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Fランクダンジョンの平和な日常〜ダンジョンコアになって十数年いろんなことがありました〜  作者: 弌黑流人
【第一部】 第八章 終焉の胎動と侵食される聖域

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第84話 深淵の産声、悪意に満ちた新階層。

 魔王の冷たい足の下で、俺の本体である核は、不快な音を立てて軋んでいた。


 コアルームを埋め尽くすモニター群には、俺の高度な演算能力を以てしても感知すらできなかった未知の階層が映し出されている。それは、おぞましい赤黒い光を放ちながら、既存の迷宮を侵食するように急速に形成されていた。かつての迷宮が持っていた、機能美や「おもてなし」のための温かな意匠をあざ笑うかのような、粘膜と脈動する肉壁に覆われた地獄の揺りかご。壁面からは獲物を溶かすための体液が滴り、天井には無数の眼球が埋め込まれ、絶え間なく周囲を監視している。


 「見ておけ。これがお前が大切に育てた『力』の、正しい使い方だ。慈しみや共生などという甘い幻想は、強者の前ではただの効率の悪さでしかないのだよ」


 魔王が傲慢に指し示した先には、巨大な魔力抽出装置が鎮座していた。そこには、俺が何よりも慈しんできた火の精霊イグニスと、火竜の幼体キュイが、悍ましい棘の鎖に繋がれ、苦悶の表情を浮かべて捕らえられていた。彼らからは、魂そのものを削り出すような残酷な音を立てて、魔力が吸い上げられていく。


 「イグニス! キュイ!」


 俺は魂の底から、喉が裂けんばかりに叫んだ。抽出装置が激しく作動し、二人の体から純粋な熱量と魔力が強引に引き抜かれていく。その輝かしい黄金の魔力は、魔王の悪意というフィルターを通ることで禍々しい黒へと変質し、新階層の肉壁に埋め込まれた巨大な卵へと流れ込んでいく。卵は不気味に脈動し、その中では数百体にも及ぶ、人の理を外れた強力な魔物たちが、産声を上げるその瞬間を待ちわびていた。


 しかし、その光景を完璧な勝利への余韻とともに眺めていた魔王の眉が、一瞬、不快そうに動いた。


 抽出され、循環している魔力の質が、想定よりもはるかに薄く、不安定であったからだ。


 「……く、くく。なるほど、偽物か。精巧に模した器を用意したようだが、本物の輝きには遠く及ばぬということか。偽造された魂では、この深淵を完全に満たすことはできんらしい……、よく考えたものだ」


 魔王が忌々しげに吐き捨てた、その瞬間であった。


 堅牢なはずのコアルームの空間が、激しい熱風と、空間そのものが軋むような衝撃とともに弾け飛んだ。


 「キュウウウウウウイ!」


 次元を切り裂き、閃光のごとき速度で飛び出してきたのは、本物のキュイだった。そしてその背には、周囲の酸素を一瞬で焼き尽くすほどの神聖な業火を纏ったイグニスが、怒れる火の神のごとき威厳を湛えて座していた。


 二人は魔王の目すら届かぬ、迷宮のさらに深層……地脈の最も純粋な流れの澱みに潜み、牙を研ぎながら反撃の機会を虎視眈々と窺っていたのだ。イグニスは出現と同時に、太陽のごとき眩い炎の加護を展開した。その温かな光は、絶望の淵に突き落とされ、心を閉ざしていたリナ、ザック、テオ、そしてアムネを優しく包み込んだ。魔王の呪いを一瞬で焼き払う聖なる火の結界が、彼らの精神を縛っていたどろどろとした闇を霧散させ、浄化していく。


 さらにキュイは、地脈そのものを自らの神経のように強引に操作し、各地で孤立し、死を待つばかりだった仲間たちを一箇所に引き寄せた。そのまま、魔王の干渉が及ばぬ未知の座標へと空間を跳躍させる。


 彼らがたどり着いた先は、つい先日崩壊し、今は枯れ果てた死の土地となっていたユグドラシル国定公園の跡地であった。


 かつてのエルフの聖地に着地すると、イグニスはその身に宿す万物を育む精霊の息吹を、枯れ果てた大樹の根へと注ぎ込んだ。一瞬にして燃え上がるような緑と白の生命の光が周囲を圧倒し、魔王の邪気を寄せ付けない、強固にして神聖な結界が幾重にも構築されていく。


 「キュイ……!」


 キュイは自らの前足を鋭い爪で切り裂くと、そこから溢れ出す、命の輝きそのものである黄金の真血を、意識を失いかけていたリナ、ザック、テオの口へと一滴ずつ丁寧に注いだ。火竜の血は、彼らのボロボロに傷ついた肉体と、折れかけていた精神を急速に再生させ、常人を遥かに凌駕する超常の活力を与えていく。


 そして、最も深く心を病んでいたアムネには、キュイがこのFランクダンジョンで長年蓄えてきた、澱みのない最も純粋な魔力の結晶を直接その魂へと注ぎ込んだ。


 「……あ、あ……。キュイ……ちゃん……? 温かい……」


 アムネの瞳に、再び慈愛に満ちた柔らかな光が灯る。絶望の底で凍りついていた彼女の心が、小さな火竜の献身によって解きほぐされていく。


 魔王は、自らの手の届かぬ「外」の世界へ逃げ遂〈おお〉せた、新たな拠点を築き始めた眷属たちの様子を遠隔で察知し、「小癪な真似をっ!」と短く吐き捨てた。しかし、その声には先ほどまでの余裕はなく、微かな苛立ちが混じっていた。


 その光景を、コアルームのモニター越しに、そして自身の魂に直接刻まれる繋がりを通して見ていた俺は、心の底から安堵していた。


 仲間たちは、生きている。彼らの心はまだ、完全には折れていない。


 踏みつけられ、無数の亀裂が走ったクリスタルの深淵で、俺の心には再び、静かだが決して消えることのない、猛烈な反撃の火が灯ったのである。


 ご拝読ありがとうございます。ここまで正直しんどかったです(汗)ようやく、ほんの少しだけですが、光が差してよかった。

 さて次回は、第85話『SSSランクへの進化、最凶の百鬼夜行』をお送りいたします。お楽しみに!!

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