騎兵戦線「草原の丘」
平原に国境線はない。
目印も何もない広大な草地である。情勢によって、いくらでも動く国境を明確にしておく意味などなかった。
それをいいことに、賊徒は国の狭間を往来していた。国境付近の村を襲い、隣国に逃げ込む。守備隊による他国領への追跡は、侵犯問題に発展する可能性があることから、手を出しにくい。
そんな折、ある村が十数人の無頼漢に襲われた。一年前の同じ頃にも、襲撃されていた。二度目の不運に見舞われたことになる。以前にも増して鮮やかな手並みだったのは、勝手知ったるところだったからだろう。比較的、富裕な家々が標的にされた。
警戒にあたっていた守備隊は、知らせを受けると、直ちに追跡を開始した。見通しの良い平原で、賊徒の集団はすぐに見つかった。
「まだ行ける」
緩衝地帯に入っていた。追跡隊の馬の質は悪くない。賊徒に追いつくのは時間の問題だった。その時間から導き出される距離が、どのくらいであるのか。緩衝地帯の中で、どこまで隣国寄りになるのかが問題だった。馬を駆りながら、追跡隊を預かる分隊長は慎重に測った。
賊徒に近づいてきた。いや、速度を落としている。
分隊長は、疑念に揺れた。
戦うつもりか。
今まで賊徒たちは戦闘を避けてきた。矛を交えてしまえば、双方共に犠牲者が出る。そこまでして略奪はして来なかった。危うくなれば、戦利品を投げ捨てて逃走していたのだ。
逃げられないと知ったのか。
あるいは、追う側が少数と見て、殲滅しようとでも思ったのか。
侮られている。怒りが身体を駆け巡った。
「皆殺しにするぞ!」
部下に号令をかけ、緩やかな丘を駆け上がった。
息を呑むとはこのことだった。思わず手綱を引き絞った。部下たちも同様に停止する。
自分の目が信じられない。まだ緩衝地帯の中程である。あり得ない光景が眼下に広がり、そして埋め尽くしていた。
銀色の軍勢だった。
数百、数千と思える人馬の目が、彼らの顔を貫いていた。
「騎乗!」
賊徒――囮にして斥候を内懐に招き入れた戦闘集団が一斉に騎乗した。甲冑と鐙が立てる音がやけに大きかった。
分隊長は、自分たちが皆殺しにされる未来を否定したかった。
馬厳は愛用の戟を鞍にくくりつけ、常歩で馬を進めていた。
単独行である。仲間の目がないことで、のびのびと草原を駆っていた。近頃、国境付近の村々が賊徒に荒らされることが多く、調査のために派遣されていた。
水平線を眺めていると、国と国との決まり事など馬鹿馬鹿しく思えてくる。国境などなくてもいい。やられたらやり返せばいいのだ。その勢いで領地を広げることもできる。あえて、隙を見せて襲わせれば、侵略のよい口実になると、物騒な考えを持っていた。
昼過ぎには、村が見えてくるはずだった。しかし、建物が見える前に、空へと伸びる一筋の煙が目に入った。燃えている。
「先を越されたって、わけじゃねえだろうな」
大地の振動が馬厳の想像を肯定していた。
愛馬の歩みが疾駆に変わった。
銀色に光る鎧が悠然と進行する。隊列が横に広がり、大きな陣となっていた。
そこに、守備隊らしき集団が密集体型で突っ込んだ。数は二百といったところだ。多勢に無勢だった。無謀すぎる。
「待て!」
馬厳の声は届かない。
銀色の翼が閉じようとしていた。鶴翼の陣である。両翼が、中央突破を狙った守備隊を抱擁する。
怒号と剣戟が戦場に溢れた。悲鳴は、ない。
閉じられた翼の中で、もがくことなく散った。そう思えたとき、片翼がもぎ取られた。銀の羽根が散る。
「破ったか」
血塗られた騎馬武者が抱擁から脱してきた。その後に騎馬が続いた。
馬厳は戟を手に取った。仲間を救うべく、ひたすら駆けた。
