閑話―ろくでもない再会
雨上がりの午後、魔法師団第七番隊の隊舎で隊長室の扉がノックされた。部屋の主であるエヴァンズは、「失礼します」という声に書類を捲っていた手を止めた。そして目を点にする。一週間ぶりに帰還した部下を前にして、エヴァンズは今年一番の驚きを見せた。
部下の身体のあちこちには包帯が巻かれていて、極めつけに杖をついて左足を引きずっている。あんぐりと口を開けているエヴァンズの前で、部下の少年――ユンスティッドは、まるで何事もなかったかのように報告書を読み上げ始めた。彼は岬の海洋研究所に派遣されていたのだ。
「待て待て!その前に説明すべきことがあるだろう。手紙で魔法生物が発生したとは聞いたが、まさか戦ったのか?!」
大慌てで、よどみなく紡がれていた声を制止する。
「はい、手間はかかりませんでした。切羽詰まった状況だったので、いろいろと調べられませんでしたが」
珍しく悔しそうなユンスティッドだったが、エヴァンズにとっての問題はそこではない。部屋に一つきりのビロード張りの椅子から立ち上がり、少年に座るように促す。最初の内拒否していた彼は、しつこいエヴァンズに折れて腰を下ろした。光沢のある緑の生地は触り心地がよいはずだ。しかし、ユンスティッドは背筋をピンと伸ばしたまま、背もたれに凭れ掛ることはなかった。彼の杖はエヴァンズが預かっている。木にニスを塗っただけの安価な代物だった。
「いいか、正直に答えろよ。とりあえず、獣型の魔法生物が発生したってところまでは報告と違ってないな。一体どうして戦う羽目になったんだ。魔法生物は解明されていない部分も多いから、真っ先に報告するのが常道だろう」
くどくどと言いながら、エヴァンズは内心首を傾げていた。魔法生物学は、ユンスティッドの専門分野だ。知識豊富な彼が、そんな無茶をする理由が思いつかない。すると、黙って話を聞いていた少年が、重たい口を開いた。
「どのみち話すつもりだったのですが、ろくでもない再会をしまして」
「再会?」
頷く少年。その顔が苦虫を噛み潰したようなものに変化する。今日は珍しく表情豊かだなと、エヴァンズは驚きっぱなしだった。
「誰だと思います?」
「なんだ、教えてくれんのか。それとも謎かけか」
「いえ、単純に名前を口にしたくないだけです」
中々の窮地に立たされましたのでと、ユンスティッドは付け加えた。エヴァンズは、角ばった顎に手をやり、整えられた顎鬚をさする。誰に対してもそつなく振る舞うユンスティッドにここまで言わせるとは……。
「結構な強者みたいだな、そいつは」
「僕からしたら驚くほど逞しいですね。身体能力的な意味でも」とユンスティッドは両肩を上げた。「隊長も良くご存知ですよ」
考え込むこと十数秒、エヴァンズはぽんと手を叩いた。
「シャリーか!」
「ご名答です。剣師団の任務と偶々かち合ったようでして」
「懐かしいな、元気にしてたか?まあ、お前の態度からして、相変わらずのお転婆みたいだな」
相好を崩して、あの元気な少女の姿を思い描く。エヴァンズにも実家に残してきた二人の娘がいるので、年頃の娘であるマーシャルのことはそれなりに気に入っていた。副隊長のキルシュなどは、唯一の女子だからと妹のように可愛がっていたものだ。尤も、パートナーを務めていたユンスティッドとは水と油のような関係だったが。
海洋研究所での報告もそっちのけに、エヴァンズは根掘り葉掘り質問して粗方の事情を掴むことに執心した。ユンスティッドの怪我の原因が気になったことも確かだが、嫌そうに話す少年が面白いという面もあった。雷の魔法で獣を倒したところまで聞き終えて、はあーと感心する。
「一撃で仕留めるとは大したもんだな。しっかし、よく落盤したときに潰されなかったな」
「一度目は氷漬けにして止めましたから」
「なんだ、二度も崩れたのか」
「そういうわけではなく……」
ユンスティッドはとつとつと語った。何でも、雷魔法の衝撃で落盤したことに気付き、慌てて洞窟全体を氷漬けにしたらしい。その際に入口まで凍らせてしまったのが失敗だったと零す。なんと、二体目の魔法生物が現れ、それに対応している間に氷が薄い部分から崩れ落ちてしまったということだ。その後のことはあまり覚えておらず、とにかくマーシャルの平手が強烈過ぎたと頬を抑えていた。
「若い時の苦労は買ってでもしろって言うからな。平手打ちされる機会なんて……」そこでエヴァンズはユンスティッドの整った顔立ちを一瞥した。冷たい印象を与えるが、いかにも女好きのする顔だった。「……将来の予行練習だと思っとけよ。お前、理詰めで追いつめて逆上されそうなタイプだもんな」
「はあ。ところで隊長、ディカントリーのことでお話があるのですが」
