第13話 ギャル、踏み込まない
ランクルの朝は、街と匂いが違う。
香辛料の産地に近いらしく、市場に出ると空気の底に甘い刺激がある。昨日の北森林帯の土と草の匂いとも、いつもの街の石畳の匂いとも違う。体が、ここは知らない場所だ、と先に感じた。
市場への納品が残っていた。レオニスと2人で荷物を運んで、依頼主に渡した。それで終わりのはずだった。
市場を出たところで、声が聞こえた。
商人らしい老人が、ゴロツキ3人に囲まれていた。荷物を半分よこせという話らしい。老人が「それは困ります」と言うたびに、3人の1人が肩を押した。
アタシは3人を見た。一瞬だけギャルズアイを向けた。
虚勢だ。全員。びびってるのを隠してる。こういう人間は、少し突けば崩れる。
「ちょっといい?」とアタシは言った。3人が振り返った。
「その人、断ってるじゃん。聞こえてる?」
「関係ないだろ」と1人が言った。
「3人掛かりとか、みっともなくない?」
3人が顔を見合わせた。そのまま、来た道を戻っていった。
老人が「ありがとうございます」と言った。レオニスが横に来た。
「止める前に終わっていた」
「終わってたね」
「……そうか」
そこにギルドの使いらしい男が来た。急いでる顔で「急ぎじゃないですが」と言った。
アタシはその男の顔を見た。急いでる顔で急ぎじゃないって言う人間は、急いでる。体がそう言っている。
「行く」とアタシは言った。
「内容も聞かずにか」とレオニスが言った。
「顔見たら行こうと思った」
レオニスが何も言わなかった。ついてきた。
依頼人はハウルという老人だった。家に通されて、話を聞いた。
娘のリナが、3年前から仕立てをやめてしまった。またやり始めてほしいと思っている。それだけの話だ。
「娘に会ってもらえますか」とハウルが言った。「あなたなら、何か言えるかもしれない」
「なんで」
「分かりません。でも、そう思ったんです」
老人の勘というものがある。理由が言えないのに確信がある、という顔だ。
「会います」とアタシは言った。「でも、何も言えないかもしれない」
「それでもいい」とハウルが言った。
奥の部屋に通された。
リナは30代の女性だった。部屋の真ん中に立っていた。窓から午前の光が入っていて、その光の中に布地の積まれた棚が見えた。道具も揃っている。ずっとそこにある道具の気配だ。3年間、触られていない。
ギャルズアイを向けた。
閉じてる。でも壁じゃない。自分で閉めた扉だ。鍵がかかっているわけじゃない。自分で閉めて、自分で立っている。
「仕立て、好きだったんでしょ」とアタシは言った。
「……好きでした」
「なんでやめたの」
「うまくできなくて」
道具が棚にある。3年間そこにある。
「道具、まだ持ってるじゃん」
リナが止まった。
何も言えなかった。言えるわけがない。やめたなら道具を捨てている。捨てられていない。それだけのことだ。でも、それだけのことが一番痛い場所だった。
アタシはそれ以上言わなかった。ここだけでいい。部屋の光が、さっきと同じ角度で差し込んでいた。
しばらく沈黙があった。
リナが少し、笑った。声は出なかった。でも笑った。
アタシも何も言わなかった。
帰り際、ハウルが「ありがとうございました」と言った。
「何もしてないです」とアタシは言った。
「いいえ」とハウルが言った。「あの子があんな顔をしたのは、久しぶりです」
外に出るとレオニスが待っていた。石段の端に立っていた。午前の光が路地に伸びていた。
「どうだった」
「笑ってた」
「何を言ったんだ」
「道具まだ持ってるじゃんって」
レオニスが少し間を置いた。「……それだけか」
「それだけ」
「踏み込まなかったのか」
「なんか、それだけでよかった気がした」とアタシは言った。「聞きすぎたら違う気がして」
レオニスが何も言わなかった。食堂に向かって歩き始めた。石畳の感触がランクルの路地らしい、少し不規則な並び方だった。
しばらくして「お前の言葉はいつもそうか」と聞いた。
「どういう意味」
「考えてから言うんじゃなくて、見えたから言う」
「なんか、そういう感じ。うまく言えないけど」
「……そうか」とレオニスが言った。少し間があった。「俺とは逆だ」
「レオニスは考えてから動く」
「そうだ。……だから」
「だから?」
レオニスが黙った。食堂の灯りが見えてきた。続きは言わなかった。
でも「だから」の後ろに何かある気がした。今日は聞かなかった。聞かなくていい、と体が判断した。




