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閑話―兄と妹、王都へ行く



 春の嵐が過ぎ去って、一息にあたたかさがやって来た頃。ティリフォン=ディカントリーの一日は、不運の連続ではじまった。

 まず、昨日の晩遅くまで遊びほうけていたため寝坊をした。そのせいで、せっかくのマフィンと目玉焼きが覚めてしまい、一人ぼっちの寂しい朝ごはんを食べる羽目になった。次に、左右別の靴下をはいてしまっていた。自分で気付いたならともかく、それをメイドのマリアに指摘されてしまって、いらぬ赤っ恥をかいた。

 きわめつけは、遊びの約束を反故にされたことだ。

 いつもの集合場所――――城壁の門の真下に意気揚々と出かけたところ、遊び友達のジャックに「急に遊べなくなった」と言われてしまった。

 ふてくされて家に帰ってきたティリフォンは、丘の上に大の字になって寝転んだ。雑草がちくちくと頬を突き刺してくる。


(嘘つきめ!)


 そう思って青空を睨み付けた。布の切れ端のような雲が所々にちらばっている。あの空がすべて悪いのだと、そうでも思わなければやっていられない。

 本当は分かっていたのだ。友人の家がパン屋で、その手伝いをしなければならないのは仕方がないのだと。ジャックはすまなそうにして、お詫びに焼きたてのクロワッサンを一つくれた。サクサクとしていて、とても美味しかった。

 だから、実際のところ、友人のことを怒っていたわけではない。

 今年の春に、兄のセトラーが剣師団に入団してしまってからというもの、ティリフォンは暇を持て余していた。毎日兄と剣の鍛錬に明け暮れ、時折父や祖父に稽古をつけてもらった日々を思い出す。その兄がいなくなって、ティリフォンには一緒に剣の試合に付き合ってくれる友人がいなくなってしまったのだ。兄の他には、同世代でティリフォンよりも強い子どもはいない。普通の遊びをするなら誘いに乗ってくれるけれど、試合をしてくれるという人はほとんどいなかった。


(あー、つまんねー。早く兄貴の帰って来る日にならないかなー)


 ごろりと寝返りを打って、目の前にあった猫じゃらしを手折った。先っぽの部分を振り回して一人遊びをする。しばらくして、ぬっと上から覗き込んでくるものがいた。黒い影に仰天して、ティリフォンは飛び起きる。


「じーちゃんっ、びっくりさせんなよ」

「この程度でびっくりするとは、肝が据わってないな」


 ふふんと鼻で笑った祖父は、すぐに目尻を下げてしゃがみこんできた。兄と同じ、灰色の瞳が優しくこちらを見つめてくる。ティリフォンは、こうされることが苦手だった。すいっと視線をそらそうとするが、祖父の節くれだった手に顔の位置を戻されてしまう。


「ティリフォン、頼みがあるんだが」

「やだね。母さんに言ってよ」

「そういわずに、な」


 祖父は、有無を言わさぬ調子で続けた。ティリフォンの父でさえ、この柔和な笑みの爺さんには敵わないのだ。何十歳も年の差がある少年が勝てるわけがなかった。


「実は、午後から昔馴染みが尋ねて来るんだ」

「俺の知ってる人?」と尋ねると、「おそらくな」と言って説明された。

「ほら、前におもちゃの汽車をくれた人だよ。黒い髭の」

「ああ、クルリン(・・・・)さん!」


 思い出してにかっと笑うと、祖父も笑い返してきた。


「そう、そのクルリン(・・・・)さんだ。お前は相変わらずあだ名をつけるのが上手いな。確かに、見事にくるんと巻いた髭だった」

「兄貴にはおこられたけど」

「セトラーは、父親似なんだ」


 父と兄の生真面目な顔が頭をよぎる。ティリフォンはくつくつと忍び笑いをした。母親似の自分と違って、冗談が通じないったらありゃしない。


「それでな」祖父が話を元に戻した。「お前への頼みごとって言うのは、シャリーのことなんだ」


 ティリフォンの顔が途端に歪む様子を、祖父が面白そうに見た。苦虫を噛み潰したような表情をしている。「うへえ」と嫌そうな声を出した。


「なに?シャリーの面倒を見てほしいって?やだよ、めんどくさい。アイツがどれだけ厄介なことをひきおこすか、じーちゃんだって分かってるだろう」

「こないだは、どうやってか木に登って降りられなくなっていたな」

「そうそう。夕方になってシャリーがいないって大騒ぎしてさ、オレへとへとだったよ」と、ティリフォンはその日のことを思い出して、眉を顰めた。実際、夜まで妹を探し回って、庭の木の上で眠りこけているのを発見した時は殴ってやりたくなった。

