もかもはじめてづくし)


 全部ハロルドのせいだ。

 仕合が終わって、ハロルドが色よい返事をくれて、ずっと伝えたかったことを伝えることができたなら、そう言ってやろう。そんな軽口を叩けるくらいの関係に戻りたい。


(そのためにも、勝たなきゃね!)


 マーシャルは両手を開くと、両頬を挟むようにして思いっきり打った。パン!と小気味いい音が響き、左側に座っていた女性がぎょっとしたように見てくる。愛想の良い笑みを浮かべて誤魔化した。行きとは違うルートを通って、控室まで戻る。午前中で敗退した人数分席が空いて、控室は無人だった。ハロルドは、反対側の通路に設置された控室にいるはずだ。どこに座っても誰にも何も言われないが、何となく前と同じ角の席にどさりと腰を下ろす。兜をかぶるにはまだ早すぎる。とはいっても、そわそわと心も体も浮き足立つようで、抑え込んでくれるものが欲しかった。


(そうだわ、願掛けしておこう)


 思い立ったマーシャルは、鎧の胸元あたりに手を当てた。うすい金属と布越しに、お守り代わりの赤いペンダントの存在を感じ取ろうとする。


(どうか勝てますように!)


 願ってから、なにかが違うと首をひねった。考え直して、今度は声に出す。


「持てる力を全部出しきって、勝てますように」


 ペンダントを握る代わりに、足元で倒れていた剣を拾い上げて、剣先を上にして掲げる。ペンダントから魔法の力があふれ出て、この剣に宿ってくれとでもいうように。

 その時、唐突に胸がざわめいた。柄をぎゅっと握りこんだマーシャルは、同じようにぎゅっと瞑っていた瞼をピクリとさせる。なんだろう、違和感がある。ドクドクと心臓が嫌な音を立てている。恐る恐る瞼を上げた。


(なに?)


 手元の剣をしげしげと見つめた。きちんと鞘に収まっている、楕円形のつばの下には青い柄が――――。


「なっ、なんで?!」


 思わず立ち上がって叫んだ。唖然として、つい先程まで青色だったはずの柄――――今は赤色になった柄を見る。

 嫌な予感に襲われながら、鞘を取り払って銀色の刃を見た。思った通り、そこには見覚えのある魔方陣が刻まれている。


「どうして……、これ、魔法剣じゃない」


 顔色がさあっと青くなり、唇がわなわなと震える。一瞬頭が混乱したが、考えるまでもなく答えは分かり切っていた。


(すり替えられた……?)


 いったい誰に?いや、それよりも目下の問題は仕合だ。

何も手元になくなるよりはよかっただろう。だが、この魔法剣は魔法陣を刻むために幅広のものを選んだため、普段使っている細身の長剣とは振るった感覚が違う。


(誰も入ってこないだろうと思って、置いておいた私が悪かったかもしれないけど、こんなことってある?!)


 瞼の裏が赤く染まり、チカチカと目まいがした。

 自分の剣がないよりマシ、それはそうだ。あまり使い慣れていないとはいえ、マーシャル自身で購入した剣であることに違いはない。だが、もしもただの使い慣れない剣だったなら、これほど焦ることもなかっただろう。

 マーシャルを愕然とさせたのは、この剣が魔法剣であることだった。

『てんで駄目だな』と、鼻につく態度でユンスティッドが言っていたことを思いだす。『形にはなっているが、実戦には向かないだろう。魔法陣を発動させる魔力量が毎度違うんじゃ、安定しているとはいえない。次の目標は、魔法陣の発動条件を定めることだ』

 そんな風に、言われていたのに。

 剣師団の隊舎まで行けば予備の剣がある。でも、走って取りに行ったとしても、仕合時間にはぎりぎり間に合うかどうか。危ない橋を渡るわけにはいかなかった。


(……この剣で、やるしかないわ)


 拳を強く握りしめる。短く切りそろえた爪が、手のひらに食い込んだ。


(大丈夫、私だって昔とは違う。魔力を抑えることぐらいできる。大丈夫、魔法陣を発動させたりなんてしない)


