第1話 本日の営業は、安全確認から。
“小説家になろう”初作品
第一章 Fランクダンジョンの安寧
俺はダンジョンコアだ。
転生や前世の記憶がどうこうという話は、もうどうでもいい。少なくとも俺の意識がこの光る六角形のクリスタルに宿ってから、何十年という時間が流れた。
俺の仕事は、この低級ダンジョンを運営すること。
目の前に広がる魔力モニターには、今日も新人冒険者たちの慌ただしい足音が響いている。彼らのステータスは表示されるが、表情までは見えない。しかし、彼らが俺の作った「作品」に対してどう反応するかを観察するのが、今の俺にとっての唯一の娯楽だ。
午前9時。本日の営業開始に先立ち、ルーティンの安全確認を済ませる。
罠チェック: 昨晩、いたずらで調整された「ポーションスライムの落とし穴」は、スライムの弾力が規定値に達していることを確認。底の衝撃吸収力は完璧。
モンスター配置: 『清掃ゴブリン』が、休憩エリアの床にこぼれた「ベリー風味のポーション」のシミを丁寧に磨き上げている。配置完了。
新商品チェック: 今朝開発した『ミントスライム』から採取した素材で、新作の「クールダウン・ジェル」の生成を指示。これは、熱くなりがちな初心者の頭を冷やすには最適だ。
「よし、今日も死者は出ない」
そう自己承認した瞬間、ダンジョンの入り口をくぐる三人の若者のステータスが、モニターの隅に表示された。
(初心者パーティか。さあ、俺の平和なダンジョン・テーマパークを、存分に楽しんでくれたまえ。)
ところが、その直後、コアのモニターに奇妙なアラートが点滅した。
それは、特定の冒険者の動きを追尾するトラッキング警告。この機能は、悪意を持ってダンジョンを荒らそうとする者を捕捉するために俺が自作したものだが、ターゲットとされたのは、そのパーティにいる一人の怯えた様子の女の子だった。
「アラート優先。行動開始だ」
俺は即座に、このダンジョンの「特産品」である麻痺矢の罠の調整に入った。
麻痺矢が作動するエリアは、ダンジョン最下層ではないため、男たちも無理な力を加えてこないだろうと踏んでいる。だが、精神的な苦痛を与えるとはいえ、女の子のトラウマになるような状況だけは避けなければならない。
男たちは、まるで芝居でも見せるかのように、親切な顔で女の子を狭いT字路の先頭に立たせた。そこは、核心である麻痺矢の罠の射線に入る、絶好のポイントだ。
「リナちゃん、この先は弱いモンスターしかいない。君の経験値にするといい。危ないときは、俺たちが盾になるから、君は安心して先を進むといい」
「え、あ、はい……ありがとうございます」
警戒心の薄い女の子は、素直に先へ進む。
男達はニヤリと笑った。
その足が、床に仕掛けられたわずかな感圧スイッチを踏み込んだ。
「ピシュッ」という、弱々しい空気の破裂音と共に、壁から麻痺矢が放たれる。
女の子は、不慣れなためか、反射的にその場にへたり込んだ。
「馬鹿め。これでこいつは動けな……」
「いてぇ!」
矢は、彼女の頭上をかすめ、彼女の後ろに立っていたリーダー格の男の太ももに浅く突き刺さった。
次の瞬間、彼の顔から血の気が引き、その表情は極度の嫌悪感と羞恥心に歪んだ。
「うわああああああ!な、なんだこれ!俺はなんて…なんてブザマで、最低で、卑劣なクズなんだ!」
「俺の頭の中の薄汚い考えが、今、全身に溢れ出している!汚い!俺の顔を、俺の存在を、見るな!俺は醜い!」
男は持っていた剣を投げ捨て、地面に顔を押し付けたまま、全身を丸めて呻き始めた。麻痺ではなく、全身の筋肉が制御不能なほどの「自己嫌悪と羞恥」に襲われているのだ。
残りの男二人も、仲間の突然の発狂に呆然としている。
「おい、どうした!?変な麻痺毒か?いや、こんな効果は聞いたことないぞ!」
彼らが動揺したその時、ダンジョンコア(俺)は次の手を打った。
足元に、いつも落とし穴の底に敷いている『高密度粘着スライム』の群れを、カーペットのように敷き詰めたのだ。
「うわっ!なんだこれ、足が!」
「くそ、動けない!魔力を、魔力を使え!」
彼らがもがくほどに、スライムはブーツや装備に絡みつき、脱出を不可能にする。このスライムは殺傷能力ゼロだが、衣服と装備をボロボロにする程度の粘着力はある。
そして、間髪入れず、コアが最も得意とする「処理部隊」が到着した。
「ギギギ!汚いアル!汚いモノ、磨くアル!」
「キッタネー!キッタネー!」
清掃ゴブリンが、チリトリとモップを持って大挙して押し寄せ、地面に伏して泣き叫ぶリーダーと、スライムに絡めとられた二人の男たちを「長期間放置された汚いオブジェクト」と見なして、猛烈な勢いで装備を磨き始めた。
清掃ゴブリンたちは、男たちの高価な皮鎧をブラシでゴシゴシと磨き、リーダーのブーツに飛び散ったポーションスライムの残骸を念入りに拭き取っていく。
「やめろ!俺の防具だぞ!やめろゴブリンども!」
「助けて!これ、回復ポーションじゃない!ただのネバネバだ!」
その騒ぎの中、へたり込んでいた女の子は、地面に落ちたゼリー状の物体と、磨かれてピカピカになった男たちの装備を見て、ようやく状況を把握した。
「あ、あれ?この人たち、どうしたんだろう……」
コアは、女の子の足元から、そっと『案内コウモリ』を一匹だけ放った。コウモリは、他の騒ぎには目もくれず、女の子の目の前でホバリングし、静かに光を放つ。
(リナちゃん。こっちだ。光の方向へ進むんだ。後ろは振り返らなくていい)
女の子は、コウモリに導かれるように、静かにその場を離れた。
残されたのは、自己嫌悪に苛まれるリーダー、粘着スライムに身動きを封じられた二人、そして彼らの装備を全身全霊で磨く清掃ゴブリンの大群だった。
今日のダンジョンは、平和を維持するために少しだけ騒がしくなったが、コアが破壊される心配はなさそうだ。
(ふぅ。やれやれ。これでしばらくは、このダンジョンの評判が落ちることもないだろう)
コアは安堵し、今日の「トラブルシューティング」の記録を、ダンジョン運営マニュアルの隅に追記した。
ご拝読ありがとうございます。ダンジョンが主役でありながらも舞台装置として機能していく。訪れる冒険者とダンジョンが共に成長していく物語を紡いでいけたらなと思っています。