「でもなティリフォン。母さんも、今日はマリアと朝から出かけているし、お前しかシャリーの面倒を見れる人がいないんだ。ほら、かわいい妹だろう」

「ええー」


 でもなー、シャリーのお守りをするくらいなら、子猿三匹のお守りをした方がマシだと思うぜ。

 散々渋ったティリフォンだが、「小遣いを多めにやる」という言葉を聞いて、ころりと態度を変えたのだった。





 やっぱり小遣い程度に釣られなきゃよかったかなあ……。それかもう少しせびっておけばよかった。

 早々に決断を後悔しつつあるティリフォンの目の前では、今年五歳の妹が、庭先で蝶々を追いかけていた。桃色のワンピースがひらひらと風になびく。何がそんなに可笑しいのか、けらけらと笑いながら駆けまわっている。あ、こけた。

 まったく、家族のみんなは、この妹を甘やかしすぎなのだと思う。父さんと母さんはまだまともだけど、じいちゃんと兄貴の溺愛ぶりと言ったら目も当てられないくらいだ。セトラーが見習い期間を経ずに十五の誕生日を待っていたのも、マーシャルと少しでも長い間過ごしたかったからだという。

 オレはぜってえ、来年には見習いになってやる。

 そう決意を新たにしたものの、あまりの暇さに心が萎えていくのを止めることはできなかった。昼下がりの太陽はぽかぽかと陽気で、ただでさえ眠たいのに。

 悩んだ末に、打開策をひらめいた。薔薇の蔦が絡まる柵によじ登り、平均台わたりを披露していたマーシャルを抱き上げる。


「よし、妹よ。王都へ行こう」

「おーと?」


 こてんと首を傾げるマーシャル。側頭部で一つにくくられた茶色の髪の毛が、一緒になって跳ねた。

 ティリフォンは、ついさっきもらった小遣いをポケットに突っ込み、じゃらじゃらと枚数を数える。資金は十分だった。


「うまいものでも食いに行こうぜ。それから武器屋でショッピングだ」

「けん欲しいなー」

「剣も良いけど、槍とか弓も見よう。目を養うことが大事って、兄貴が言ってたぞ。良い剣士になるためには、剣以外のこともしらなきゃな」


 セトラーからの受け売りだったが、どうやら妹も共感してくれたらしい。小さい腕を精一杯伸ばして賛成の意を表明している。


「それじゃあ、出発だな」ティリフォンは、マーシャルを地面に下ろした。しゃがみ込んで視線を合わせると、至極真面目に言い聞かせる。

「いいか、マーシャル。オレは、このままお前を甘やかしていたら、お前のためにならないと思う。だから、今日は抱っこはなしだ。手もつながないからな。自分の足で、王都まで歩くんだぞ」

「うん。わかったよ、兄ちゃん」


 マーシャルも重々しく頷いた。菫色の瞳が、真剣みを帯びているのを確認して、ティリフォンは満足した。

 蔦が絡まる白いアーチを抜けて、家の庭から出る。少し歩くと、丘の上から王都を眺めることができた。煙突が突き出したオレンジの屋根が、ところせましと並んでいる。右には神殿、左には大きな時計台が見える。真ん中の大通りの一番奥にあるのが、王国の中枢、王宮「鷲の宮」だ。兄妹が絶景に息をのんでいたところ、丁度二時の鐘が鳴った。ポーンポーンと二回鐘の音が響く。


「行くか」

「うん!」


 勢いよく丘を駆けだしたマーシャル。ティリフォンは、短い足がパタパタと地面を蹴る様子を、微笑ましく見守っていた――――数秒後までは。

 丘の傾斜がきつくなるところに向かって全力で走っていったマーシャルが、勢い余って盛大にこけた。それだけならまだしも、その勢いを殺しきれずに、小さな体がごろごろと斜面を転がりはじめたのだ。