 誰かがこの場にいたならば、どう見ても大丈夫じゃないと言ったかもしれない。だけれど、この四角い控室はがらんとしていて、誰もいない。誰も何も言ってくれはしない。

――――こんなことなら、チケットを無理やりにでも押し付けてこればよかった。

 唯一少女の心を慰めたのは、こんな事態を誰にも知られずにすんだということだ。自分から口を滑らせない限り、馬鹿にされずにすむ。けれど、馬鹿にされたって構わないから、誰かに助けを求めたいと思ったのも事実だった。




 閉めきった控室の中まで、外の陽気な空気がながれこんでくるみたいだ。膝の上で剣を握る両手が、小刻みに震えていた。大丈夫、大丈夫、と呪文のように絶え間なく唱えるが、あいにくどんな呪文学の本にも「大丈夫」でどうにかなる状況があると書いていないことは分かっていた。考えれば考えるほど、思考が悪い方に行ってしまう気がする。

 頭を抱え込んだ時、背後で人の気配がした。振り向くと、係員が顔を覗かせている。


「もうすぐ準決勝です。通路で待機してください」


 笑顔で「頑張ってくださいね」と付け加えられても、乾いた笑いを返すことしかできない。剣を握ることがこれほどおっくうに感じる日が来るなんて、以前の私が聞いたら鼻で笑うでしょうね。

 小さくため息を吐き、そんな考えを振り落とそうと兜を頭に被った。狭い空間に息が詰まる。顔面の金属板を上に跳ね上げて、視界がなるべく広くなるように兜の位置を調節した。


(ええい、くよくよするなんて私らしくない!そもそも、まだ仕合ははじまってもいないのよ。落ち込むなんてそれこそいつでもできるわ)


 大体、自分で言い出した賭けにしり込みするようなまねをしては、マーシャルの矜持にかかわる。

 準決勝、決勝ともなれば熱狂もさらなる高まりを見せる。三日目の今日は途中で帰る観客も少なく、客席には人が溢れかえっていた。通路の出口の手前、通路全体を覆っている影の淵で両足をそろえて、マーシャルはその時を待ち構えた。奮い立たせた気持ちは、一旦仕合がはじまってしまえば沈むこともないはずだ。やるべきことは、剣を振るうことだけ。マーシャル=ディカントリー、アンタが一番好きなことじゃない。できないはずがないわ。


「五九番と百番、入場!」


 影の中から、沸き立つ会場内へと一歩足を踏み入れる。キッと前を見据えると、反対側の通路から同じくらいの歩調で歩いてくる長身の人影が見えた。全身を鋼色――胸当ては緑色だったが――に覆われているため、顔立ちは伺えない。


(ハロルド、また背が伸びたみたい)


 こんな時でもなければ、感慨深げにそう呟いたかもしれなかった。差しのべられた手を取って、魔法師団に入団してから二年――――ハロルドとひどい別れ方をしてから二年。それだけの月日が流れた。魔法の研究に打ち込み、剣技を磨き、帰っては魔法の書物を読み込み、がむしゃらに頑張った。明確な目標はまだなくて、ただ己の欲求に従っただけの選択を繰り返した。その結果傷つけた人と真正面から向き合う時がやって来たのだ。

 次第に、マーシャルの心を占めていた負の感情が薄れて行った。あるのは静かに燃える炎のような覚悟と胸の高鳴りだけだ。この日を待ちわびていたと、今ならはっきりと口にできる。

 闘技場の中心が近づいて、マーシャルは足を止めた。つづいてハロルドも。ハロルドの鎧は、マーシャルよりもしっかりとしたつくりで、重量もありそうだ。胸当ての部分が深緑色をしていて、兜の後頭部からは同じ色の飾り紐が垂れている。まとう雰囲気は昔とは違ってしまっていたが、マーシャルはほっとして微笑みそうになった。兜の隙間からのぞく瞳が、変わらないまっすぐな鳶色をしていた。


「これより五九番と百一番の準決勝仕合を開始いたします」


 二十歩分は離れた所にいる相手を、瞬きもせずに見つめながら、剣を鞘から抜き放った。馴染みのない手触り。それでも、これは剣だ。勝負の行方は自分次第だった。

 鳶色の瞳と視線がしっかりと合う。吸い込まれそうだと、吸い込んでしまいそうだと錯覚するほどに見つめ合った。ハロルドの弱気も隙も一切見せない姿に、ぞくりと背筋が泡立つ。悩んで落ち込んでいた自分が急に馬鹿らしくなった。剣がいつもと違う?そんなことはどうでもいいじゃないか。


(賭け?約束?とりあえず今は置いておきましょう。だって私、何をおいてもこの人と、剣を交わらせてみたい!)


