邪神の信奉者
この物語はフィクションです。
この物語には社会的倫理観から
著しくかけ離れた描写があります。
夜風の心地よい星空の下。
にこりと微笑んだ僧侶が草の上に座る。
「…………」
俺はしかめっ面を維持したまま立つ。
しばし無言の時間が流れた後、
僧侶は軽くため息をついて、
その白いローブを軽くはだけさせて素足を晒した。
「……はぁ」
俺はその意図を理解し、
腰の剣をその場においてから隣に座った。
「するつもりなら鎧も脱いで欲しいのだけど」
「あまりどーてーをからかわないでください。
武器は持っていない。そういうことでしょう?」
「女の武器は体から外せないのよ」
「肩こりが大変らしいとは聞いています」
くすりと笑いを返してくれる。
わりとセンシティブな話題だったが、
幸いにもジョークの範囲で受け取ってくれたらしい。
「それで。これからの戦いについてですね」
「そうよ。今のところ私はあなたに味方するつもり。
あなたが、私の想像通りの勇者サマならね」
「…………」
どこまで、読まれている?
「私達の中には裏切り者がいた。
魔王との戦いの直前まで、
それが誰なのかあなたには確信がなかった。
賢者様の予言は絶対。
それは確かに、魔王に敗北する可能性だった。
にもかかわらずあなたは戦いを強行した。
その理由は、時間がなかったから。
そう、あなたにはこのタイミングで
魔王を倒すべき理由があったの」
「…………」
なるほど。流石です、僧侶さん。
「こうして街々で歓待を受ける私達だけど、
決して一晩以上は留まることができない。
もう時間がない。寄り道もできない。
最短ルートで帰らなければ、
次の代表選挙に間に合わない。
ここを逃したら4年後だもんね」
「……そのとおりです」
すべて、読まれている。
「私はあなたに投票するわ。勇者サマ。
いえ……初代人類総代表」
「……そこまでの権力を持てるかは、
まだわかりません」
確実なのは小さな都市国家1つを動かす権力。
ただし、勇者の俺が声をかければ、
その傘下に入る国家の数は少なくないはず。
その数が世界の7割に届くなら、
初代人類総代表を名乗っても許されるだろう、が。
「持てるわ。あなたは完璧にやり遂げた。
戦略的に無視して構わなかったはずの
魔王軍拠点をすべて潰し、
王妃誘拐から子犬探しまで、
あらゆるサブクエストをこなしてみせた。
それはあなたという勇者が、
世界中の万人の支持を得るための、
言うならば選挙運動だった。
あなたは勇者なんかではなく、
政治家として生きるべきだった人ね。
この旅は真の意味で伝説に残る選挙運動よ」
「…………」
そうです。
勇者になるのは、兄さんで。
俺は、政治をやる弟のはずでしたから。
「改めて、おめでとう。
あなたの勇者としての仕事はもう終わり。
ここからは存分に政治のセンスを振るいなさい。
おそらく私も、教会の中で相応の地位につく。
あなたのためなら、教皇を目指して
根比べをしてあげてもいいわ。
教会があなたの背後につけば、
世界の統治はスムーズに進むはずよ」
「正直に言うなら、それは是非お願いしたいです。
尤も……」
言っていいのか、悩む。
このままのなぁなぁの関係で
表向きだけの協力関係を維持してもいい。
しかし、目指すのが完全勝利なら。
石橋を叩いて壊して鉄橋をかけるなら。
「あなたが本当に女神クリアの信徒ならば、ですが」
その石橋は、壊すべきだ。
「あなたが味方で良かった」
「俺もそう思います」
「あなたを敵にしたくないの」
「俺もそう思います」
「だから、気にしないで。
私が邪神の信奉者であることなんて、
本当にどうでもいいことだから」
「…………」
俺はちらりと反対を見る。
剣は手を伸ばしても、届かない。
「ならそれ、やめてもらえませんか?」
「なんのことかしら?」
俺は体を飛び起こし、
僧侶を正面から押し倒す。
「即死魔法の詠唱を止めろと言っている」
「……ふっ」
「あなたはここで死ぬべき人間よ。
少なくとも女神クリアならあなたを殺す。