 あっというまに小さくなっていく毬のような身体に、ティリフォンは絶叫した。


「シャリ――!!」顔色を赤から青に変え、ティリフォンは駆けだした。

「お前は、しょっぱなから何やってるんだ、このアホ妹!」


 どんどん加速して丘を転がり落ちる妹と、それを全速力で追う兄。丘の下に蛇行しながら流れている小川が見えてきて、ティリフォンは一層焦った。シャリーを全身ずぶぬれにしたら、母さんたちに何て怒られるか、考えただけでもぞっとする話だ。


「そりゃ!」


 マーシャルの身体が、ぽーんと投げ出され、川の中に落っこちようとしたその時。間一髪、ティリフォンの右手が、ワンピースの裾を掴んだ。急ブレーキをかけるようにして、ティリフォンとマーシャルの身体が川岸で止まる。

「ま、間に合った」と、ティリフォンはぜいぜいと荒い息を吐き、肩を上下させた。一つ大きく息を吸い込み、呼吸を整える。

「シャリー!お前ってやつは!いいか、ここからはよーく気を付けて……」気を付けて歩くんだぞと注意しかけて、ティリフォンは言葉尻を濁した。彼らの目の前には、王都の城壁までつづく、だだっ広い原っぱがあった。成長中の草がぼうぼうと生い茂り、蝶々やバッタが飛んだり跳ねたりしている。

 ティリフォンには、マーシャルに厄介ごとを起こさせない自信がまるでなかった。


「なあ、シャリー、さっきの言葉は取りやめだ」


 マーシャルが兄を見上げた。


「やっぱり、王都までは兄ちゃんと手を繋いでいこうな」


 兄がどうしてそう言いだしたのか、それは理解していないようだったが、マーシャルは元気いっぱいに「うん!」と頷いた。





 途中多少の厄介ごとがあったとはいえ、結局のところ、王都へ出かけるというティリフォンの選択は極めて正しかった。平日にもかかわらず、大通りには香ばしい匂いを漂わせる屋台が点在し、街角では大道芸人が魔法のシャボン玉を披露していた。棒付きキャンディーを買ってもらい、ピエロに割れないシャボン玉をプレゼントされたマーシャルは、るんるんとスキップしている。ティリフォンの方でも、食卓にはなかなか並ばないイカのフライや炊き込みご飯の肉巻きといった食べ物を両手に抱え、すこぶる上機嫌だ。

 指に付着した肉汁を舐め取って、紙屑をくずかごに投げ捨てた。大通りから一本外れた通りに入り、そこからさらに細い路地に曲がり込む。


「ここが武器屋通り。剣がいっぱいあるんだぜ」


 そう言うと、マーシャルがぴょんぴょんと飛び上がって喜んだ。


「やったー!わたし、セト兄さんみたいな剣がほしいな」

「あれはお前には大きすぎ……まあ、見るだけならな」


 武器屋通りは、様々な武具の専門店が軒を連ねている。中には王宮剣師団御用達の店もあり、剣士の間では名高い通りなのだ。

 二人は鼻歌で合唱しながら、片っ端から武器屋に入って、思う存分金属の輝きに魅せられた。平日の午後は客足が少なく、どの武器屋もひっそりとして、金属器の冷ややかな空気がただよっている。最初に言った通り、槍や弓、盾や鎧も物色したが、やはり最も魅力的なのは剣だった。この意見については、兄も妹も異論ない。

 通りの終わりに差し掛かった頃、角の手前の小さな武器屋で、マーシャルが喜色に満ちた声を上げた。


「兄ちゃん、わたしこれがほしいな!」


 細身の長剣の値札と睨めっこしていたティリフォンは、「どれどれ」と覗き込んだ。


「お、片刃の短剣か。兄ちゃんが持ってるのと同じだな」


 確か部屋に置いてあったはずだ。ティリフォンもセトラーも長剣を好むので、少し埃をかぶってしまっていたが……。


「兄ちゃんかって、おねがい」


 上目遣いでお願いされて、ティリフォンはひるんだ。おいおい、そんな目で見るなよ。オレだって、めぼしい剣を見つけたんだ。先程から熱心に眺めていた青い持ち手の長剣を、ちらりと横目に見た。今日もらった小遣いと、家の貯金箱をあければぎりぎり買える値段だった。