 そう思った瞬間、世界からハロルド以外の気配も、声も、何もかもが消え去った。それ以外に唯一入り込んできた音が、仕合のはじまりを告げる。


「それでは、はじめ!!」


 地を蹴って飛び込んでいったマーシャルの顔は、歓喜の笑みで彩られていた。

 鮮やかな動きで振り下ろされた切っ先は、あっさりと避けられてしまう。ハロルドが斜め後ろから襲いかかってきたが、それは予測していたため、剣を振り下ろした勢いのまま転がるように避けた。そして起き上がり、そのついでに下から剣を突き上げるようにする。下腹部の辺を狙ったが、今度は相手の剣で滑らかに受け流され、危うくつんのめりそうになる。


(しまった、後ろをとられる!)


 いつもなら咄嗟に伏せて両足で蹴りあげている所だが、体術を使うのは規則違反だ。よこっ飛びで右に向かって避けると、胸の左横すれすれを剣先が通過した。日光に銀の刃がきらめいている。

 振り向くと数歩先にハロルドの姿。十代前半ならともかく、今のハロルドと真正面から戦っては分が悪い。それは分かっているのだが、相手が強いことが分かっていて、それで怯える自分ではない。むしろ最高に燃え上がっていたマーシャルは、躊躇なく正面から切り込んだ。相手も同時に足を踏み出して突っ込んでくる。金属同士がぶつかりあう甲高い音が、吹き抜けた空に響く。

 じりじりと均衡した鍔迫り合いがしばらくつづいた。しかし、だんだんとマーシャルの肘が曲がり、剣が押し返され始める。力比べを楽しんでいたが、どうやらそれも終わりのようだ。完全に押し切られる前に、切っ先をすべらせて相手の剣から逃れようとしてハッとした。ハロルドの力が一層増したのだ。いきなりのことに耐えきれず、マーシャルは身体もろとも弾き飛ばされた。慌てて受け身を取る。まだ体勢を元に戻していないところに、ハロルドが切り込んできた。横に転がるようにして避け、隙を見て起き上がろうとするが、最悪なことに片膝をついた状態でハロルドと再び剣を交わらせることになってしまった。先程の鍔迫り合いとは違う、身体を起こしきっていないマーシャルに対して、ハロルドは上からのしかかるようにして剣を押してくる。早いところこの状態から脱却しなければマズイ!

 じりじりと剣が押されはじめ、それにつれてマーシャルの身体が丸まっていく。明らかな劣勢だった。


(このままじゃ負ける!)


 そう悟ると、どっと汗が噴き出してきた。仕合の楽しさのあまり忘れていた現実が膨れ上がって舞い戻ってきたようだ。


(負けたら、次なんてないかもしれない。弱い私なんて、ハロルドをがっかりさせてしまうかもしれない。そんなのは嫌だ。負けるなんて嫌だ、絶対!)


 勝って伝えるんだ、ハロルドに。


(どうか私と――――)


 歯を食いしばり、片足で踏ん張る。何とか立ち上がりたいが、劣勢は覆りそうになかった。片膝をついた状態を保つことさえ難しくなってきた。

 その時、ふいにハロルドが少しだけ力を緩めた。

 罠だ、とすぐに察したが、反射的にマーシャルまで力を緩めてしまう。その隙を、相手が見逃してくれるはずもなかった。

 ドサッと体が地面に倒れる音がした。砂煙が上がって、視界が霞む。ついに押し負けてしまったのだ。負ける気なんてさらさらなかったが、砂ぼこりの向こうに剣を振り下ろそうとしているハロルドの鳶色の瞳と目があって、勝ち目はないと分かってしまった。