何故ならあなたはこれから、
魔王より多くの人間を殺すことになるから」
「詠唱を、止めろ」
鼓動が、苦しい。
これはおそらく、即死魔法の効果だけではない。
効果が出るのが、早すぎる。
「無駄よ。詠唱は脳内で考えるだけで進むの」
「もうあなたを殺すしか止める方法はないと?」
「あなたの剣で私を刺したら、
その快楽で思考が中断されるかもしれないわ」
「どちらの剣も抜くつもりはないんです。
やめてください」
俺はもう、身内を殺したくない。
それに政治をやるなら、
隣に異性は置いておけない。
特にこういう、危険な女は。
「…………」
「…………」
「……いいでしょう。
殺すのは後にしてあげるわ」
「ありがとうございます。
俺も、後にしておきます」
ふぅ、と大きく息を吐き、
大きく、吸い込む。
もう胸は、苦しくない。
「やるじゃない。どーてーなのに」
「からかわないでください」
俺は改めて僧侶の隣に座る。
ひとまずの危機は、乗り越えたらしい。
「……関係ないのよ。
私がどんな神を信じているかなんて」
「そうは思いませんけど」
「あなたは信仰の本質を理解していないわ。
いや、まだ理解できている方かしら。
だから祈っている相手を気にしてしまう。
結局世の人々は、自分が誰に祈っているかなんて
何も気にしていないのよ。
自分が救われさえすれば、それでいいの」
「……確かに。言われてみればそうなんでしょうね」
教会の中の人たちまでがそうとは思わないが。
それもこの人には、どうでもいいことなのだろう。
勇者と共に魔王を倒したという実績。
その殉教者として最大級の経験は、
教会の中でこそ最大限の効果をもたらす。
それこそ、本当に教皇になれてしまうほどに。
「あなたの望みは?
俺に投票する有権者としてのあなたは、
人類の新たなリーダーに何を望むんです?」
「魔王軍との戦争を終えての復興。
全世界の民の生活レベルの向上」
「当然、それは果たします」
「その順序は?
元から貧乏だった貧民の救済と、
魔族の略奪で資産を失った貴族の補填、
どちらから手をつけるつもり?」
……なるほど。それが本題か。
答えは簡単だ。
貴族から手をつける。
何故なら、そうする以外無理だから。
そうしなければ、戦争が始まるから。
いつか起きるかもしれない革命よりも
確実に起きる戦争の方が、厄介なのだ。
だがもしもそう答えようなら、
俺はここで殺される。
即死魔法は、まだ詠唱が中断されたに過ぎない。
俺はまだ、脅迫されている。
そして、俺がここで貧民からと答えれば、
それは神の前での宣誓となってしまう。
近く教皇となる教会最高権力者の前での、宣誓に。
(ただでさえここからの敵は
巨大だというのに、縛りプレイかよ……)
だがそれでも。
この先の物語を続けるなら。
「貴族からだ」
「ごめんなさい、聞こえなかったわ。
もう一度聞かせて」
「貴族からだ」
「ごめんなさい、聞こえなかったわ。
もう一度聞かせて」
「貴族からだ」
「ごめんなさい、聞こえなかったわ。
もう一度聞かせて」
選択肢なんて、最初からない。
「……貧民からだ」
「ありがとう。流石勇者サマ。
あなたは私が待ち望んだ救世主。
私のような女を救ってくれる人よ」
まぁ、仕方ない。
勇者など、最初から最後まで人身御供だ。
それでも俺は俺のために死んだ兄さんに誓って
最後まで人身御供を果たせねばならない。
だからせめて……
「俺が死ぬ時は、天国に行けるよう祈ってくれますか?」
そのくらいの望みは、叶えて欲しいのだが。
「無理ね。私もあなたも、
行き着く先は地獄しかありえない。
百歩譲って騎士ちゃんくらいよ、天国行きは。
まぁ、親を殺した時点でもう無理だと思うけどね。
覚えておきなさい。
悪行を成したクズにハッピーエンドは、訪れない」
確かに、そのとおりだ。
ならばもう、しょうがない。
ここから先が本当の戦い。
どう足掻いても地獄しか繋がっていない旅。
こうして裏ボスと俺の戦いが幕を開けたのだった。




