第9話 ギャル、言葉の重さを知る
昨日の廃砦から戻った後、支部長に呼ばれた。
報告を終えた直後のことで、レオニスも同席していた。支部長は台帳を閉じてから、短く言った。
「レオニス。しばらく嬢ちゃんの定期同行者として動いてもらいたい」
レオニスは一瞬だけ間を置いた。断るわけでも、驚くわけでもなく、ただ状況を整理しているような間だった。
「……理由を聞いていいですか」
「特例監視対象の指定は、監視する人間が必要だということだ。それに」
支部長はアタシの方を見た。
「この嬢ちゃんは強いが、この街の法と慣習を知らない。野放しは双方にとって良くない」
アタシは特に反論しなかった。正論だと思ったから。
「俺に断る権限は?」
「ない」
短い答えだった。レオニスは小さく息を吐いてから、アタシを見た。
「よろしく頼む」
「こちらこそ」
そういう経緯で、翌朝からレオニスと行動を共にすることになった。
翌朝、ギルドに着くと、レオニスが先に来ていた。
入口近くのテーブルに座って、何か書き物をしている。アタシが扉を開けた瞬間に顔を上げたから、気配には敏感なタイプらしい。
「早いね」
「依頼の記録をまとめている。昨日の廃砦の件は、支部長への正式報告が必要だ」
「マメじゃん」
「当然の手続きだ」
真顔で言う。冗談が通じないわけじゃなくて、仕事の話をしている時は仕事の顔になる、というタイプだと思った。前世でも、こういう人はいた。オンとオフの切り替えが自分の中でちゃんとある人。
アタシはカウンターへ向かおうとして、セリナの表情で足を止めた。
いつもの困った顔じゃない。少し、重い顔だ。
「……おはよう。何かあった?」
セリナは一瞬だけ躊躇してから、声を落とした。
「昨日、確認班が北街道の盗賊たちを収容しに行ったのですが」
「うん」
「一人、自分から街の衛兵に出頭したそうです」
アタシは黙って続きを待った。
「盗賊のリーダー格と思われる男です。ギルドへの自主申告で、被害を受けた商人への弁済を申し出たと」
その言葉が、胸の奥でゆっくり沈んだ。
弁済。自主申告。あの男が。
何を感じているのか、うまく言葉にならなかった。良かった、とも思う。でもそれだけじゃない。何か別のものが混ざっていて、それが何なのかがすぐには分からない。
「……そう」
気づいたら、そう呟いていた。
レオニスがいつの間にかカウンターの近くに来ていた。書き物を持ったまま、アタシとセリナのやり取りを聞いていたらしい。
「知り合いか?」
「討伐相手。昨日じゃなくて、一昨日の方」
「あの林道の盗賊か」
「そう」
レオニスは少しだけ考えてから言った。
「自主申告は、簡単な決断じゃない。弁済の意思があっても、実際に衛兵の前に立つまでには時間がかかる。普通は、もっとかかる」
「……そうなの?」
「この国の法では、自主申告した場合と逃亡を続けた場合で、処罰の重さが大きく変わる。だが、それを知っていても動けない人間の方が多い。恥と恐怖が先に来るから」
アタシはその言葉を、少し時間をかけて受け取った。
法の仕組み。処罰の重さ。社会の中で人が動く理由。これはアタシが持っていない知識だ。この世界で生まれ育って、騎士として動いてきた人間の持っている地図だ。
「じゃあ、あの人にとっては……かなり大きい一歩だったってこと?」
「そうなる」
レオニスは断定的に言った。でも押しつけがましくない言い方だった。
アタシはしばらく黙っていた。
あの男が膝をついた瞬間を思い出す。「どうすりゃよかった」という掠れた声。アタシは「アタシに聞いても出ない答えだと思う」と言って、その場を離れた。
それが正しかったのか今も分からない。
でも少なくとも、あの問いは今も男の中に残っていて、男はその問いを持ったまま、衛兵の前に立ったのだ。
言葉というのは、放った後も動き続ける。
それが嬉しいことなのか、怖いことなのか、アタシにはまだ分からなかった。
前世で誰かに似たような経験があるか探してみたけど、これは前世には似たものがなかった。
「……ありがとう」
セリナに言ったのか、レオニスに言ったのか、自分でも分からなかった。