 でも負けたくなかった。どうしても、負けられない勝負なのだ。

 剣を握りしめる右手に力がこもる。剣の柄が食い込んでしまうのではと思うほどだった。血流が止まって、手のひらが白くなるのが見なくても分かる。


「このっ」


 雀蜂のような素早さで突きを繰り出した。無我夢中で、勝利への渇望だけが全身にみなぎっている。突き出した剣に、純粋な力でないものが流れ込んでいくのを、マーシャルは感じたが、自分では止めようもなかった。

 剣を横に避けて、仕合に決着をつけようとしたハロルドが、急に動きを止めた。兜の下で、鳶色の目が見開かれている。

 マーシャルの菫色の瞳も、半ば呆然とした色を宿して目の前の剣を見つめていた。刃の根元に刻まれた魔法陣が真っ赤に光り輝き、銀の刃全体がオレンジの炎に包まれている。

――――炎の剣だ、という誰かの呟きは、過去からの声に思えた。

 呆然とするあまり、最初、世界から音の一切が消えうせたのかと思った。それほどに静かだったが、どうやら違ったようだ。はじめて目にする燃え盛る魔法剣に、会場中が静まり返っていた。数秒後、その沈黙を埋めるかのような爆発的な歓声が沸き起こる。我に返った審判が、動きを止めた二人の元へ走って来て、「そこまでっ」と叫んだ。

 マーシャルは両手を地面につけたまま、呆然としていた。情けなさに体が震えはじめる。俯いたまま、審判の言葉を待った。崖の底に突き落とされるのを待つような、拷問のような数秒間だった。


「五九番、規則違反により失格とする」


『剣技以外の力を用いた場合は、理由如何を問わず失格とする』――――規約説明書の一番上に記された文を、マーシャルはきちんと覚えていた。

 反論はしなかったし、しようもなかった。無言で頷いて、立ち上がる。相手に向かって深々と頭を下げたのは、なにも謝罪のためだけではなかった。兜の中で歪んだ表情を見られないためでもあった。


(なんで私って、こんなに馬鹿なんだろう)


 こんな終わり方を、きっとどちらも想定していなかった。

 剣をすり替えられたことなんて、些細なきっかけにすぎない。これが、マーシャルの精一杯で、たとえいつもの剣を使っていても、多分勝つことはできなかっただろう。

 それでも規則違反で負けるなんて格好のつかないことは、するつもりなんてなかったのに。

 下げた頭を上げることができない。視界が潤んで、今にも泣き出してしまいそうだった。

――――ハロルド、私、本当に伝えたいことがあったのよ。

 魔法剣が出来上がって、ようやく魔法師としての自分のあかしを手に入れた気がして、今ならばハロルドと向き合えるような気がしていた。真っ直ぐに彼の目を見つめて、胸に秘めていた思いを打ち明けられると思った。


(友達に戻ってほしかった)


 あの時のことを謝って、仲直りしてほしいと言うつもりだった。昔みたいに、軽口を言い合ったり、憧れの英雄について語り合ったり、二人で練習試合をしたり、そういう関係に戻りたかった。


(もう、仲直りできないのかな)


 改めて考えると、さらに涙があふれてきて、この瞬間にも眦から零れ落ちそうだった。辛くて悲しくて、胸がつぶれそうだ。

 審判が退場するように促している。いつまでもこうしていることはできない。のろのろと顔を上げようとしたマーシャルの左肩に、優しく触れる手があった。そのままマーシャルの上半身を起こすように押し上げてくる。こんなふうに助け起こしてくれるのは誰なのか、すぐには分からなかった。


「シャリー」


 懐かしい声が、あの頃の優しい響きをはらんで耳朶を打つ。肩に触れている手は、目の前の男のものだった。その声は、「あの賭けは僕にも有効ですか」とマーシャルに尋ねた。意味が解せずに黙り込む。それをどう受け取ったのか、ハロルドははっきりとした口調でこう言った。


「決勝が終わるまで、控室で待っていてくれませんか。お話があります」





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