先頭の騎馬が彼に気づいた。馬厳は戟を立てて合図を出した。
「馬厳か」
「馬孫、お前か」
顔を赤く染めた男は、知り合いだった。国境守備隊の中隊長だ。
一騎と一隊は交錯し、弧を描いて併走した。
「無茶しやがる」
「国境侵犯だ。捨て置けまい」
馬孫の言うことももっともだった。守備隊が逃げ出したら終わりだ。敵の侵攻を警戒するだけでは意味がない。殲滅するのが任務だ。それが難しければ遅らせ、近くの部隊に知らせを送る。
「犠牲は」
「約二十です」
馬孫の副官らしき男が答えた。一割ほどが戻ってこなかった。圧倒的な数の差の鶴翼に突撃したにしては、少ないとも言える犠牲である。
「次こそ、大将を潰すぞ」
敵将は鶴翼の中心に位置するのが通例だった。馬孫は当初それを狙ったが、思いのほか厚い壁に阻まれ、脇の翼から離脱したのだった。陣形が乱れている今なら、再度狙う良い機会だった。
「付き合うぜ」
馬厳は戟を手挟み、にやりと笑った。
「ありがたい。――お前ら、三騎兵の馬厳が力を貸してくれるぞ!」
馬を寄せてきた見知らぬ騎兵が、三騎兵の一人であると聞き、守備隊の面々は歓喜の声を上げた。
三騎兵の名は、数々の武勲と共に語られていた。
一軍を率いれば、弱兵も精強な部隊へと代わり、一騎打ちでは負けを知らない。たった三騎で一国を陥落させたこともあるという。
「煽るなよ」
満更悪い気がしない馬厳は、先頭に躍り出た。
「敵将の首は早い者勝ちだ。俺より先に奪えば、末代まで語れるぜ!」
その言葉で守備隊の指揮は最高潮に達した。
猛然と襲いかかってくる騎馬に、銀色の兵たちは怯みを見せた。それが命取りだった。陣に騎兵の鉄槌を打ち込まれ、軍馬の壁が崩れた。
馬厳の戟が瞬く間に命を刈り取る。守備隊も今や鋭い穂先となり、敵兵を突き崩していった。
「そこだ!」
馬厳が戟を振るいながら、ひときわ勇壮な騎馬を指し示した。
「もらった」
躍り出たのは馬孫だ。指揮官を守ろうと、前に出てきた戦士に短槍を突き入れ、もう片方の槍で将の首筋を横合いから貫いた。どちらも鎧の合わせ目を狙っていた。
「中隊長が奪ったぞ!」
「おお!」
自分たちの指揮官が敵将を倒したことで、騎馬たちはさらに勢いを増した。それに対して、銀の鎧の部隊は、動揺の色を隠せない。
「退却!」
誰かが言った。賢明な判断だった。
「追撃はいらん」
背を見せた相手に振るうものはなかった。撃退したことでよしとした。
何かがおかしかった。
馬厳は甲を取り、戦場を見渡した。国境を侵してくるにしては、敵兵の数が少ない。将が倒れたとはいえ、あっさりと引き上げてもいた。瀬踏みかと思う。だが、今更、長年戦ってきた相手の力量を測る理由がない。
何よりも不可解なのは、銀色の鎧だった。遙か西方で使われていると聞いたことがある。草原では馬が第一である。馬の負担になるような重い鎧を着込む慣習はなかった。
念のため、死体の兜を剥いでみたが、顔の出で立ちも黒い髪の色も、隣国の人間のそれだった。
馬厳は、視線を感じた。追うと、丘の上に騎馬が一騎佇んでいた。
銀の鎧姿ではなかった。革のベストとズボンという、およそ戦場には不釣り合いな出で立ちだ。それ以上に目を引いたのが、見目の良い顔だった。金色の髪をしている。遙か西の国の人種だ。
「何者だ」
呟いた言葉から逃げるように、騎馬は踵を返した。
馬厳は追うことを考えたが、思いとどまった。
誘われている。
そう感じたからだ。追撃をかければ、伏兵が躍り出て来るおそれがあった。馬孫が追撃を取りやめたことに反する行為にもなる。
「帰投!」
馬厳は後ろ髪を引かれる思いで手綱を引いた。




