第88話 『冒険』を選択し直したコア、勇者として立つ。
眩い光がコアルームを白一色に染め上げた。
それは自爆の爆炎ではなく、魂の再定義がもたらした根源的な力の発露であった。
「な……!? 貴様、何をした……っ!」
魔王の驚愕の声が響く。俺を閉じ込め、あるいは守っていたコアルームのモニター群が、内側から弾け飛ぶような黄金の魔圧によって次々と粉砕されていった。
(運営権限、すべて破棄。……ギフト冒険、完全起動。ジョブチェンジ……勇者)
俺の意識の中で、これまで俺を形作っていたシステムの文字列が、爆発的に書き換えられていく。俺はこれまで、ダンジョンコアの内部にある、あの快適なワンルームから一歩も出ることなく、モニター越しに世界を管理してきた。誰にも傷つけられない安全な場所で、神のような視点から「おもてなし」の数値を弄っていたに過ぎない。
だが、俺は今、その安全を自ら投げ捨てた。
管理者という分厚い壁を脱ぎ捨て、一人の生きた人間として、泥臭い現実へと足を踏み出す。
その瞬間、俺の居室であった空間が激しく歪み、クリスタルコアの外殻が内側からの圧力に耐えかねて激しく爆発した。
だが、それは死を意味する破壊ではない。中から俺という人間が、ついに外界へと「誕生」するための、殻割りに過ぎなかった。
砕け散ったクリスタルの破片が光の粒子へと変わり、魔王の目の前で一人の男の輪郭を形作っていく。
光が収まると、そこに立っていたのは、英雄然とした美男子でも、筋骨隆々の戦士でもなかった。
少し猫背気味で、目つきが悪く、頬は痩けていてどこか不健康そうな、中年の痩せぎすなおっさん。
それが、前世から寄る年波を重ねた俺の本来の姿であり、女神が「この世界を楽しんでください」と願った、ありのままの俺の姿だった。
「……ふぅ。これが、外の空気か。随分と、不快な匂いだな」
俺は自分の手を見つめ、指を握ったり開いたりしてみた。ワンルームのベッドの上で感じていた仮想の感触ではない。今、俺の掌に触れているのは、コアルームに充満していた焦げた魔力と、冷たい外気の、生々しい質感だ。
肺が直接外気を取り込み、喉が物理的に震えて声を出す。これまでスピーカー越しに出力していた「コアとしての声」ではなく、俺自身の喉から漏れる、少し掠れた男の声。
管理者の椅子に座り、モニターで他人の人生を眺めることしかできなかった俺が、ついに自分の体で、この世界の理不尽を直接感じ取れる場所まで降りてきたのだ。
「お前が……あのコアの中にいた男か? ふん、そんなみすぼらしい肉体を取り戻すために、管理者としての万能の権能を捨てたというのか! 愚か者が!」
魔王が怒りに任せて漆黒の魔力を放つ。だが、俺が管理者であることをやめたことで、この迷宮そのものが成立の基盤を失い始めていた。
俺の網膜に直接、これまでのシステムログが最後の警告を飛ばす。
(管理者不在。迷宮維持不能。……全階層、強制排除シークエンス開始)
俺が運営を放棄したことで、迷宮を構成していた魔力が急速に霧散していく。だが、それは破壊による崩壊ではない。俺が最後に残した管理命令……「迷宮内の全存在を、安全な座標へ強制移送する」という慈悲のプログラムが、爆発的なエネルギーとなって発動したのだ。
魔王に捕らえられていた視察団、逃げ惑っていた一般の人々、そして魔王の悪意に侵されていた土地そのものが、優しい光に包まれて消失した。彼らは今頃、イグニスたちが守るユグドラシルの聖域や、王都の郊外へと無事に送り届けられているはずだ。
「さて、ここももう、お終いだな」
俺が呟くと同時に、コアルームの壁が、天井が、俺が愛用していた家具のすべてが、音を立てて崩れ去った。
魔王が作り上げたSSSランクの新階層も、おぞましい肉壁も、俺のシステムという土台を失ったことで、砂の城のように脆く霧へと変わっていく。
視界が大きく開けた。
気づけば俺は、かつて迷宮の入り口があった場所……今は何もない広大な更地となった土地の上に立っていた。
空はどんよりと暗く、目の前には魔王と、そして彼が産み落とした数百体もの異形の魔物たちが、軍勢となって俺を包囲している。
「迷宮を自ら壊してまで、この死地を選んだか。だが、そのみすぼらしい姿で何ができる? たった一人で、このSSSランクの軍勢を相手にするつもりか!」
魔王の嘲笑が荒野に響く。
俺は、おっさん特有の気怠げな動作で、少し汚れたシャツの首元を緩めた。そして、地面に転がっていた一本の、なんの変哲もない鉄の剣を拾い上げる。それは、逃げ遅れた誰かが落としたものか、あるいは崩壊した迷宮の備品か。
「管理ってのは、もう飽きたんだよ。……これからは、一人の冒険者として、お前みたいな理不尽をぶん殴ることに決めた」
痩せぎすなおっさんの体から、かつての迷宮すべてを支えていた膨大な魔力が、一本の剣のような鋭い気迫となって溢れ出す。
俺の新しい人生、その真の第一歩が、今ここに刻まれたのである。
ご拝読ありがとうございます。見た目はみすぼらしさ満載、だが、その実力は、迷宮を運営していた魔力にスキルを、そして何より、これまでの経験を軽んじてはいけない。
さて次回は、89話『おっさん勇者の初陣、一撃の理』をお送りいたします。お楽しみに!!




