はじまりの日
妻によく似た菫色の瞳を初めて目にした時を、よく覚えている。
二人男の子がつづいた後の、待望の孫娘。一家全員が手を取り合って喜んだ。いつも険しい表情の長男も、この時ばかりは娘の愛らしさに笑み崩れ、遊び盛りの二人の孫息子たちは、妹の誕生にそわそわと浮き足立っていた。とうとう息子しか持つことの出来なかった妻は、息子夫婦以上の喜びようで、義娘と連れ立って洋服を買いに出かけた。
すくすくと成長していく末の孫。
家族の中で、共に過ごす時間が一番多かったのは、私のように思う。すでに師団を引退した身であるため、家事に忙しい義娘から昼間の間の世話を頼まれていた。
孫娘の誕生から、一年後に先立った妻の小さな肖像画を窓際に置いて、幼子を膝に乗せる。年季の入った揺り椅子を揺らすと、膝の上で彼女は猫のように喉を鳴らした。菫色の瞳が、桃色の写真立ての中で微笑む妻と重なって、あたたかな空気は私の心を安らかにした。
節くれだった指を差し出すと、赤子の頃の名残か、幼子はぎゅっとそれを握りしめる。
幼い孫娘と過ごす時間が、最も多かった私。だから、私がその瞬間に立ち会ったのは、至極当たり前のことだったのだろう。
ふと昔の血がざわついて、孫娘を寝かしつけた後で倉庫を覗きに行った。そこに並ぶ数々に、年甲斐もなく胸を躍らせていた私は、寝ぼけ眼で後ろをつける孫娘に気が付かなかった。
気が付いてギョッとした時にはすでに後の祭りで、孫娘の視線は並んだそれらに注がれていた。きらきらと輝く、いっそ恍惚とした瞳は、慌てて孫娘を抱き上げた私に諦めに似た気持ちを抱かせた。
『じーじ』
孫娘は勢いよく私を振り仰ぐ。あれを目にすると、血が騒ぐのだ。仕方がない。
『あれはなあに?あの、きらきらしたの』
私は、薄茶色の小さな頭を撫でた。
『あれはね、シャリー…』
*****
首都ガゼルトの港の東に、小高い丘がある。港の喧騒やきらびやかな首都から切り離されたその丘の上に、一軒の邸宅がポツンと建っていた。白塗りの壁を囲う庭では、恰幅のいい中年のメイドが花に水やりをしている。そのメイドがいる位置からちょうど真上に位置する部屋で、マーシャルは目を覚ました。
ぐんと背伸びをした少女は、卓上に置かれた木製のカレンダーを真っ先に目にした。今日の日付のところに、派手な赤色のピンが留められていた。
(今日は人生で最高の日だわ)
海神ポーミュロンに、いつもよりもずっと厳かな朝の祈りをささげ、マーシャルはベッドから跳ね起きる。窓を開け放って、見慣れたメイドに声をかけた。
「おはようマリア。いい朝ね」
「あらあら。おはようございます、お嬢様」
マリアは豊かな体を揺らして笑った。
「今日は随分とお早いお目覚めですね。いつものお寝坊さんはどこにいかれたのでしょうか」
「もう!いいじゃない。今日は私の人生で一番良い日に違いないんだから」
「まあ。お嬢様ったら、まだ一四になったばかりじゃあないですか」
そうは言われても、マーシャルの確信は揺らがなかった。クローゼットから一張羅を取り出して素早く着替えた。鏡に映った若草色のワンピースが翻る。髪を整えると、部屋を出てすぐにある階段を駆けおり、最後の一段をぴょんと飛んだ。すると、寝間着のままの長兄に出くわす。
いつもながら低血圧で、マーシャルを無視してふらふらと食堂に向かう兄を引き留める。
「セト兄さん!眠いのは分かるけれど、せめて着替えてよ」
「ああ…すまない」
ともすればその場で眠ってしまいそうな兄の背を押し、部屋に押し込む。シャツとスラックスを押し付けると、マーシャルは兄の部屋を出た。
食堂では、母と次兄が待っていた。母は、家族分の皿を用意している所で、次兄は必死の形相でペンを走らせている。