ユンスティッドは、マーシャルが魔法を学びたいと望んでいること、少女が魔法剣を見つけたこと、彼女を迎え入れることは魔法師団と剣師団を結びつける意味でも有効だろうということ等々、あの時マーシャルに話した内容を大まかにまとめて説明した。マーシャルが魔法に惹かれていたことに驚いたエヴァンズだったが、ユンスティッドの話に熱心に耳を傾け、最後には力強く頷いた。
「いいんじゃないか。魔法剣は魔法陣学の領域だが、一番研究者が少ないところだからな。実戦でも試せるって言うんなら、万々歳だ」
「剣師団の方はディカントリーに説得してもらいます。おそらく大丈夫でしょう。彼女は嫌がるかもしれませんが、最終手段として父親に頼み込めば通らないはずがないですからね」
「あの鬼みたいに強い団長様も、娘には弱いのかねえ」
実はエヴァンズ、若い頃は剣士を目指して修行に励んでいたのだ。運動能力がからっきしだったため断念したのだが、鍛えられた躰はその名残だった。当時の憧れは前団長で、その息子である現団長のことは一方的ながらよく知っていた。
エヴァンズの独り言に、ユンスティッドは「さあ」と首を傾げる。
「それは分かりませんが、赤の他人よりはマシでしょう」
「まあな。よし、ちょっと待ってろよ」
エヴァンズは部屋から顔を出し、廊下の奥に向かって声を張り上げた。「キルシュ、ちょっと来い」と副隊長を呼びつける。しばらくすると、やけにボロボロの格好をした副隊長がよろけながらやって来た。ハニーブロンドの髪が蜘蛛の巣のように絡まり合って、腫れぼったい目の下にはくっきりとした隈がある。皺だらけのローブがずるずると床に引き摺っていた。
「キルシュ、お前また徹夜したのか。何日目だ」
呆れかえるエヴァンズ。ユンスティッドはきっちりと口を閉じていた。徹夜明けにぶっ倒れたことは少年の記憶に新しい。
「まだ三日目です。でも隊長、さっきようやく薬品の調合が成功したんです!」
「わかったから!とりあえず今日の夜は家に帰れよ。息子が心配するだろう」
「うう……あの子怒るから嫌なんですよ。こないだなんて一時間も説教されたんですから」
途端キルシュがぐちぐちと文句を言い始めた。エヴァンズがわざとらしく咳払いをして、限りなく続きそうな愚痴話を遮る。そして、マーシャルについてごく簡単に説明をした。予想通りキルシュは目を輝かせ、一も二もなく賛同した。ニコニコと微笑み張り切っている。
「じゃあ、ぜひうちの隊に入ってもらえるようにしないといけませんね。ユンス君も、楽しみでしょう」
「冗談は程々にしてください」
「相変わらずね。でも、シャリーちゃんが家に入ったら、貴方たちは間違いなくデュオを組むことになるんだから。仲良くしなきゃ」
上司の前でなければ、ユンスティッドの口から潰れた蛙のような声が飛び出していたことだろう。嫌がっていることがありありとわかる表情だった。キルシュがクスクスと笑い声を漏らす。エヴァンズと同じく、ユンスティッドの表情の変化を面白がっているのだ。
その後も三人は何度か集まり、途中からはマーシャルも交えて話し合った。七番隊全体にも協力を頼み、魔法師団の方は滞りなく提案が受諾された。剣師団では――ディカントリー家において一悶着あったらしいが、最終的には認めてもらうことができたようだ。ご機嫌なマーシャルに、「ユンス君のデュオのパートナーが見つかって良かったわ」とキルシュが言ったところ、少女は「げっ」と叫んでこの世の終わりのような表情をした。
――――そして、太陽がさんさんと降り注ぐ初夏。ユンスティッドとマーシャルは、晴れて魔法師団第七番隊に入隊した。
デュオの結成を正式に言い渡すことになった日、エヴァンズとキルシュは隊長室で苦く笑っていた。ユンスティッドとマーシャルは一見何事もないかのように振る舞おうとしているようだが、マーシャルは顔に不機嫌とでかでかと書いてあり、ユンスティッドの方はいつも以上に無表情だ。また喧嘩したのだなと、すぐに察した大人組はひっそりと顔を見合わせた。昨晩隊舎中に響いた少女の声からして、ユンスティッドの身長について言及したらしい。二人が並ぶと、茶色い頭の方がわずかに高かった。
エヴァンズは表情を改めると、いつもより重々しい声を発した。
「それじゃあ、デュオの発表だ」
そうは言っても、部屋にいる新入隊員は二人だけだ。一種の茶番にも見えるが、こればかりは仕方がない。
「ユンスティッド=シルバート、マーシャル=ディカントリー。今日から第七番隊所属のデュオとして、共に学び励み、さらなる魔法の発展に尽力することを命じる」
二人は声をそろえて返事をした。その顔が、まあ見事に嫌そうに歪んでいる。ついに大人たちは耐えきれなくなって、唖然とする二人の前で一頻り笑った。ユンスティッドとマーシャルは、その笑い声が収まるまで落ち着かない様子で待ちつづけたのだった。
2章完結です。