第90話 決戦の果て、失われた日常の欠片。
第一部ここに完結!魔王との最終決戦をお見逃しなく!
「ありえん……! 万能の権能を捨てた貴様が、なぜこれほどの……ッ!」
魔王の叫びと共に、どす黒い波動が荒野を奔った。それは世界そのものを腐食させる、終焉の理を形にした一撃。だが、俺はそれを回避しなかった。ただ、一歩。重力に身を任せるような、おっさん特有の脱力した動作で、その懐へと踏み込む。
かつて俺は、迷宮内の不確定要素を排除するために、全演算リソースを投じていた。今はそのすべてが、眼前の「敵」という一点に集約されている。魔王が次にどの筋肉を動かし、どのタイミングで魔力を爆発させるか。その数理的予測は、もはや予知の域に達していた。
「管理不足だ、魔王。お前の力は確かに強大だが、その出力はあまりにも雑で、無駄が多すぎる」
俺が振るった光の刃は、魔王の漆黒の鎧を、まるでお湯でバターを溶かすように易々と切り裂いた。
「ぐ……あああああっ!」
魔王の胸元から、これまで奪ってきた膨大な魔力が霧となって溢れ出す。俺は追撃の手を緩めない。ザックが硬い甲殻を持つ魔獣を捌く時に見せてくれた、最小の力で最大の結果を出す、あの流麗な刃筋をなぞる。一撃ごとに魔王の理不尽な防御壁が剥がれ落ち、彼の傲慢な瞳に、死という名の等身大な恐怖が宿り始めた。
「終わりだ。……これは、俺が守りたかった、なんてことのない毎日のための清算だ」
俺は剣を、魔王の核へと突き立てた。
眩い黄金の光が魔王の体を内側から焼き、彼が構築した絶望のシステムが、ドミノが倒れるように瓦解していく。断末魔さえ上げる暇もなく、この世に災厄をもたらした存在は、一握の灰となって風に散った。
……静寂が訪れた。
空を覆っていた赤黒い雲が晴れ、雲の間から柔らかな陽光が更地となった大地を照らし出す。
俺は、熱を失い崩れ落ちた鉄の剣を放り投げた。
全身を襲う、形容しがたい激痛と倦怠感。一人の人間に、ダンジョンコア並みの演算を強いた代償だ。膝をつき、荒い呼吸を繰り返す俺の視界に、こちらに向かって走ってくる数人の影が映る。
「主様! 主様、無事なのですか!?」
テオの声だ。その横には、瞳を潤ませたリナと、泣き腫らした顔のアムネ、そして腕を組んで鼻を啜るザックがいる。彼らの背後には、イグニスとキュイも寄り添っている。
俺は立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。そして、ふと気づく。
今の俺は、彼らが慕っていた、あのクリスタルのコアではない。目つきが悪く、くたびれた、冴えない中年のおっさんだ。
「……よぉ」
掠れた声で挨拶をすると、彼らは俺の数歩手前で足を止めた。
そりゃそうだろうな。いきなり現れた知らないおっさんが、主様だなんて言われても困るはずだ。俺は少し自虐的な笑みを浮かべ、彼らに顔を向けた。
「悪かったな、みんな。……かっこいい姿じゃなくて、こんな不健康そうなおっさんで」
俺がそう口にした瞬間。
リナが、躊躇いもなく俺の胸に飛び込んできた。
「……バカっ! 遅いのよ! ……姿なんて、最初から見てなかったわよ、私たちは!」
彼女の泣き声が、俺の汚れたシャツに吸い込まれていく。続いて、テオが静かに跪き、ザックが俺の肩を強く叩き、アムネが俺の手を握りしめた。
「姿が変わろうと、主様の魂の色は変わりません。……おかえりなさいませ、私たちの主よ」
テオの言葉に、俺の胸の奥が熱くなる。
迷宮は消えた。俺が作り上げた、あの「平和な日常」を支えていたシステムは、もうどこにもない。俺もまた、二度とあの安全なコアルームに戻ることはできない。
だが、目の前で俺を囲み、涙を流している彼らの温もりは本物だ。
更地となったこの場所には、まだ何もない。
けれど、ここからまた始めればいい。
俺という名の一人の「冒険者」と、そして俺の誇りである、この愛すべき眷属たちと一緒に。
俺は、差し込む陽光に目を細め、彼らの温かな手に支えられながら、ゆっくりと立ち上がった。
失われた日常の欠片は、今、新しい物語の種として、この大地に蒔かれたのである。
ご拝読ありがとうございます。当初の予定では、90話をもって物語の終わりとするところでした。勇者になったことから始まる展開を、これまでの経験を元に、話を膨らませるのもアリなのではないかという考えに至り、続行することにしました。
そして次回からは第二部としまして、第91話『更地からの再建、新しいおもてなしの形』をお送りいたします。新たなダンジョン生活をお楽しみに!!