「ティル兄、何してるの?」
振り向いたティリフォンは、血走った眼の下に真っ黒な隈をつくっていた。ぎょっとしてマーシャルは退く。
「今日提出の書類書くの忘れてたんだよ!」
「またなの」
「うるせー。昨日から徹夜してるんだけど終わらないんだっ。そうだ、マーシャル。手伝ってくれよ」
「い・や」
きっぱり断ると、マーシャルは呆れたふうに腰に手を当てた。
「まったくティル兄もしっかりしてよね。今日は特別な日なんだから」
「いつも寝癖付けて欠伸してるお前に言われたくないね!」
「もう!それは言わないお約束でしょ。私は今日から心を改めますって、海神に誓ったばかりなんだから。ティル兄も見習ったらどう?」
胸を張ったマーシャルを、ティリフォンがじとりと睨んだ。
「そうだな。いっそ二人でノストラ神殿に祈りをささげに行くか?」
マーシャルは兄を睨みかえした。ノストラ神殿は首都のずっと西にある、ここからは馬で半月かかる。つまりは八つ当たりされているのだ。
次兄の頭をはたいて溜飲を下げたマーシャルは、母を手伝ってから食卓に着いた。欠伸をしながら長兄が、つづいて父が戸をくぐってくる。父親はすでに一汗かいてきたところのようだ。一家の主の朝は、誰よりも早かった。
母が食卓の上に料理を並べる。香ばしい香りのコーヒーとともに、ホイップクリームをたっぷりはさんだコルネット。ソーセージは皮が破けるまでこんがりと焼いてあり、スクランブルエッグは黄金に輝いている。おまけにフルーツの盛り合わせまで用意してあった。朝食にしては豪勢で、三人の子どもたちは目を見張った。
「シャリーの特別な日だもの。ちょっとしたお祝いよ」
お別れパーティーは昨夜盛大に行ったというのに。マーシャルは母の首に抱きついた。
「大好きよ、ママ!」
「シャリー、ほどほどにしてね。首がもげてしまうわ」
全員が席に座ったのを確認した父の合図で、五人そろって海神に祈りをささげた。
「今日からでしたよね?」
母の言葉にマーシャルが勢い良く頷くと、母は苦笑した。
「父さんと兄さんたちに言っているのよ」
母の問いにはティリフォンが答えた。不気味な隈に、セトラーが顔をしかめている。
「そうだよ母さん。俺と兄貴は遠方の砦に視察で、父さんは陛下の護衛でバマ国へ行くんだ」
「帰ってくるのはいつになるの?」
「うーん…早くて一カ月先ってところかな」
父が横からぼそりと呟く。
「向こうとの会合が長引くこともある。私の方は、いつになるかわからん」
「そうですか…」
母が少し心配そうにマーシャルの髪を撫でた。
「じゃあ、シャリーは一人きりではじめなければならないのね」
「なあに、俺たちがいたって特にできることはないからさ。変わらねーよ」
「ティリフォン?」
「あっ。変わらないですね、母さん」
コルネットを頬張っていたマーシャルは、口のまわりのクリームを舌でペロリと舐め取った。
「そうよママ」
「マーシャル、はしたないわよ」
「ごめんなさいママ」
礼儀作法に厳しい母に叱られ、マーシャルはぺろりと舌を出した。小さい頃から一つのことに夢中だったせいか、他の貴族の娘のようにしとやかな振る舞いができないのだ。
マーシャルは、今日付けで王宮剣師団の見習いとなる。剣師団の入団試験を受けることができるのは一五歳から。しかし一五の誕生日を待ちきれなかったマーシャルは、見習いの募集を見つけてすぐさま申し込んだ。見習いと言っても仕事は雑用が多く、実質文官のような扱いを受けると聞く。それでもマーシャルは、少しでも早く王宮に出入りしたかった。
(ずっと、憧れていた。父さんや兄さんたちのようになりたかった)