セリナが小さく頷いた。レオニスは何も言わなかったが、書き物に視線を戻す前に、1度だけアタシの方を見た。
午前中に依頼が1件入った。
商人の護衛依頼。市場への荷運びに同行してほしいという、規模の小さな仕事だ。
街道を歩きながら、アタシは昨日と今日の空気の違いを感じていた。昨日の廃砦の帰り道は一人だったから、今日の「誰かが隣にいる」という感覚が新鮮だった。
「ねえ、聞いていい?」
「何だ」
「レオニスって、騎士団どうして辞めたの?」
少しだけ間があった。
「辞めたのではなく、追放だ」
あっさりした言い方だった。隠す気もない、でも詳しく話す気もない、という温度だ。
「何したの」
「上官の命令に従わなかった」
「……どんな命令?」
今度は少し長い間があった。レオニスは前を向いたまま答えた。
「証拠のない嫌疑で、一般市民の家を捜索しろという命令だった。従えなかった」
その言葉の重さを、アタシは少し時間をかけて受け取った。
「後悔してる?」
「していない」
即答だった。でも続きがあった。
「ただ、あの判断で守れなかったものもある。それは今も考えている」
アタシは何も言わなかった。言える気がしなかった、というより、何も言わない方がいいと思った。
こういう時に何か言うのが正解かどうか、これもアタシには前世の記憶に似たものがない。ギャルのコミュニティで誰かの傷の話を聞く時と、騎士が組織を追われた話を聞く時では、全然違う。
ただ黙って歩いた。
しばらくして、レオニスが静かに言った。
「お前は、自分の言葉が相手に何をするか、考えながら使っているか?」
唐突な問いだった。でも脈絡は分かった。今朝の盗賊の話の続きだ。
「……考えてるつもりだけど、全部は分からない」
「そうだろうな」
「それって、問題ってこと?」
「問題というより、覚悟の話だ」
レオニスは前を向いたまま続けた。
「剣で人を斬れば、傷が残る。それは目に見える。だがお前の口撃は目に見えない形で相手の中に残る。今朝の話がそれだ。あの男は動いた。だがそれは、お前が意図した結果じゃないだろう」
「……そうだね」
「意図していない結果が出る力は、使う側が思っている以上に重い」
アタシは少しだけ考えた。
怒っているわけじゃない。責めているわけでもない。ただ、レオニスが知っていることを渡してくれている感じがした。この世界で長く生きてきた人間が、社会の中で力を使うということの重さを知っている、その知識を。
「……聞いといて良かった」
「聞く気があるなら、話す」
短い言い方だったけど、それがレオニスの誠実さだと思った。
護衛依頼は何事もなく終わった。
市場の帰り道、アタシは荷主の商人と少しだけ話した。初老の男で、布を扱っている人だった。話の中で、先日北街道で荷物を奪われたという話が出た。
布が入っていたと言った。
アタシは何も言わなかった。この人が先日の盗賊に奪われた荷の持ち主かどうかは分からない。でも、奪った側の人間が今日、弁済を申し出たということは、この商人の耳にもいずれ届くだろう。
それがどういう形で届くかは、アタシにはどうにもならない。
ギルドへの帰り道、少しだけ後ろを歩きながら、アタシは空を見た。
言葉というのは、放った後も動き続ける。
朝にそう思ったことを、もう一度思った。それが怖いのか、面白いのか、まだ決めていない。決めなくていいとも思う。ただ、知らなかった時には戻れない、とは思った。
「なあ」
前を歩くレオニスが、振り返らずに言った。
「お前、この街に長くいるつもりか?」
「んー、今のところは。ギルドの依頼が面白いし」
「そうか」
「なんで?」
レオニスは少しだけ間を置いた。
「お前の力は、そのうち街の外の話になる。それだけだ」
断言するような言い方だった。でも脅しじゃない。ただ、見えているものを言っている人の声だ。
アタシは少しだけ笑った。
「それ、楽しみにしとく」
レオニスは何も言わなかった。でも歩くペースが、ほんのわずかに緩んだ気がした。
アタシはそれに気づいたけど、何も言わなかった。
言わない方が、いい場面というのがある。それはギャルのコミュニティで覚えたことじゃなくて、この世界で今日初めて学んだことだった。