 分が悪そうなことを悟ったのだろう。マーシャルがぐずりはじめた。兄の服の裾を引っ張って、地団太を踏む。


「にーちゃん、かってよ!ほしいのー」

「オレだって欲しいのがあるんだよ!」

「やだー!かって、かって!」


 そして、わー!と泣き出した。初老の店主が迷惑そうな顔で見てくる。ティリフォンはほとほと困り果てた。こうなった妹は、なかなか泣き止んでくれないのだ。


(さっきまではメチャクチャご機嫌だったじゃねーか)


 冷たい視線に耐えきれず、ティリフォンはマーシャルを抱えて泣く泣く店を飛び出した。振り向くと、さきほどの長剣が大きな窓ガラス越しに見える。オレの剣になるはずだったのに!残念だが、今日は諦めるしかなさそうだった。

 武器屋通りを出て、すぐ近くにあったベンチにマーシャルを座らせる。妹はなかなか泣き止んでくれなかった。どこにそんな力が眠っているのかという勢いで、ぎゃんぎゃん泣きわめく。周りの家の人にいつ怒鳴られるかと、冷や冷やしっぱなしだった。

 頼むから泣き止んでくれよ!

 慰めようと四苦八苦する。こういう時は、祖父や母親が猛烈に恋しくなる。


「ほら泣き止めって。代わりのもの買ってやるから、な?それに、剣がほしいなら、兄ちゃんのお古をやろうか。持つところが赤色でかわいいぞ。帰ったら見せてやるから、だからもう泣くな」

「うう……」顔を覆っていた両手を外して、マーシャルは鼻を啜った。しゃくり上げながら尋ねる。「げん、ぐれるの?にいぢゃんの?」

「そうだよ。父さんに許可は取らなきゃいけないけど、シャリーにやる」

「ほんどう?」


 どうせあんまり使わないものだし、短剣なら他にもいくつか持っている。ティリフォンはなるべく優しい笑顔を心掛けて、首を縦に振った。ここは慎重に行かなくては。妹の機嫌が直りかけている。


「それに、帰る前に一つくらいお土産を買ってやるよ。ケーキでもジェラートでも、なんでもいいぜ」

「……うん!兄ちゃんありがとう」


 ついにティリフォンは、マーシャルの機嫌を直すことに成功した。やりとげたぜ!と妙な達成感と安堵を感じながら、ティリフォンはマーシャルの手を引いて大通りまで戻った。妹が「こっちだよ」と指を指す。小さな身体を人ごみから庇いながら歩いていくと、たどり着いたのは本屋だった。王都で一番大きなところで、表で平積みになった本に、大勢の人が群がっていた。


「ここでいいのか?食べ物じゃねーんだ」とティリフォン。マーシャルは店に入る前からそわそわしていた。

「あのね、前、ママと来たときに欲しいのがあったんだ」

「そっか。どこにあったか覚えてるか」

「うん、絵本のところなの。おにかい(・・・・)よ」


 二人は店の左奥にある階段を上る。マーシャルは小走りに、ティリフォンはゆっくりと妹のうしろからついて行った。

 二階は子ども連れの客が多かった。きょろきょろと辺りを見回しているマーシャルに言う。


「じゃあ、欲しい本が見つかったら兄ちゃんに声をかけるんだぞ。階段の近くにいるからな」

「うん!わかった」

「店の中で走るなよ」


 さっそく走りかけていた短い足がピタリと止まり、ぎこちなく歩きはじめる。それでも楽しそうなマーシャルの様子に、ティリフォンはほっとした。泣き出した時はどうなることかと思ったが、無事にお守りを終えられそうである。帰り道も気を抜くことはできないけれど。

 適当に手にした『英雄図鑑』(一番目立つところに平積みにされていた)をいつの間にか熱心に立ち読みしていたティリフォンは、ガタガタという音に顔を上げた。見ると、隣で小さな男の子が脚立を引いてきて、その上に上ろうとしている。脚立に足をかけた時点で既に危なっかしく、ティリフォンは図鑑を閉棚に戻して、その子に話しかけた。