マーシャルの生まれた家、ディカントリー家は、武勲の誉れ高き一族だ。男たちは軒並み王宮剣師団や、街の自警団、傭兵ギルドと言った集団に所属していた。女性でも、剣の道を志す人は少なくない。
そんな戦闘狂いたちが集まった一族の中でも、最強と謳われるのがマーシャルの曽祖父である。一騎当千、先の戦において、卓越した剣の腕で数多の敵をなぎ倒した。その功績から、平民に過ぎなかったディカントリー家は、貴族の末席に加わることとなったのだ。
朝食を食べ終えたマーシャルは、自室には戻らずに武器庫へと向かった。柔らかい芝を踏みながら行くと、マリアが手入れをしていた赤薔薇が鮮やかに目に飛び込んできた。庭を囲む格子に濃い緑の蔓が絡みつき、花弁についた露が日光を反射している。この光景も今日で見納めかと思うと、マーシャルの胸に一抹の寂しさが去来した。
薄暗い武器庫は、しんと静まり返っている。丁寧に並べられた剣や盾は、ひとつ残らず磨き上げられている。マーシャルは、短剣を三本選び出した。手のひらにピッタリと収まる感触に安心して、にこりと微笑む。
「長剣はいいのか?」
不意に後ろから声がかかった。振り向かずとも、このような重低音の持ち主は父しかいない。
「うん。だって見習いだし。最低限護身が出来ればいいもの」
「まあ、その通りだな。それにお前は短剣の扱いがうまい」
父は短い顎鬚をさすった。父の腰には、飾り気のない鞘に収まった長剣が差してある。柄の部分にぶら下がっている編み紐は、母からの贈り物だと知っていた。
何か言いたそうにしているのを見かねて、マーシャルは何か用かと父に問いかけた。珍しいことに、父は目線をうろつかせる。
「……見習いは正式な団員ではない。女だと舐めてかかられることもあるだろう。だが、私たちは大っぴらに助けるつもりはない」
「うん、分かってるわ。それが当たり前だもの」
マーシャルは、静かに父の言葉を受け止めた。そんな娘の柔らかい髪を、武骨な手がくしゃりと撫ぜる。
「お前なら大丈夫だ」
ぎこちない応援に、嬉しさがこみあげてくる。先ほど母にしたのと同じように、マーシャルは父に飛びついた。太い首に顔を押し付けて、頑張るから、と繰り返す。はじめて剣を手にした時から、父はマーシャルの目標だった。その大きな背中に追いつきたくて、認めてもらいたくて、必死に食らいついて行った毎日を思い出す。今でもまだ遠い背中は、マーシャルの足を進める力となってくれる。
白塗りの門まで二人が辿り着くと、家族とマリアが待ち構えていた。兄たちがそれぞれ餞別の言葉を送り、マリアは少し涙ぐんで、ふくよかな身体でマーシャルを抱きしめた。
「シャリー、これを」
母がマーシャルの首に何かを掛けた。シャラリと鎖が鳴る。白い線が一筋入った、赤鉄鉱の首飾りだった。楕円の石が銀の台座にはめられている。
「貴女が生まれた時に、お義父様から頂いたのよ。貴女にいつか渡してほしいって」
「お祖父ちゃんから?」
マーシャルは赤鉄鉱をまじまじと見つめた。祖父は現在、田舎の領地で余生を送っている。曾祖父につづき師団長の職務を全うした祖父は、父にその地位を譲り渡した後、すっかり好々爺然として領主の地位におさまってしまった。それを惜しむ声も上がり、マーシャルがまだ幼かった頃は首都に近い本邸にいたものの、彼女が十歳になる頃には剣師団からきっぱり身を引くことを宣言したのだ。
祖父に大変懐いていたマーシャルは、贈られたばかりの石をぎゅっと握りしめた。一週間ほど前に手紙はもらっていたが、祖父が間近で背中を押してくれているような気がして勇気が湧いてくる。
「それじゃあ皆、私行ってくるわ」
「気を付けるのよ」