「どれが欲しいんだ。とってやるよ」

「いいんですか」


 脚立に片足をかけたままで振り向いた黒髪の男の子は、しっかりとした口調で聞き返した。「もちろん」と了承すると、「一番上の棚の、赤くて分厚い本です。『魔法大百科事典』と書いてあります」と丁寧に説明してくれる。おかげで、すぐにその本が分かった。分厚いと言っていたが、予想外の本の厚みにティリフォンは一瞬躊躇した。父さんの書斎で埃をかぶってる本より分厚いかも……。

 内心の戸惑いを隠しながら、脚立を下りて本を渡してやる。男の子は嬉しそうに笑った。そうすると、自分の妹とそう変わらないように見える。


「ありがとうございました」


 ペコリと律儀に頭を下げて、その子は棚の向こうに消えて行った。父親と思われる声との会話が聞こえてくる。「本は決まったのか」「はい、お父さま。これです」「お前……またこんなのを買って。こないだ薬物図鑑を買ってあげたばかりだろう。もっと普通のでなくていいのか」「これがいいんです」「それならばいいけれど……。そうだ、ついでにこの妖精と王子さまの絵本も買って行こうか」「お母さまが好きそうですね」――――。親子の会話は、通りから聞こえる喧騒に紛れてそのうち聞こえなくなった。世の中には、しっかりした子どももいるのだと感心する。

 うちの妹とは友達になれそうにないな。

 そんなふうに考えていると、当の本人が帰ってきた。手元に絵本を抱えている。


「見つかったのか」

「うん……えっと、でもね」


 なぜかマーシャルはもじもじとしていた。ティリフォンに「これだよ」と見せたのは、ピンクのドレスを着たお姫さまが描かれた絵本だ。剣以外の女の子らしいことにも興味があることを知って、ティリフォンは少し安心した。血なまぐさいことにしか関心がなかったら、将来が不安になる。

 マーシャルは、まだもじもじとして、視線を彷徨わせていた。言いにくそうに、お姫さまの絵本の後ろからもう一冊本の表紙を覗かせる。


「あのね、兄ちゃん。これも面白そうなの」

「どれだ」


 もう一冊の本を受け取ったティリフォンは、そのタイトルを目にして思わず微笑んだ。ティリフォンが先程まで熱心に読んでいた、『英雄図鑑』だったからだ。


「えっとね、おひめさまの本もほしいんだけど……」


 顔を真っ赤にして一生懸命おねだりしようとしている妹の頭を、ぐしゃぐしゃと掻き混ぜるようにして撫でる。母親が毎日きれいに結んでくれる髪が、少しほつれてしまった。


「丁度良かった。兄ちゃんもこれが欲しかったんだ」


 そう言うと、ティリフォンの妹は、ぱあっと顔を輝かせた。





 日が暮れかけた丘を、二つの影が並んで歩いている。丘の上に立つ、白い家の玄関のドアが開き、白髪の老人が顔を出した。小さい方の影が、途端に駆け寄って老人に抱きつく。


「おかえりなさい二人とも――――ご苦労だったね、ティリフォン」


 マーシャルと一緒に大きな手で頭を撫でられて、ティリフォンは頬をかいた。この年になって子どものような扱いを受けるなんて気恥ずかしかったけれど、なぜか祖父の手を振り払えない。

 祖父の厚い胸板にぐりぐりと頭を押し付けていたマーシャルは、がばっと顔を上げて「あのね!」と王都でのことを報告しはじめた。

 あのね、じいじ。兄ちゃんといろんなとこいったんだよ。キャンディーもかってもらってね、けんも見にいったの。それから本やさんにいってね、ふたつも本買ってくれたのよ―――――。

 最初のうちはにこにこと聞いていた祖父だったが、下がっていた眦が次第に戻っていって、最後にはティリフォンの顔をまじまじと見つめていた。濃い灰色の瞳にじっと見られて、思わずたじろぐ。


「な、なんだよっ」

「ティリフォン、お前――――」


 二人の孫を見比べながら、僅かに咎めるような色をにじませて祖父は言った。


「シャリーのことを、少し甘やかしすぎじゃないかい」


 ティリフォンはしばらく、呆れるあまり口を開けなかった。何を言い出すんだ、このじいさんは。 

 もちろん、衝撃から立ち直ったあと、自分のことを棚に上げた言葉に反論したのは言うまでもない。

――――アンタには言われたくねーよ!

 けれども、マーシャルに短剣を譲るという約束は、もう一度考え直した方がいいかもしれなかった。





第三章完結です。


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