最後まで心配そうにしていた母を宥め、マーシャルは丘の上の家と家族に別れを告げた。何度か足を止め、その度に遠ざかる家を見つめる。緑の丘に、白い屋敷がすっかり隠れてしまうまで、五人は彼女を見送り続けていた。
首都ガゼルト。王国の北寄りに位置し、南に大きな港を抱える都市は、昼間から大いに賑わいを見せていた。三重の城壁が街を囲い、東西を一本の道が貫いている。南では時計塔、北では海神を祭る大神殿が街を見下ろしている。大通りと中央広場では毎日のように市が開かれていた。獲れたばかりの海産物が氷を張った樽に敷き詰められ、ハムが店の天井からぶら下がっている。棚に並んだ林檎はまだ少し青く、その隣の店ではチーズの量り売りをしていた。パンが焼ける香ばしい匂いがあちらこちらから漂ってくる。バールでは、青年たちがコーヒーを飲んで一息いれている最中だ。
たくさんの誘惑を振り切って、マーシャルは一直線に西の端へと向かった。
―――キルファ城、又の名を「鷲の宮」。厳格な面持ちで見るものを圧倒する。
王宮と街の間には川が流れ、二つを隔てている。マーシャルは王宮を見上げて武者震いした後、挑むような顔つきで橋を渡った。
見習いの申し込みをした詰所で手続きをするよう指示されていたので、マーシャルは橋を渡って、石造りのトンネルの入り口を潜る。トンネルに入った途端地面が陰るが、抜けると一気に太陽の光が降ってきた。先王の御代まで戦続きだったこの国の王宮は、いかにも堅牢なつくりをしていた。灰色の石を漆喰で固め、細い道が迷路のように這っている。通路の両脇には同じ大きさの木戸が等間隔で並んでいるが、物静かな部屋があるかと思えば、ガヤガヤと話し合いの声が聞こえてくる部屋もあった。天井は高く、時折吹き抜けていた。木戸の横には燭台が取り付けてあり、夕刻を過ぎると灯される。
マーシャルが向かったのは、渡り廊下を抜けた先の南の塔だ。細身の塔の地上階で、制服を着た女性に話しかけて名前を告げた。
「剣師団の見習いの方ですか。確認いたしますので、少々お待ちください」
怜悧な印象の女性が、棚から書類を引き出して素早く捲りはじめる。マーシャルの心臓がいよいよ高まった。
しばらくして、女性は眉を顰めた。
「おかしいですね…。ディカントリー様のお名前が見当たらないのですが」
「ええ?!」
ぎょっとするマーシャル。女性はマーシャルの持ってきた手紙と書類を何度も見比べる。
「申し訳ありません。魔法師団の書類に混ざってしまっている可能性がありますので確認してまいります。少々お待ちいただけますか?」
初っ端から不穏な雰囲気に、マーシャルは居ても立ってもいられなくなった。出ばなをくじかれたことに気落ちしながら言う。
「あの、私が直接行きます」
「ですが……」
「魔法師団って北の塔ですよね?私、足は速いですから」
「城内は道が複雑です。慣れていないと迷ってしまいます」
「大丈夫です。北の塔なら来るときに見ましたから」
女性が辺りを見回して、躊躇った後頷く。仕事場を離れることは避けたいらしかった。
申し訳ございませんと再三の謝罪に手を振りながら、マーシャルは足早に北へと向かった。南の塔と対になっている北の塔は、建物の向こう側に見えているものの、そこに辿り着くまでの道が中々に厄介だ。真っ直ぐ突っ切れば大した距離ではないものを、階段を上り下り、はたまた回り道をして……。
三度目に行き止まりに突き当たった時には、苛立ちと焦りと不安が最高潮に達していた。
「ああ、もう!面倒くさい!」
マーシャルはざっと辺りを見回したかと思うと、突き当りの壁をくり抜いて作ってあった窓枠に左手をかけた。真下が芝生であることを確認して、一気に窓を飛び越える。
「よっと」
衝撃を上手く殺して着地する。このまま塔まで突っ切ろうと考えていると、不意に後方に気配を感じて慌てて振り向く。呆れ顔で佇んでいたのは、両手に山と本を抱えた少年だった。灰色のケープを着ている。彼は、丁度庭に開けた廊下を渡っているところで、マーシャルの見事な着地を目撃したのである。
「……どなたか存じませんが、王宮でそのように振る舞うのは如何なものかと」
少年はマーシャルの全身を一瞥した。冷めた視線に、一気に居心地が悪くなる。人気がないことを確かめたからと言っても自分の行為が非常識なことは一応承知していたので、顔を赤らめながら、マーシャルは素直に謝罪しようと思った。
ところが。
同じ年頃と見える少年は、本を抱えなおすとすぐに背を向けた。
「僕に謝らないでくださいよ。あなたの常識を問うているだけで、僕に迷惑はかかっていませんから。あなたの品位が損なわれた、それだけですから」
「なっ?!」
「それじゃあ急いでいますので」
今度はマーシャルが唖然とする番だった。反論する暇もなく、少年は去っていく。黒髪が揺れる様子が爽やかで、なんともそぐわなかった。
(何よ、アイツ―――ッ!)
我に返ったマーシャルは、わなわなと肩を震わせる。
(そりゃあ、イラついて飛び降りた私が悪いのかもしれないけど。なにあれっ、感じ悪っ!)
先ほどまでの羞恥は忘れて頭から湯気を立て、王宮という華やかな場所には似合わぬ顔つきで、どすどすと北の塔へと向かって行く。腹いせに壁をよじ登って乗り越えてやろうかと思ったが、流石にそれは憚られたので、叫びだしそうになるのを堪えながら階段を上り下りして王宮の中央を抜ける。
すると、塔は目前だった。
両頬を軽く叩いて気持ちを入れ替える。塔内の女性に、先程と同じく声をかけた。
眼鏡をかけた穏やかな雰囲気の女性は、書類を捲っていたピタリと手を止める。
「マーシャル=ディカントリーさんですね。確かに書類ございました。お手数おかけして申し訳ありません」
「いえ……、あったなら良いんです」
ほっとして、マーシャルは表情を緩める。女性はにこやかに言い放った。
「それでは、ディカントリー様は、本日付で魔法師団第七番隊所属の見習いとなります。詳しいことは直接隊舎でお聞きください」
はいっ―――と元気よく答えてから、マーシャルは違和感に首を傾げた。
「あの……、もう一度お願いできますか?」
「はい」
女性は嫌がる様子もなく、にこにこと繰り返す。
「ディカントリー様は、本日付で魔法師団第七番隊所属の見習いとなります」
「すみません、剣師団の間違いですよね?」
「?いえ。書類には魔法師団と記してありますが」
「そんな馬鹿な!」
マーシャルは、一月前に王宮から届いた通達を取り出してみせた。そこには、「剣師団見習いとして採用いたします」とはっきり書かれている。それを目にした女性は、ようやく事態に気が付いた。ぎゅっと眉根を寄せて、書類と睨めっこを始める。
「私は剣師団に申し込んだんです。それで手違いで書類がこちらに紛れているかもって言われて取りにきたんですよ」
「おかしいですね。こちらには魔法師団と書かれていますし」
すっかり困ったという表情で、女性は少々お待ちくださいと言いおいて駆け足で去っていった。
(なんか、さっきもこのパターンだったな)
並べられていた椅子の一つを引き寄せて座り込む。背もたれがぎしりと軋む。
(今日中に隊舎に入れればいいけど)
今日は本当についていないようだ。最高の日になるという自分の予想はどうやら外れたらしい。マーシャルは深々と息を吐いた。
―――まさか、不運はこれだけに留まらないとは思いもせずに。